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茨城大学生涯学習講座①(2002年)

茨城大学の長〇川先生の生涯学習講座とか、学生さんのカリキュラムで一般公開されていたものによく出かけていて、その時の提出課題。

講座は「ビデオで見るジェンダー論」といって、先生が選んだ映画を見てから、小論文を提出するというもの。先生は出欠もとらないし、課題の提出もうるさくないので「楽な講座」と学生さんの間で代々伝わっているらしく、いつも教室は100人以上は入れそうな大きな教室。後ろの方で映画を見ていて、こりゃ楽だね、と思った。

学生時代にこんなこと考える学生なんて、どのくらいいたのかなぁ。

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ビデオで見るジェンダー論課題

ビデオで見るジェンダー論課題
■テキスト「息子」

課題1 父親の背景にある農家の家族と息子にある近代家族における父親像について

三国連太郎演じる岩手の父は、伝統的家父長制を生きた父として描かれている。戦後日本の資本主義の急速な発展によって一つの世代の交替という短い時間の中で、家父長制の内容が変化せざるを得なかった日本のひずみがこの映画ではよく表されている。

■家父長制の父親の背負ったもの
家父長制とは男尊女卑や男性の優位性などといった個人的・個別的事象ではなく、ある種の支配の体系である。それは年長者による年少者の支配、男による女の支配のシステムとして機能し、家庭においては「家」という権力を代々委譲するために機能してきた。

明治末期~大正初期の生まれと思われる父の育った時代は、「年長者は年少者よりすべてにおいて優れ(父&長男>息子&次男)」「男は女より優れる」という規範が社会的合意としてあった時代である。父はその親のもと長男として生まれ家父長制の権力・財産の継承者として生活を営んできたのである。

家父長制の頂点にたつ父は絶大な権力を持つ一方、その社会的な合意によって、個人的な資質を問われないですむと言う利点を有していた。長男に生まれさえすれば、他の兄弟よりも資質において劣っていることが明白であっても、権力委譲は長男にされたのである。個人の資質を権力委譲の対象選定の基準に取り入れることは、家父長制という制度そのものを崩してしまうのでありえなかった。

家父長制の中の男はシステム維持のため、自由は持ち得なかったが、逆に制度によって個人を守られていたともいえる。

■近代社会の父親の背負ったもの
一方、高度成長期の日本を生きた三国の長男は、近代家族の父親として描かれている。近代家族とは、資本主義の発達によって地域社会や大家族の解体がすすみ、核家族化することによって委譲すべき「権力・財産」が変化した家族と言える。「家」という権力よりも「賃金」という権力を選んできたともいえるだろうか。高給を得ることが「権力=ステータス」と変化していったのが近代化の側面であり、いわゆる「家父長制」の財産権力が変化した。

そのため、個人が社会の中に剥き出しで置かれるという状態が現出することになる。不自由ではあるが「家父長制の家」の権力委譲構造の中にいれば個人の能力の高低を問われずにすんでいた男たちは、「金」という権力に乗り換えたため、その「金」をどれだけ得られるかで男個人の能力、そして存在価値までが計られるという状況におかれることとなる。このことは映画の中の長男と次男の描かれ方によく現れている。

勉強ができ、高学歴の長男はホワイトカラーとして都会の一流会社に就職している、よって高給取り。次男は高卒でブルーカラー、低賃金。長男が次男を見下したように接するのは、家父長制の名残である年長者>年少者という身分の高低とともに、より多くの金を稼げる男が男として優秀という近代社会の規範をも背負っているからである。

家父長制の時代から現在まで、権力の担い手たるべき男たちには次のような言葉が幼少から投げかけられ刷り込まれている。「泣くな/逃げるな/負けるな/頑張れ/泣き言は言うな、男は黙って…」。母親や祖父母の声が聴こえてこないだろうか?「ボクは男の子なんだから、泣かないの。強い強い!」と。

自分自身の存在価値が金で計られる社会の中で、負けること許されない男たちは、文字通り死ぬまで働きつづけることを要求されているのである。

「リストラで自殺」などと言う解説が新聞を飾ることがある。一見解りやすい説明がつくことで自殺の原因が理解できたなどど、思考停止状態に陥ってはいけない。彼らが死を選ぶのは、仕事を失ったからではない。仕事をなくしたゆえの=金を稼ぐことができなくなった故の=自身の存在価値を奪われたからなのである。

