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色々

むかしむかし~映画の感想⑯

2002年ごろ書いていた映画の感想

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木更津キャッツアイ 日本シリーズ
/ 主演 岡田准一 2003年  (予告編はこちら)

TVで深夜放映されていたのを見た人って、そんなにいたのかなぁ?って思うほど、映画館は小学生らしい子どもたちも含めて「若者」でいっぱいだった。こんなに若者がたくさんいる映画館に入ったのは久しぶり。

娘2人と見に行ったのは、もしや会場がこんな感じかもって予感があったから。若者にまぎれて一人おばさんが大口開けて笑えまいという…。引率を気取って入ったんだけど、思いっきり笑ってしまいました。でも、満席とは思わなかったので、冒頭のTVの見てた人いたのかなぁって感想になったのですが、娘いわく「夕方再放送いっぱいやってたから、(実際に深夜)TVでやってたころは見てる人いなかったよ、学校で話にならなかったから」だそうです。

主人公は木更津のヤンキー、相川翔・命のいわゆる「不良」が、余命半年を宣告されて残された日々を「普通」に生きることを描いた、っていうと感動巨編みたいになってしまうんだけど、脚本が宮藤官久郎だから…。宮藤がパンフで「どうか映画についていってください」って言うほどの話のあっちこっち具合が、好きな人には面白いんだけど、「大人」にはドラマの進行そのものがわかんなくて目が回るお話だと思う。

こんな映画や元TVを子どもたちと一緒に見ていられる自分って、誇っていいのかはたまたおかしいのか?自分ではそういうのも私の感性の一部で大事にしたいっては思うんだけど。その私の感性でいえば、主人公のぶっさんたちが孤島に流されるエピソードとゴミの怪獣が出てくるエピソードは「いただけない」。

あの部分を普通に木更津の町での話でエンディングまでつなげてくれたら、宮藤に喝采だったのになぁ。おしいなぁ。あのTVを見ていた一番「わかる」人たちにとっては、映画になるってことは大衆受けするためにツマンナクなる、薄くなるってことになってしまっただろうと思う。踊る大走査線の轍を踏んだってことか、木更津も。

岡田准一や桜井翔なんてジャニーズのアイドルがこういうキャラをよく演じることができたなぁって、アイドル路線の幅の広がり方に驚いた。だって、岡田君はユンソナ演じる彼女にパンツ脱ぎかかって襲い掛かったり、桜井君が風俗に行くんですよぉ!?そっちの方が本人に近いかもってのは、ナシのアイドルでしょう?清く正しいアイドルって建前ではもうすでにうそっぽ過ぎて売れないって時代なのねぇ。

映画はチョイはずれでしたが、木更津キャッツアイの5人組は大好きです。宮藤の次回作も期待しちゃう。それにしてもTVで深夜やってた番組がブレイクすると、キャストも売れっ子になってしまって、そのせいでスケジュール調整が難しくなり、TVの続編とかが作れなくなるってのは、残念だなぁ。きっとこの木更津も同じ脚本のIWGP(池袋ウウェストゲイトパーク=TOKIOの長瀬智也主演)も次回作ってないだろうなぁ。つまんないの。

更新作業終了だぁ!ビール!ビール!ビール!(わかる人だけ 爆)

むかしむかし~映画の感想⑭

2002年ごろ書いていた映画の感想

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幸せな孤独 
/デンマーク映画(予告編はこちら
                 
          
結婚前の幸せいっぱいのカップルだった、ヨアヒムとセシリ。しかし、ヨアヒムはセシリの車から降りた瞬間に事故に遭い、首から下の身体が不随になってしまう。絶望したヨアヒムは心を閉ざし、セシリに冷たくあたる。セシリは事故を起こしたマリーの夫で、ヨアヒムが入院する病院の医師でもあるニルスを頼るようになり、いつしか二人は引かれあうようになってしまう。一つの事故が2組のカップルに大きな亀裂をもたらすというストーリー。

