cafe+1をふりかえってみた

物置、家庭内と断捨離がすすみ、最近はデジタル断捨離に時間を少しずつとっている。

 

たまりにたまったデジタルファイル、その時々で保存しているからあっちこっちにばらばらだったり。探しあぐねて同じようなものをいくつも作ったり…。

 

cafeの画像もあっちこっちにいろいろあったのをやっと整理できた。写真を見ていると、10年以上たつからいろいろ変わってきたんだなぁと改めて思う。で、スライドショーを作ってみた。

 

あんまりあちこち整理すると…自分まもなく死ぬ予感でもあるのかと(苦笑)。一応世にはばかるくらいは寿命あるといいな。

気になるTV②

気になるTV② CM三菱モータース

穏やかそうなおじいさん…というにはちょっと早い、退職して10年くらいのおじいさんが小脇にセカンドバックを抱え道を歩いている。しっかりとした足並み、行進のような歩き方。あの年代だと、戦時中を過ごしていることを歩き方から想像させるような歩き方。後ろから、いかにも今風のフリーターっぽい若者に追い越される。ヘッドフォンで何かを聞きながら歩いているその若者のいでたちは、ピアスをして、本人だけがそう思っていない無精ひげ、あごを突き出し腰を落とした歩き方がおじいさんと対照的。

 

追い越されたおじいさんがむっとして、早足になり、その若者を追い越し返す。にんまり笑うおじいさんと、追い越されてはっと&むっとする若者。歩道橋で2段3段飛ばしに登る若者に再度追い越されたおじいさんは、曲がり角で道なりに行く若者を、コーナーをショートカットして再度追い越す…。そこで音楽と「負けず嫌いな人たちへ」とキャッチコピーが入る。

 

三菱モータースのCMで、ある特定の車種のCMではない。負けず嫌いな人たち、ではなく、負けることが許されない人たち、今も男性に「負けるな」という言葉は魔法のようにすりこまれているんだ、と改めて気づかされる。このCMのラストは…。競争のように競って歩いている二人、はっと気づくと颯爽と歩くスーツ姿の美しい女性に追い越されている。靴音から多分ヒールの高めの靴を履いてるだろうこと、ジャラジャラと音がすることから、アクセサリーなどをたくさん身につけているだろうということが匂わされる。追い越され一瞬唖然とする二人の男性、我に帰ってその女性を追い越そうとし、一方女性はそんな二人にまったく気づかない、というころでCMは終わる。この場面は何を伝えているのだろうか?この後に続くシーンを想像してみよう。追い越された女性も、むっとしてその競争に加わるのか、そんな価値観は無縁よと嫣然と微笑みながら歩いているのか?

 

これまでの男女共同参画の道のりは、このCMの続きのシーンのようだ。男性と平等を求め、男性社会の価値観の中へ新規参入を狙っていた今までのフェミニズムは前者のタイプ。どうやら、それは違っていたようだと思い始めているのが今のフェミニズムの先端なのではないか?つよい、はやい、おおきいことに価値を見出す社会に加わるのではなく、よわい、SLOW(!)、ちいさい、ことの価値を認める社会へ、と。「勝つ」という未来の実現のために、「現在」を手段化するのをやめて、「今を生きる」ことを大切にしようと。あの女性は「歩くこと」を楽しんでいるのであってほしい、と思う。そして、男性たちも歩く楽しみに気づいてほしい、そういうゆとりのある環境を男性たちに、と思う。

 

「負けるが勝ち」って!?

 

 

ウンベラータ剪定

ウンベラータ鉢植えを用意したのは、飼い犬のプーちゃん(2019年5月没)が、脚が弱ってきておしっこで庭に降りていくのが面倒になったのか、室内のあちこちで粗相するようになったから、だった。

 

飼い始めは室内にもトイレ用意していて、ちゃんとおしっこシートでしていたんだけど、大きくなって散歩するようになるとともに家のシートではしたくない!となってきて、いつの間にか室内トイレは捨ててしまっていた。

 

老犬になって、日中のお散歩はいいけど、夜間のトイレが困って粗相に至ったと思い、改めておしっこシートを用意したけど「これなに?」状態でなかなか使ってくれない。

 

なので、散歩の時のおしっこをおしっこシートに含ませて(笑)家の中のシートにおいて、においで釣ろうとしたんだけど…。あまり宇なくいかなかったな。

犬を飼おうと思っている人は、散歩でおしっこするようになっても室内トイレは使える用にしておいた方が、わんこが歳をとってからやくだちます、よって昔の私に言っておきたい。わんこを飼うのは(しかも室内犬)初めてだったので、いろいろ反省あります。

 

で、この鉢植えをおしっこシートの付近において、おしっこするときの目印にしてもらおうとしたわけ。わんこってお外で何かの目印に向かってするでしょ?(♂)

 

懐かしい思い出のある鉢植え(どんな思い出じゃ、おしっこ連発・笑)枝がだいぶ伸びてしまっていた。

 

外で緑を感じるときは見上げたいけど、家の中では立ってみて、目に緑が入るようにしたいので、背は高くしたくない。でもお掃除のときに、鉢植えは邪魔なので、台の上において下が掃除できるようにしたい、いろいろあって1.3mほどで剪定しています。

剪定した枝を水耕栽培できるってサイトを見たので、試しに水に入れてみた。根が出たら…どうしよう?これ以上家の中に緑は不要なんだけど。

気になるTV①(2003年ごろ)

昔のホームページ整理編、そろそろ最終コーナー。

常陸太田市の男女協働参画委員をやっていたころ、TVから流れるCMの中のメタメッセージを取り上げてフォーラムをしたことがあった。その流れで、当時CMを面白がって見ていた記録。

 

*****

小堺一機のキャラクターイメージ

洗剤のCM(1989年~1997年) 小堺のキャラクターイメージはどのようなものだろう?「妻の尻にしかれている気弱な夫」ではないだろうか?CMの中でもそのような演技が含まれていた。(洗濯が終わったら、追加で洗濯物を渡される)男性も家事に協力する必要性を認めながらも「すすんで」「喜んで」「当然に」するものではなかったのである。このような環境の中、家事をする男性の増加は期待できない。

 

洗濯するイケメンの登場

~玉山鉄二       朝日新聞2003年7月5日(土)~クリーンヒット

1.1kg入りで店頭価格は300円前後。花王「アタック」、ライオン「部屋干しトップ」など350円前後のシェア上位品より割安感があること、「母と子」が定番だった洗剤CMに屈強風の男性ばかり登場させたこと、も人気に結びついている。柔軟剤成分をパウダー状の微粒子にしたことで、界面活性剤を使う通常の柔軟剤が衣類の吸水性を悪化させる難点を克服した。「ボールド(bold)」は英語で「大胆な」の意味。

 

CMの状況設定は?

初めて男性のみが登場する洗剤のCMの細部を検証してみる。状況設定は北海道を思わせる大規模な酪農家で働く男たち、その中の「洗濯当番」が玉山である。当初「柔軟剤」という言葉を使わず「やわらかくするの、つかってるだろう」と表現。白く洗いあがったやわらかい洗濯物にほお擦りする男たちのほほえまく屈託のない笑顔がバックの青空のようにすがすがしさを表現している。イケメンの洗濯する男の登場は家事に対するイメージの変化、あるいは家事をすすんでする男性の増加のあらわれだろうか?(柔軟剤というモノを知っている男)

 

CMは「あったら便利/これはいい」を訴え購買に結びつけるため、状況設定にリアルさを感じさせないと、嘘っぽくなり商品の訴求効果も薄れる。例えばこのCMがホワイトカラーのサラリーマンが洗濯するところを想像してみよう。このCMの続編はラガーたちらしい、残念ながらサラリーマンが登場する可能性は薄いと思われる。

気になるTV ①CMボールズ後日談

柔軟材入り洗剤ボールズのCM、洗剤を使う状況設定が面白くなってきている。

 

①大規模農業従事者/②ラグビー部員/③サーカス団員/④保育園の保父さん

 

①~③まで、いずれのCMも男だけの職場・状況設定で違和感を感じさせないものであったが、今回はついに保父さんの登場である。毎回登場する男たちのうち、ボールズで洗濯をしてない男たちはマッチョ風の男性陣をそろえ、洗濯当番で柔軟材入りの当製品を使うのが玉山鉄二であるのは共通。そこから透けて見える意図は、ボールズを「知っているVS知らない」でおじさん年代の男と若い男の対比を表そうとするもの。いつも古い男側から「やわらかくするの使ってるのか」「柔軟材使ったのか」と聞かれ、玉山が「いいえ、洗剤だけです」と答える。古いとイメージつけられている男たちも、最初は「洗濯物やわらかくするの、使ったのか?」「柔軟材(普通名詞をつかってるぞ)使ったのか?」など、柔軟材や洗濯の時につかう、洗濯物が柔らかくするものがあるということは、知っている。しかも、ついに保父編では、今まで玉山に柔軟材を使ったのかと聞いていた側の男性が、洗濯をしようとして柔軟材を探してるという状況に変わっている。(CMってほんとに細部まで気をつけて作ってあって、このCMシリーズは当初から、玉山を洗濯係ではなく「洗濯当番」と呼んでいる。役割の均等性に配慮十分)洗濯をしたことがある男たち、それが違和感ない状況をCMは設定している。今回の保父は、状況として違和感がないとは言い切れないが、それゆえにこういうことも(保育園の養育者に男性が増える)将来あってもいいよね、という主張としてみてもいいのかも。保父編のラストは、お昼寝をしている子どもたちにやわらかいタオルをかけ、トントンと背中をたたいたりしながら添い寝をしている玉山ら保父たちの映像で終わる。このCM、なかなかやるよ。何が?家事育児は大変なんではなく、大切で楽しいものなんだってのが、その映像から伝わってくるのだ。

 

昨年行ったセミナーでこのCMの話をさせていただいたとき、主婦が最も好きな家事は洗濯だという指摘を受講生からされた。確かに洗いあがった洗濯物が青空にそよぐ風景は家事の中でもここちよい瞬間である。そういえば、やりたくない家事の上位にランクされる「お風呂洗い」を夫がやってるCMって、多いなぁ…。家事の分担ってやりたくないことの押し付け合いではなく、家事の重要性を楽しさのほうから感じてもらったほうがいいんじゃないだろうか。家事は世間一般の評価は得にくいかもしれないが、重要な「仕事」で、能力もかなり要求され、またやりがいもあるものである。仕事を持ちながら家事も女性が担うことは、仕事を二つ抱えることであって負担は大きい。ゆえに現代の女性たちは家事の喜びを感じることもできにくいまま、家事分担の掛け声が大きくなってきたのではないか。

 

家事とくくられる衣食住は人が生きていくことに直接必要なことであり、また育児や介護は、人とのかかわり方、親密な人間関係を結ぶ方法とその親密な相手を思いやることを学ぶ場でもある。女性の社会進出のために、あるいは性役割分担の解消として、家事労働の分担を訴えるのは方向が違うのではないか?生きることの総和としての家事の喜びや、育児介護で人との関わり方を知る必要性を訴えるというのが、男女共同参画や家事分担を訴える本筋なんではないのだろうか?

 

このCMの受け手の側、玉山がTVに出たとき、視線を吸い寄せられる層として、戦隊ものの子ども番組をみていた主婦層(かなり若め)が、画面のこちら側にいることが想像でき、CMは変わりつつある男像を描いてもいるが、依然と変わらず洗濯を担当する女性像が仄見える。しかし、このように楽しそうに洗濯をし、子どもたちを寝かしつけるCMを無意識のうちに見聞きすることで、ある種のメッセージが見ているものの中に埋め込まれる。CM製作者が意図したかどうかは不明だが、こういうCMを見ながら育つ、現在の男の子たち(10代)は、家事への抵抗が少なく、また家事育児をする男=もてるという刷り込みもされていくのだろうか?

 

 

 

茨城大学生涯学習講座⑤(2003年)

茨城大学の長〇川先生の生涯学習講座を受けた記録⑤

1回から最後までのメモも見つかったので、課題と一緒にアップ。

 

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第1回 4月22日(火)第5講時 茨城大学教養科目公開講座「ビデオで見るジェンダー論」

昨年末、茨城大学の生涯学習公開講座で同様の講座があり、興味を持って楽しみに出かけたんだけど、受講者が長谷川幸介ファンの中高年の女性がほとんどで、ジェンダーのジも知らないって人がほとんどだったみたい。映画を見た後の話あいもそんなわけで盛り上がらず、先生と対で話してきてしまった感があった。もの足りなくて消化不良のまま&納得できないでいたら、今年の大学の学生向け教養科目で行なうと案内をもらい、速攻で受講希望を出した。というわけで、大学生に混じってジェンダーのお勉強。

第1回目の今日はオリエンテーション。当初通常の教室で行なう予定が、講座受講学生が多くなったので、大きな教室へ変更となった。そりゃそうだろう、映画を見て、感想を言うだけみたいな講座紹介だったもの。わたしが学生でも単位取るのに楽な講義って思ったと思うよシラバス見て。

100人以上はいると思える教室に、びっちり学生さん。簡単なレジュメが1枚廻ってきて、それをもとにこれから何を学ぶかについて長谷川先生が面白おかしく話すのだけれども、回りの雰囲気やのりはイマイチ。いつもなら講演でこの辺で笑いが取れるはずのところでもシーンとなってしまって、こんな先生見るのは初めてかも。学生相手だと初めはいつもこんな感じなんだろうか?

社会学を学ぶってここに来た学生なんだろうけど、受験のための勉強しか知らなかった学生にとって、この講義が何の役に立つのか、がピンと来てないらしい。自分の学生時代も同じようだった、「学ぶために学ぶ」ころと、必要に迫られて・興味を持って知りたいと切望して、ここに学びにきているのとの差。こういう学生たちが映画を見て、何を感じたと発言してくれるのか興味津々。一般の受講者は私のほかに同年齢くらいの、ピシッとしたスーツ姿の女性が1人。

一般受講生向けの案内には全10回の講座とあったのだけど、学生向けのを大学の掲示板で見たら、半年間にわたって行なうとでていた。どっちが本当?取り上げる映画も書いてあって「ダラス」「リトル・ダンサー」「ボーイズ・ドント・クライ」などがあがっていた。リトル・ダンサーは昨年の生涯学習公開講座でも取り上げた映画だったけど、たまたまその回は自分は都合が悪くてお休みだった時。その時の話あいが、受講していた人たちから「ジェンダーに関係ない」って言われて先生ショックだったとか言っていたから、先生のリベンジ映画なのかも。

第2回 5月6日(火)第5講時 「グッド・ナイト・ムーン」鑑賞

STORY・・・
イザベル(ジュリア・ロバーツ)は有能なファッションフォトグラファー、自分の倍ほどの年齢の敏腕弁護士と付き合っている。彼には3年前に離婚した前妻との間に2人の子どもがいる。その子供たちが遊びにくるときにはいつもイザベルといさかいが起こる。原題は「STEPMOM」継母が完璧な前妻をみならい、年頃の子供たちの母となるべく奮闘努力するお話。

一方前妻ジャッキー(スーザン・サランドン)は子供ができたせいでキャリア編集者の仕事をやめ、完璧な妻&母を生きてきたが、どんどんキャリアアップしていく夫は家庭を顧みず、だんだんと疎遠になってついには離婚に至った。自分よりずっと若く、キャリアももつイザベルに夫を奪われ、子どもたちもだんだんとイザベルになついていく。挙句にガンに冒され・・・。

見所・・・
子どもへの対処の仕方をめぐって口論になった2人の女、ジャッキーが子どもにとって最前の方法をとり、気配りも必要という。それに対して、イザベルが自分も子育てに懸命だった、しかし子どものことを最優先に生きることはできないと言い放ち去って行く場面。

この後イザベルが自分の言ったように子育てするのかと思いきや、この辺からストーリーは急カーブを描いて感動巨編のつくりになっていく。そのあたりで、自分の期待は大外れ、ちょっとうるっと来ていた目も、見えている画面に「ほんとかいね」と、ぱちくりしばたいてすっかりドライ目。

喧嘩のあと、また2人が今度は冷静に話し合う。完璧に母親役を実行してきたジャッキー。そんな彼女の代役は自分にはできないと告白するイザベル。「子供たちはこの先ずっと自分と彼女を比較し続けるだろう」そのイザベルにジャッキーは、「子供たちの過去は私のものだけれど、未来はあなたのものなのよ」と答える。

これで学生さんたち結構泣けて感動してたみたいです。来週はこの映画を元に講義&話し合いらしい。最後に先生からポイントのチェックをされる。長谷川先生いわく、「ジャッキーは11年前に仕事をやめていて、長女の年が12歳。感動で見ていてはいけない、これをサブミナル効果といい、観客の中に理想の女像を刷り込んでいるのだ」と。そんなのわかってらいと思うのはおばはんだけかも。宿題は映画の感想を今日のレジュメに書いて来週提出。

 

第4回 2003/5/20(火) 第5校時 「息子」鑑賞

「息子」あらすじ
東北岩手の農村の父、三国連太郎から東京で働く次男のもとへ電話が入る。「母親の1周忌だから必ず帰郷してこい」。法事の晩、長男次男長女と近所の縁戚が集まった席で、今後の父親の暮らしをどうするかの相談となる。母に先立たれ、不自由な暮らしをしている父を長男が千葉のマンションに呼び寄せようと言うことで話がとりあえずまとまる。

次男は職を転々とするうちに、職場で見かけた女性に恋心を抱くようになる。その女性にあう為に仕事がはじめて長続きするようになり、やっとの思いで自分の気持ちをその女性に告げ、交際がスタートする。

父が千葉の長男のマンションへ戦友会の集まりを兼ねて泊まりに行くと、長男からここで一緒に暮らすように提案される。狭い一室での暮らし、自然のまったくないマンション暮らしはできないと父は告げる。戦友会の集まりのあと、次男の様子を見にアパートを訪れると次男から「結婚しようと思っている」と美しい女性を紹介される。聾唖者であるが、清楚なその女性と気がかりだった次男が結婚すると聞き、父はうれしさでいっぱいになる。その女性とのコミュニケーションのためにFAXを買い込み、長く留守にした岩手へと帰郷する父。

誰もいない雪に埋もれた家に入り、ストーブに火を入れた瞬間、父は幻想をみる。出稼ぎから帰った自分を迎える昔の我が家。囲炉裏端に家族全員が集って食事をしている。みやげ物を渡すと歓声を上げてよろこぶ子どもたち。身体をいたわってくれる今はなき妻の若いころの姿。祖父祖母も暖かいまなざしを自分に向けてくれる。しかし、それは幻想であり、ストーブの火の瞬きとともに消え去ってしまった。

第5回 2003/5/27(火)第5校時

授業の冒頭、先日私が提出したレポートが印刷され、レジュメとともに資料として配布される。長谷川先生から、紹介があり、20分ぐらいこのレポートについて話すよう突然のフリ!