明治男は気概があるので、生半可なことでは自殺などしないとか、今の時代を生きる男たちがさも弱くなったように述べる論調は真実を見逃している。明治の家父長制を生きた男たちは社会制度に厚く守られていたが、近代社会を生きる男たちを守るものは何もないのである。

課題2 一番感動したシーンとその理由を述べ、ジェンダー視点で検討せよ

岩手に1人戻った父がストーブに火をつける瞬間に見る幻想のシーンに涙する自分を発見する。この涙の成分は何だろう?

暖かい部屋で家族そろって食事をする。みやげ物を子どもに手渡す父、歓声を上げながら包みを開けようとする子どもたち、体を気遣う妻。祖父の温かい目は父に向かって「おまえ(父)は期待通りの息子である」といいたげである。このような場面に感動を受けるのは、自分もまた、寄り添って生きる家族への強い郷愁を持っているからであろう。郷愁とは失われたものへの強烈な恋慕の感情。あの場面は失われた/手の届かない愛にあふれた家族の暖かさを文字通り幻想で見せているのである。「愛だよ、愛」とCMで次男・永瀬が語ったのはちょっと昔のことでした。

資本主義社会が必要とした核家族は、家族制度維持のために愛・性というファンタジーを用いた。資本主義社会の「愛」のからくりに気づいている自分のより深い意識の中に、あの場面に涙する別の自分があり、二面性を意識せずにはいられない。「制度から自由であることは制度に守られないことでもある。個で生きることは、非常なストレスを生む。資本主義が高度に発達した近代社会で個を優先させて生きることは本当に人間らしい生き方と言えるのだろうか?」と深層の自分が表側の自分をゆさぶり問いかける。その答えは?

愛あふれる家族、言い換えれば、人は親密な関係なしには生きられないのであろうか。人がもっとも恐れるものは死であろう。死とは永遠の孤独、人々の記憶からも忘れ去られる。人のもっとも恐れるものは死ではなく、孤独かも知れない。親密な愛に包まれた人間関係を実現する場として家族は強力な磁場を発揮してきた。

しかし、高度に発達した資本主義社会はすでにほころびを露にしてきており、歩調を合わせるように、愛や性を媒介とした親密な人間関係=家族もまたほころびを見せてきている。人が求めてやまない「孤独からの解放=親密な人間関係の中に包まれること」を愛や性のファンタジーから自由にすることは可能なのだろうか?あるいは、親密な関係を持つ人間同士のつながりは家族だけが持つものなのであろうか?さらに考えれば、親密な関係を持たず、固定的でない距離感の人間関係の中で生きることこそ、孤独ではなく本当の自由と言えるのではないか?だとすると、あの涙は自由への恐れの裏返しかもしれない。

【おまけ】村上龍「最後の家族」は、近代家族がどこに向かうのかの一つのヒントに思える。

課題3 あの後、父親を取り巻く環境はどうなっていくと思うか?

長男・長女・次男ともにそれぞれの生活に追われ、また故郷の慣れ親しんだ家を離れがたい父の思いとの折衷案で、父は独居老人として暮らすことになる。たぶん10年ぐらいは1人で暮らせるのではないか。しかし、心臓の薬としてニトロを持ち歩いていることから、一番ありうる可能性としては心筋梗塞による突然の孤独死。その葬式の場が想像をたくましくさせる。

ともに東京近郊で暮らす長男次男に比べ比較的父の近くに住んでいた長女の環境を想像してみる。田舎暮らしを続けていることから結婚相手も長男であることが想像でき、父に同居を申し入れることはできにくい。やむを得ず自分の生活に合わせ足しげく父の下へ様子を見に通っていたが、「家族はともに暮らすもの」の規範が強く残る地方にいる長女にとって父の死を見とれなかったことへの自責の念が強い。家族に愛情深く接することは女の役目であるとするジェンダー規範が働くためである。

