2002年ごろ書いていた映画の感想
*****
真珠の耳飾りの少女
/ 主演 スカーレット・ヨハンセン 2004年
アカデミー賞3部門ノミネート サンセバスチャン国際映画祭受賞 (予告編はこちら)
17世紀オランダの画家、フェルメールの描いた「真珠の耳飾りの少女」が生まれるまでの物語。家計を支えるため画家の家に住み込みの使用人として雇われたグリート、父譲りと思われる美的感覚の鋭さがいつしか画家の目に留まり、絵の具の調合を手伝うようになる。二人の関係を嫉妬する画家の妻や、狡猾なパトロン、すべては金のために動く妻の母、使用人に嫉妬する画家の娘・・・。
画家の絵のモデルとなったグリートが、完成間近の自分の絵をみて「心まで描くの!?」とつぶやく、その一言にすべてが凝縮されている。性的な関係を伴わない、芸術に自分自身をささげたもの同士の魂がふれあう官能。
ピアスって不思議なアクセサリーだと思う。自分と同世代ぐらいの人は、ピアスに抵抗のある人の方が多いんじゃないだろうか?私がピアスをあけてきたとき、夫は「そんなことをするひとだったんだぁ」と私のことを思ったらしい。「親からもらった身体に傷をつけて(ー_ー)!!」って感覚だったらしいけど、自分にしてみると、だからこそピアスを開けたんだよねぇ。親との境界線を引く意味とか、自分自身の意思で自分の身体も管理できる証みたいな意味も、ちょっとは込められているんだなぁ。
この映画では、ピアッシングの瞬間を画家とモデルの二人の魂の交流の瞬間として捉えている。性的な隠喩を読み取ろうと思えばいくらでも読めるけど、それは違うかもしれない。愛すればこそ、その愛の対象(モデル)に「手をつける」ことなく、美しくなっていく瞬間を永遠に絵の中に画家は残したのだろう。
グリートをモデルにして絵を描くよう画家に注文したパトロンは、その提案の奥にグリートへの欲望・下心を潜ませていた。完成した絵を手にしたパトロンが憎憎しげにその絵を眺める。描かれていたのは、大人の女へと変身する純粋な乙女の姿。その絵から少女の成長を大切に見つめ永遠の美に留めた画家の愛情を読み取る。芸術の理解者を装うものの、決して芸術そのものの高みへは手が届かないパトロンの嫉妬。
画家の妻も二人を怪しんで嫉妬する。画家である夫に、「どうして絵のモデルが私じゃいけないの?」と問い詰めた、その答えが痛い。「理解できないからだ」。美醜や老若など、越えられない差異はたくさんある。「理解できない」という差異は絶望的に深い谷のように存在する。違いを受け入れられずに嫉妬に苦しむパトロンや妻の姿が哀れに悲しい。