聞いてないよと思いながらも、教壇に立って自己紹介の後、簡単にレポートの内容を説明する。学生さんたちは、聞いてくれないかと思いきや、刺すような視線を向けてくる。が、途中で質問を挟んでも反応はうすく、長谷川先生がくどいように念を押す話し方をする気持ちがよくわかる。その後先生の講義に移る。

先週視聴した山田洋次監督の「息子」(原作は椎名誠)を題材に日本における家父長制から近代家族への変遷の説明。次週まで宿題として3つ出される。「提出したレポートが授業のレジュメに採用された人は授業に出なくてもAをあげます」と長谷川先生の説明があると学生さんたちはにわかだつ感じ。「レポートの量はどのくらい」と間髪いれず質問まででて、なんとも現金な・・・。いや、私もそうだったよなぁ学生のころ・・・。

課題1 父親の背景にある農家の家族と息子にある近代家族における父親像について
課題2 一番感動したシーンとその理由を述べ、ジェンダー視点で検討せよ
課題3 あの後、父親を取り巻く環境はどうなっていくと思うか?各自のイマジネーションで完結させてみること

第6回 2003/6/3(火)第5校時

映画「チャンス」鑑賞
あらすじ
‘85年に「カラー・パープル」でデビューしたウーピー・ゴールドバーグ主演のコメディ。ウオール街で働く優秀な女性ローレル(ウーピー・ゴールドバーグ)は、頭で勝負する投資コンサルタント。すばらしいアイデアを取引先に提示するが、取引先をストリップに連れて行っていい気持ちにさせて契約しようとする同僚の男性フランクに契約を横取りされ、そのおかげで出世もできなかった。そこで自分で会社を作り独立しようと考えた。だがやっぱり男社会。いいプランがあっても、女では誰も相手にしてくれないのだ。そこでローレルは架空の男性「カティー」を登場させる。カティーというビジネス・パートナーのお陰で、成功し会社はドンドン大きくなっていく。

しかし、仕事が上手くいけばいくほど、カティーの名声は広がっていくばかり。実際にはローレルのお手柄なのだ。そんなときNYの証券取引委員会からカティーがインサイーダー取引疑惑で呼び出されることになる。男装して急場をしのいだローレルだが、追っかけの記者たちに追いかけられピンチ、その時取引先の社長の車が「カティ」を拾ってくれた。助けられた車中で取引先に「証券委員会からかけられた疑惑はローレルに罪をかぶせてしまえ」とアドバイスされ、ついにローレルは切れる!

「カティ」を抹殺することにしたが、もともと架空の人物を殺すのは難しい。秘書のサリーと共謀し事故に見せかけてカティに扮した人形ごと車を爆発させて一件落着のはずが、殺人容疑でサリーともども逮捕されてしまう。無実を証明できずにいたとき、カティが架空の人物というからくりを知ったフランクがローレルと同じ手を使いカティの相棒になりすまし「カティ」を再登場させてしまう。

おかげで殺人の疑惑は晴れたが、カティをフランクに奪われてしまったローレルは失意の日々。そんな中今年もっともすばらしい業績を残したビジネスマンにカティが表彰されることになり、代役でフランクが授賞式にでると知ったローレルは、カティの扮装で表彰式の場にお忍びで出かけ、唖然とするフランクやビジネスマンの前で扮装をひとつひとつ脱いでいく。カティがローレルと解った時、はじめに拍手してくれたのは、給仕などをしている黒人やその場に入ることを許されない黒人や女性たちだった。

 

 

第7回 2003/6/10 休校

第8回 2003/6/17 第5校時

前回の映画鑑賞を踏まえて講義。
日本の女性の就業形態を主に話される。学生さんに卒業後就職する人と聞いたら100%、結婚したら退職する人、子どもが生まれたら退職する人、子どもが2人になったら退職する人、と尋ねていくと数人ずつ増えていくが、ほとんどは定年まで職を持つという。そういう希望とうらはらに仕事をやめざるを得ない女性の状況を丁寧に話してくれるが、聞いていてつらい。教室の雰囲気も暗くなったような気がしたくらい。

女性が働きつづけるにはどういう環境整備が必要かとの問に、父親の家事育児参加や給料形態の見直しまでしか意見が出ない。もっと自由な発想をと長谷川先生が言うが、まだ実感がないのかもしれない。「結婚しないで子どもを持つとか思う人はいないの?」との先生の問いに、隣の学生さんが手を挙げた。

先日読書会で、日本のシングルマザーの状況をUさんが実体験を踏まえて話してくれたが、その手を挙げた彼女は先進的な意識で手を挙げたのが見える。そうはいかない状況を彼女がしるよしもなく、落ち込んでしまう。

講義終了後、先生と話をしてたらおもしろそうな冊子を見せてくれた。ジェンダーフリー教育は日本を滅ぼすという趣旨のその冊子はつくば大の教授が出したもの。H市で男女共同参画のフォーラムなどの参加している長谷川先生に、冊子とH市長宛の公開質問状のコピーが添付してあった。

ジェンダーフリー教育に待ったをかける「会」がH市にはあるらしく、そこからおくられてきたアンケートについていたものだった。冊子をざっと見た感じはマルクス主義=共産党=ジェンダーフリーと結びつけたものらしく、読んでいて気持ちの奥が重くなる感じがした。

戦争に向かうころの歴史を習っている時のような気持ちがする。

第9回 2003/6/25 第5校時

Boys don’t Cry鑑賞

性同一性障害のブランドン(解剖学的な女・精神は男)がホモフェビアの果てに惨殺されたアメリカの実話の映画化。主演したヒラリー・クワンクは1999年アカデミー賞主演女優賞を受賞した。

以前映画公開されたときに渋谷の映画館に見に行って、なんともやりきれない思いで館を後にした。「今日見る映画は~」と長谷川先生が紹介した時には、その時の重さがよみがえってきて、見ないで帰ろうかどうか迷った。気分は重かったが、見逃したシーンや確認のためにと、気持ちを奮い起こして見る。

映画鑑賞後、エンドロールに実話であるためのその後の犯人の刑についてや、ラナ(主人公が恋する女性)のその後の逸話などが紹介されたにもかかわらず、長谷川先生が「この映画は実話です」とコメントすると、隣の学生さん(女性)が「うっそぉ」とひと言。

前期講座であるこの講座も後残り1回、どうも予定の講義がすすまないらしく(休校も1回あったし)次回7月の頭には2校時あるいは2日連続で講座を持つかもしれないとお話がある。

 

第10回 2003/7/1 欠席

第11回 2003/7/8 欠席

第12回 2003/7/15 第5校時 映画ウォーターボーイズ鑑賞

妻夫木聡主演の邦画ヒット作ウォーターボーイズの鑑賞。次回が講座の最終回になるが、そのときにこの映画のレポートを提出してもいいよと先生の言葉、「青春映画ですが、ジェンダー視点で見てくださいね、難しいと思うけど」だそう。

今まで提出されたレポートの中でAのものを配布される。最終回の宿題はこのレポートの感想を書きなさいというもの。私のレポートもAをいただけたらしく、配布される。他に数人のレポートが配られたが、視点がおもしろいものばかり。

第13回 2003/7/22 休講

第14回 2003/7/29
今日で講義終了。テスト及び夏休みなので教室はいつにもまして、がらんとしている。最後にどうしても話しておきたかったこととして、先生が「科学の視点を持つこと」を熱をいれて語ってくださる。言葉を話すことによって概念・世界を知るように自分たちは育ってきたが、その言葉の存在が「知る」ことの裏返しとして必然的に自分たちをその概念で縛られる。文化規範の中で育って、知らず知らずのうちに身につけたその縛りを科学の目をもつことによって破ろう、と。自らがつくっている枠をはずして自らを発見する、その知恵が科学である、と。

男性非婚率世界一を誇る日本の「もてない君」ものがたり

■テキスト 「ウォーターボーイズ」

この映画の主役級の5人の男子生徒のキャラクター付けをよくみると今の男性に課せられたジェンダーの一部が見える。

役柄 、演者 、描かれているキャラクター 、好かれないわけ、望まれる「らしさ」に分けて並べてみる。
役柄:鈴木智
演者:妻夫木聡
描かれているキャラクター:気弱男
好かれないわけ:決断力なし
望まれる「らしさ」:男性は女性をリードする

役柄:金沢孝志
演者:近藤公園
描かれているキャラクター:ガリ勉
好かれないわけ:運動音痴、三高でもドンくさい
望まれる「らしさ」:男は運転・泳ぎ・テニス・スキー等が上手

役柄:早乙女聖
演者:金子貴俊
描かれているキャラクター:女々しい
好かれないわけ:女々しさがおかまっぽい

役柄:太田裕一
演者:三浦哲郎
描かれているキャラクター:ダンスオタク/ヤセ
好かれないわけ:体格が貧相・オタク的嗜好

役柄:佐藤勝正
演者:玉木宏
描かれているキャラクター:マッチョ
好かれないわけ:勘違い体育系
望まれる「らしさ」:マッチョでも顔はさわやか系

日本の急速な少子化の原因として女性の高学歴・晩婚化が言われるが、その裏にある男性の非婚率はあまり注目されない。男性の非婚率は世界一である。結婚観については、働きつづけたい女性が増えパートナーに家事協力を得たいとしているにもかかわらず、男性の側は伝統的な専業主婦志向を抜けきらず、よって結婚したくてもできない男性像と、大変ならば結婚しなくてもいい女性像が浮かび上がる。

このような時代を背景として男性の「もてる/もてない」は昔に比してより切実なものとなっているのではないか。見合いという習慣があり、いつかは結婚するものとされた時代には、100%意に添わなくても結婚はするものという規範のしばりがあったが、今は理想の相手にめぐり合わなければ結婚しないという時代になったのである。そのような時代の青春映画「ウォーターボーイズ」は、男らしくない男を主役にたて、結婚観を大きく変化させてきた女性の中の、変わらない理想の男性像をあぶりだしたといえる。

男らしくない男たちが、男にふさわしくないシンクロをすがすがしく演じ、喝采を浴びることで、そのような「らしさ」や「ジェンダーのしばり」などくそくらえと笑い飛ばした爽快感がある。「男らしさ」ではなく「自分らしさ」を追及した男子生徒が結局は彼女をゲットするというハッピーエンド。

映画の登場人物に近い世代の大学生たちがこのような講義を受け、これからの時代をより生きやすいものにしていってくれるという期待も感じ、最後のテキストにふさわしいと思った。

2003年7月29日提出

 

茨城大学生涯学習講座④(2003年)

茨城大学の長〇川先生の生涯学習講座を受けた記録④

ビデオで見るジェンダー論課題

Boys don’t cry/泣いたブランドンは「男」じゃない

■テキスト「ボーイズ・ドント・クライ」
この映画は性同一性障害を描いたものとして知られるが、ヘイト・クライムの恐ろしさのほうがインパクトが強い。彼が亡くなった今となっては彼の内部を知る由もないが、彼が本当に性同一性障害だったのかという疑問が消えない。性同一性障害を含む、同性愛者のセクシャリティの混乱に視点を向けたい。

1993年、事件が起こった場所はアメリカ中西部ネブラスカ州、フォールズシティ。一目ぼれした女性がいるにしても、どうしてブランドンはカリフォルニアへ向かわなかったのだろうという素朴な疑問を映画を見た当初抱いたのを記憶している。カントリーミュージックが似合うアメリカの片田舎より西海岸へ行けば彼は殺される程のことはなかったのではないかと思えたからである。彼がこの地に残ったのは、彼の中の男の嗜好(保守的なマッチョ男が好きだった)がこの地にぴったりだったのではないだろうか。

体つきこそ華奢ではあるが、振舞はマッチョそのもののブランドン、アメリカ的マッチョ男が好きで同一化したかった。「レズではない」と何度もブランドンは口にしている。彼は自分は男であって、女を好きになる同性愛者ではないと思っていた。彼が好んだ保守的な片田舎のマッチョ男は、思想としてホモフォビア(同性愛嫌悪)を併せ持っている、そのことの危険性に気づかなかったのか?危険性を知っていても、それ以上にマッチョ男に同化したいほど、その文化になじんでいたのだろうか。中西部の田舎育ちにとってカリフォルニアに代表されるゲイ文化は異文化そのものだったのだろう。異文化の中で暮らす不安よりは子どもの頃からなじんだマッチョ文化の中に潜むほうが彼にとって安全に思えたのかもしれない。

しかし、ヘイトクライムの犠牲者となってはじめて彼はマッチョ男文化の全容を知り、それに単純にあこがれていた後悔とともに、自己のアイデンティティをじっくりと考え始めたのかもしれない。レイプ事件の後、旅立ちまでの時間のブランドンの表情が印象深い。レイプされるはずのない男である自分がレイプされる=自分は男ではないという思い。そして、ラナとはじめて女として抱きあったことで、自分のセクシャリティを意識し始めた彼に起こる微妙な変化に同調するようにラナも戸惑いを覚えたようだ。一緒に旅に出ようと誘うブランドンのキスを避けている。彼女も同じように自分のセクシャリティは何?という混乱の中に放り出されてしまったからであろう。

ヘイトクライムはレズに向けられる時は「レイプで矯正してやる」的な犯行になることが多く、ゲイに向けられた時は、殺人に至ることが多いという。この事件は殺人に及んでしまった「めずらしい」事件である。ホモソーシャル的な仲間意識をもってしまうほど男に同化していたブランドンに裏切られた思いを持った男たちに、彼らのセクシャリティの危機を感じさせてしまったことが殺人に結びついたのであろう。それほどマッチョな振舞の似合ったブランドンは、しかし本当に性同一性障害=男だったのだろうか?