長男は職場内の出世に伴い、転勤を余儀なくされる。自分が故郷を捨ててきているため、家族同居を強く主張できない長男に対し、子どもの環境を優先に考える母親は夫の単身赴任を選択する。単身赴任中の不自由な暮らしを続けるうち、長男は故郷の父親の不自由さ・さみしさを実感として捉えられるようになる。出稼ぎの父を自分を重ね合わせてみていたかもしれない。そんな中、父の孤独死が知らされる。長男はいろいろと手を尽くしたにもかかわらず(同居を申し入れたが断られている)、孤独死する父に「自分の面子」がたたない思いを抱く。近代家族の父として今を生きながらも、成長の過程で刷り込まれた規範は家父長制の名残も残しており、家と父を守るべきジェンダーを背負っている長男は、守れなかった自分を肯定的に捕らえることができないのである。

次男は家父長制から見捨てられた「次男」であり、また近代社会の高賃金を稼ぐ男としての役割からも、すでに遠い存在であることを本人もうすうす感じてはいる。結婚相手に聾唖者をえらび、さらに近代社会の周辺で生きることを余儀なくされていく。

社会規範に沿って生きることは、裏返せばその制約の中を生きることである。周辺に生きる次男は権力構造から遠い存在であるが、一方で規範からのある程度の自由/距離をおいて生きることが可能になってくる。このことは人が自分らしく生きる上で非常に重要な意味を持つ。制約から自由であること、あるいはどのような制約を自分は受けているかを自覚を持って生きること(構築された自分自身に気づく)をフェミニズムは「解放」と呼んだのであり、女性解放思想としてともすれば認知されがちなフェミニズムは、実は女だけでなく男も解放する思想だと言うことができる。

映画の中で次男の結婚報告を聞いた晩、父が「お富さん」を熱唱する場面が印象深い。あの場面の父は自分の存在が弱者でしかないことを突きつけられていた。彼もまた権力から見放されることによって、規範からの自由を得たのである。規範に沿うことを強制されない場面で初めて父と子は本音の表出が可能になった。人間の持つ親密な感情はこの時初めて父と次男の間でのみ交わされたのではないか。

次男が職を転々としていたころの父の次男への接し方と、この時以降の接し方が激変していることに注目したい。(家父長制の権力者・父の役割で接していた時/親密な人間関係の当事者同士として)岩手に帰る父はFAXまで携えていた。初めて心を交わした父の喜びが「お富さん」熱唱のシーンとなる。(次男の結婚相手が聾唖者なのもある意味づけを感じさせる)

その後岩手に帰郷した父は前述の幻想をみるのであるが、あの幻想は過去の現実ではない。実際過去のあの場面では、父は家父長制の役割としての自己を演じていたはずであり、感情の起伏を露にしないとか、何か得たいの知れない気分の盛り上がりを感じたが、それを感じること自体を自分に禁じていたはずなのである。

人間は自分の感情を「知っている」と思いがちである。だが、柳田國男が「東北の女性は不安と言う感情が理解できない」と調査研究の結果述べたころと環境がそう変化していない時代に成長した父は、親密な愛情を「覚える」ことはなかったのではないか。役割に沿った振舞を家父長制の中でパターン認識していただけではなかったか?あの幻想の場面は心の交流を次男を通して初体験した父が、こうあることもできたはずの過去として見たのではないか。

岩手で独居老人として暮らしている父は、近所の人にこういわれたかもしれない。「歳とったんだねぇ、(性格が)丸くなっちゃって。お嫁さんとFAXなんかやり取りしちゃってさぁ。」彼は丸くなったのではなく、感情を自分のものとし、表すことができるように、やっとなったのである。たとえ一人暮らしではあっても、孤独死をすることになっても、幸福な晩年だったのではないか。

さて、上記のような思いを抱えた、3人が父の葬式で久しぶりに対面する。父と心の交流を持てた次男は、純粋に悲しみにくれているが長男と長女はそれぞれが抱える自責の念や刷り込まれたジェンダーによって、父の死という悲しい場面でさえ、与えられた役割を演じつづけている。次男はそのような2人に、説明できない怒りを感じ、葬式の最中に2人に言いかがりのように突っかかることを繰り返し、最終的には大騒ぎの喧嘩を繰り広げることになる・・・。山田洋次監督得意の「寅さん」的てんやわんやが起こって、人生の悲哀をそれぞれが感じるエンディングとなる、なんちゃって。