ストーリーは見ていて不快を感じるほど、どうしてそうなっちゃうんだという方向にすすんでしまうが、ラストに救いがある。2組のカップルそれぞれが一人で生きていくことを選択する。ここでタイトルが生きてくる。

孤独は不幸だというのがどこの国でも共通の認識なんだろう。でも、孤独は不幸せではない。この映画の展開から言ったら、「孤独から幸せへ」だろうし、だからタイトルが「幸せな孤独」なのだろう。一人で、誰にも依存しないで生きること、そうやって生きていけることに気がつけることはなんて幸せなことだろう。

寂しさを埋めるために「誰か」を利用するのではなく、愛するために離れて生きること、そういうのが本当の愛かも、って思った。村上龍の「最後の家族」のラストを思い出させる。

自分の状況を理解したヨアヒムが見せる絶望の目、いつか見たことがある目だった。

むかしむかし~映画の感想⑮

2002年ごろ書いていた映画の感想

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ハウルの動く城 

/ スタジオジブリ (ネタばれ注意!)(予告編はこちら

宮崎駿監督の最新作。一足先に見に行ってきた二女に感想を聞くと「ムズカシイ・・・(^_^;)」。茨城大学の生涯学習公開講座でもこのアニメの話がちょっと出て、みてきた方が(50代後半の女性)「難しかった、どうしてソフィは若くなったり年寄りになったりするのかしらね」とのこと。ふ~ん、と思いながら見に出かけた。

宮崎監督のアニメ映画には原作があるけど、原作は正しい意味での原作ではなくて、登場人物のキャラクターとか大まかなストーリー「少女の成長譚」だとか、今回のハウルで言えば、たぶん動く城のプロットが気に入ったんだろうな、ほぼ宮崎監督のオリジナルだと思ったほうがいい、そういうつくりの毎回の作品のひとつだった。

宮崎監督作品の流れで言うと「耳をすませば」「千と千尋」系とでも言おうか、少女が自分を発見し成長していく様が描かれている作品のひとつになるだろう。背景に描かれてる戦いの中のひとつとして、いかにも宮崎風の飛行物体などがたくさん登場するが、あれはきっと宮崎オリジナル、原作にはないに違いない(後日原作を読んでみたがやはり想像通り)。

魔女にかけられた呪いが「難しい」という感想を解くヒントになるのではないかな。自分にかけられた呪いを人に説明できないと言うくだりは、なるほどそういうことねとどんどんなぞは解けていく。原作に忠実ではないと書いたが、人物像などはきちんと描いてはいる。ただし非常に短く象徴的に説明されるので、考えながらみてないとわからないままに過ぎてしまう。たとえばソフィの人物像、父の家業の帽子屋を長女だからと継いでいる。妹は近くの店の看板娘であり、その妹目当ての客で店が繁盛するほど。このくらいの説明で、ソフィと妹の性格は十分すぎるくらいに描かれている、のだけど、解らない人にはわかんないのだろう。

自分がやりたくて帽子屋を継いでいるのではないこと、きれいな妹に比べ、地味な長女性格のソフィいは、コンプレックスを抱えているし、自分のやりたいこと(帽子屋は継ぎたくはなかったんだろう)を自分の口に出すことができない、損な性格だねとソフィは思っているんだろう。呪いを他人に説明できないということがヒントだと言うのは、このこと。「あんたってかわいくないね」などと人に言われたとする、言われた当人は「そんなことない」と否定しようとしても、自分自身が容貌に引け目を感じていると、その言われた言葉は深層心理の中で大きくなり、表面上自分で否定しても心の奥底では「自分はブスかも」と悩みを抱えることになる。これが「言葉の持つ力=呪い」、だ。

そのソフィが、容貌もなんも関係ない老婆になってしまうことによって逆に開き直りからコンプレックスを克服していくそのプロセスで、「自分を見つける」「自分に自信を持つ」時は本来のソフィの若さを取り戻すし、また、愚痴をこぼすような状況の時には、人も信じられず自分自身も信じられないので老婆の姿=呪いの力に押さえつけられている状態に戻ってしまうと言うからくりだろう。