2003年7月29日提出

茨城大学生涯学習講座③(2003年)

茨城大学の長〇川先生の生涯学習講座を受けた記録③

ビデオで見るジェンダー論課題
■テキスト「チャンス」

ウーピー・ゴールドバークはオヤジをめざす!~フェミニズムの系譜の中の反省

「見えない壁」「ガラスの天井」と言われる、女性の社会進出や昇進を阻むしくみについて映画は言いたかったのだろうが、学生さんたちの笑い声をききながら、同じような体験を見聞きしてきた身としては笑えない現実にやりきれなさを感じる。こんな描かれ方ではスカッとしない。そんなにうまくいくわけないし、デフォルメされた荒唐無稽な男/男社会の描かれ方には深みもリアリティを感じないし、まったくのB級映画である。またさらに、このような映画が「フェミニズム」として認識される危険性を非常に強く感じる。

フェミニズムは現在も様々な視点から検討が加えられつつある理論である。フェミニズムの系譜を丁寧にたどれば、それが発見された時からは想像もつかない地点に今あることがわかる。21世紀の私たちがめざすのは、いわゆる「男女平等」ではないのである。

この映画の主役ローレルにもっともふさわしいセリフは「It’s not fair!」ではないか。自分の立てた企画を利用し顧客との契約にこぎつけ出世していく男に対して、そしてそれらを支える男社会に向かってローレルはそう叫びたかったに違いない。多くの女性が同じ思いを抱きながらフェミニズムに出会ったはずであったが、ちょっと前までのフェミニストたちはその「unfair」な思いを男女平等という形ではらそうとした。

女性の社会進出をしやすくする環境を整えるということが、女性の能力に見合った、より高い賃金/地位/権力に結びついてしまった。それらは上野千鶴子が「オヤジ社会&オヤジ」と言って唾棄すべきものとした父権性的イデオロギーであり、倒すべき敵がたどった同じ道を女性も平等を叫びながら加わってしまったという過程がフェミニズムの系譜の中に、しかもごく近い年代に在る。

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私はフェミニズムを、ずっと弱者の思想だと思ってきた。もしフェミニズムが、女も男なみに強者になれる、という思想のことだとしたら、そんなものに興味はない。弱者が弱者のままで、それでも尊重される思想が、フェミニズムだと、私は考えてきた。
だから、フェミニズムは「やられたらやりかえせ」という道を採らない。相手から力づくで押し付けられるやり方にノーを言おうとしている者たちが、同じようにちからづくで相手に自分の言い分を通そうとすることは矛盾ではないだろうか。弱者の解放は「抑圧者に似る」ことではない。
(上野千鶴子:日本女性学会ニュース89号/朝日新聞2002年9月11日)
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映画のラスト、ローレルの秘書サリーが元上司のフランクを面接で落とす場面がある。溜飲の下がる場面だろうか?こうやって溜飲を下げることを私はよしとしない。サリーの服装の変化を見逃したくない。ローレルの秘書をしていたころはいかにも中年女性風のセーターやカーディガンをまとっていたサリーの服装に変化が現れはじめ、ついにこの場面では紺のジャケットを颯爽と着ている。やはり、この映画は「男なみ」を目指した一時代前のフェミニストたちの間違った方向を描いているように思える。

2003年7月29日提出

茨城大学生涯学習講座②(2003年)

茨城大学の長〇川先生の生涯学習講座を受けた記録②

■テキスト グッドナイト・ムーン(原題:STEP MOM)

資本主義社会の忠実なメッセンジャー―ハリウッド映画による2つジェンダーの刷り込み

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キーとなるセリフ
ジャッキー:子どもたちにとっていつも最善の方法をとるのが母親の役目
イザベル:自分も懸命に子育てをしてきた・・・が,子どものことを最優先に考えることはできない・・・ルークを愛していく中で自分自身を愛しそして子どもの愛していく
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この映画のようにアメリカでも、もちろん日本でも「母親の愛」は母と子の利害が生涯同一であることを自明のものとしてきた。母のよしあしをはかる基準は両者の利害が同一であることを,いかに真剣に母親が考えているかによる(ジャッキーのセリフ)。つまり「良妻賢母」となること。よき妻も賢い母親も夫・子がいないと成り立たない。良妻賢母は主体を放棄することによって成り立つネガな主体とでもいおうか。

アメリカにおいてもっとも良妻を演じなければならないのは大統領夫人(候補者も含む)である。夫の後ろに(3歩下がって夫の影を踏まず?)常によりそい、夫の演説する姿に心から聞き惚れ賞賛のまなざしを送る。これはアメリカ社会の理想となる聖家族を演じているためである。

一方この映画で描かれているのは「良妻賢母」の「賢母」の姿である。大手出版社のキャリア編集者としての仕事と子育ての二者択一で、子育てを選んだジャッキーに残された自己実現の道は「良妻賢母」になるというものだけだった。「良妻」の部分はジャッキーの献身によって順調にキャリアの道をのぼりつめていく夫との離婚によって失ってしまったた
め、より「賢母」であることに執着する様が見ていて切ない。懸命に生きてきたジャッキーが自分の生き方をイザベルとの出会いによって振り返って見るのかと思って見ていたが,残念ながら結末は急カーブを描いて予想を裏ぎった。

50年代以降、ケネディ家に象徴される聖家族を追い求めてきたアメリカ社会は、増加する離婚率やセクシュアリティの多様化によってその理想に揺らぎを感じているのだろうか?あるいは現代に応じた規範を示す必要があったのか?

映画はジャッキーとイザベルが「子ども達の過去は私(ジャッキー)のものだけど、未来はあなた(イザベル)に託したい」と話あったシーンから、21世紀の「新しい聖家族」の感動巨編のつくりとなり、私の中では映画自体のテンションもイザベルの存在感もぐっと下がったように見える。

前日の言い争いの時には「子どものことを最優先に考えることはできない」と言い放って出て行ったイザベルが「子供たちはこの先ずっと自分と彼女を比較し続けるだろう」と言い出すその心境の変化を映画は描いていない。あれほど「とんだ女」のイザベルでも、子の母はこうあるべきという刷り込みが強いので「変節するのは当然」とするものなのか?あるいは描きようがなかったのか?映画「グッドナイトムーン」の原題は「STEPMOM」継母である。原題の「STEP」は「~への歩み」の意味も持つ。MOMへのSTEP=母への道のりと読めばイザベルの変身は当然となるという意図か?

この映画では「母」に視点があたっているため、母性神話の刷り込みに目が行くが、実は映画で語られない部分に別の刷り込みが行なわれている。

才能に恵まれ、良いスタッフに囲まれて仕事も順調なイザベル、傍目には何不自由ないと思えるのに、有能とはいえ子連れの中年男とどうして結婚までするのか?ルークとイザベルの恋愛のスタートは映画以前の物語としてカットされているが,語られていないがゆえに、ある刷り込みを当然とする映画製作の意図を感じる。その刷り込みとは「女の幸せは結婚」というものである。どんなに仕事が順調でも、それだけでは女は100%の幸せを感じないのだという巧妙な刷り込み。

「ルークを愛していく中で自分自身を愛しそして子どもも愛していく」というセリフは子ども最優先にしない宣言のようにも聴こえるが、結婚をゴールとする社会規範の枠内での制限された解放でしかない。「理想の母親像」の刷り込みと「結婚によってしか自分の幸せは実現できない」のダブル刷り込みをこのセリフが如実にものがたっている。

資本主義社会が核家族に押し付けた2つの‘care’―子育てと介護

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キーとなるセリフ②
ジャッキー:今度の結婚が成功すると思うのはなぜ?前は失敗したのに・・・
ルーク:・・・
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資本主義社会は社会の要請として男女の性役割分担を強化してきた。「公」で仕事をする男と、「私」で家事・子育てをする女。その中で資本主義社会は核家族に2つの「care」を担わせた。ひとつめの「care」は次世代の育成、子育てである。ひとつめの「care」は映画の中で充分に描かれている。ルークの無言の返事をどう読むかは観客にゆだねられているのであろうから、映画では描かれていないもうひとつの「care」をルークの無言の返事の延長として勝手に読み取ってみる。

順調に役割分担を生きてきたはずのルークとジャッキーの夫婦が離婚せざるを得なくなり、子ども達の「STEPMOM」が必要となってくるが、そのSTEPMOMが受け持つ段階は子育てのみ、次のSTEPにはまた別の「STEPMOM」が必要となってくる。それが資本主義社会が核家族に押し付けたもうひとつの「care」、介護であるという後日談はどうだろうか。

ルーク&イザベルの夫婦は順調に子育てを終え、2人の子どもの巣立ちとともにイザベルも仕事に復帰するが、充実した時はルークの親の介護によって平安を破られる。ルークは仕事優先の価値観のままで、介護はイザベルに廻ってくる羽目になり・・・。介護を押し付けられて疑問に思ったイザベルは離婚を言い出す、かすがいのはずの子どもは継子だった・・・。そんな結末が思い浮かぶ。次のSTEPMOMをさがすルークに未来はあるのか?それとも、金で解決?

この映画に限らず、メディアは意図して語っている部分(この映画では母性神話)と、それを浮き上がらせるためにあえて語らない部分があるというのを忘れないようにしたい。イザベルがどうして結婚に踏み切るのかもそうであるが、ジャッキー&ルークが離婚に至るまでのジャッキーの心理もここでは取り上げられていない。内助の功に徹するほかなかったジャッキーが、夫のSTEPUPをどう見ていたのか?ルークはどんな価値観を生きた男だったのか?これらの部分を避けたために、ルークは無言の返事をするしかなかったのである。

ジュリア・ロバーツ出演作に見るハリウッド映画の「女の道」

彼女の出世作は「プリティ・ウーマン」だろう。ハリウッドの娼婦が天性の明るさで金持ちの実業家をとりこにするシンデレラストーリー。映画のキャッチには「現代版マイ・フェア・レディ」が使われたはず。

「愛に迷った時」で夫の浮気を目撃し、家を飛び出したすえ、父親の不倫や自分も浮気にトライしたりする。どたばたの中で,自分を見つめなおし新しい生き方を模索するとか、「ベスト・フレンズ・ウエディング」ではキャリアウーマンながらも元彼の結婚話に動揺する。28歳が晩婚化の限界だったのはこのころかも。キャリアでさえも女の幸せには「恋愛」や異性から愛情の対象として見られることが欠かせないとするのは,日本での事件・東電のキャリア女性が売春のはてに殺された事件を思い出させる。

この後、テキストとなった「STEPMOM」にでて、超ヒット作「ノッティング・ヒルの恋人」に続く。この映画では、世界一有名な大女優とただの男が住む世界の違いを乗り越えて結婚にゴールインする。この映画のキャッチにもなつかしの映画が比喩に使われている「現代版ローマの休日」。しかし立場が「プリティ・ウーマン」とは逆転している。

プリティ・ウーマンは‘90年、この作品は’99年、約10年かかってジュリア・ロバーツは女の道をのぼりつめたのである。フェミニズムなんかを声高に叫ばなくても、こうやってのし上がることは可能なんだという生きた実例としてのジュリア・ロバーツがある。女のいろいろな側面を演じてきたジュリア・ロバーツだが、それらはすべてハリウッドの王道映画であり、「ベスト・フレンズ・ウエディング」で共演したキャメロン・ディアスが「彼女を見ればわかること」等に安いギャラで出演し、アメリカの女性の出口のなさを演じるようなことは彼女はしていない。

しかし、テキストの「STEPMOM」では、シナリオに共感し、もう1人の女優スーザン・サランドンとともに女優がタブーとされる製作総指揮へクレジット参加したと映画の説明にはあった。ハリウッドにおけるタブーをこのように越えていくことと演じる女像がハリウッドの求める規範を忠実になぞるということが1人の女の中に共存する。

このあとの主演作が「エリン・ブロコビッチ」であるのは,ある種象徴的にさえ感じる。「女」を武器にして勝利を勝ち取るという役柄を生き生きと演じていたジュリアは自分の存在と演じる役の間のずれ=ハリウッドが求める社会規範と自分自身の価値観とのずれ、を意識しながらこのエリンを演じていたと読むのは私自身の希望の重ね合わせかもしれない。

2003/5/13提出

茨城大学生涯学習講座①(2002年)

茨城大学の長〇川先生の生涯学習講座とか、学生さんのカリキュラムで一般公開されていたものによく出かけていて、その時の提出課題。

講座は「ビデオで見るジェンダー論」といって、先生が選んだ映画を見てから、小論文を提出するというもの。先生は出欠もとらないし、課題の提出もうるさくないので「楽な講座」と学生さんの間で代々伝わっているらしく、いつも教室は100人以上は入れそうな大きな教室。後ろの方で映画を見ていて、こりゃ楽だね、と思った。

学生時代にこんなこと考える学生なんて、どのくらいいたのかなぁ。

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ビデオで見るジェンダー論課題

ビデオで見るジェンダー論課題
■テキスト「息子」

課題1 父親の背景にある農家の家族と息子にある近代家族における父親像について

三国連太郎演じる岩手の父は、伝統的家父長制を生きた父として描かれている。戦後日本の資本主義の急速な発展によって一つの世代の交替という短い時間の中で、家父長制の内容が変化せざるを得なかった日本のひずみがこの映画ではよく表されている。

■家父長制の父親の背負ったもの
家父長制とは男尊女卑や男性の優位性などといった個人的・個別的事象ではなく、ある種の支配の体系である。それは年長者による年少者の支配、男による女の支配のシステムとして機能し、家庭においては「家」という権力を代々委譲するために機能してきた。

明治末期~大正初期の生まれと思われる父の育った時代は、「年長者は年少者よりすべてにおいて優れ(父&長男>息子&次男)」「男は女より優れる」という規範が社会的合意としてあった時代である。父はその親のもと長男として生まれ家父長制の権力・財産の継承者として生活を営んできたのである。

家父長制の頂点にたつ父は絶大な権力を持つ一方、その社会的な合意によって、個人的な資質を問われないですむと言う利点を有していた。長男に生まれさえすれば、他の兄弟よりも資質において劣っていることが明白であっても、権力委譲は長男にされたのである。個人の資質を権力委譲の対象選定の基準に取り入れることは、家父長制という制度そのものを崩してしまうのでありえなかった。

家父長制の中の男はシステム維持のため、自由は持ち得なかったが、逆に制度によって個人を守られていたともいえる。

■近代社会の父親の背負ったもの
一方、高度成長期の日本を生きた三国の長男は、近代家族の父親として描かれている。近代家族とは、資本主義の発達によって地域社会や大家族の解体がすすみ、核家族化することによって委譲すべき「権力・財産」が変化した家族と言える。「家」という権力よりも「賃金」という権力を選んできたともいえるだろうか。高給を得ることが「権力=ステータス」と変化していったのが近代化の側面であり、いわゆる「家父長制」の財産権力が変化した。

そのため、個人が社会の中に剥き出しで置かれるという状態が現出することになる。不自由ではあるが「家父長制の家」の権力委譲構造の中にいれば個人の能力の高低を問われずにすんでいた男たちは、「金」という権力に乗り換えたため、その「金」をどれだけ得られるかで男個人の能力、そして存在価値までが計られるという状況におかれることとなる。このことは映画の中の長男と次男の描かれ方によく現れている。

勉強ができ、高学歴の長男はホワイトカラーとして都会の一流会社に就職している、よって高給取り。次男は高卒でブルーカラー、低賃金。長男が次男を見下したように接するのは、家父長制の名残である年長者>年少者という身分の高低とともに、より多くの金を稼げる男が男として優秀という近代社会の規範をも背負っているからである。

家父長制の時代から現在まで、権力の担い手たるべき男たちには次のような言葉が幼少から投げかけられ刷り込まれている。「泣くな/逃げるな/負けるな/頑張れ/泣き言は言うな、男は黙って…」。母親や祖父母の声が聴こえてこないだろうか?「ボクは男の子なんだから、泣かないの。強い強い!」と。

自分自身の存在価値が金で計られる社会の中で、負けること許されない男たちは、文字通り死ぬまで働きつづけることを要求されているのである。

「リストラで自殺」などと言う解説が新聞を飾ることがある。一見解りやすい説明がつくことで自殺の原因が理解できたなどど、思考停止状態に陥ってはいけない。彼らが死を選ぶのは、仕事を失ったからではない。仕事をなくしたゆえの=金を稼ぐことができなくなった故の=自身の存在価値を奪われたからなのである。

明治男は気概があるので、生半可なことでは自殺などしないとか、今の時代を生きる男たちがさも弱くなったように述べる論調は真実を見逃している。明治の家父長制を生きた男たちは社会制度に厚く守られていたが、近代社会を生きる男たちを守るものは何もないのである。

課題2 一番感動したシーンとその理由を述べ、ジェンダー視点で検討せよ

岩手に1人戻った父がストーブに火をつける瞬間に見る幻想のシーンに涙する自分を発見する。この涙の成分は何だろう?

暖かい部屋で家族そろって食事をする。みやげ物を子どもに手渡す父、歓声を上げながら包みを開けようとする子どもたち、体を気遣う妻。祖父の温かい目は父に向かって「おまえ(父)は期待通りの息子である」といいたげである。このような場面に感動を受けるのは、自分もまた、寄り添って生きる家族への強い郷愁を持っているからであろう。郷愁とは失われたものへの強烈な恋慕の感情。あの場面は失われた/手の届かない愛にあふれた家族の暖かさを文字通り幻想で見せているのである。「愛だよ、愛」とCMで次男・永瀬が語ったのはちょっと昔のことでした。

資本主義社会が必要とした核家族は、家族制度維持のために愛・性というファンタジーを用いた。資本主義社会の「愛」のからくりに気づいている自分のより深い意識の中に、あの場面に涙する別の自分があり、二面性を意識せずにはいられない。「制度から自由であることは制度に守られないことでもある。個で生きることは、非常なストレスを生む。資本主義が高度に発達した近代社会で個を優先させて生きることは本当に人間らしい生き方と言えるのだろうか?」と深層の自分が表側の自分をゆさぶり問いかける。その答えは?

