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色々

むかしむかし~本の感想⑬

2002年~2004年ごろに書いていた本の感想

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博士の愛した数式 小川洋子著 新潮社 ¥1500
事故の後遺症で、記憶が80分しか持たなくなってしまった「博士」とそこへ派遣された家政婦、そしていつしか博士になついてしまい博士から「ルート」と呼ばれる家政婦の子ども、その3人が過ごす80分の連なりとしての時間。

人間は記憶の総体として今在るのだけれど、その記憶がない、思い出が作れないということは、不幸なのだろうか?この物語を読んでいる限り、そうとはいえないと思った。3人が繰り返す80分は永遠に続く「今」でもある。記憶の限界のかなたにある過去にとらわれることなく、今を穏やかに楽しく過ごせるとしたら、ある意味なんて幸せなことだろうとさえ思う。

「過去はきれいさっぱり水に流して」なんてよく耳にするけれど、流したはずがどろどろと渦まいてよどんでいたりするほうが多い。忘れられたらどんなに楽になるかと思う過去の出来事だってたくさんあるに違いない。それほど記憶というものに振り回されているのが人間かも知れない。過去を引きずることなく、今を大切に生きることが、生きることのすべてという、簡単だけれどもなかななできない生き方を隠喩のように物語った本。

読み終えて、なんともいえないすがすがしさが残る。

むかしむかし~本の感想⑫

2002年~2004年ごろに書いていた本の感想

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グロテスク / 桐野夏生 文芸春秋 ¥1900 
佐野眞一の「東電OL殺人事件」(新潮社)はノンフィクション。同じ題材を元にしたと思える「グロテスク」はノンフィクションより真実を伝えていると思う。文学という芸術はノンフィクションという自然を越えるんですね。(あらすじはこちら:Amazon)

絶世の美女ユリ子・不細工なユリ子の姉・不美人で努力家和恵・そこそこ美人で頭脳明晰ミツルの4人の女性が登場人物。物語はユリ子の姉の日記の形で進められるが、後半4人のそれぞれの手記のような物語が語られるにつれて、姉は真実の語り手ではないことがわかってくる。

和恵の人生が痛々しい。プライドが高く尊大な父のファザコンで、しか~し自身は女だから、所詮父の望む姿にはなりえない、だって父は男、和恵は女だから。父の価値観は「努力は成功への道」と信じて疑わなかった戦後の高度成長期のもの、アメリカの薄っぺらい自己実現思想をそのまんまいただいたものだったのだろうけど、その価値観のままに努力を重ねる和恵の姿はこっけいを通りこして、哀れに感じる。

世の中は理不尽、努力で越えられないものもある、というより越えられないものの方が大きい。そのことを理解できない、いや理解することは「負け」になるので、勝利を目指して逆に崩壊していく和恵はすばらしくリアル。皮膚のすぐそばまで和恵の輪郭が近づいているように思える。

また、ユリ子の姉の屈折した性格は、読んでいる間中、私にとっては一番身近に思えたものだった。悪意のこもった策略で人を貶める、こういう欲求が自分の奥底に善人の皮をかぶって潜んでいることを認めるまでは、長く苦しい時間が必要だったなぁ、なんて過ぎた日々を振り返ったりして・・・(^_^;)。

男女平等思想なんて絵に書いたモチ。男女のほかにも差別なんてそこらじゅうにあふれている。美しい人とそうでない人。頭のいい人とそうでない人。黄色人種と白人。金持ちとそうでない人。中年女とギャル。人々のいるところ、すべての関係の中に差別があり、自分はどんな権力(美?金?年齢?etc)を持っているかの引っ張り合いパワーゲームが発生する。

般若心経…四苦八苦の世界に生きているのね、私たち。

むかしむかし~本の感想⑪

2002年~2004年ごろに書いていた本の感想

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できるかなV3 / 西原理恵子 扶桑社 ¥952 
西原さんのできるかなシリーズは欠かさず読んでるんだけど、今回はさすがにそのヴァージョンアップ具合に,恐れ入りました。だって「脱税できるかな」なんだもの。そこまでやるかぁって、腹が据わってない庶民の私のまじめでいい子部分が、拒否感を感じさせるほどの、わがままぶり。それにしても、税務署って値切ると税金まけてくれるんだぁ・・・。