火の悪魔とハウルの契約=呪いについても二女はわからないと言っていた。これは想像になるけど・・・。火の悪魔はもともとは流れ星だったのがラスト近くに種明かしされる。その流れ星をハウルが飲み込むシーンが出てくるのだが、そこが悪魔との契約らしい描かれ方だなと思う。たぶん、「流れ星が地上に落ちると消える=死んでしまう」のをハウルが「美しい流れ星」を救おうと悪魔に永遠の命をみたいな願いをして、それと引き換えに、悪魔との契約って言ったら定番の、命とか魂を悪魔に提供したんだろうね。

その契約によって「心臓=心」をなくしたハウルはそのために火の悪魔と一心同体のようになってしまう(ひとつの心臓を共有する関係)になり、そののろいを解くには、ハウルが心を取り戻すことが必要で、心を取り戻すには「恋」という薬が大事、って事でしょうか。だから、きれいな女の人の心を盗む(女の人に恋するふりで近づくけど、心がないので愛せなくて、相手の心を奪うだけになってしまう)。ところがソフィが献身的に接してくれたので初めて恋をする=人を愛することができ、心を取り戻す、って読んだのですが。細かなところは、千と千尋でも説明されてないので今回も想像するしかないのね。その想像部分を補う心理的な読みができないと「難しい」のでしょう。

読みが正しいかどうかが心配で、原作も読んでみた。翻訳が下手なのか原文がこういう語り口調なのかはわからないけど、回りくどい文章で読みにくく、特に面白い話だとも思わなかった。ハリーポッターに夢中になるような世代なら、(読書初心者とでも言いましょうか)面白く読めるかも知れないけど、それなりに人生経験をつんできたおばさんにとっては、無駄を省いてセリフひとつに象徴性を持たせるくらい研ぎ澄まされた宮崎アニメの方がよっぽど面白かった。

ただ、原作でも映画でも、ソフィーがハウルを、そしてハウルがソフィーを、いったい何時好きになったの?とは思った。あれが好きなのに打ち明けられない同士の物語なら、二人とも最初のお祭りのシーンでの出会いの一目ぼれってこと?そんなぁ、って感じがする。

むかしむかし~映画の感想⑬

2002年ごろ書いていた映画の感想

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デブラ・ウインガーを探して
/ ドキュメンタリー 2002年  

監督をしているのは、もともとは女優のロザンナ・アークウェット。ハリウッド映画界の唯一絶対の価値観は若く美しいこと。そんな中で40代を迎え、仕事と家庭の両立に悩んだ彼女が同業者にインタビューしまくって作り上げたドキュメンタリー。素顔の(?)女優たちがそれぞれの思いを語る。

NHKのドキュメンタリーなんかの方が上手いんじゃないかなぁ。何を訴えたかったんだろう?両立に悩む女優も同じ女ですよって言いたかったのかなぁ?あんまり面白くない。共感する言葉がなくもないけど、でも、「へぇ~」って、それだけ。感動のへぇ~ではなくて、「そうなのか、そうだよね」って、確認だけのへぇ~。最後のほうは寝てしまいました。

ウーピー・ゴールドバーグのお尻の話は笑った。

むかしむかし~映画の感想⑫

2002年ごろ書いていた映画の感想

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女はみんな生きている 

/ 主演 カトリーヌ・フロ ラシダ・ブラグニ 2001年 
                     
/ 2002年セザール賞 2002年リュミエール最優秀有望若手女優賞受賞 (予告編はこちら

平凡な夫婦がある夜パーティーへ参加しようと車を飛ばしていると、その前に血まみれの女と彼女を追って数人の暴漢が現れる。彼女が助けを求め車の前に立ちはだかると、運転していた夫は車のロックをかける。呆然とする夫婦の前で女は殴る蹴るの暴行を受け倒れるが、女を心配する妻、血まみれになったフロントガラスを心配しながら立ち去ろうとする夫。こうして事件は、いや戦争は始まった…。

