2022年03月07日
午前10時に新しいバイトの学生さんとじょうづる待ち合わせ。
常陽銀行で、残ってしまった定期預金口座の解約、
セブンで振込2件、少子化にエプロン届け、おいしいものスケッチのはがき写真プリント用購入、郵便局で振替口座の解約。
午後3時から西小沢小学校の取材。
午前10時に新しいバイトの学生さんとじょうづる待ち合わせ。
常陽銀行で、残ってしまった定期預金口座の解約、
セブンで振込2件、少子化にエプロン届け、おいしいものスケッチのはがき写真プリント用購入、郵便局で振替口座の解約。
午後3時から西小沢小学校の取材。
浴室の入り口のサッシを綺麗したついでに、
無印の引き出しを片付けて、
お昼前にカインズに買い物、
朝一で弁当用のシチューを作る。10時半からストレッチ。
午後は豆腐販売なのでちょっと早めに行って、
Iさんも豆腐買いにきてついでにAさんとお話し。
花の水交換。加湿器の清掃。
水耕栽培の球根を土に植えるため、
11時過ぎ梅津に書類とランタンを届ける。
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じょうづるで、月次報告書作成、Iさん振込(35000円)
夕飯はスシローのテイクアウトのちらし寿司にして、NJさんの本5章から戻ってくるように校正で読む。
マステの残りを段ボールの参加者に分けようと、
9時ハリ治療。終わってダイソーに仕分け用紙袋を購入し、
お昼を買って帰宅。持ち帰ったものの再仕分け。金属ゴミ、
メルカリ発送。コンパクトのボックスで届いたものがあったので、
仕分けしたものの中に、
夕飯の後、おいしいものスケッチのズームMTGまでの時間を使っ
作って頂いたグッズはとてもかわいい。この後、
夕方、出版社から目次のレイアウトが来ていた。
(ネタばれ含む)
コロナ騒ぎで映画館から遠ざかり、物足りない気分でいたが、やっと落ち着いたような気配の漂う中2本の映画を見た。感想は…とほほ(毎度)
浅田家
著名な賞をもらった写真集、自分も持っている。カメラや写真のいろいろを教えていただいていたころ、手にした写真集の一つ。写真の視点もだけど、この写真を撮ろうとした次男に協力した家族ってどんな家族?そんなストーリーが展開されるのだと思って選んだ映画だった。
映画が始まるとまもなく、この映画は事実に基づいたエピソードをもとに構成されている云々というクレジットがでる。何その書き方。感動実話と公式サイトにも載っているけど、そこじゃなくエピソードに基づいて構成云々のところ。どういう意味?それは見終わったら理解した。映画に芯がない、って意味ね。
浅田さんの写真は面白いし、この写真集をきっかけに家族写真を撮るようになっていったそれもとても理解できる。そのこと自体はとても意味あると思える。
東日本大震災で被災した地域で、がれきの中からアルバムを探し出し丁寧に洗って持ち主や関係者に戻そうとした取り組みも、リアルタイムでニュースで知っていたし、とても意義ある活動だと思っていた。
それらの「意味ある」「意義ある」ことごとを、ただ並べただけの映画。それらを突き通すなにがしかのメッセージがない。映画を作る人たちは、それを訴えたくて映画にするのではないのか?
それがまったく感じられないんだね。淡々とエピソードがつづられていく。「淡々と」っていう飾り言葉は、そのあとに続く文言を肯定的に感じさせるものと思ってるけど、淡々とただ並べ連ねただけなんだよなぁ、この映画。
何でこんなつくりなんだ?と思ってみてて、エンドロールになり訳が分かった。
映画を作ったのはジャニーズ事務所なんじゃん。ジャニーズの顔見世興行のために映画をつくり、金をはたいて豪華な共演者をあつめ、よさげな(泣けそうな)エピソードを並べて映画にしました、ってことか!!菅田将暉って仕事選ばないって、友達が言ってた。二枚目の無駄遣い、役者の無駄遣い。
演技派と言われそうな共演者は、役を演じながら疑問を感じなかったんだろうか?映画を撮っている撮影組のスタッフは、これを映画と言っていいのか、疑問を感じなかったんだろうか?日本の映画ってこんなつくり方を許していいんだろうか?