今回のトライというか、できるかな挑戦は、面白いのとぜ~んぜん面白くないのと、くっきりすっきり分かれてしまった。脱税バトルとキャバレーのホステスできるかなは面白かったけど、富士山のぼりや熱気球編はおもろくもなんともない。

富士山登山編では唯一面白かったのが、西原さんの体脂肪率40%で、「私の4割が、私じゃない」ってつぶやくところ。40%は行かなくても、細目とは言いがたい自分を振り返って、「私も〇割は、私じゃなくて脂肪なんだ」って思った・・・。正月のだらだら生活の中で読んだので、一念発起のダイエット敢行を思ったもんね。(何度目だろう・・・)

むかしむかし~本の感想⑩

2002年から2004年ごろに書いていた本の感想

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誰か / 宮部みゆき 実業之日本社 ¥1524 
模倣犯とブレイブ・ストーリーで宮部みゆきにはさようならしたつもりだったんだけど、気持ちにゆとりがなくて、でも文字を見ていたいときなんかには、宮部のような物語が軽くていいんだよね。文句言いながら、読んじゃった。

財閥の会長の個人運転手が自転車のひき逃げで亡くなった。その二人の娘が犯人を捜すために父の思い出をつづった本を出版したいと言い出して…。財閥の娘婿で元出版社勤務の三郎にそのおはちが回ってきて、探っていくうちに見えてくる人生模様。

二人の姉妹が、姉は妹を両親の「一番星として愛されていた」とうらみ、妹は、両親が姉ばかりを頼りにするとねたんでいた、そういう育ち方って、きっとどこでもあることなんだろう。秘密を抱えてしまった時、家族ってかなり危険な人間関係になるんだってのも、その通り。その通りだとは思うけど…すらすらと一気に読めてしまう語り口の上手さはもうけなしようもないけど、それでも、前の2作も同じように、ラストというか決着のつけ方になんともやりきれなさしか残らない。人間模様を書いて、切なくなるならそれはそれでいいんだけど、切ないんではないんだよなぁ、読後感が。

宮部って人間が嫌いなんだろうか?もうちょっと、ほんのちょっとでもいいから、明るいきざしみたいなのを残してエンディングになってもらいたいなぁ。

なぞの解決の時、お互いを恨みながら育ってきた姉妹の姉に向かって三郎が言うせりふが引っかかる。ひどい男に二人して騙されて振り回されている姉妹の姉に、父親だったら一番先にその男をぶん殴る、と言っているんだけど、そういうことじゃないんだなぁ。親の愛が欲しくて、親の愛を独占したくて、お互いを傷つけあってる姉妹には、親に愛されているって実感がないんだ。父親らしく、ひどい男をぶん殴っても、そんなことで愛情が伝わる訳じゃない。そんなことが慰めになると思って言ってる三郎がずいぶんと薄っぺらに感じてしまうせりふで、そのせりふが物語の結末を飾るように書かれてるから、全体が薄っぺらい印象になっちゃうのね。同じ家族を描くんでも、重松清のほうが取材が丁寧って感じちゃう。

むかしむかし~本の感想⑨

2002年から2004年ごろに書いていた本の感想

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あらしのよるに(1~6巻) / 木村裕一 各¥1000
ある激しい嵐の夜、山道に迷ったやぎがまっくらな小屋で休んでいると、誰かが逃げ込んできました。たったひとりでこころぼそかったやぎはほっとして、その誰かに話しかけ意気投合して友達になります。そして嵐がさった夜明け前、次に会う日を約束して別れます。その誰かはオオカミだったのですが…。

大人はつい深読みをします。相手が誰ともわからない真っ暗な中で友達になる、それって人間関係そのものです。初めましてって会った人を、見た目でこんな人に違いないって「闇夜」をつくっているのは実は自分の先入観で、目に見えるものが逆に相手の心の奥底のやさしさを隠してしまうこともある。