襲われた女性を探して病院にたどりついた妻・エレーヌは集中治療室に横たわっている彼女・ノエミの姿を見つけ、立ち去ることができなくなっていた。献身的に介護を始めるエレーヌによってノエミは奇跡的に回復していく一方、家出状態で出てきているため、エレーヌの家の中は荒れ放題。夫のポールは家事一切できないのでお手上げ、戻ってこいの大騒ぎ。

エレーヌの携帯に留守電を入れる「アイロンのかけ方がわからな、連絡をしろ」それを聞いたエレーヌが返す返事がいいなぁ「本当はアイロンなんか口実でしょう。本当は私のことが心配で電話したのね。(このあとは略)」。そうだよね、何も言わずに出て行ったんだから、最初に言うのは本来なら、妻を心配する言葉だろうに、それが家事のことだもの。この夫婦の関係がどうなっていたかを想像するにはぴったり。

いろいろと波乱万丈がありまして、自分を見失っていたエレーヌがノエミとの出会いで、自分の行き方を発見するっていう結末。専業主婦論争のころ、「フェミニズムにはまった主婦たちが夫との結婚生活を振り返って、本当の生き方を探して離婚する=生活レベルが落ちる」ことを見聞きするのはもう嫌だと、小倉千加子が語っていたことがあったけど、それを映画でやっちゃったんですね。でも、映画は安心、ノエミが稼いだ莫大な財産があるから。という訳で、終わったときはある種のカタルシスがあって、小さく拍手しようかなって思って、指先だけでぱちぱちしてきました。

ノエミが言い寄るポールやポールの息子に「もうSEXはしない」と毅然と言う姿に感動した。ああいう風に言い切れたらどんなにか、楽。夫・ポールの母を見ていて、「豊か」ってイメージがわいてくる。

むかしむかし~映画の感想⑪

2002年ごろ書いていた映画の感想

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チャーリーズ・エンジェル フルスロットル 

/ 主演 キャメロン・ディアス ドリュー・バリモア ルーシー・リュー
予告編はこちら

「結構フェミだって」と聞いたので、お正月用ビデオでレンタルしました。キャメロン・ディアスはきれいだとは思うけれど、出演作で見たいなぁって思うものに出くわさなかった。唯一見たのは、「彼女を見ればわかること」の盲目の役。

こっちの作品のほうが持ち味っていうか、要求されている役柄なんだろうなぁ。のっけからフェロモン系びんびんで登場して、男たちの群がる酒場で、ロディオで腰を使いまくって注目を引く役割だもの。007みたいに、頭の中はHしかないくせに、かっこつけてるアクション映画なんかではなくて「要するに、これでしょ?あんたたちの欲してるのって」とばかりの映像にストーリー。

でも、なんか見てて気持ちいいんだよね。お尻さわるオヤジは投げ飛ばしちゃうし、男と同棲するけど、結婚願望は微塵もなくて。アクションシーンもスカッとする!男性がやくざ映画とかアクション映画を見て、カタルシスを感じるのがわかる気がした。

性役割分担なんか、くそ食らえって感じで、「女」にこびりついているもろもろを、使えるものは何でも使えと、意図して演じている感じが、これからの「フェミ」って感じがするんだろうなぁ。面白かったぁ。

キャメロン・ディアスって結構ダンス上手いなぁ。チア・リーダーにちょっと扮してたけど、そういう系出身なのかなって思うぐらい。ドリュー・バリモアさんは、映画の撮影中は痩せてたのねぇ。プレミアで来日した時、TVのニュースで見たのとは体型がふた周りくらい違ってるんじゃないだろうか。ルーシー・リューのお父さん役が不思議に面白かった。娘が売春でもしてるのかと勘違いしてるんだけど、それでも娘を愛してる。そういう理解のされ方が、映画になるんだなぁってびっくり。