結婚や誕生、葬式という人生の区切りとされるできごとに人が出会う時、人の深層意識に刷り込まれたものが表に出てくることが多い。リベラルな印象を持つ人が、思いがけず前近代的な規範をしょっていることに気づかされたり…。文化とジェンダーは二重螺旋のように複雑に影響しあって今の私たちの中に根付いている。人権問題として単純には語れない。

2002/6/3 提出

UP

日本女性会議2002あおもり~その②

2002年に初めて日本女性会議というものに、市の男女共同参画関連ということで視察に行かせてもらった。昨日アップしたののほかに上野千鶴子さんと北原みのりさん(アダルトショップ代表)と石坂啓さん(漫画家)の鼎談が見つかったのでアップ。2時間の鼎談だから、長いよ~。会場で来てる時も歯に衣を着せない発言ばかりだったけど、文字にするとさらに際立つね。」グーグル検索で危ういサイト扱いされかねない。

 

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日本女性会議2002あおもり

2002.10.4.FRI~5.SAT
青森文化会館/ぱるるプラザ青森

テーマ
私は私を大切に思うのと
同じ重さであなたを大切に思う

大きなお世話か~フェミニズムを次の世代に手渡すために~
・・・日本女性会議2002あおもり 全体会Bプログラム

 

上野千鶴子:こんにちは、おはようございます。ようこそ、裏番組へ!どちらが表でどちらが裏番組かは判りませんが、青森文化会館 とこの「ぱるる」2つの会場で同時進行で行なわれております。体が引き裂かれる思いでいらっしゃると思いますけれども、それでもこちらを選んで下さった方々、本当にありがとうございます。ここにいる3人は共通点があります。どっちが裏番組でどっちが表かは最後は視聴率で勝負したいと思っておりますが、何しろむこうさんは、政府の関係者であるとか大新聞の記者であるとか様々な方がお揃いなんですが、ちょっと平均年齢がお高めであるようで、むこうが年長組、こちらは年少組でございます。もちろん、会場にはいろんな年齢の方がいらっしゃると思いますが、ここは”young at heart” 気分を若く行こうと思います。できるだけリラックスして楽しく過していただいて、終わったら「あ~、ここにきてよかったぁ」って思っていただきたいと思っております。

もうひとつここの3人の特徴は、私はなんだか国家公務員なんかになっちゃいましたけど、後の二人は漫画家とセックスグッツショップのオーナー、まぁようするに、フリーターに毛が生えたような方々たち、国民健康保健で生きている方たち(笑)。そういう意味で組織の後ろ盾もなければ看板もなく、身ひとつで身体を張って生きている方たちです。それともうひとつは、もともと石坂啓さんというのはどちらかというと割とエッチな漫画を描いておられた方です。北原みのりさんは知る人ぞ知る女性でセックスグッズマーケットを開拓したショップのオーナーであり、経営者であり、自らもいろんなアイデアを、持ってらっしゃる方です。私は、何を隠そう下ネタ学者と(笑)、別名4文字学者、おまんこ学者などと呼ばれて、ヒンシュクを買っている3人でございます。この3人の共通点は「ヒンシュク」という言葉でございまして(笑)、たぶん皆さんも各地でヒンシュクを買ってらっしゃると思いますが?というわけで、楽しく行きたいと思います。

そうですね年齢でいいますと、私が54歳です。ぶっちゃけて言いましょう、更年期も過ぎました「あがった女(・は強調する話し方、以下同じ)」です。石坂啓さんが46歳、なぜだかこの人だけ「夫・子持ち」です。北原さんが31歳、最年少。一応私どもは、フェミニズムの話をするにあたって、50代40代30代とそろえました。どうしてこの年代から上がないかと申しますと、申し訳ありませんがフェミニズムという言葉が日本で流通し始めまし々はご遠慮いただいたのです。