その後のやぎとオオカミは、「あんな奴と友達だなんて」と、仲間から非難されます。他の人と違うこと、違う意見を言ったり、感じ方をすることはなかなか受け入れてもらえないんですね。この絵本の二匹が感じている息苦しさは日本の社会の閉塞感なのでしょうか。

シリーズ全6冊が最近完結しました。これは本当の友達・パートナーとめぐり合えた幸せな二人の友情物語、ラブストーリーです。オオカミになりきって読み終えた私は、ラストうるうるしてしまいました。「あなたに出会えて本当によかった」っていえる友達いますか?

むかしむかし~本の感想⑧

2002年~2004年ごろに書いていた本の感想

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『家をつくる』ということ
     ―後悔しない家づくりと家族関係の本 / 藤原智美 プレジデント社 ¥1800
家族を『する』家
     ―「幸せそうに見える家」と「幸せな家」 / 藤原智美 プレジデント社 ¥1500
 産業経済から送り出されるCMにのったイメージは私たちの中に密かにかつ巧妙に忍び込んでいる。TVや雑誌を通じて、いろいろな流行、男や女の振舞い方や愛し方まで教えられ、私たちはそれらに洗脳されていることにすら気づかない。この本は、「家を建てると家族が幸せになれる」という幻想を見事に暴き出した。男と女が結婚し、子どもが生まれれば、自然と「家族」になれると思いがちだが、この本は哲学がなければ間違いなく破綻するという。箱もの行政といって、入れ物―施設を作るだけで文化を育てようとしない行政施策を私たちは批判するが、こと家にかけて、私たちは同じ過ちを犯している。家を建てれば家族が幸せになると…。

 三年前に書かれた「『家をつくる』ということ」で、家を作るということは、まず自己とその家族をテーマとした思索の旅からはじめられなくてはならないと訴えた著者が、今回「家族を『する』家」で、夫婦の寝室を取り上げ、夫婦の絆とは子どもではなく、コミュニケーションこそが夫婦の絆なのだと力説する。それには寝室が単に寝るだけの空間から、とことん語り合える空間へと意識を変えなければならないという。

 戦後復興期、日本のめざす豊かさを象徴するものとしてアメリカのホームドラマがもてはやされた。大型冷蔵庫、暖炉があるリビング、芝生を敷き詰めた広い庭と自家用車があるアメリカのごく普通の一般家庭で繰り広げられるドラマの中に、日本人は「夢=幸せな家族」を重ね合わせていた。当のアメリカ人はこうしたドラマの物質的なものには目もくれず、「家庭のあり方」そのものに目を向けた。だからこそ、そうした理想を実現できない時は離婚の道を選び、離婚率が五十%にも及んだ。今、アメリカ社会はその時代の反省を受け、新しい家族主義の時代へ進み始めているというのだという。その最も代表的な例が、不倫をしたクリントンを、危機を乗り越えてこそ家族になるのだと離婚しなかった妻。

 遣唐使の時代から文化の輸入の得意な日本人は、今回も土壌の違う文化をアメリカから持ってきて植えつけ、今そのしっぺ返しを、「一四歳・一七歳」から受けている。子どもを自立させるには子ども部屋が必要だと、アメリカ製のTVドラマを見て勘違いし、子ども部屋をなんのポリシーもなく与えた結果、子ども部屋は鍵のかかる独立した家となり、孤立化していく。この二冊の本の中に登場する家はいずれも新聞紙上に取り上げられた家である。金属バット殺人事件や女子高生コンクリート詰め事件、神戸のA少年からオウムの修行部屋まで。「家族関係と住宅は密接につながっている、家は家族の単なる入れ物ではない」としたら、この事件の関係者たちは家族だったのか、同居している他人だったのか。家を「家族の入れ物」でなくするために必要なこと、それがコミュニケーションである。