「罪の声」
浅田家の上映前にこの映画の予告編が流れていた。浅田家を見終わって、ため息をつきながら次は「罪の声」を見に来て口直ししなくちゃと思った。(その時は期待感いっぱい)
はい、この映画も映画じゃない。ドラマだ。よくできたミステリードラマだ。原作は読んでないけど、本だけにしておいたほうがまだよかったんじゃないだろうか、ミステリーなら許せるよ、何もメッセージが入ってなくても(ミステリー好きのかたには申し訳ない。ミステリーにも訴えるものが込められている作品多々あることは承知している)。
こっちも出演者豪華だよ。こんだけの出演者揃えてるんだから、さぞやいい作品、期待作、と思わせちゃうトリックに今回まんまと引っかかった、私。
よくできたミステリードラマ。ほかに言うべき言葉はないです。脚本、あのドラマで絶賛された人だったね、でもこれじゃなぁ。WOWOW、金出しても、ドラマ作ってるくらいがいいんじゃないか。映画の夢を壊さないでおくれ。
ただね、出演者の配役が、これはまぁぴったりで。よくもまぁこんなにぴったりな役者ばかりいたもんだ、と日本の俳優陣の層の厚さを感じたのが、唯一の救いかも。もったいない。家族にスポット充てるとか、報道の意義を突き詰める、記者の苦悩とか、いろいろメッセージの種はいっぱい転がってたのになぁ、ストーリーの中に。
原作が長いのか?原作の中から、テーマを選んで切り詰めたらよかったのか?感情移入できないことこのうえない。涙もろくなっておばさんが見てるのに…。
邦画って、ほんとに生き残れるんだろうか?
誰しも、何度も繰り返し見る同じシチュエーションの夢ってあると思う。自分の場合も二つ三つある。
そのうちのひとつはもう20年以上も前に参加していた子どもたちと親が生の舞台を楽しむという親子のサークル活動の全国版のこと。会員の会費を積み立てて、演劇や音楽の舞台を招へいして観劇するシステム。
夢の中では、いつもその団体を閉じるとしたした年のラストの舞台の取り組みを忘れていて、慌てふためいて会員に呼びかけたり会場の手配をしたり…。舞台まで期日もないのに、動員できる会員が少なくて、それでは演者さんに申し訳ないからと、地域の団体に関係ない人も巻き込んでなんとか会場を埋めようともがいている…ってところが多い。
会員でない人を巻き込むというところで、今現在係わりのある人が出てきたり、パルティホールはコロナだから、300人でいっぱいか?なんていう今どきの設定も微妙に加わっていたりして、夢なのに細部が決まってたりする。
とにかく何とか団体の有終の美となる最後の舞台を盛り上げたいともがくけど、誰もその苦労を理解してくれる人がいなくて一人駆けまわる、って哀しいシチュエーション。
この夢、何が奥にあるんだろうね。何かを行うにあたっての責任の最後のがけっぷちにいる自分を助けてほしいとか?観劇のシステムに対する不満とか?夢の奥に透けて見える自分の心がうっとうしくて、いつもいやになる。疲れてるんだろうね(簡単な結論だなぁ)。
寝起きからもりさがる日は、無駄に丁寧な朝食をつくる。クロックムッシュ適当風、おいしい。
美術家・会田誠さんをツイッターでフォローしているので、新刊が、しかもエッセーではなく小説だというので気になっていた。購入したものの、なかなか読み始められなくていたが、先週末あるドジを踏んで家でゆっくりする時間が増えたため一気読みした「げいさい」(右)
ブルーピリオド は以前読んでいたのが、会田誠さんはその漫画を知っていて、小説を書き終えるまで漫画を読まないでおいたんだって。
会田誠さんは文章がうまいという印象だったけど、小説かぁ…という感じの若干の不安を持ちつつ読んだけど、杞憂もいいところ。引き込まれてあっという間に読み終えちゃった。
最初元カノのパフォーマンスの場面描写がやたら長いんじゃん?とか思ってたけど、ちゃんと意味ある。後半の二浪することになる二次試験の絵のモチーフにいたる場面は読み応えある。自分にも経験があるエピソードが深くかかわっていたので、なおさらだった。そのせいでは自分は2か月で10キロ近く痩せてしまったんだった、とか思い出しつつ。
漫画でも同じような状況が描かれていて、書き終えるまで漫画を読まないと決めたのも頷ける。
話変わるけど、KingGnu ってバンドが彗星のように現れ「東京藝大出のメンバーが二人もいる」と話題になってた。その曲の歌詞を読んだり、メンバーの話すことを見聞きするときに、音楽と美術という別ジャンル藝大枠の人たちだけど、この藝大を目指すところで、同じような精神的なダメージ(ふさわしい言葉じゃないかも、なんていえばいいのかな?)を刻まれちゃうのね。「自分じゃないものになりたい」自分の周りに才能の塊がうようよいる状況の中でもがくと、ついてしまう傷なのかね。
音楽や漫画の世界に藝大出の人が多くあらわれるようになった、今そんな時代なんだなぁ。