そうは申しましてもフェミニズムという言葉の歴史は大変古うございまして、一番最初に使われましたのは戦闘の中ですから大正時代にもう使われています。日本語に訳さなかった私どもに責任があるのでございますが、中国語ではちゃんと女性主義と訳されております。フェミニズムと申しますのは女性主義とか女性解放思想とか約されたのですが、フェミニズムという舌をかみそうな言葉ですので日本語にしたいのですが、日本語にしましょう。ここでは「フェミ」ということにします。これ以降「フェミ」といったらフェミニズムのことだとお考えください。

それから、表番組というか青森文化会館というお名前からして格調高いところで行なわれているのは、人数も5人もいらっしゃるんですね。ここは3人で、多勢に無勢、50代40代30代一通りそろえましたが、あと一人ここにご登場願いたい人を用意しました。それは誰かと申しますと…。フェミニズムの前には日本ではウーマンリブというものがございました。私はリブよりちょっと遅れてきた世代です。日本のフェミニズムを語るときウーマンリブを避けて通ることはできません。リブというと皆さんはどんな感想をお持ちでしょうか。リブ世代の方がここに一人いらっしゃると話はもっとおもしろくなるのでしょうが、なぜだか今日はお呼びいただいておりません。で、架空のキャラを用意いたしました。(かぶりものをつけながら)ミスウーマンリブ、ミズリブ(写真参照)に私がなる時にこれをかぶります(笑)。合計4人で進めたいと思います。ところで、このかぶりものは北原さん手づくり?これなんですか?


北原みのり:まんこドールです(爆笑)。

上野:昨日のワークショップで使われた?

北原:それをかぶるとまんこの気持ちになる。

上野:はぁ、はぁ。まんこドールというものでございまして、ここが(かぶりものの毛をつまみながら)何かと申しますと、まんげ毛、茶パツのまん毛です。茶パツの人とお風呂に入るとおもしろいですね。髪の毛茶パツでもまん毛は黒い。(笑)それはそれとして、これはふさふさとしたまん毛でございまして、猛々しい。ミズリブだったら「フェミってなあに?」って言うだろうかって考えたんです。


ミズリブ(上野・以下同じ):フェミ?フェミってなぁに?私はリブよ。リブはリブよ。フェミなんてさぁ、あたしたちがさんざんぱらいろんなこと言った後で、75年の国連女性差別撤廃条約 とかってのがでてきて、フェミが国策になってからでてきた学者とか主婦の人たちのことでしょ。

上野:っておっしゃるかも知れません。ミズリブは特定のモデルはございませんので、架空の人物でございます。というわけで始めたいと思います(拍手)。さっき紹介してくださいましたけど、ちょっとお二人に何をしているのかを簡単に自己紹介してください。


石坂:こんにちは。漫画家です。石坂啓というのはペンネームでして、本名は啓子というんですけど、マンガを描き始めた時にあんまり男とか女とか先入観をもたれたくなかったので、ペンネームをこうしました。だから、よく男性と間違われます。デビューしたころ雑誌に写真を出しましたら、他の漫画家の先生たちに「あ、やっぱり男だったんですか」って言われまして(笑)ちょっとムッとしたことがあります。今日は青森で上品に行こうと思ったんですが、なんだかお二人にはさまれてると、おとなしくはできないかなと…。それでなくても私すごく体がでかくて、声もでかくてどうも態度もでかく見えるらしいんです。自分では謙虚にしてるつもりなんですが…。漫画家同志の飲み会があって、隣にいた女の子が他の人とケンカをしてテーブルをひっくり返しちゃって大惨事を起こしたことがあったんです。ところが翌日他の編集者にあったら「石坂さん、暴れたんですって?」って言われちゃって…。私はテーブルとか片付けてたほうなのに…!いろいろと損することが多いです。でも、このお二人の間ではちょっと控えめに見えるかもしれません(個人的に笑)。青森の方に媚びて帰ろうと思っています。よろしくお付き合いください。

上野:北原さんのお仕事を説明するのはちょっと難しいんですね。どうです?ご自分で。

北原:はい、私は今「ラブピースクラブ」という女性向のセックスグッズショップを経営しています。一応厚生年金で暮らしているんですけれど(笑)。平たくいうと大人のおもちゃ屋をやっています、96年から。こういうことをやろうと思ったのは、インターネットのホームページの制作会社をお友達と経営していたんですが、そのころインターネットというのはポルノグラフィばっかりだったんですが、アメリカのを見てみたら、女性向のポルノグラフィのサイトはとてもきれいでかっこよかったんです。それと、女性が作ったセック
スグッズ、今までのバイブのイメージを変えるようなものが売られていて、日本のバイブって…。(間)こんな話最初からしちゃっていいんですか?