 現在は、子ども部屋の孤立を憂い、玄関からすぐに階段・子ども部屋へと続く間取りは嫌われ、まずリビングに入らなければ子ども部屋にたどり着けないタイプが主流だという。しかし、今度こそ「幸せになれる」はずのリビングで行われているのは、相変わらず会話ではなく人のいる気配の確認でしかない。
 欧米の家のリビングはパブリックスペース―個が人間として成長するための他者との交わりのための公的空間―として存在するのだ。私たちはうかうかとまたCMにのせられかねない。大事なのは間取りではなくて、会話すること。家族になるには、「夫をする・妻をする・父親をする・母親をする」覚悟を持たなければならないというのだ。「子育ては夫婦が話し合うこと」から始まるのだと。

 夫婦の寝室が別であることや、セックスレスの夫婦さえ違和感を持たずに語られる今、時代は、アメリカのように、もう一度夫婦が向き合う流れに戻るのか、あるいは「幸福な家族」なんて幻想だと、新しい人間関係を作り上げる方に向かうのだろうか?

 「家族」を考える二冊の本は、ビジネス関係に強い出版社から出された。この本に手を伸ばした読者たちを想像する時、深い空井戸に落ち、届かぬ天の月に手を伸ばしている人間像が浮かんでくる。

むかしむかし~本の感想⑦

2002年から2004年ごろ書いていた本の感想。

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「最後の家族」  村上龍 / 幻冬社 ¥1500
「最後の家族」ではひとつの家族の物語が父母と兄妹の4人の目で描かれている。ひとつの章で父が、次の章では母が、そしてまた兄がというように、四人がそれぞれの視点で家族の前で起こる出来事を描写していく形で物語は進められる。同じ出来事が、父から見た場合と母から見た場合ではまったく違って受け取られていること、こんなにも違っていることがまず驚かされる。同じ家に住みながら、本当のコミュニケーションのない家族の中に流れる、四つの微妙にずれた物語。

父は仕事人間、兄はあることから引きこもりとなって長く、家族にも暴力をふるうようになっていた。その兄が隣家のDVを目撃するところから始まる。隣家の妻を救いたいと願う引きこもりの兄は、はじめて「本当にしたいこと」を見つけて、引きこもり状態から抜け出ようとし、母も自分探しをはじめ、妹は「自立した大人」の友人との会話から自分の進む道を考え始める。

 この物語のキーワードは「依存と自立」であり、「家」である。会社人間の父は高度成長期なら理想の父であったことだろう。しかし、時代が流れ、今は「寄らば大樹の陰的会社依存人間」でしかない。家族への愛を経済力による支配と勘違いしていた父がリストラされ自分の基を失うこと=「依存できない状態に追いやられること」で、否応なく自立を前提とした自分の弱さへの対峙を促される。

「引きこもり」は引きこもる兄とそれを許す母親との共依存関係そのものであったが、兄が引きこもりからの脱出を試みはじめ自立しようとすると、その回りの親密な関係の人間も同じように自立していく過程が、言葉ひとつひとつが痛いほど心に沁みてくる。

そしてもうひとつのキーワード「家」。
兄は隣家の妻に対して「これ以上できることはない」と他の目的を見つけて進んでいく。母は、引きこもりの兄との対応で得た「聴く」能力を生かす職場につくことに決め、妹は友人とイタリアへ旅立つ決意をする。父はコーヒー好きが嵩じた喫茶店を開くことに決める。居間で自分の決意をお互いに伝えあい選んだ道は、家を売ってそれぞればらばらに暮らすことであった。そしてその時が家族にとって初めての居心地のいい時間でもあった。それぞれが自立の道をつかんだ時、「家」は家族にとって不必要なものとなっていた。

家族は社会を構成する最小の単位である。家族と社会は相互に影響しあって変化し続けてきた。その変化の歴史が文化として私たちの中に無意識に刷り込まれている常識も形作っている。戦後社会の大きな変化、核家族化は敗戦とともに日本に入ってきたGHQに代表されるアメリカの戦略の賜物と言っても過言ではない。社会と家族は経済成長と核家族化という形で進んできた。核家族化と経済優先主義はどちらが鶏でどちらが卵だったのだろうか。核家族は郊外型住宅の需要を生み、その居住空間の変化に伴い、従来家の中で行なわれてきたことがどんどんアウトソーシングされて行く。