愛あふれる家族、言い換えれば、人は親密な関係なしには生きられないのであろうか。人がもっとも恐れるものは死であろう。死とは永遠の孤独、人々の記憶からも忘れ去られる。人のもっとも恐れるものは死ではなく、孤独かも知れない。親密な愛に包まれた人間関係を実現する場として家族は強力な磁場を発揮してきた。

しかし、高度に発達した資本主義社会はすでにほころびを露にしてきており、歩調を合わせるように、愛や性を媒介とした親密な人間関係=家族もまたほころびを見せてきている。人が求めてやまない「孤独からの解放=親密な人間関係の中に包まれること」を愛や性のファンタジーから自由にすることは可能なのだろうか?あるいは、親密な関係を持つ人間同士のつながりは家族だけが持つものなのであろうか?さらに考えれば、親密な関係を持たず、固定的でない距離感の人間関係の中で生きることこそ、孤独ではなく本当の自由と言えるのではないか?だとすると、あの涙は自由への恐れの裏返しかもしれない。

【おまけ】村上龍「最後の家族」は、近代家族がどこに向かうのかの一つのヒントに思える。

課題3 あの後、父親を取り巻く環境はどうなっていくと思うか?

長男・長女・次男ともにそれぞれの生活に追われ、また故郷の慣れ親しんだ家を離れがたい父の思いとの折衷案で、父は独居老人として暮らすことになる。たぶん10年ぐらいは1人で暮らせるのではないか。しかし、心臓の薬としてニトロを持ち歩いていることから、一番ありうる可能性としては心筋梗塞による突然の孤独死。その葬式の場が想像をたくましくさせる。

ともに東京近郊で暮らす長男次男に比べ比較的父の近くに住んでいた長女の環境を想像してみる。田舎暮らしを続けていることから結婚相手も長男であることが想像でき、父に同居を申し入れることはできにくい。やむを得ず自分の生活に合わせ足しげく父の下へ様子を見に通っていたが、「家族はともに暮らすもの」の規範が強く残る地方にいる長女にとって父の死を見とれなかったことへの自責の念が強い。家族に愛情深く接することは女の役目であるとするジェンダー規範が働くためである。

長男は職場内の出世に伴い、転勤を余儀なくされる。自分が故郷を捨ててきているため、家族同居を強く主張できない長男に対し、子どもの環境を優先に考える母親は夫の単身赴任を選択する。単身赴任中の不自由な暮らしを続けるうち、長男は故郷の父親の不自由さ・さみしさを実感として捉えられるようになる。出稼ぎの父を自分を重ね合わせてみていたかもしれない。そんな中、父の孤独死が知らされる。長男はいろいろと手を尽くしたにもかかわらず(同居を申し入れたが断られている)、孤独死する父に「自分の面子」がたたない思いを抱く。近代家族の父として今を生きながらも、成長の過程で刷り込まれた規範は家父長制の名残も残しており、家と父を守るべきジェンダーを背負っている長男は、守れなかった自分を肯定的に捕らえることができないのである。

次男は家父長制から見捨てられた「次男」であり、また近代社会の高賃金を稼ぐ男としての役割からも、すでに遠い存在であることを本人もうすうす感じてはいる。結婚相手に聾唖者をえらび、さらに近代社会の周辺で生きることを余儀なくされていく。

社会規範に沿って生きることは、裏返せばその制約の中を生きることである。周辺に生きる次男は権力構造から遠い存在であるが、一方で規範からのある程度の自由/距離をおいて生きることが可能になってくる。このことは人が自分らしく生きる上で非常に重要な意味を持つ。制約から自由であること、あるいはどのような制約を自分は受けているかを自覚を持って生きること(構築された自分自身に気づく)をフェミニズムは「解放」と呼んだのであり、女性解放思想としてともすれば認知されがちなフェミニズムは、実は女だけでなく男も解放する思想だと言うことができる。

映画の中で次男の結婚報告を聞いた晩、父が「お富さん」を熱唱する場面が印象深い。あの場面の父は自分の存在が弱者でしかないことを突きつけられていた。彼もまた権力から見放されることによって、規範からの自由を得たのである。規範に沿うことを強制されない場面で初めて父と子は本音の表出が可能になった。人間の持つ親密な感情はこの時初めて父と次男の間でのみ交わされたのではないか。

次男が職を転々としていたころの父の次男への接し方と、この時以降の接し方が激変していることに注目したい。(家父長制の権力者・父の役割で接していた時/親密な人間関係の当事者同士として)岩手に帰る父はFAXまで携えていた。初めて心を交わした父の喜びが「お富さん」熱唱のシーンとなる。(次男の結婚相手が聾唖者なのもある意味づけを感じさせる)

その後岩手に帰郷した父は前述の幻想をみるのであるが、あの幻想は過去の現実ではない。実際過去のあの場面では、父は家父長制の役割としての自己を演じていたはずであり、感情の起伏を露にしないとか、何か得たいの知れない気分の盛り上がりを感じたが、それを感じること自体を自分に禁じていたはずなのである。

人間は自分の感情を「知っている」と思いがちである。だが、柳田國男が「東北の女性は不安と言う感情が理解できない」と調査研究の結果述べたころと環境がそう変化していない時代に成長した父は、親密な愛情を「覚える」ことはなかったのではないか。役割に沿った振舞を家父長制の中でパターン認識していただけではなかったか?あの幻想の場面は心の交流を次男を通して初体験した父が、こうあることもできたはずの過去として見たのではないか。

岩手で独居老人として暮らしている父は、近所の人にこういわれたかもしれない。「歳とったんだねぇ、(性格が)丸くなっちゃって。お嫁さんとFAXなんかやり取りしちゃってさぁ。」彼は丸くなったのではなく、感情を自分のものとし、表すことができるように、やっとなったのである。たとえ一人暮らしではあっても、孤独死をすることになっても、幸福な晩年だったのではないか。

さて、上記のような思いを抱えた、3人が父の葬式で久しぶりに対面する。父と心の交流を持てた次男は、純粋に悲しみにくれているが長男と長女はそれぞれが抱える自責の念や刷り込まれたジェンダーによって、父の死という悲しい場面でさえ、与えられた役割を演じつづけている。次男はそのような2人に、説明できない怒りを感じ、葬式の最中に2人に言いかがりのように突っかかることを繰り返し、最終的には大騒ぎの喧嘩を繰り広げることになる・・・。山田洋次監督得意の「寅さん」的てんやわんやが起こって、人生の悲哀をそれぞれが感じるエンディングとなる、なんちゃって。

結婚や誕生、葬式という人生の区切りとされるできごとに人が出会う時、人の深層意識に刷り込まれたものが表に出てくることが多い。リベラルな印象を持つ人が、思いがけず前近代的な規範をしょっていることに気づかされたり…。文化とジェンダーは二重螺旋のように複雑に影響しあって今の私たちの中に根付いている。人権問題として単純には語れない。

2002/6/3 提出

UP

日本女性会議2002あおもり~その②

2002年に初めて日本女性会議というものに、市の男女共同参画関連ということで視察に行かせてもらった。昨日アップしたののほかに上野千鶴子さんと北原みのりさん(アダルトショップ代表)と石坂啓さん(漫画家)の鼎談が見つかったのでアップ。2時間の鼎談だから、長いよ~。会場で来てる時も歯に衣を着せない発言ばかりだったけど、文字にするとさらに際立つね。」グーグル検索で危ういサイト扱いされかねない。

 

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日本女性会議2002あおもり

2002.10.4.FRI~5.SAT
青森文化会館/ぱるるプラザ青森

テーマ
私は私を大切に思うのと
同じ重さであなたを大切に思う

大きなお世話か~フェミニズムを次の世代に手渡すために~
・・・日本女性会議2002あおもり 全体会Bプログラム

 

上野千鶴子:こんにちは、おはようございます。ようこそ、裏番組へ!どちらが表でどちらが裏番組かは判りませんが、青森文化会館 とこの「ぱるる」2つの会場で同時進行で行なわれております。体が引き裂かれる思いでいらっしゃると思いますけれども、それでもこちらを選んで下さった方々、本当にありがとうございます。ここにいる3人は共通点があります。どっちが裏番組でどっちが表かは最後は視聴率で勝負したいと思っておりますが、何しろむこうさんは、政府の関係者であるとか大新聞の記者であるとか様々な方がお揃いなんですが、ちょっと平均年齢がお高めであるようで、むこうが年長組、こちらは年少組でございます。もちろん、会場にはいろんな年齢の方がいらっしゃると思いますが、ここは”young at heart” 気分を若く行こうと思います。できるだけリラックスして楽しく過していただいて、終わったら「あ~、ここにきてよかったぁ」って思っていただきたいと思っております。

もうひとつここの3人の特徴は、私はなんだか国家公務員なんかになっちゃいましたけど、後の二人は漫画家とセックスグッツショップのオーナー、まぁようするに、フリーターに毛が生えたような方々たち、国民健康保健で生きている方たち(笑)。そういう意味で組織の後ろ盾もなければ看板もなく、身ひとつで身体を張って生きている方たちです。それともうひとつは、もともと石坂啓さんというのはどちらかというと割とエッチな漫画を描いておられた方です。北原みのりさんは知る人ぞ知る女性でセックスグッズマーケットを開拓したショップのオーナーであり、経営者であり、自らもいろんなアイデアを、持ってらっしゃる方です。私は、何を隠そう下ネタ学者と(笑)、別名4文字学者、おまんこ学者などと呼ばれて、ヒンシュクを買っている3人でございます。この3人の共通点は「ヒンシュク」という言葉でございまして(笑)、たぶん皆さんも各地でヒンシュクを買ってらっしゃると思いますが?というわけで、楽しく行きたいと思います。

そうですね年齢でいいますと、私が54歳です。ぶっちゃけて言いましょう、更年期も過ぎました「あがった女(・は強調する話し方、以下同じ)」です。石坂啓さんが46歳、なぜだかこの人だけ「夫・子持ち」です。北原さんが31歳、最年少。一応私どもは、フェミニズムの話をするにあたって、50代40代30代とそろえました。どうしてこの年代から上がないかと申しますと、申し訳ありませんがフェミニズムという言葉が日本で流通し始めまし々はご遠慮いただいたのです。

そうは申しましてもフェミニズムという言葉の歴史は大変古うございまして、一番最初に使われましたのは戦闘の中ですから大正時代にもう使われています。日本語に訳さなかった私どもに責任があるのでございますが、中国語ではちゃんと女性主義と訳されております。フェミニズムと申しますのは女性主義とか女性解放思想とか約されたのですが、フェミニズムという舌をかみそうな言葉ですので日本語にしたいのですが、日本語にしましょう。ここでは「フェミ」ということにします。これ以降「フェミ」といったらフェミニズムのことだとお考えください。

それから、表番組というか青森文化会館というお名前からして格調高いところで行なわれているのは、人数も5人もいらっしゃるんですね。ここは3人で、多勢に無勢、50代40代30代一通りそろえましたが、あと一人ここにご登場願いたい人を用意しました。それは誰かと申しますと…。フェミニズムの前には日本ではウーマンリブというものがございました。私はリブよりちょっと遅れてきた世代です。日本のフェミニズムを語るときウーマンリブを避けて通ることはできません。リブというと皆さんはどんな感想をお持ちでしょうか。リブ世代の方がここに一人いらっしゃると話はもっとおもしろくなるのでしょうが、なぜだか今日はお呼びいただいておりません。で、架空のキャラを用意いたしました。(かぶりものをつけながら)ミスウーマンリブ、ミズリブ(写真参照)に私がなる時にこれをかぶります(笑)。合計4人で進めたいと思います。ところで、このかぶりものは北原さん手づくり?これなんですか?


北原みのり:まんこドールです(爆笑)。

上野:昨日のワークショップで使われた?

北原:それをかぶるとまんこの気持ちになる。

上野:はぁ、はぁ。まんこドールというものでございまして、ここが(かぶりものの毛をつまみながら)何かと申しますと、まんげ毛、茶パツのまん毛です。茶パツの人とお風呂に入るとおもしろいですね。髪の毛茶パツでもまん毛は黒い。(笑)それはそれとして、これはふさふさとしたまん毛でございまして、猛々しい。ミズリブだったら「フェミってなあに?」って言うだろうかって考えたんです。


ミズリブ(上野・以下同じ):フェミ?フェミってなぁに?私はリブよ。リブはリブよ。フェミなんてさぁ、あたしたちがさんざんぱらいろんなこと言った後で、75年の国連女性差別撤廃条約 とかってのがでてきて、フェミが国策になってからでてきた学者とか主婦の人たちのことでしょ。

上野:っておっしゃるかも知れません。ミズリブは特定のモデルはございませんので、架空の人物でございます。というわけで始めたいと思います(拍手)。さっき紹介してくださいましたけど、ちょっとお二人に何をしているのかを簡単に自己紹介してください。


石坂:こんにちは。漫画家です。石坂啓というのはペンネームでして、本名は啓子というんですけど、マンガを描き始めた時にあんまり男とか女とか先入観をもたれたくなかったので、ペンネームをこうしました。だから、よく男性と間違われます。デビューしたころ雑誌に写真を出しましたら、他の漫画家の先生たちに「あ、やっぱり男だったんですか」って言われまして(笑)ちょっとムッとしたことがあります。今日は青森で上品に行こうと思ったんですが、なんだかお二人にはさまれてると、おとなしくはできないかなと…。それでなくても私すごく体がでかくて、声もでかくてどうも態度もでかく見えるらしいんです。自分では謙虚にしてるつもりなんですが…。漫画家同志の飲み会があって、隣にいた女の子が他の人とケンカをしてテーブルをひっくり返しちゃって大惨事を起こしたことがあったんです。ところが翌日他の編集者にあったら「石坂さん、暴れたんですって?」って言われちゃって…。私はテーブルとか片付けてたほうなのに…!いろいろと損することが多いです。でも、このお二人の間ではちょっと控えめに見えるかもしれません(個人的に笑)。青森の方に媚びて帰ろうと思っています。よろしくお付き合いください。

上野:北原さんのお仕事を説明するのはちょっと難しいんですね。どうです?ご自分で。

北原:はい、私は今「ラブピースクラブ」という女性向のセックスグッズショップを経営しています。一応厚生年金で暮らしているんですけれど(笑)。平たくいうと大人のおもちゃ屋をやっています、96年から。こういうことをやろうと思ったのは、インターネットのホームページの制作会社をお友達と経営していたんですが、そのころインターネットというのはポルノグラフィばっかりだったんですが、アメリカのを見てみたら、女性向のポルノグラフィのサイトはとてもきれいでかっこよかったんです。それと、女性が作ったセック
スグッズ、今までのバイブのイメージを変えるようなものが売られていて、日本のバイブって…。(間)こんな話最初からしちゃっていいんですか?

上野:北原さん、ちょっとあんまり横文字とかカタカナ言葉使わないほうがいいんです。バイブってなんですかぁ?(わざとらしく)

北原:バイブはですね、日本語でなんていうんでしょう?マッサージャーのような…。肩こり機のまんこにあてるもの。

上野:バイブレーターの略。昔の大和言葉で「張り型」と申しました(笑)。

北原:張り型は動かないんですけど、張り型の進化形がバイブです。

上野:ハイテク商品ですね。こちらの方はバイブレーターを販売してます。今日は商品見本はお持ちじゃないの?

北原:楽屋にはありますけど。

上野:あぁ、そうですか。実物見せてもらったらよかったんですけど。ところで、もうかってまっか?

北原:一応会社にしておりますので、利益を出そうと努力はしています。女性向のということで男性向けマーケットをつくっているのではないので、初めて女性がバイブを買うモチベーションを創っていくところからやってきたと思っています。今は一日に20万件くらいヒットするまでのホームページになりまして、お店に実際来る方は少ないですが、地方の方や海外の方も反応して下さっています。勉強会などもしていて、セックスについて自分の言葉で語るというようなワークショップもやっています。

上野:ありがとうございました。今日は放送禁止用語が何回もでるかもしれません。でも、どうぞ私たちを責めないでください。この3人をここに組み合わせたのは実行委員会の方々です(爆笑)。何か問題がありましたら、実行委員長の方におっしゃってください(爆笑)。ここは普通のシンポジウムみたいに「フェミニズムを次の世代に手渡すためにどうしたらよいかを、それぞれ15分ずつお話ください」なんて、ダッセーことはやりません(笑)。私、合計10問の質問を用意いたしました。それをパキパキと行きますので、一問1分から2分くらいで流していこうと思っています。

今、フェミというのは全国的にバッシングを受けている、というのは皆さん肌で感じておられるかも知れません。このパネルの一番最初にいただいたタイトルは「なぜ、フェミは嫌われる 」というものでした。ま、嫌われるというよりも、余計なお世話かというような、前向きなタイトルにしようということにしたのです。まずフェミニズムと聞いたら何を連想しますか?というところから入ろうかなと思います。(会場に向かって)どうぞこのお二人と一緒にご自分ならどうだろうと想像しながらお答えを聞いていてください。では、ミズリブさん?