上野:北原さん、ちょっとあんまり横文字とかカタカナ言葉使わないほうがいいんです。バイブってなんですかぁ?(わざとらしく)

北原:バイブはですね、日本語でなんていうんでしょう?マッサージャーのような…。肩こり機のまんこにあてるもの。

上野:バイブレーターの略。昔の大和言葉で「張り型」と申しました(笑)。

北原:張り型は動かないんですけど、張り型の進化形がバイブです。

上野:ハイテク商品ですね。こちらの方はバイブレーターを販売してます。今日は商品見本はお持ちじゃないの?

北原:楽屋にはありますけど。

上野:あぁ、そうですか。実物見せてもらったらよかったんですけど。ところで、もうかってまっか?

北原:一応会社にしておりますので、利益を出そうと努力はしています。女性向のということで男性向けマーケットをつくっているのではないので、初めて女性がバイブを買うモチベーションを創っていくところからやってきたと思っています。今は一日に20万件くらいヒットするまでのホームページになりまして、お店に実際来る方は少ないですが、地方の方や海外の方も反応して下さっています。勉強会などもしていて、セックスについて自分の言葉で語るというようなワークショップもやっています。

上野:ありがとうございました。今日は放送禁止用語が何回もでるかもしれません。でも、どうぞ私たちを責めないでください。この3人をここに組み合わせたのは実行委員会の方々です(爆笑)。何か問題がありましたら、実行委員長の方におっしゃってください(爆笑)。ここは普通のシンポジウムみたいに「フェミニズムを次の世代に手渡すためにどうしたらよいかを、それぞれ15分ずつお話ください」なんて、ダッセーことはやりません(笑)。私、合計10問の質問を用意いたしました。それをパキパキと行きますので、一問1分から2分くらいで流していこうと思っています。

今、フェミというのは全国的にバッシングを受けている、というのは皆さん肌で感じておられるかも知れません。このパネルの一番最初にいただいたタイトルは「なぜ、フェミは嫌われる 」というものでした。ま、嫌われるというよりも、余計なお世話かというような、前向きなタイトルにしようということにしたのです。まずフェミニズムと聞いたら何を連想しますか?というところから入ろうかなと思います。(会場に向かって)どうぞこのお二人と一緒にご自分ならどうだろうと想像しながらお答えを聞いていてください。では、ミズリブさん?

ミズリブ:フェミ?フェミニズムってリブじゃないわよ。フェミってこんなんでしょう?お尻さわられたらさぁ、「(ばしっと)なにすんのよっ!」って手が出るのがリブで、「(なよなよと)あらぁ、これってセクハラじゃないかしら」っていうんでしょ?

上野:実際ほんとにこう言った方いらっしゃいます。田中美津 さんです。性格の悪い人です(個人的に笑)。じゃ、フェミって聞いてなにを連想する?

石坂:フェミって、実はフェミで区切ったのは今日ここで初めて聞きました。フェミニズムと聞くと私は上野さんの顔を思い浮かべます(笑)。フェミって聞くとシャンプーを連想しますね。あの、刷り込まれていたと思いますが、振り向いた時のかわいらしい女の子のイメージで流れていたCMで聞いた単語だなぁって。

北原:私は、ちょっとしたやくざなイメージで、上野さんの顔がかぶりますね。上野さんの言葉でフェミニズムがいろんなところへなぐりこみをかけてきたんだってのが、すごく印象に残っていて。

上野:こんな答えが出るとは予測してませんでした。「(自己紹介のように)歩くフェミニズム」です(笑)。私の周囲には上野がフェミニズムを唱えたばっかりに、フェミの評判を落としたとおっしゃる方がいるので、まぁ、そうかも知れません。罪なことをしたと思います。ところで、じゃ、あなたはどうなの?って聞かれたときに、あなたは自称フェミニスト?あなたはどうなのって人から聞かれたときに、どう答えますか?ミズリブに登場いただきます。