例えば「誕生」。昭和三十年代を境として、お産婆さんによる出産が、産婦人科の病院での出産に急激に変化してきた。「死」も同じように病院へ移って行く。結婚式は式場で、介護や見とりも家の外で行なわれるようになって行く。今、外食産業の隆盛によって、食事までもアウトソーシングされつつある。アウトソーシングというと抵抗があるかもしれない。ある意味では家族に本当に必要なものを厳選してきた道とも言える。そう言う「今」を映し出したのがこの本である。

「最後の家族」は従来の家族の終焉であり、新しい家族の誕生を予感させる。従来の家族とは同じ家に住み、同じ食事するなど寝食をともにすることで成り立ってきた。あるいは、同じ家に住むことに「依りかかって」本来の関係性を結ぶことを怠ってきたとも言うことができる。その共通の枠、物理的な意味でも枠としての家を失うことで再生していく家族。では、新しい家族とは?ばらばらに生きていても、家族と呼べるのか?

あらゆるもののアウトソーシングの果てに残された家族のエッセンス、それが関係性だとしたら、新しい家族の形はこの本のとおりかも知れない。ばらばらに「個」として生きる家族。

そして、関係性がより深く結べるとしたら、遠い将来、家族には血やDNAのつながりですら必要がなくなるのではないか。グループホームやコーポラティブハウスなどを求める動きはその始まりかもしれない。血としてのDNAのつながりではない、社会的なDNAとでも言うべきつながりによる家族。「同じ価値観」という社会的なDNAのつながりの元にひとつの家で暮らす血のつながりのない家族や、血がつながっていても、ばらばらに暮らす家族など・・・。

この四人は確かに「最後の家族」であった、そして「新しい家族」へと再生したのである。その家族はそれぞれが個として自立していなければ成り立たない時代となった。「個」として生きることは、孤独に生きることではないのは自明のことではあるが、依りかからず生きることはまた「さみしさ」を引き寄せることだろう。「さみしさ」は決してマイナスの感情ではないと言い切れるほどの強さを持ち得ないため、私たちは共依存を正当化する様々な習慣や言説を次々につくり出してきているのかもしれない。
「二十億光年の孤独」をうたった詩人のように、あまりのさみしさにくしゃみがでるか、さみしさくらいあってもいいじゃないかとあっけらかんと強がって見せようか?

むかしむかし~本の感想⑥

2002年~2004年ごろに書いていた本の感想

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宮部みゆき ブレイブ・ストーリー(上・下) 角川書店 各¥1800
連載が載っている月刊誌とかを読む習慣がないので、ふらっと立ち寄った書店の平台に好きな作家の新作が積んであって、「あらぁ(^o^)丿」となることがほとんど。そんな、新作が出たら必ず手に入れる作家の1人です、宮部みゆき。

書店で見つけた時は、うれしい驚きとともにその分厚い上下巻に「おやまぁ^_^;」感覚もついてきました。前作の「模倣犯」も上下だったけどそれよりもっと厚い!「火車(かしゃ)」や「理由」の頃からだんだんと1冊が厚くなってきたけど、これはもう限界の厚さじゃん?次の新作はきっと上中下だよ。

前作の「模倣犯」は個人的には好きになれなかった。「理由」や「火車」はまだ犯人に同情の余地があったけど、この模倣犯の犯人には自分の感覚の外側にいる人という思いしかなくて、被害者とか巻き込まれる人たちのことを読んでいくのがつらくなるだけだった。