ミズリブ:フェミ?フェミニズムってリブじゃないわよ。フェミってこんなんでしょう?お尻さわられたらさぁ、「(ばしっと)なにすんのよっ!」って手が出るのがリブで、「(なよなよと)あらぁ、これってセクハラじゃないかしら」っていうんでしょ?

上野:実際ほんとにこう言った方いらっしゃいます。田中美津 さんです。性格の悪い人です(個人的に笑)。じゃ、フェミって聞いてなにを連想する?

石坂:フェミって、実はフェミで区切ったのは今日ここで初めて聞きました。フェミニズムと聞くと私は上野さんの顔を思い浮かべます(笑)。フェミって聞くとシャンプーを連想しますね。あの、刷り込まれていたと思いますが、振り向いた時のかわいらしい女の子のイメージで流れていたCMで聞いた単語だなぁって。

北原:私は、ちょっとしたやくざなイメージで、上野さんの顔がかぶりますね。上野さんの言葉でフェミニズムがいろんなところへなぐりこみをかけてきたんだってのが、すごく印象に残っていて。

上野:こんな答えが出るとは予測してませんでした。「(自己紹介のように)歩くフェミニズム」です(笑)。私の周囲には上野がフェミニズムを唱えたばっかりに、フェミの評判を落としたとおっしゃる方がいるので、まぁ、そうかも知れません。罪なことをしたと思います。ところで、じゃ、あなたはどうなの?って聞かれたときに、あなたは自称フェミニスト?あなたはどうなのって人から聞かれたときに、どう答えますか?ミズリブに登場いただきます。

ミズリブ:(はすっぱな話し方)アタシぃ?アタシはリブよ 、リブはリブよ。リブってのはね、生まれた時からリブなの!リブって生き方の問題なの。だから、フェミニストのように、「…になった」り「…でなくなった」りなんてことはないのよ。

上野:って言いそうですね。あなたは自称フェミニスト?もうひとつ続きを言いましょう。リブの時代にこういうことがありました。これ(まんこドール)ってたまたまピンクですが、多くの方がリブと聞いて連想するのはたぶん田中美津さんの顔よりもピンクヘルメット でしょうね。ピンクヘルメットの時にいろんな方がこういうことをおっしゃいました。「私はリブではありません。But…」ですね。「私はリブではありません。が、でも、女性の地位向上はしたほうがいいと思います。」というように煙幕を張ってものをおっしゃった。同じように、段々フェミも評判が悪くなりまして、「私はフェミじゃありません、でも男女共同参画は進めた方がいいですね」っておっしゃるわけです。どうもリブも評判悪いし、フェミも評判悪いですが、あなたはフェミニスト?って聞かれたら、石坂さんならどう答えるの?

石坂:私は軟弱ですけれども、自称フェミニストと言いたいです。内容が伴っているわけではないのですが。私は男向けの漫画雑誌で仕事をしてます。どうして男性誌で描いていたかというと、20年位前にデビューしましたが、そのころの男向けのマンガに描かれている女の子のキャラにすごく不満があったんです。自分も若かったですから、「ちょっと待てぃ!」って言いたくなるくらい。そういうことを自覚せざるを得なかった。マンガってのは人気がなくなると即仕事がなくなりますから、いくらか媚びながら描きますが、それにしても男の子に人気のあるのはどういうキャラかというと、かわいい女ですね。それから身体がいい。おっぱい絶対でかいんです。それから賢いんだけど、あんまり賢すぎちゃいけないんです。あんまり賢い女の子は男の読者に反発を買う。それから、男の子とHをするとですね、Hの内容はともかく「いやぁん」とか言ってても必ずHが終わると「よかった」っていうせりふを言ってる。それにちょっと待ったって気持ちでこういう雑誌の中にもぐりこんできていました。女のほうからのものの言い方というのを意識していましたから、そういう意味ではフェミニストと言えるかなと思います。

上野:石坂さんみたいな人に、男向けの漫画媒体がよく漫画描かせてくれましたね。どうやってもぐりこんだの。

石坂:編集者と酒を飲んでですね、仕事をもらったり…。(笑)嘘!嘘!。私は手塚治虫さんが好きで、最初から少女漫画を描いていませんでしたので、男性誌であえて描きたいと思ってもぐりこむようにしていました。

上野:媒体にもぐりこんだけど、でも残念ながら爆発的には売れてないんですよね。あの「めぞん一刻」 の方のようには(個人的に笑)。じゃ、北原さん、いかがでしょう、30代。

北原:30代代表じゃないんですけど。自称フェミニストって言われたらというか、「フェミニストじゃないよね?」って言われたら「フェミニストです」って言うようにはしているし、やっぱりフェミフェミ怒ったり泣いたりしてるのでやっぱりフェミニストなんだなって思うんですよ。フェミニストって現代の最先端を行っていてかっこいいというイメージを持ってる方がいらっしゃるとしたら、私はアカデミックな現場にいないし、むしろ気分的にはリブのほうなのかなとも思います。

上野:なるほどね、フェミじゃなくてリブという選択肢もあるかもしれません。でも「フェミニストじゃないでしょう?」ってどうして言われるんです?

北原:それは「(さぐる感じ)フェミニストじゃないよね?」って、カムアウトする前に。カムアウトするしないってのがあって。

上野:あぁ、向こうが警戒してるって感じ?私もね、学生さんが寄ってきて「先生、先生フェミニストとちゃうやろ(大阪弁)?」って言われるんです。「えぇ~!?」とか言うと「他のフェミニストの先生と違いすぎるもん」って(笑)。自称フェミと名乗った時の回りの反
応ってどうです?名乗ったとたんむこうの腰が引けるとか。

石坂:引きますね。「あぁ、はいはい」って感じで言われますね。それはどうしてかな?あまり検証したことがないんです。今日のタイトルにもありますが、いくらかそういう輪郭をもたれているんでしょう、恐そうなとか、うるさそうなとか、これは相手にすると面倒だなというのがあるかもしれない。

上野:それは営業上マイナスですか?

石坂:マイナスではないです。マンガの場合はマンガで見てもらう。だからそのマンガの中に描かれていることで相手に引かれるとこれは完全にマイナスですが、読んでもらえるかどうか、その前に漫画家はどうか。漫画家って性格の悪い奴が多いんです。あんまりいい奴いないんです。雑誌の方も、編集の方も最初から用心してかかっている。変な奴と付き合わなくてはいけないという用意がありますから、その意味では営業として人格的な要素はあまり関係がない。

上野:フェミニストにもあんまり性格のいい人がいないように思うんですが。北原さん営業上どうですか?

北原:「今フェミニストです!」って営業してるので、フェミニストは商品だと思っています。

上野:フェミで商売してる?すばらしい、とうとうこういう世代が現れた、フェミマーケット。

北原:そうです、セックス産業に入っていくときに、フェミ産業から入っていったほうが入りやすいんじゃないかと思ったのであえてフェミニストですって。

上野:私は80年代のフェミニズムの商業主義化のA級戦犯といわれてるんです(笑)。でもね、商業主義化ってどうせなら村上春樹ぐらい売れてから売れたっていってくれよって、100万も売れたことないんで。ですから、フェミ業界といっても細々としたもんです。ところでお二人に聞きたいんですが、どうも若い人にフェミって評判よくなさそうなんですが、おふたりはそんな中でどうしてフェミニストと自称するようになったんですか?「人は如何にしてフェミニストになるか!」?

石坂:持ち上げるわけではないんですが、私は上の世代でかっこいい人たちを見てそちら方面について行きたいと思うことがたくさんありました。千鶴子さんにお会いしたのもそうです。私はマンガ雑誌の中では全然売れない、マイナーだけれども、例えば戦争の話を描こう、女性のことを描こうとか思ったときに、先人の描かれた物をみたりして、やはり時代を引っ張って行く人ってかっこいい。大方の人は、時代が進化していくときに乗っかっていく。そうやってどこか進化します、それぞれが。だいたい時代の流れってそうやってすすむ。時代の流れの足を引っ張っている人ってあんまり好きじゃない。時代を持ち上げ引っ張って一番を走っている人はかっこいい。そのかわり、一番を走っている人は時代にあんまりはやすぎて、あんまりいい目にあってなかったりする。討ち死にしてたりするんです。辻本清美 とか(会場は笑)、上野さんも売れてないだろうなとか。そういう人たちの後について行きたいなと言うのがあるので、一番を走る根性がないのですが、気持ちは引き継ぎたいというところです。

上野:相当気配りしてない?(笑)。北原さんの世代でフェミニストって珍しいと思うんですけど、どうしてそうなったんですか。

北原:大きな理由とかないんですけど、子どもから大人になる時に自分の身体とセックスに対してどうしても言葉で表現できないことがあって、自分は意識してないけど、痴漢にあったり、いきなり性的な対象にされたりとか。そういうときに自分の中にもやもやしたものがたまってしまって、それをどう発言するかを考えてきた。高校生の時にジェンダーという言葉に出会って、「あ、これだ」って発見があった。私はリブの世代の空気も知らないし、初めからアカデミズムでの勉強フェミでジェンダーという言葉がぴったりきた、ここだって入っていったような気がします。

上野:お勉強フェミが役に立ったという証拠を初めて見ました。

ミズリブ:あたしは、リブよ。リブって生き方だから、「に、なった」り「に、ならなくなったり」するもんじゃないの。

上野:リブの方はそうおっしゃいますが、私、今「フェミになる」って聞きましたが、ちょっと誤解される言い方をしたかなと反省してます。「人は如何にフェミニストになる」はね、人は自分の中に抱えているもやもやがいろいろあった時、それに言葉を与えてくれるものが登場した時に「あぁ、私が前から感じていた、考えていたことはこれだったんだ」って出会いが出てくるだけなんだと。だから最初から感覚とか生き方とかが内側にある人がほとんどだと思います。私フェミニズムは70年代から日本で流通した言葉だと申しあげましたが、この会場にいる人たち、70代でも80代でも90代でも「私はずっとそう考えてたのよ、それをフェミニズムって最近の言葉で言うの」ってそれだけのことなんだと思います。でもって、そうすると私はあなた方の世代を見ると思うのですが、私たちはフェミニズムに言葉を与えるということをやってきました。女性学ってのをやってきたのですけど、そういうのをちょっとかっこよく言うと「私の前に道はなく、私の後に道はできる」って言うんですけど、という女性学のパイオニアの世代です。パイオニアの世代というのは苦労もしましたが、好き放題でもあったんですね、何をやっても誰からも何も言われない。30代40代の方たちは目の前に誰かがいて、歩くフェミとかお勉強フェミとかがあって、なんかお勉強フェミとか、人の言葉を学んで、「(気づくみたいに)あ、ジェンダーなの。あ、フェミなの。」って何かを自分の中に身につけていくときの、プラスもあるけどマイナスもあると思うんです。「やだなぁ、こういうことをこういう風に言われたくないなぁ」って。上の世代からこういう事を押し付けられたくないってのもあるんです。私は石坂さんの先ほどの気配り発言を聞いて、「あ~、この人も大人になったなぁ」って思いましたけど(笑。)ちょっと率直なところ上の世代のフェミを見ていてどう思う?

石坂:気配り抜きで言いますと、好き放題やってくれたおかげで、その反動が私たちの世代にあったかもしれない。上の人たちが痛い目にあっているのを見て、じゃもう少し上手に立ち回ろうとか、その反動でまた保守にいっている女性も多い世代だと思います。

上野:反動って具体的にどういう形を取るの?

石坂:例えば林真理子さんとか(個人的に笑)。これ、オンエアーされてませんか?(笑)。どうやって言ったらいいでしょうか、男性にかわいく見えたい、男性にあまり逆らわない、男性に媚びる、ひどいいい方してますね。林さんということでは…一般論的、一般論で言ってるわけではないんですけど。そういう揺り返しはあったろうなと思います。痛い目にあった人たちと同じ轍を踏まないというところでちょっと引っ込んじゃったかも知れない。

上野:なるほどね、でそのうまく立ち回っていらっしゃる方たちは、ちゃんとそれに成功していらっしゃる?オヤジ社会からうまい汁を吸っていらっしゃる?

石坂:ちょっと自分で描いた漫画の話をします。私、女の子が男社会でいい目をみて自分がおいしい思いをして、それで好き放題やって何が悪いというようなストーリーを書いたことがあります。自分としては上手に男を手玉にとって自分だけが楽をして儲けるというやり方をしてる。しかし気づいてみると一番儲けていたのは男の側ではないか、というところに最終的に持っていく話を描いたことがあった。私の考えでは傍目にとても楽そうでいいとこ取りに見えますが、対等にちゃんとした市民権を得ているわけではないと、得はしていないと思います。

上野:得はしてないと思うのはあなたが第三者で、ご本人はどう思ってらっしゃるかわかんないじゃない?ご本人はいつか石坂さんがおっしゃったようなことに気がつくことがあるの?

石坂:マンガを描いていた後、私自身に子どもが生まれたりして、子ども中心で生活せざるを得ない時があって、やっぱり楽な生活ってずっとは続かない。具体的にはやっぱりどこかでぶち当たるなぁという気がするんです。現実的に自分が困難になると感じる時はあると思います。だから、私は人生は公平にできてると考えたいです。だって悔しいですよ、だってそんな楽していいとこ取りの人生を送る人たちがいっぱいいるとすると「ちょっと待った」ってまた言いたくなりますから、それが本音ですね。

上野:本音が出ましたね、これをなんというか。今に見ていろ路線(笑)。でも、最後に今に見ていろが来なかったりしてね。今の若い子たちの、ロールモデルが栗原ひろみ さん。女の人はずいぶん変わりました。女はずいぶん変わったけど男社会が変わらないもんだから、それだったらできるだけ労を少なく、コストパフォーマンスのいい生き方をしようというように若い女の人たちが思っても不思議はないと思います。うまくいけば、家庭と夫を大事にして世間的にもサクセスできるという栗原ひろみというロールモデルがもうひとつ林真理子さんの向こう側にいらっしゃる。この方もそのうち今に見ていろになるのかしら?じゃ、北原さん、どう?

北原:上の世代って、上野先生の世代のことじゃないですよね?(笑)30代後半とか40代のフェミニズムの人たちって頭に浮かばなくて、やっぱり上野さんの世代になってしまうかな。出会えた形というかフェミニズム業界の中を見ていくと、やっぱり50代の方が多くて、食いもん違うと思うくらい元気な方が多い。(笑)で、なんだろう私に「若いからがんばりなさいっ」とか「あんたすごいわね、セックスグッズ?」とか、「自分はセクシャリティなんかもうどうでもいいんだけど、あんた頑張ってね」って。私はもっと上の世代の方に頑張ってもらいたくて、それでいいとこ取りしたいって思っているので、もっといろんなこと頑張ってやってくださいって気がするので「(ぶりっこ口調で)応援してま~す」って(個人的に大爆笑)。

上野:今日は相当気配り発言が多そうな気がします。でも、お勉強フェミしてた時はどうでした?お勉強の中にもちろん共感もあったでしょうか、違和感もあったと思うのですが。両方あって当然と思いますが。

北原:私たちの時は女性学が大学で学べる時代ではなかったので、ほんと趣味のフェミニズムですよね。今ほんとうらやましい、20代の人たちが「私セクシャリティ勉強してます」って方、いっぱいいるじゃないですか。でも、話を聞いてると、アカデミズムの中で自分の言葉で喋らないから、勉強してても自分の生活がどうなってるかというと、大学の先生にお茶を出したりとかかわいらしい女を演じたりとか。そんな中で引き裂かれる思いがあるというのを聞きます。私自身はそういったところで戦ってなかったので、とても強い違和感をもって生きてきたわけじゃない。

上野:なるほどね、今の北原さんの発言の中で「フェミは趣味ですから」ってこれは言いえて妙ですね。私たちの世代は実はそうでした。フェミは趣味。この趣味で飯が食えるなんて夢にも思っていなかった。ところがやっぱり私若い人見てて思うんです。フェミが趣味でなくなった人たちが、業界ができたために、出てきたのね。その女性の方たちが超高学歴化してる。大学院というところに入院しておられる(笑)。大学院にすすむことを私たち入院というのですが、入院期間が長期化すると社会復帰が困難になる(爆笑)。困難になるとリハビリが必要になる。こういう方たちを大量に生産するのが女性学が大学で市民権を得た効果なのかなと思うと「う~ん」とか思っちゃったりする。というわけで、私若い世代の女を見てるとむかむかすること結構あるんです。で、どうですかね、石坂さん。30代女見ていて、さっき上の世代のことを話してもらいましたが、今度は下の世代を見て、この人たちいったいどうなってんのって思ったときないですか?