むかしむかし~映画の感想⑨

2002年ごろ書いていた映画の感想

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アメリ 

/ オドレィ・トトゥ主演 2001年 (予告編はこちら

冷たい父親と神経質な母親に育てられたアメリは学校へいけず、一人空想の世界を遊び相手に大きくなった。今はカフェで働いているが,毎日がつまらない。

ある日、浴室のはがれたタイルの奥に宝箱を見つける。以前すんでいた家族の子どもがここに隠して忘れてしまったものらしい。この日からアメリの生活が変わる、「何かすること」を見つけた彼女はその宝箱を持ち主に人知れず返そう、もしそれができたら自分の未来が変わるかもしれないと思いはじめる。

今はうだつのあがらないただの中年男でしかない宝箱の持ち主を、やっとのことで見つけ出したアメリは魔法のようにその宝箱を男の手に返すことに成功し、彼の人生を優しく希望のあるものに変えてしまう。その事件は、アメリに人生の目的を発見した!と思わせた。彼女は、まわりの誰かを今よりちょっとだけ幸せにすることの喜びを見つけたのだ。

夫に逃げられたアパートの管理人や毎日怒鳴られている八百屋の心やさしい店員にいたずらのように幸福を届けているうちに、ある奇妙な写真収集家にである。その日からアメリのペースはおかしくなってしまった,彼女は彼に恋してしまったのだ。

人のことならアイデアと行動力で何でもできるのに,自分の恋愛には不器用この上ない。そう、子どもの頃、家庭に閉じこもって空想の世界に住んでいるしかなかったアメリは人との距離がうまく測れない。近づこうと作戦は練るもののもうちょっとのところで,一歩が踏み出せない。

おしゃれな映画だなぁって思う。昔コミック本の恋愛ものに夢中になっていた頃を思い出させるわくわく感。映画を見終わった帰り、誰もいない帰り道をスキップして歩きたくなるような,楽しい映画でした。映画見ながら,そうだよなぁって思ったもうひとつ、人生って何気ない楽しみにあふれてるんだなぁ。水路で水切りしたり、クリームブリュレの焼き目を壊したり。そんな楽しみを見出せる豊かな時間を持っていたいって思った。

むかしむかし~映画の感想⑩

2002年ごろ書いていた映画の感想

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イン・アメリカ 

/ 主演  サマンサ・モートン ジャイモン・フンスー 2004年
/ サンダンス国際映画祭 オフィシャル・プレミア・セレクション (予告編はこちら) 
          
二人姉妹の妹、アリエル役のエマ・ボルジャーが愛らしい。あんなに表情豊かに自由にいられたらどんなに楽しいだろうとうらやましくなる。自分自身は姉のクリスティに近いかもって思いながら見た。

他の映画を見たときに予告編を見て、見たいとは思ったが、恐ろしくて見られなかった。「喪失」の映画だったから、しかも病気で子どもを失った家族の再生をテーマにしてると聞いては、自分の経験と重なる部分が多くて足がすくむ。そういう映画をやっとみることができた、そのこと自体がうれしくて、映画にも泣けたけど自分自身にも泣けた。

自分の心の中に、自分自身ではない誰かが住み着いてしまった、この映画では幼くして脳腫瘍でなくなった長男。自分自身の中に、どんなに愛する人であっても他者が住んでしまうと心は平静になれなくなる。

この映画も、先日見た「21g」も、光を見つけるには悲しい出来事を経ないと見つけられないという。砕ける、壊れる、失う・・・そういうことは恐ろしいから、なんとしても避けたい・逃げたいのだけど、逃げると逆に自分の心の中に住まわせてしまうことになるんだ。避けないで、逃げないで向き合うと、粉々に砕けたこころが、その砕けたかけらに比例して輝いていることに気がつく。

この映画もラストで、さようならをいうシーンがある。スイミング・プールのような穏やかなさようならの手の振り方ではないけれど、涙でぼやけた月に向かって手を振るのも、なんだかうれしくなるようなさようならだった。

エイズで亡くなるマテオと子役の二人が魅力的。

むかしむかし~映画の感想⑧

2002年ごろ書いていた映画の感想

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21g 

/ 主演 ショーン・ペン ナオミ・ワッツ ベニチオ・デル・トロ 2004年
/ アカデミー賞ノミネート(主演女優賞・助演男優賞)(予告編はこちら) 
          