宮部みゆきの新作が出て、上に書いたように本屋で見つけ、さて買おうかどうしようかと悩んだのは今回がはじめて。前作でちょっと懲りちゃった感を持ってしまったんですね。だから買ってきてもすぐには読み始めないで、本棚にいれて背を眺めながら、しばらくほっといたかなぁ。そしたら朝日新聞に書評が出てしまって、よせばいいのにそれを読んじゃったら、ハリーポッター風うんぬんとあった。ロールプレーイングゲーム風でもあるという。ここでまた、読む気が下がっちゃったなぁ、正直。ゲームなんてやらないし、好きでもないし・・・。

前フリが長くなりました。そんな具合にあんまり期待なく手にしたのですが、読み始めたら一気に読了してしまいました。現世に生きる人間の想像が創りだした幻想の世界で自分の運命を変えようとする男の子の物語。いつもですが、人の心の奥の葛藤や矛盾やもやもやをとても丁寧に語っている。多分中学生くらいの子どもたちにも届くような言葉を使っている。

「書き始めたとき、ハリー・ポッターのことは知らなかった。むしろ、テレビゲームのファンタジーの世界を、小説の方法論で書いたらどうなるかと考えていました。ゲームはするけれど小説は買って読まないという子どもに、小説でもこういうことができるよと、見せたかった(宮部談)」 と新聞にあったが、そういう意図はきちんと反映されている。でもね、私は大人の読者なのでねぇと言いたくなっちゃった。

「最後まで迷ったのは、ワタルが現実の世界で両親の不和に悩む第一部をカットするかどうかでした。本音を言うと、主人公をぎりぎり苦しめずにどんどん冒険させて、軽やかな物語にしたかった。でも、子どもたちを取り巻く現実の厳しい面を見ないわけにはいかないし、ミステリー作家としては、冒険に行く動機づけにこだわらずにはいられなかった」(宮部談・同新聞より)。ハリーポッターでも主人公のハリーに両親はなく、叔母夫妻の家でいじめられいるという設定だったし、それは理解できるんだけど、あの展開じゃ両親と不倫相手のどうしようもなさが伝わらないんじゃないだろうか。宮部みゆきの本が分厚くなるのは、詳細な人物設定を書くからで、だからこそ逆にここでこの大人の人物設定をどうして省くんだろうと。

「父親も勝手な人だし、母親も弱いところのある人。でも、どちらかだけが悪いわけではない。子どもたちに読んでもらうものだからこそ、現実世界では簡単な答えはないということを書きたかった」 といってるそうだけど、父親も不倫相手もさらには母親の心理の動きについてもっと当事者に語らせて欲しかったなぁ。じゃないと、「現実世界では簡単な答えはない」どころか大人の世界への不信感しか残らないのじゃないかと思ってしまう。

父親・母親・不倫相手に、それぞれのうそや建前、社会規範と自分の気持ちが一致しないことからくる心の中の葛藤を語って欲しかった。それも含めて簡単には問題が解決しない「現実社会」とそれでもその中で生きていく勇気を持とうって結んで欲しかったなぁ。

むかしむかし~本の感想⑤

2002年から2004年ごろに書いていた本の感想

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サバの秋の夜長 / 大島弓子 \543  白泉社 
サバの夏がきた / 大島弓子 \543  白泉社 
大島弓子の「綿の国星」はいったい何回読み返したかなぁ。反芻しすぎて本がいたんだりして・・・。それ以上にこの2冊は繰り返し繰り返し読みました、はい。寝床に連れて行く本ベスト3のうちの2冊です。とくに2001年の冬から約1年ちょっとはこの2冊は私の平安のためには欠かせない本でした。

猫って好き嫌いというか好かれ嫌われの極端な動物なんじゃないかと思うけど、猫が別に好きじゃなくても、そんなこたぁ全然関係なく、あたたかぁ~い気持ちになるお話がいっぱい詰まってる。文字通り擬人化されて、人間のように描かれた猫と漫画家の1人と1猫の生活が描かれているんだけど、そんな風には読めなくて、人と人の関係のように、っていうかとても親密な人どうしの暮らしかたが描かれてるように思えちゃう。こんな風に人との関係がとれたらいいんじゃないかって、羨ましくさえなるんだなぁ。だから、あのころあんなにこの本ばっかり読んでいたんだろうか?(ってぇ自己分析始めてどうする、本の感想、紹介だろうが今しなくちゃぁいけないのは・・・)。