石坂:今30代40代の方との付き合いがすっぽ向けてるところがあるので…。上の世代に対してあんまり腹が立つことはありませんし、また、逆にあんまり若い世代向けにマンガを描くこともないから、それもないですね。もうひとつ下の若い世代と付き合っているんですが、うちの子どもは小学6年生。私の住んでいるところは東京といっても下町の雰囲気のあるところで、いつも子どもが出入りしてるんです。朝うちの子を迎えにきて一緒に納豆ご飯を食べて学校いくとか、近所にたまたま仕事をしている親が多いので、うちで夕飯食べていったり風呂入っていったり、男の子も女の子も間近に見ていたので、そこらへんの女の子はおもしろいなと思って、厭きずに見ています。大体子どもはそうですが、女の子の方がはるかに大人で、女の子は騙せないなと思います。男の子は騙せますね。男ってやっぱり、おろかかも知れない(笑)。そこらへんの10歳~12歳の女の子は、あれもやりたいこれもやりたいなんて言ってるところは悪くない。間の世代をこえてその子達と付き合えるかなって思います。女の子とこの間話してたのは、「下ネタって、今までできの悪いギャグのことだと思ってました」って(笑)。全然違うって、いろいろ教えてあげることたくさんあるって(笑)。

上野:お母さんの世代よりは一つ下の今の中学生くらいの方に希望を持っておられるのね.でも、どうでしょうね、小学生くらいまでは男の子と女の子が取っ組み合いのけんかをしても、女の子が勝っちゃったりするんですが、今の50代60代のかただって小学生のころは元気いっぱいだったかも知れないじゃないですか。そのまますんなりその元気のまんま育ちますかね?

石坂:私はいくつか芽を残したいと思っています。逆によいしょと持ち上げて、育てたいなと思っています。現実どうでしょうね、来年くらいは一緒に遊んでくれなくなるでしょうか、男の子と女の子まったく分かれちゃうかも知れないし。今のところ、可能性としてやっぱり才能の塊を見ているわけですから、ちょっと育てたい気にはなりますよね。

上野:11歳って微妙な年ですね。私の敬愛する友人、小倉千加子 さんという方が「セクシュアリティの心理学 」と言う本で「思春期とは」というほんとに卓抜な目からうろこの定義をしておられるんです。「思春期とは女の子が自分の肉体が男の欲望の対象になり、男の目線で値踏みをされると言うことを自覚するようになる年齢のこと、生理年齢に関係ない」ですから、3歳で自覚したら3歳でその子の思春期は始まるの。15歳で遅れた思春期を迎える子もいる。11歳ってきわどい、微妙なころね。この子たちがこのあと、オヤジ社会から甘い汁を吸って寄生して生きようと思うか、それとも思わないか、どうなんでしょうねぇ。

石坂:もう思ってると思いますよ。「年取る前に早くお金持ちの彼つくりたぁぃ」なんて言ってますから、もう侵されているところあるかも知れない。

上野:現実わかってないのは、もうお金持ちの彼はどこにもいないってこと(笑)。

北原:上野さんがおっしゃる若い世代ってどんなあたりかわかんないんですけど。

上野:30代なんです。

北原:…(笑)

上野:その方々って、「Hanako 」って雑誌が出たときに20代を過して、新人類って言われてバブル の時代にぬくぬくと就職して、そんでもってなんだか知らないけど、表参道にルイ・ヴィトンができると500m行列 作っちゃうって人(笑)。

北原:でも、あの列つくってたのはヤンキーとオヤジばっかりでしたよ。(笑)でも、私その世代からずれてて…。怒りの対象からは外れてるんですけど、私にとって若い世代って言うのは10代20代後半なんです。先日新潟で講演した時に、マイク使わなかったので「このくらいの声で大丈夫ですか」って会場に聞いたら、後ろのほうから「ハイハイハイッ」って19ぐらいの女の子が手を挙げて「フェミニズムってなんですか?私ね、学校の先生にここ行けって言われたから来たんだけどぉ。わかんないんだけどぉ。」って。その場を支配してる空気と言うのが行政の、講演の主催は行政ではないんですが、年代の高い人たちの会で、その中で彼女は自分の言葉で話していて、私は「まだ講演始まったばかりで話すわけには行かないんで、ともかく講演聞いてください」って進めたんです。1時間半講演をして最後に質問を受けたら、彼女が真っ先に手を上げて「よかったよ(どすのきいた感じ)、一緒だよ(ヤンキーラップ系の手振り)、かっこいいよ」(爆笑)。19歳で学校の先生と一緒にきてるのに「私も大人のおもちゃ屋やりたいって思ったんだけど、難しそうだね」。ほんとにそんな具合に、大人に囲まれたその場の空気とかに左右されず、19歳の自分の言葉で語れる彼女ってすごいフェミ魂だわって感動した。

上野:そういうところで19の女の子に「フェミニズムってなんですか」って聞かれたらさ、北原さんならなんて答えるの?

北原:答えられなかったんですよ。自分にとってのフェミニズムというのは女として生きにくさを感じる時に、見つけた言葉はすべてフェミニズムだったんだと感じたんですが、定義はできなかったので、「話を聞いて感じて」って言ったんです。

上野:かっこいいって言ってもらえたのね。今日10代来てる?(少数だが手が挙がる)あ、は、ありがとう!おばさんがたに混じって勇気あるわね(笑)。20代いる?(同じくらい手が挙がる)あ、ありがとう、でも少ないねぇ。こういうテーマでやってもやっぱり若い人来てもらえないのね。フェミニズムは、訳語がいくつかあるんです。女性主義・女権拡張論・女性解放思想ってのもある。訳語が違うと意味が違うので、私はフェミニズムがそれまで行なわれてきたいろんな女性の社会運動と一番違うのは、他人を救ってあげようとか自分よりも弱い人たちを助けようとかするのではなくて、私が救われる、私が自分で自分を解放したいということだと思うのよ。それで、私にとって何が解放かということは、誰にも教えてもらえないじゃない?私にしかわかんないじゃない。私が何が気持ちがいいか、私が何者であるかと言うことは私以外の誰にも決められたくないよって言う考えかたってどうだろう。具体的に言うと、私「あがった女」です。あがった女と言うと普通ね、女の定年と言われるんです。ちょっと定年早く迎える人もいるんですね、子宮筋腫とかのいろんな手術とかでね。「おまえはもう女じゃなくなった」なんて亭主に言われたりなんかするんですけど、私はいつもこう思うんです。「おっぱいがあろうがなかろうが、子宮があろうがなかろうがブスだろうがなんだろうが、あたしは女です。女がどういう生き物かは、(ドスをきかせて)あんたに決められたくはねえよ」(拍手)。でね、子宮がなくなっちゃったあがった女は「おばん」です。「おばん」が生き延びていることは文明の悪だとおっしゃっていたのが石原新太郎都知事 。私はこの人に都民税収めて悔しくてなりません(爆笑)。

で、「10代はいい」って話なんですが、おもしろい調査がありまして、NHKが日本人のSEX調査を3000ぐらいのデータを取ってやってます。そこでデータを克明に読み、解釈しながら宮代真司さんという社会学界の札付き男と(個人的に笑)フェミ業界の札付き女の私が対談したんです。本になっています。NHKブックスの「日本人の性行動性意識調査 」と言う地味な本なんですがこれを読むとおもしろいことが判ったんです。30代女というのが日本では歴史の分岐点にいるというのがわかった。何かと言うと、30代女は、頭の中は旧世代のモラルで縛られながら行動は変わってしまっていて、頭と身体が引き裂かれているので股裂き状態にいるかわいそうな人たち(笑)。20代から10代はもう頭の中もやってることも変わってしまっている人たち、この人たちは結構のびのび生き生き。もはや処女なんて関係ない、男の子と付き合うならSEXがあって当然、童貞処女の結婚なんかありえないと思っている人たちで、思っていることを実行している人たちなんです。ところが今の10代20代のおっかさんの世代は40代ですから、40代は頭の中は昔のまんまで、身体もそれに縛られていて、不倫したいと思っているんだけど、思っていながら一歩踏み出せずにがんじがらめになっている人たちだということがデータでわかるんです。私は違うっていう人がいるかも知れませんが、それは統計上の例外です(笑)。統計の全体をみるとそういうことがわかってきて、どうやら30代の女は股裂き状態を生きている。10代20代は別なほうに行きつつあるが、そのかわり母親世代とのものすごく大きなジェネレーションギャップがあってここでは異文化衝突が起こる。40代の母親にとって10代の娘はわからない。もちろん石坂啓さんのような方は例外ですよ。と、いうことが判っているんですけど、30代とか見ててどう思います?

北原:あたしはSEX産業にいるので、30代後半の方を見てると「ジョアンナの愛し方 」を大学生の時に読んで、今「SATISFACTION 」を今読んでる世代だと思うんですよ。

上野:解説して。

北原:「ジョアンナの愛しかた」は‘91年に出た本で、男性を如何に悦ばせるかを描いた本です。ほんとに睾丸の舐め方からペニスの舐め方までほんとに細かく指導して…

上野:ハウツー本ですね。

北原:そうです、それはとってもその時代売れた本で、「SATISFACTION」が35万部出ていて出版界をにぎわしているんですが、これは正しい愛のためのハウツー本、今度は男性に如何にクリトリスをうまく舐めさせるかを。ま、調教の本ですけど。というのもかなり売れてるわけですよ。そうすると頭の中で私たちはSEX楽しめる、女も欲望を言っていかなくちゃ、コミュニケーションしなくちゃ、男とつながってなくちゃ、いいSEXしてなくちゃ、と言いながら実際は違うからそういう本を買う。自分のいい女をそういうことでSTEUPという意識に燃えられないような、うざったい世代という風に思ってるんです。

上野:でも、すごいですね。こういう会場でついにマイクを手に持って「クリトリスを舐めさせる」と(爆笑)。青森はすごいところです。こういう発言をするとこの会場の中にもいろんな方がいらっしゃって。「(しみじみと)あぁ、そういうことを私は夫に一生涯に一度もしてもらったことがない」と思う方もいらっしゃるんじゃ…?(会場静まる)。あるいは、いまさら調教なんてとてもできないわと(笑)とかね。私もほんとに下ネタ専門でございますので、SEX調査いっぱいいっぱいやっているんですが、こういうことがわかっています。日本の70代以上の女の方にとってはSEXは「あのつらいおつとめ」で「一刻も早くやりすごしたい経験」(会場静まる)、だったと言うことがわかってます。50代60代の方にとっても実は性的な快楽とは何かを一度も味わったことがないもの。渡辺淳一 を読むと失神するらしいが、死ぬまでに一度は味わってみたい、でも今の夫にはとても望めない…(笑)というかたがいらっしゃると言うことが判っております。そういう方にはどういう風に申しあげたらいいんでしょうか?

北原:バイブを買ってください(爆笑)、サービスでローションつけて差し上げます。

上野:そうね、バイブって男みたいに気を使わなくていいものね。なるほど、実践的なアドバイス(笑)石坂さんどう?笑ってる場合じゃないわよ。

石坂:30代が引き裂かれているというのは、あそうか、私が今12歳と仲良くやれてるのは向こう側に行っちゃっているからかもしれないと。私は統計の中では出てないんだろうなと思いました。私が青年誌でマンガを描きはじめたころは、ようやく女の子が「こういうSEXはいやだ」とか「こういう男と寝たい」とかを言い出せるようになったころなんです。そのときにそうことを言える女たちがぽつぽつでてきたなって。今、女性の例で世代別の傾向が判りましたけれども、男の子に置き換えても判りやすいんです。今の若い男の子と言うのは最初から、ゴミを出したり、スパゲティを作ったりそれくらいやってないとモテナイと言うのをもう心得ている。

上野:今ドキッとしたでしょう息子さん持ってるお母さん方。それでも避妊してくれって言い出せなくて妊娠しちゃったって子結構いるみたいなんですけど。

石坂:自分としては仕事や付き合いであったりとても気にかけていて、いい方向に持っていきたいと思っているんですが、とりあえずできる範囲のところでは、やれることはやっていこうと思っています。本当は家で「Hしてもいいけど、避妊はするように」というのは言ってたと思います。今学校で性教育を一生懸命取り組んで下さっているみたいなんですが、すずめの受精はどういうのでしょうとか描いてあるんですね。教科書に。判りますか?すずめの受精、答えは体内受精なんですが。

上野:すずめもチンチンあるんですか?

石坂:知らないです。すずめの雄雌の絵が描いてあるんですが、わかんないんですよ、同じようにしか見えない(笑)、私が先生に教えて欲しいくらい。要するに私たちは言葉をもっていなかったというのがすごく実感なんです。自分たちの身体のことを話すときに恥ずかしげに「あそこ」としか言えなかったんですよ。何でそんなに卑下する必要があるんだということ。例えば自分が妊娠した時、ほんとに痛感したんですが、自分の身体のデリケートなところ、いろんなところを主治医と話をしたい、人に確認したい時に言葉を使えない。恥ずかしくて。何でいちいち「恥ずかしい」という字とかですね、「陰」というかげと言う重苦しい字が性器にはついているんですか。恥毛とか陰核とかですね。もっと等身大の手垢のついてない言葉が本当に欲しかった。普通「ひじのこの辺がさ」というのと同じように、それ以上でもそれ以下でもない言葉がない。例えばコンドームという言葉は私はエイズ問題があった時の、少ない功績のひとつだと思うんです。コンドームという言葉を恥ずかしくなく口に出すことができるようになった。上野さん、若いころはコンドームをなんて呼びましたか?

上野:突撃一番(爆笑)、それは軍隊用語です。

石坂:(笑いながら)私そんなの、高校生のころ、歴史の本でしか知りません。「あれ」とか「ゴム」とか「サック」とか、今思うとこっぱずかしいのは「むんどーこ」と言うのまであった(笑)。言うほうが余計恥ずかしいと思うじゃないですか。コンドームという言葉を獲得できなかった。妊娠した時に女性が自分の身体を語るとき、こんなに不自由なのかと。もちろん妊娠する以前に男性と付き合っているとき自分の身体を語る言葉がないなぁと言うのがあった。できるだけ私は自分の子どもたちには、自分の子どもは一人ですがいつも友達とかたむろしているので、子どもたちにはそんなに大人のフィルターのかかっていない普通に使ってかまわないと何でも喋るんです。そうするとむこうも喋ってきますから、ビックリします。「パパとママって交尾したんだよね」とか(笑)。「(平然と)しましたよ」なんて返事してね。「やりまくった?」なんて突っ込んでくる。そういうこともあんまり顔色変えないでいるんですが。

上野:りっぱなご家庭(笑)。

石坂:現実的には手の届くところからちょっとづつ改善したいなと思っている。

上野:話が下ネタよりになっていると思われるかも知れませんが、私はこれはとっても大事なことだと思うんです。ベッドの上で相手に自分の気持ちをきちんと伝えられるかどうかは、普段相手に自分の要求をちゃんと言えるかということときっちりつながっていると思ってるんです。相手に何もいえないで生きている人が、突然ベッドの上で大胆になるなんてことはない、実際はね。どうもそれは男の夢らしいんですが(個人的に笑)。自分が何を感じていて相手にどうして欲しいか、一番基本のコミュニケーションは身体のコミュニケーションですからそこを大事にしないと生活にももちろん影響があると思っています。避妊に関しては最近「避妊なしやりっぱなしのSEXは性暴力だ」という概念が出てきましたから、避妊がないと性暴力だと訴えてもいいかもしれません。北原さん、続き何かありますか?