ミズリブ:(はすっぱな話し方)アタシぃ?アタシはリブよ 、リブはリブよ。リブってのはね、生まれた時からリブなの!リブって生き方の問題なの。だから、フェミニストのように、「…になった」り「…でなくなった」りなんてことはないのよ。

上野:って言いそうですね。あなたは自称フェミニスト?もうひとつ続きを言いましょう。リブの時代にこういうことがありました。これ(まんこドール)ってたまたまピンクですが、多くの方がリブと聞いて連想するのはたぶん田中美津さんの顔よりもピンクヘルメット でしょうね。ピンクヘルメットの時にいろんな方がこういうことをおっしゃいました。「私はリブではありません。But…」ですね。「私はリブではありません。が、でも、女性の地位向上はしたほうがいいと思います。」というように煙幕を張ってものをおっしゃった。同じように、段々フェミも評判が悪くなりまして、「私はフェミじゃありません、でも男女共同参画は進めた方がいいですね」っておっしゃるわけです。どうもリブも評判悪いし、フェミも評判悪いですが、あなたはフェミニスト?って聞かれたら、石坂さんならどう答えるの?

石坂:私は軟弱ですけれども、自称フェミニストと言いたいです。内容が伴っているわけではないのですが。私は男向けの漫画雑誌で仕事をしてます。どうして男性誌で描いていたかというと、20年位前にデビューしましたが、そのころの男向けのマンガに描かれている女の子のキャラにすごく不満があったんです。自分も若かったですから、「ちょっと待てぃ!」って言いたくなるくらい。そういうことを自覚せざるを得なかった。マンガってのは人気がなくなると即仕事がなくなりますから、いくらか媚びながら描きますが、それにしても男の子に人気のあるのはどういうキャラかというと、かわいい女ですね。それから身体がいい。おっぱい絶対でかいんです。それから賢いんだけど、あんまり賢すぎちゃいけないんです。あんまり賢い女の子は男の読者に反発を買う。それから、男の子とHをするとですね、Hの内容はともかく「いやぁん」とか言ってても必ずHが終わると「よかった」っていうせりふを言ってる。それにちょっと待ったって気持ちでこういう雑誌の中にもぐりこんできていました。女のほうからのものの言い方というのを意識していましたから、そういう意味ではフェミニストと言えるかなと思います。

上野:石坂さんみたいな人に、男向けの漫画媒体がよく漫画描かせてくれましたね。どうやってもぐりこんだの。

石坂:編集者と酒を飲んでですね、仕事をもらったり…。(笑)嘘!嘘!。私は手塚治虫さんが好きで、最初から少女漫画を描いていませんでしたので、男性誌であえて描きたいと思ってもぐりこむようにしていました。

上野:媒体にもぐりこんだけど、でも残念ながら爆発的には売れてないんですよね。あの「めぞん一刻」 の方のようには(個人的に笑)。じゃ、北原さん、いかがでしょう、30代。

北原:30代代表じゃないんですけど。自称フェミニストって言われたらというか、「フェミニストじゃないよね?」って言われたら「フェミニストです」って言うようにはしているし、やっぱりフェミフェミ怒ったり泣いたりしてるのでやっぱりフェミニストなんだなって思うんですよ。フェミニストって現代の最先端を行っていてかっこいいというイメージを持ってる方がいらっしゃるとしたら、私はアカデミックな現場にいないし、むしろ気分的にはリブのほうなのかなとも思います。

上野:なるほどね、フェミじゃなくてリブという選択肢もあるかもしれません。でも「フェミニストじゃないでしょう?」ってどうして言われるんです?

北原:それは「(さぐる感じ)フェミニストじゃないよね?」って、カムアウトする前に。カムアウトするしないってのがあって。

上野:あぁ、向こうが警戒してるって感じ?私もね、学生さんが寄ってきて「先生、先生フェミニストとちゃうやろ(大阪弁)?」って言われるんです。「えぇ~!?」とか言うと「他のフェミニストの先生と違いすぎるもん」って(笑)。自称フェミと名乗った時の回りの反
応ってどうです?名乗ったとたんむこうの腰が引けるとか。

石坂:引きますね。「あぁ、はいはい」って感じで言われますね。それはどうしてかな?あまり検証したことがないんです。今日のタイトルにもありますが、いくらかそういう輪郭をもたれているんでしょう、恐そうなとか、うるさそうなとか、これは相手にすると面倒だなというのがあるかもしれない。

上野:それは営業上マイナスですか?