本ってなんで読むのかねぇ、知識・教養を身につける?どっちかっていうと、私の場合は娯楽というか現実逃避っていうか、心地よいひとときを得るためって言った方が近いかな。ミステリーやファンタジーだったら、わくわくドキドキなひとときだし、ノンフィクションとかだったら、知的興奮・・・な、ひととき。

この2冊は、春のと~っても暖かい日、桜の木の下を散歩してたら、風が緩やかに吹いてきて、花びらが自分にふりかかってくる・・・ってひとときに似てるかな。

3月24日に飼い猫に死なれてしまって、追悼の意味もこめて、UP。

むかしむかし~本の感想④

2002年から2004年ごろに書いた本の感想

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趣味は読書。/斉藤美奈子 平凡社 ¥1429
斉藤美奈子って今絶好調なんじゃなかろうか?最初にその名前を意識したのは「紅一点論」から、フェミ的な視点からの現代論に「そうだ、そうだ」ってブンブンいうほど肯いてからファンになっちまった。何がいいって、辛口の小気味よさってところでしょうか。どういう風に小気味いいかってゆーとォ・・・。

例えば上野千鶴子。上野千鶴子の著書と講演の違いをちょっと説明しますね。著書は理論を学ぶにはいいんだ。読んでいて「あ~そうだったのかぁ!」って社会やその中で生きてきた自分がどういう風に作られてきたのかが、目ウロコでわかるためにはベスト、でも、ちょっと難しい。講演は著書に比べるとめっぽー解りやすくなっている。話の展開は早いしきちんと筋立てして話されるうえに、お笑いのつかみも好みなので、聴いていてただただ小気味いい。そんな上野千鶴子の講演の小気味よさをそのまま文章化してある、そんな感じ。

斉藤美奈子の視点は、かなり辛辣。別の著書「文壇アイドル論」で村上春樹の部分は、読んでて気分が落ち込んだもの。大好きな作家がメッタギリ状態なんだけど、そのメッタギリが「そういゃそうだよね」ってファンが納得しちゃう公平さの上に言われてるのが解るから・・・。

この本はいわゆる「ベストセラー」っていったい誰が読んでいるのか?本好きに聴いてもあまり「読んだ」という答えがないことからの素朴な疑問解決のために書かれたらしい。取り上げられたベストセラーのタイトルを眺めてにんまり笑ってしまった。

*大河の一滴(五木寛之)
*鉄道員(浅田次郎)
*朗読者(B・シュリンク)
*模倣犯(宮部みゆき)
*チーズはどこへ消えた?

ほらね、本屋で平積になって、目を引くPOPがついていたりして、思わず手にした覚えのある本があるでしょう?で、本をパラパラやってみて、ため息と共に元に戻した本が、ね。その「戻し」本の斉藤美奈子のバッサリ具合が本当に気持ちいくらいバッサリ~!こんな本でも売れていいのか!って机ドンと文句いいたかった思いがぜぇ~んぶ書いてある。で、でも、ベストセラーっていわれてる本をちゃんと全部読んでないのに「戻し」状態でその本の「私の評価」を決めちゃってよかったのかっていう、かすかな罪悪感も払拭してくれる。あ~気持ちよかったぁ。

でも、これ1500円近く出して、買って読む本じゃなかった気がする。斉藤美奈子の新刊だって本屋で平積を手にして「戻し」ちゃった本だもの、これも・・・。図書館にリクエストして自腹切ることなかったかもしんない・・・。内容で取り上げてある本がドーデモ本だからなぁ。せっかくの斉藤美奈子なんだから、もっといい本を取り上げて辛辣な小気味よさを味わいたかったなぁ。

最後だけど、文体っていうと堅苦しいけど、書き方っていうか言い方っていうか、口調が好き。これだけでも読めてよかったって気がする。

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