北原:まず「避妊なき…」の話なんですが、避妊ってグラデーションがあるなと思ってます。「避妊って膣外射精 なんでしょ」って子が多い。具体的な言葉をつけてくれないと、中学生高校生に避妊しましたかって質問すると「男の子=40%:女の子=20%、が、してます」この開きっておかしいじゃないですか。そこにグラデーションがあるんですよ。質問自体が「コンドームつけましたか?」とか「膣外射精してますか?」とかそういう風にやると、全然違うものがでてくるなと思っているんです。

上野:なるほど、質問してる人が腰が引けてる。

北原:そうなんです。

上野:避妊なきSEXは性暴力ということでいうと、今10代の期待されない妊娠よりも実は30代40代の中絶のほうがもっと多いですから、避妊なきSEXという性暴力を夫にふるわれている女性が実際はこの中にずいぶんいらっしゃるんだろうなとデータを見ると思います。ここにいらっしゃる方はどうか知りませんが。夫に避妊してと言えないならましてやどこが気持ちがいいなんて言えないだろうな。やっぱりフェミになって欲しいですね。

北原:それとは別に、コミュニケーションとエロティックなファンタジーの関係というのをどういう風に解決していくのかと言うところも考えているんです。例えばさっきワークショップやってるなんて言いましたが、そういうところで若いフェミニストの子とAVを一緒に見ているわけです。すると、見てる子が「この女性は主体性がない」なんて言って怒るんですが、いざ自分のファンタジーとか自分のエロティックなことを語るとなると、相手の主体性なんかどうでもよくなったりする。「あたしこうして欲しいのとかきちんと言ってる?」とか聞くとフェミニストの女性であっても「そんなことSEXの最中に言うと、なんかエロっぽくなくなっててヤダ」なんて感じあるわけですよ(笑)。最低限の避妊とかルールがあった上での「私こうしたい」というのがさっきの正しい「SATISFACION」、相手にきちんと伝えてコミュニケーションするのが最上のSEXですってのが、そういう子たちには、ちょっと押し付けっぽく感じられて「コミュニケーションめんどくさいよね」ってのが若い世代にはあるのかなと感じてるんです。

上野:私気配りおんなですので慌てて付け加えますが、(会場に向かって)この中で、セカンドヴァージンになって長い方は?(会場シ~ン・個人的に爆笑)。わかんないかな…。「夫とずいぶん長い間…、このまえあったのはうん10年前かな」ってかたいらっしゃる?と思うんですが…。おもしろいのはSEX調査で、性生活が活発なことと今の人生に対する満足感との間には何の因果関係もないということがわかっております。ですから、やれば豊かだと言うことは全然ないので、やってないからと言って自分の人生を悲惨だと思う必要は全然ない。人生の豊かさはそういうものとは全然別のところにある。SEXは人生の様々なメニューの中のひとつに過ぎない、あったのないのと死ぬの生きるのって話じゃない。一線を越えたからと言って「一生私の面倒見て」とか、「おまえは俺のもんだ」とか言われる筋合いのものじゃないといことですよね。(パネラーの二人に向かって)そういうことって私たちすごく一致してるのよね。(笑)それで、本題に戻りますが、フェミはどうして嫌われると言うことなんですが。フェミバッシングということが各地で起こっています。この中に行政の担当者の方もいらっしゃると思いますが、わりと現場の方はピリピリしておられる。何でこんなに嫌われるんだと思います?

石坂:私昨日東京から青森に来たんですね、空港から市内までタクシーに乗ったんです。行き先のホテルの名前を言ったら、それまでいろいろ話していた運転手さんが急にキッとなって「あ、会議の方ですか?」(爆笑)「あ、ちょっとまぁ、仕事で…」なんて返事して。

上野:今の聞くとあれですね、1995年の北京女性会議 の時の運転手さんの反応を思い出しました。「あ、あの会議の人…」ていう。

石坂:こっちはおたおたする必要なかったんですが、運転手さんに詰問されましてね「あの会議は何をやっているんですか」とか「まぁ、いろいろねぇ…すごい良い内容のものもあったりね(爆笑で聞こえない)…もありますよ(爆笑)」とか。私はさっきも言いましたが男性向きにマンガを描いていますから、男性の読者に支持されないと仕事が成り立たないのでどの辺までだったら読んでもらえるか、その範囲内にどれくらい自分の言いたいことを混ぜ込めるか、最初から妥協策を考えながらやってきていますので、男性から歓迎されていないだろうと言うことは大前提で思っていました。なぜとかはゆっくり考えていたことはないですね。

上野:(会場に向かって)皆さん笑ってらしたけど、皆さん方も「あの会議の人」(爆笑)忘れないでくださいね。ステージの上の人だけじゃないですからね。北原さんどう思います?

北原:フェミニズムバッシングと言うのが起きてなかった時代があるのかどうか知らないんですが、最近の組織的なバッシングが増えていると言うようなことでいいんですよね?

上野:手口が巧妙になってきたということです。進化してます。例えば「男女共同参画を考える女たちの会」なんてのができまして、その会長さんが新聞のインタビューに答えて「やっぱり男らしさ、女らしさって大事にしなくてはいけませんね」と、こうおっしゃるんです(個人的に爆笑・会場は戸惑いのざわめき) 。

北原:(会場の反応に驚きの表情)

北原:フェミニズムの問題というよりは、私は組織だってやってる人たち、保守的な人たちが魅力的に映る時代になっているんだなという風に思っちゃうんです。フェミニズムバッシングというのも、フェミというよりは時代が少し変わってきていて、どう変わってきているかうまくいえませんけど、右翼的保守的な言葉、本質的な言葉が魅力的に映ってしまうような感覚を持つ若い人が増えている。

上野:どうしてそうなっていると思います?

北原:どうしてなんでしょう?私ほんとに知りたいんですけど。「わしズム 」の本なんか読んで研究したんですがわかんないですね。

上野:解説してください。

北原:「わしズム」というのは小林よしのり が編集長の雑誌、表紙に自分の写真がナルシスティックに映ってる雑誌なんですけど、西部 さんとかが書いてる。男らしさ女らしさという物語がないと人は生きていけないという、男女共同参画なんておかしな左翼の運動だとか。どうです、ミズリブさんは?

上野:「(そういう人たちに)男女共同参画社会基本法は日本の文化を破壊する」と言われております。(会場に向かって)皆さん方文化破壊者(笑)。

ミズリブ:何、バッシング?エライ目にあったわよ。フェミバッシングなんてない時代なんかないじゃない。私たち一番痛い思いをしてきたのよ。私あの時のメディアのオヤジども、許してないからね!(笑)。あの時にリブのイメージが矮小化されましたから、リブって言ったらピンクヘルメットって。メディアがどんなことやったか、ちゃんと見て欲しいよ。そういう扱いをされても、「あぁあんな女いるんだ」って、情報が全国の女に伝わるんだって、それを(共感を持って)ちゃんと受け取った女がいたんだ。

上野:ところでね、フェミバッシングがなぜ起きるかを考えているとき、反省するべきなのは誰でしょうかと言うのを考えてみたいと思います。フェミの連中の戦略がまずいからだよって、瀬地山君 なんかが言ってますけど(個人的に笑)。「反省するのはフェミの側だよ。もうちょっと上手にやんなきゃ。僕がやったらもうちょっと上手にやったのに」って言う人もいるんだけど。それとも「嫌われることやっているから当然だろうが、それは聞き手の問題だよ、男に嫌われたくないって男の鼻毛読んでるようじゃなめられちゃう、届かないのが当たり前だろうが」という説と2つあるんですが、どう思います?

北原:送り手の問題と受け手の問題ですよね、私は送り手に立っているのではないですけれども、受け手の問題だと(思います)。だって変わんないですよ。私はフェミニズムが受け入れられる社会ができたときにフェミの役割って終わるじゃないですか。それだから、受けが悪くて当然と思っているんです。

上野:これは覚悟がおありですね。嫌われて当然。ですから、(会場に向かって)皆さんよ~く聞いてってくださいね。嫌われないフェミニストって矛盾ですから(爆笑)。

石坂:もし女の意識というのと男の意識、社会の意識・社会の構造があるとしたら、今女の意識が一番先に行ってると思うんです。先駆者たちの儲けにあやかっている人たちも台頭してはいますが、若い人ほどあまり固くなく、女の人が一番「こういう生き方はいやだ」と「こういうものを獲得したい」と一番敏感に貪欲に手に入れかけているんだろうと思うんです。(女が)旧態然としていれば(自分自身の中に)あまり矛盾はできないですむ、女の欲望を自覚しないで、(女が)我慢している状態で男の人たちは社会をつくっていたんですが、その極めてはっきりとずれができている。男の人たちがそれに対して動揺したり、「強くなって生意気になってきた」って言ってうろたえるのも致し方ないかなと。でも歴史を考えれば女の人が強気になったんじゃなくて圧倒的に弱い時代の方が長かったわけで、まだ対等のところに行っていないにも関わらず、そういう風に意識の差がいろんな現象を出すんだろうと思います。社会全体の意識とか受け皿的な構造がもっと遅れているわけですから、致し方ないなと。現場は現実とちょっとづつ折り合いをつけていくかと言うことしかないと思います。

上野:私はこう思ったんです。フェミバッシングの質が段々変わってきた。進化してるとう言い方は変でしたが。やっぱ、ここんとこは保守が強くなったのではなくて危機感を覚えるだけの理由が登場してきたと。女が本気で力をつけてきたからだと思うんです。逆が、いままでは「おめこ 」ぼし…あぁ、やらしいなぁこの言葉(個人的に大爆笑・会場反応なし)(…間…)わかってる人は判ってると思いますが。お目こぼしがあっただけだから、そうじゃなくなってきた。例えばこれから先来年統一地方選があります。女性候補者が出たりすると議員定数決まっているじゃないですか、女性が当選すれば誰かに出て行ってもらわなければならないわけです。そうすると本気で危機感を感じているオヤジたちが組織的に反撃にでているんだろうなというのを、辻本バッシングと真紀子バッシング に感じました。(パラパラ拍手)石坂さん?

石坂:上野さんも私も清美ちゃんの友人ですが、北原さんもそうですね。辻本さんのやられ方を見ていると自民党のおじさんたちほんとに恐かったんだと、ほんとにこういう女のこのことを嫌っていたんだなと。普通は政治的に画策と言うのはもっと巧妙にですね裏で手を回してとかなのに、本気にやったら、あんな思いっきり表舞台で引き摺り下ろされると言うことが驚きでした。

上野:なりふりかまわぬって感じでしたね。ほんとに皆さんがたもこう思っていてください。かわいがられている間は無害な私(笑)。嫌がられ始めるとほんとに力がついてきた証拠。逆風は実力の証し(拍手)。私もうひとつ30代の人見て思ってるんですよ。私たちの世代って女がまとめて差別されました。女が4年制大学なんて、行ったら最後嫁にいけない、職にも就けない。学歴逆詐称なんてこともあって、高卒と偽って仕事についた人たちも多かった。それが男女雇用機会均等法 なんてのができて、「(オヤジ口調で)君、頑張る?男なみになりたいんだったら女捨てておいで、そしたら男と同じように扱ってあげるよ」という風になってきて一見見た目は女の選択肢が増えてきたように思いますが、かえって女のパワーが女同士の連帯に向かわないで女が他の女を出し抜くために向かっていくといういや~な感じがするの。この出し抜きのモデルが林真理子だと思っているわけです。だから、斉藤美奈子 さんみたいに「上野千鶴子と林真理子はネガとポジでおんなじよ 」って言って欲しくないんだよね(個人的に大爆笑)。

北原:そうですよね、あの新聞記事 ですよね。出し抜きたいと言う気持ちは私はとても身近に感じていて、バブルがはじけたといっても大学出て自然に一流企業に入って、ちょうど10年ですよね、10年たった時にぽつぽつと結婚して会社を辞めていく人たちを見ていると現実と突きつけられている感じをよく友達を見てると思いました。あと、30代ということで子育てがあるじゃないですか、そのときの選択肢が多くて30代生きてくの大変じゃないですか、先暗いって感じですよね、

上野:じゃ、30代相手にしないで、10代に希望を託すか?反論がでそうですが、ところで本日のメインテーマですが「次の世代にフェミニズムをどう手渡すか」そのやり方、稚拙だとかこれじゃ反発買うよとか言われていたんだけど、これについてはフェミのメッセージを受け取る当事者としてどうしたらいいだろうか。例えば同世代の女の人たちにフェミのメッセージを手渡すのはどうすればいいだろうかをお二人に考えてもらいたいのですが、その前に、ミズリブ。

ミズリブ:え~?次の世代?関係ないわよ、大きなお世話よ。私たちは自己解放のためだけに戦ってきたの。自分を救うのは自分だけよ。自分が救いたい人間がかってにやればいいじゃない。私たちは私たちのためにやってきたんだから、若い連中が戦いたくなかった
らそれは自業自得ってもんじゃない?彼らは彼らで自分でやればいいのよ。私たちの後姿だけみてればいいの。

上野:って、いうかも。(石坂笑っている)なんで笑うの?

石坂:あっけに取られてるんです、(笑いながら)人格変わるみたいなところありますよね千鶴ちゃん(爆笑)。若い世代の人にどう伝えるか、若い女性に特にフェミニズムをどう伝えるかと言うことを考えると、逆のことは日常茶飯事であるわけです。若い男たちに逆フェミを教えるようなことは慢性的にある。みんなそういう空気を吸っている。刷り込みと言ってもいい。私は男性誌で仕事してますからいつもワンパターンでこういう女が呼び込まれるんだろうってずっと不満に思っていたんです。必ずあるんです、アイドルの水着の写真。グラビアですね、中で表紙の水着姿で映っている必ずあるポーズ。女の子がきゅっとかがんで胸の谷間を強調するポーズ必ずあるんです。私も自分のマンガを描いてるときに編集の人によく注文されます。「ちょっと色っぽく、角度で女の子の胸を強調して」って言われたりしてます。何で男ってそれが好きなのかなってこんなワンパターンでこれくらいの程度で満足してるのか、単純だなって。ところがうちの息子が4歳の時です。うちの子もおっぱいとても好きなんです。だいたい小さな子はお母さんのおっぱい好きですよね。特に息子はブラジャーつきのおっぱいと言うのが好きだった(笑)。

上野:変態だよ(爆笑)。

石坂:私はめんどくさいのであんまりブラジャーしてないんですが、たまたま外出する時にブラジャーしてると向こうからタ~ッと走ってきてがばっと抱きついてくるんです。ある日がばっと抱きついて「ママ、こうやってやって」ってそのポーズをするんです(大爆笑)。私暇だったから「いいよっ」ってやってやったんですが、はふはふ言いながらうれしそうにしてるんです。それで「ママ、今日寝るときもブラジャーしてて」って言うんです「夜寝るときはめんどくさいからいやだ。窮屈だから、ブラジャー貸してあげるからブラジャー持って寝なよ。何色がいい?」「黒」(爆笑)。4歳ですよ、私その時愕然としたんですけど、私は女の子だからとか男の子だからなんて育ててるつもりはなかったんですが、決定的に彼は黒のブラジャーをした女の人がこういう角度でやってるのをどっかで見ちゃって反応しちゃったんでしょね。男はやっぱりおろかだなって思ったんですけど。それが悪いとは言いませんよ、性癖はいろいろあってかまいません。朗らかに見守ってあげたいと思います(笑)。その逆フェミ情報は当然のように、女の子は男の子にとってかわいくあるものであるというのが慢性的にある。さっき言ったように逆風に耐えている、かっこいい女性が増えなくてはだめだと思うんです。いろんなことをやって、必ずしもフェミ専門、入院中ではなくても趣味でやってる程度でもかまわない、いろんなグラデーションいっぱいあってかまわないんですが、非常に魅力的に愉快にかっこよく楽しく生きてる女性、大人の女も悪くないなと思わせることしかないと思うんです。

上野:今のってほんとにそうね。「フェミってやると、人生が生き辛くなるんでしょう?」とかいう人に会うんですよね。だから皆さん方一人一人にフェミってやるとこんなに明るく元気になるのよって顔して生きててもらわないと、ね。

北原:必要ない人にフェミは必要ないと思うんですが、ほんとそのとおりだと思うんですよ。今回のタイトルに若い世代にどうやって伝えるか、ほんとに大きなお世話だと思うんです。今ミズリブの話を聞いていて思ったんですが、覚悟を決めて私は私で生きるのよって私を決めるのは私だけよって気分のところで生きていける、それによって辻本さんのようなバッシングを受けないような社会をつくっていくためにやっていきたいんですけど、嫌われる覚悟で私は私よって生きていける女が増えることしかないと(パラパラ拍手)。

上野:あぁ、拍手ですね。あと、こういうことをやっていると(ミズリブのかぶりものをかぶりながら)私がリブをコケにしてからかいの対象としてると不愉快な思いをなさる方のいらっしゃるかもしれませんが、ミズリブは私の分身なんです。半分以上は私の本音です。立場上、これをかぶらないで言うとさしさわりがある(個人的に笑)。こういう集まりが段々高齢化していく、私たちの女性学の集まりなんかも、毎年毎年1年ずつ、平均年齢が上がるんです。これじゃイカン!って言う人がいると、「え?どこがいけないんですか?」とか思っちゃったりして。私、もっと若いときは(石坂、北原のパネラーを指して)これくらいのときはSEXの現役世代だからこういうこと喋ってきたんですが、今私の目の前に出てくるのは老後の問題なんです。私の関心というのは、現役の時は産むか産まないか、どんなSEXをするか、男とどんな関係を持つか、結婚するかしないか、どうやって別れるか、というところからずっと動いてきて、今はどうやって老いを迎えるかが、今私の一番切実な関心なんです。そしたらこういうような関心の移り変わりで仲間たちとやっていくことを同窓会といいます。フェミが同窓会でどこが悪いの?何でいちいち下の世代の面倒まで見てやらなきゃいけないの?だって自己解放って自分の問題じゃない?解放されたい人がただやればいいじゃない。何が解放か、私にとってこれが解放でもあんたにとってそれが解放かどうかはわかんないじゃないとこう思うから、やっぱりね私基本的には前向いてやんなきゃだめ、後姿見せてればそれでいいと思ってます。「ただいつも前を向いている上野です」なんちゃって(個人的に笑)。そろそろ時間なので、こんなことうちわで話しててどうする、すばらしい伝統芸能じゃあるまいし、でも今日は役者がそろいましたねぇ。やっぱここだけで話してちゃしょうがない、この会場から一歩外に出るとそこはオヤジ社会です。さあ、最後にお二人に話していただきたいのは、じゃオヤジをどうする?(…間…)どうする、どうする、譲り合ってる場合じゃない。