ベニチオ・デル・トロが良かった。貧しい階層の男、過去の過ちを修正しようと敬虔な信仰に生きている・・・というよりすがっているが、すがっているゆえに神にも裏切られ罪を重ねることになった自分をどう理解してよいかわからない。混沌の中で、一人立ち向かうしかないと家族からも離れてひたすら自分を罰しながら見つめている、その姿があわれ。

絶望の果てに希望があると、映画のパンフにもかいてあったけど、希望って「そこに」しか見つけられないんだなぁ。絶望から逃げようとすると希望は見つけられないんだ。ジャックがポールに射殺されるのを望んだのは死によって絶望から逃げられると思ったから・・・。。

ポールともみ合ううちに逆にポールを撃って怪我をさせてしまう、絶望の二重奏。でも、彼を必死の思いで病院に搬送するジャックは、絶望の果てにかすかな希望があるのを見つけられたということなんだろう。見てて辛い映画だった。

むかしむかし~映画の感想⑦

2002年ごろ書いていた映画の感想

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彼女を見ればわかること 

/ 主演 キャメロン・ディアス他 2000年
/ 2000年カンヌ映画祭<ある視点>グランプリ(予告編はこちら
ポジティブな絶望ってこの映画を評した人がいたけど、その通り。「女に出口はない」ってこと!?

自分の能力を活かし、仕事で成功しているにも関わらず不倫で中絶したり、新しい恋人候補が電話をくれないと落ち込む女性など、女性として解放されたのに、根っこのところで何か満たされない思いを引きずっている女性たちを描いている。微妙にクロスする5人の女性のオムニバス映画。だいぶ前、新聞をにぎわせた東電の女性キャリアが売春していて殺された事件を思い浮かべてしまった。

「女の幸せは結婚」と盲目的に信じさせられてきた女性の長い歴史を、フェミニズムが解放し、女性は変わった。でも、そうやって変わってきた彼女たちを取り巻く世の中の物語は依然として昔のまま。「愛」のない生活は空虚だと昔の物語を彼女たちの深層へ送りつづける。

結婚・恋愛・愛なんて人生の幸せのうちのほんのひとつの選択肢に過ぎないそれだけがすべてじゃない。到達点へ向かう人生、何かを成し遂げない幸せはと来ない、愛(恋愛・結婚)のない人生は無意味・・・そんなことない!毎日の生活の中に、心地よさはたくさんたくさん溢れているって、彼女たち/私たちに言おう。それこそが本当の自由への出口じゃないか。

続編が去年(2002?)公開されたはず、ビデオやさんで探してこようっと。

******以下は2020年の上記の感想

自分で書いた映画の感想を読み直して、も一回見てみよう、なんて思っている雨の土曜日の朝。

「『女の幸せは結婚』と盲目的に信じさせられてきた女性の長い歴史を、フェミニズムが解放し、女性は変わった。でも、そうやって変わってきた彼女たちを取り巻く世の中の物語は依然として昔のまま。「愛」のない生活は空虚だと昔の物語を彼女たちの深層へ送りつづける。」これ自分で書いてて嘘だね。

「『女の幸せは結婚』と盲目的に信じさせられてきた女性の長い歴史を、フェミニズムを知ることによって解放され変わっていった女性もいた。」が正しい。

今も変わらないというか、当時なにがしかのインパクトある事象によって歴史の軌道がずれたとしても、そのずれはインパクトある事象が目指した方向に正確に変化するのではなく、その他のもろもろの世の中の事象によって、それらと共にずれていくんだ。

結果として、後から振り返ってみると、螺旋のような三次元の波打つ動き方で、思ってもみなかった方向に進んでいっている、というか「いた」のがわかる。

で、新たな問題が浮上してくる、ということの繰り返しなんだね、歴史って。

すべての状況に対して、私たちは「初心者」であり続ける。変化を望んで活動しても、解決には至らず、新たな課題にまた出会うという…。そういう意味で出口はやっぱり、ないんだ。

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