石坂:私は今ビックコミックオリジナルというところで描いてるんです。私が子どもの頃あの雑誌はおじさん雑誌で、ゴルフなんかやってるおじさんが読んでる雑誌だと思っていたんですけど、ハタと気づいたら自分の年齢がとっくに読者の年齢を越えちゃってたんですね。そこで描いてる私は、オヤジどうする?で、青年誌に描いていたころからオヤジ雑誌に移行していますので、そこで売り込んでちょっとでも読んでもらいたいなぁと思っています。自分の作しか余裕ありません。

上野:すばらしい。これが一番の実践ですね。しかも彼女には漫画という人に真似のできない技量を持っていらっしゃる。オヤジの現場でゲリラ戦を戦っていくという。じゃ石坂さんぜひ期待しましょう。北原さんどうぞ。

北原:オヤジを殺したいと思って生きてたことがあるので、(笑)ほんとにオヤジ=憎むべき対象というのが、血を通してオヤジ社会を憎んでたことがあるので如何に殺していくかです。私は(オヤジ社会が)女の勢力というのをおびえているというのをほんとに実感していて。ほんとに私が切れたりとか怒ったりとか「なんですか!」とちゃんと言うと、おびえるオヤジもいるんだと最近わかってきて、絶滅するまで教育しようとも思ってないんですが、いわれなきことをされた時なんかはちゃんと怒って怯えさせていきたいと思っています(笑)。

ミズリブ:オヤジ?ほっとけばいいのよ。絶滅の危機に瀕する種なんだから、いずれマンモスみたいに淘汰されんのよ。

上野:と、言いたいんだけど結構長生きなんだよね。間違いなく逝っていただけると思うんですが、できれば安楽死してくれたらいいのね、どうも無理心中とかの断末魔を演じたがるのではた迷惑なのよね。できるだけ平和共存しながら人の迷惑にならないでゆっくりと途切れていただきたいな、と。ハードランディングよりソフトランディングしていただきたい、小泉構造改革でも下手なしわ寄せは女どもに寄せないで自分の始末は自分でつけていただきたいと思うんです。どうでしょうか、男女共同参画なんだそうですけど、今会場に男性の方もお顔が見えます。一歩外に出たらそういう方とは違う方がいらっしゃると思います。その中で一人一人が現場でゲリラ戦をやってくるということをしましょうかね(拍手)。

もうちょっとだけ時間があるので、オヤジをどうするの次にもうひとつだけどうしてもお若いお二人に聞きたい。現役世代、つまりまだ産めるという女の方たちに聞いてみたいことがあるんです。子どもがどんどん減っている、こんな世の中じゃ子どもを産みますという気分になれない、少子晩婚化世代のちょっとばっか先を走ってるのが北原さんの世代ですね。どうでしょうか、この先この世の中に子どもを送り出してくれるんでしょうか?それに(パネラーをさしながら)この中に夫子持ちという少数派がいるので、石坂さんなんですけど、私気がついてみたら非婚化世代の一周遅れのトップランナーになってた(笑)。そんなものですが、石坂さんも結局子どもは一人、次まだ予定あります?ですからこの世の中にもし希望というものがあるならそこにどうやって子どもを送り出してもらえるのかということを聞きたいなと思います。

石坂:私は子どもは一人で懲りたほうですね。若い子に早まるなと言っている。厚生省のポスターで「育児をしない男を父と呼ばない」…

上野:別名育児なし(意気地なし)ともいう(笑)。

石坂:私あれ厚生省にしてはよくやったと、あのコピーを作ったのもたぶん女性だろうなと思います。あれくらいのことで世のおじさんたちはブーブーと言ってたらしいですね。そんなことまで疲れている男たちを駆りだすのかって。あれは安室さんのだんなさんでサムさん?私に言わせればあれは手ぬるい、あれはきげんのいい赤ん坊を抱っこしているだけ(笑)。ああなるまでにはどれくらいぐちゃぐちゃのべちゃべちゃの…赤ん坊をあやしてどうしてこんなに女にばかりしわ寄せがくるんだと思ってましたから、ほんとに夫婦仲も悪くなちゃいましたよ。ただですね、私はおもしろかったから。子どもがいなければいない生活を楽しんでました。いなくてラッキーだったこともありますし、いると楽しいこともたくさんあると思ってますので、産んだからには楽しもうと思ってますし産んだからには子どもとも愉快にやっていこうと思っています。私の子は男の子ですけど、できるだけ軟弱なだめ男に、すごくマッチョじゃなくって徴兵制でも始まったら、大泣きしていやだというような子どもにしたいと思ってます。あんまりしつけはしてなくて、でも酒の席のしつけは厳しくしてます。コップがカラっていうと、「ハイ」ってビールをついでくれます(笑)。そういう男の子を一人世の中に送り出せばフェミニズムでも貢献できたかなと(爆笑)。

上野:次の世代にフェミニズムを手渡す一番確実な方法かも知れませんね。

北原:私は社会制度が良くなったり、夫が子育てに参加したり、いろんな方面に。そうすれば少子化止まったり、おじさんたちがが頑張っていいことかも知れないんですけど、社会制度がよくなったからといって私は子どものことはまったく、恐怖心すら感じる人間なので産むことはないだろうと思います。産まないという選択をする人が少ないとやりづらいと思っちゃうんですけど、そういうのは性格もあることなので…。気持ちよく子育てできる環境ができればそれはそれでいいよね、私は勘弁してよって感じ。

上野:はい、あなたはそのほうがいいかもしれません。というわけで少子化が完全に良くなるという見通しもなく(爆笑)。実はもうひとつ介護にも触れようと思ったんですが、(会場に向かって)どうぞ皆さん方、この世代の方たちに(石坂、北原を指しながら)もはや介護は期待しないでくださいね。(会場微妙な反応)そのために介護保険があるんですから(少し笑)。時間が参りました。どうもこうやって話を聞いてますと、世代を超えてフェミニズムという言葉はそれぞれの自分の言葉で語り合っているという実感をもっていただけたらいいなと思っています。なんか、聞いててイライラしたりムカッと思ったりそうかと思ったりなさったでしょうが、今日は時間の制約もありまして会場からの発言もいただけませんが、会場を一歩出たらどうぞ大声で今日のご感想をお話くださいませ。じゃ、今日はほんとに長い間、表番組を袖にしてきてくださってありがとうございました。(拍手)

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1 全体会Aは「平等・開発・平和~より豊かな生き方を求めて」。パネラーは船橋邦子(大阪府男女協働推進連絡会議議長)、鹿嶋敬(日本経済新聞編集委員)、中野麻美(弁護士)、坂東眞理子(内閣府男女共同参画局長)、佐々木誠造(青森市長)の5名。

2 国連総会の採択した世界女性の権利章典。70年代後半に策定・審議され79年国連総会で採択、81年国際的に効力発生。日本は85年批准。ここで上野が75年と言っているのは国連が同年を国際婦人年と定めたこととの流れの発言と思われる。

3 北原みのりの著書に「フェミの嫌われ方」(新水社1400円)がある。それから連想したタイトルか?

4 70年代初頭のウーマンリブの旗手といわれた活動家。国連世界女性会議がメキシコで行なわれた時参加、そのままメキシコで4年暮らした。帰国後鍼灸師となり「れらはるせ」を開設。著書「いのちの女たち―とり乱しウーマンリブ論」「いのちのイメージトレーニング」など。

5 リブとフェミの違いは、以下のサイトがそのニュアンスをうまく伝えている。文末参照(参考①)
http://www.h3.dion.ne.jp/~haneko-i/genkou/2gender2.html

6 ピンクのヘルメットをかぶりTVメディアなどに押しかけて自己主張のみをするバカなおばさん、というイメージがある。子どもの頃、TVで見た記憶がある。

7 高橋留美子 「らんま1/2」や「犬夜叉」で人気の漫画家。「めぞん一刻」は音無響子がヒロイン。掃除・洗濯・裁縫万能、着物の着付けもばっちりできるし、テニスもこなすスーパーウーマン(?)。亡き夫惣一郎の面影を胸に一刻館管理人の職に就きますが、着任早々異常な住人たちの洗礼を受け…。

8 元衆議院議員(社民党・党政審会長も務めた)。大学在学中、アジア諸国をめぐる平和運動「ピースボート」を始める。「新人類サミット」開催。出版企画など多彩な活動を続け、社民党から衆議院議員に当選。土井たか子の秘蔵っ子と言われた。秘書給与流用疑惑で衆議院議員を辞職するまでの顛末は記憶に新しい。

9 料理研究家。26歳の時、14歳年上の男性と結婚。専業主婦のつもりがいつの間にかひとつの家事が「ビジネス」になってしまった。料理番組のほか、化粧品や食品のCMキャラもつとめ、出版した本はベストセラー化、カリスマ主婦と呼ばれる。受ける要因は、プロだけど”フツーであること”、でも”チョットだけ”おしゃれなこと。有元葉子ほどカリスマ性はないし、小林カツ代ほど庶民度は高くない。そして料理は決して難しくなく、フツーの主婦が手軽に作れるのが、はるみ流。

10 早稲田大学大学院文学研究科後期博士課程修了(心理学専攻)。愛知淑徳大学教授。医学博士。著書に「セックス神話解体新書」「ジェンダーの心理学」など。上野との対談「ザ・フェミニズム」もある。

11 セクシャリティが性的欲望・性現象を指すなら、心理学が扱う対象であるという観点により、ジェンダーとセクシャリティの混乱を整理しそれらが構築主義的に解明される最先端まで読者を導こうとする。01年発行、有斐閣選書 1500円

12 マガジンハウスが「キャリアとケッコンだけじゃいや」をキャッチフレーズに88年創刊した女性情報誌。バブル経済の恩恵を受け、ブランド品・グルメ・海外旅行など、従来の「キャリア(仕事)か結婚」という二者択一を超えてより豊かな生活を貪欲に求める女性たちをマーケット業界では「Hanako族」と呼んだ。「クロワッサン」のように女性の自立を掲げることなく消費情報の提供に徹した。

13 85年9月プラザ合意で、ドル高の修正・円高方向への国際的誘導によって円高不況がおこり、対抗手段として、公定歩合の引き下げが行われた。結果、マネーサプライは急増し、だぶついた金が株式や不動産へ流れた。それらの資産価格が、経済の基礎条件から想定される適正価格を大幅に上回る状況。86年以降土地や株式が高騰した時期をバブル経済と呼ぶが、90年以降、地価・株式は急落して「バブルがはじけた」。

14 フランスの高級ブランド、ルイ・ヴィトンの世界最大級の店舗が02年9月1日、東京・表参道にオープンした。前日からの徹夜組を含め、開店を待ちわびて女性客ら限定品目当てに約1500人並び、その列が約1キロに。前日の夕方から母親(49)と店の前に並んだという東京都府中市の女子大生(23)は「絶対にバッグが欲しい。友だちに自慢できる」と入店が待ち切れない様子。昼食やいす持参で駆け付けた人たちの姿も。

15 「週刊女性」01年11月6日号 「独占激白”石原慎太郎都知事吠える!”」 より抜粋
「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、”文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ”なんだそうだ。”女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。」

16 不明。

17 「ジョアンナの愛し方―男性があなたに夢中になる203の方法」 小学館文庫381円
オリビア・セントクレア(著)与えられるセックスよりも、与えるセックスのほうがずっと素晴らしい。そのための方策をつぶさに、しかも具体的に語って衝撃をあたえたベストセラーの文庫化。セクシーな女性が、お手本を見せてあげなければ女の悦ばせ方がわからない―男なんてそんなもの。女性によってはじめて書かれた、女性自身のための素晴らしいセックス203の方法論。

18 サティスファクション―究極の愛の芸術 2300円 発行アーティストハウス
キム・キャトラル(著)。アメリカで人気のテレビ番組「Sex and the City」でサマンサ役を演じる女優キム・キャトラルと彼女の夫でジャズミュージシャンのマーク・レヴィンソンによって書かれた。 オープンなコミュニケーション、信頼、愛、互いを喜ばせることへの興味、といったシンプルなことがセックスライフを豊かにし、カップルをより深い方向へ導くと言う。しかし、多くの女性がセックスについて質問されたとき、不満を抱いていると告白しているのが現状だ。性的な欲望を恋人に伝えるのは難しいが、2人でオープンにこの問題について話し続けることが、よりよい関係を保つためには必要で、男性がほんの少し、知識を身につけることで、2人の関係はさらに良くなっていくという。

19 昭和8年北海道上砂川生まれ。札幌医科大学在学中の昭和29年、21歳の時に処女作『イタンキ浜にて』を発表する。その後、医師となってからも、同人誌「くりま」を通じて多くの小説を発表し、昭和40年『死化粧』で第12回新潮同人雑誌賞を受賞し文壇デビューを果たす。昭和45年に『光と影』で第63回直木賞受賞。『遠き落日』で第14回吉川英治文学賞受賞。その後は『ひとひらの雪』『うたかた』に代表される、男女の愛と性の深淵や人間の持つ情念を描いた、情痴文学を確立。日本経済新聞に連載され、大ブームを巻き起こした『失楽園』は、この分野における代表作。私は「ケッ」って思うよ、中身。

20 性交の途中で射精する直前に膣から男性性器を抜去して、膣外に射精する方法。しかし、避妊効果は十分でなく、長期的には妊娠してしまう場合が多く避妊法として認めることができない。また性感染症の視点からもすすめられない。が、避妊法と思っている若者が多いらしい。

21 85年にナイロビで開かれた第3回世界女性会議で、国連婦人の10年最終年にあたり世界行動計画の実施期限の2000年までの延長と実施上のガイドライン「ナイロビ将来戦略」を採択した。そのガイドラインに基づく実施状況の評価と更に必要な戦略を確認したのは95年に開かれた北京女性会議である。

22 「女」に何らかの本質があるという本質主義的フェミニズムの流れが一時あったが、構築主義的アプローチによる見直しがあったことは大方の理解をまだ得ていないと思う。特に高齢の参加者が多かった会場は「そのせりふのどこがいけないのか理解しかねる」という反応だったように思う。

23 漫画、音楽、思想、日本を束ねる知的娯楽本(自称)。みうらじゅんの漫画「断崖先生」、秋本治と小林よしのりの漫画論対談、西部邁の時評などを収録する。幻冬社発行。

24 漫画家。「こまわりくん」などのギャグマンガを描いていたが、「ゴーマニズム宣言」で薬害エイズ問題を漫画化して支援し一躍有名になる。その後南京大虐殺問題など発言が政治・右傾化傾向が強くなり、「新しい歴史教科書をつくる会」発足には中心メンバーとして関わる。

25 西部邁 評論家。秋明大学教授。新保守主義者。「新しい歴史教科書をつくる会」理事。「朝まで生テレビ」に準レギュラー出演。

26 瀬地山角 東京大学大学院総合文化研究科助教授。ジェンダー論、東アジア研究。著書は「東アジアの家父長制」「フェミニズムコレクション」「お笑いジェンダー論」等。

27 関西弁で「おめこ」は「おまんこ」と同じ。上野は富山県出身、京都大学大学院終了後、京都精華大学等経ているため、関西生活あり。

28 小泉純一郎を総理にした立役者だが、外務大臣であった当時外務省を牛耳っていた鈴木宗雄との確執などから大臣を更迭される。その後、秘書を関連会社から出向扱いで勤務させたことが発覚し、一気にバッシングの勢いが強まった。自民党の党籍停止処分を受け、議員辞職し、議員生命を失ったとまで言われている。

29 辻本が筑紫哲也編集「週刊金曜日」で連載していたコラムを始め、ホームページなどにイラストを提供していた。

30募集・採用から定年・退職・解雇に至る女性差別を禁止する法律。85年日本が国連の女性差別撤廃条約を批准する段階で、それまでの法律が条約に違反すると理解されたため、同年制定された。

31 56年新潟市生まれ。成城大学経済学部卒業。文芸評論家。著書に「妊娠小説」「紅一点論」「読者は踊る」等がある。

32 斉藤美奈子著:「文壇アイドル論」で80年を駆け抜けた「女の時代」の旗手の一人が林眞理子であり、もう一人の旗手が上野と対比させている。「成り上がった」林と「(アカデミズムから)降りてきた」上野、男社会に受け入れられたい願望を露にして逆に男社会からバッシングを受けた林と、男社会を鋭く批判したわりに男社会で居場所を確保した上野は、「女の時代」のネガとポジであると評している。

33 朝日新聞02年8月20日夕刊「女の時代」のネガとポジ~元“宿敵”に見る共通項(単眼複眼)

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