石坂:マイナスではないです。マンガの場合はマンガで見てもらう。だからそのマンガの中に描かれていることで相手に引かれるとこれは完全にマイナスですが、読んでもらえるかどうか、その前に漫画家はどうか。漫画家って性格の悪い奴が多いんです。あんまりいい奴いないんです。雑誌の方も、編集の方も最初から用心してかかっている。変な奴と付き合わなくてはいけないという用意がありますから、その意味では営業として人格的な要素はあまり関係がない。

上野:フェミニストにもあんまり性格のいい人がいないように思うんですが。北原さん営業上どうですか?

北原:「今フェミニストです!」って営業してるので、フェミニストは商品だと思っています。

上野:フェミで商売してる?すばらしい、とうとうこういう世代が現れた、フェミマーケット。

北原:そうです、セックス産業に入っていくときに、フェミ産業から入っていったほうが入りやすいんじゃないかと思ったのであえてフェミニストですって。

上野:私は80年代のフェミニズムの商業主義化のA級戦犯といわれてるんです(笑)。でもね、商業主義化ってどうせなら村上春樹ぐらい売れてから売れたっていってくれよって、100万も売れたことないんで。ですから、フェミ業界といっても細々としたもんです。ところでお二人に聞きたいんですが、どうも若い人にフェミって評判よくなさそうなんですが、おふたりはそんな中でどうしてフェミニストと自称するようになったんですか?「人は如何にしてフェミニストになるか!」?

石坂:持ち上げるわけではないんですが、私は上の世代でかっこいい人たちを見てそちら方面について行きたいと思うことがたくさんありました。千鶴子さんにお会いしたのもそうです。私はマンガ雑誌の中では全然売れない、マイナーだけれども、例えば戦争の話を描こう、女性のことを描こうとか思ったときに、先人の描かれた物をみたりして、やはり時代を引っ張って行く人ってかっこいい。大方の人は、時代が進化していくときに乗っかっていく。そうやってどこか進化します、それぞれが。だいたい時代の流れってそうやってすすむ。時代の流れの足を引っ張っている人ってあんまり好きじゃない。時代を持ち上げ引っ張って一番を走っている人はかっこいい。そのかわり、一番を走っている人は時代にあんまりはやすぎて、あんまりいい目にあってなかったりする。討ち死にしてたりするんです。辻本清美 とか(会場は笑)、上野さんも売れてないだろうなとか。そういう人たちの後について行きたいなと言うのがあるので、一番を走る根性がないのですが、気持ちは引き継ぎたいというところです。

上野:相当気配りしてない?(笑)。北原さんの世代でフェミニストって珍しいと思うんですけど、どうしてそうなったんですか。

北原:大きな理由とかないんですけど、子どもから大人になる時に自分の身体とセックスに対してどうしても言葉で表現できないことがあって、自分は意識してないけど、痴漢にあったり、いきなり性的な対象にされたりとか。そういうときに自分の中にもやもやしたものがたまってしまって、それをどう発言するかを考えてきた。高校生の時にジェンダーという言葉に出会って、「あ、これだ」って発見があった。私はリブの世代の空気も知らないし、初めからアカデミズムでの勉強フェミでジェンダーという言葉がぴったりきた、ここだって入っていったような気がします。

上野:お勉強フェミが役に立ったという証拠を初めて見ました。

ミズリブ:あたしは、リブよ。リブって生き方だから、「に、なった」り「に、ならなくなったり」するもんじゃないの。

上野:リブの方はそうおっしゃいますが、私、今「フェミになる」って聞きましたが、ちょっと誤解される言い方をしたかなと反省してます。「人は如何にフェミニストになる」はね、人は自分の中に抱えているもやもやがいろいろあった時、それに言葉を与えてくれるものが登場した時に「あぁ、私が前から感じていた、考えていたことはこれだったんだ」って出会いが出てくるだけなんだと。だから最初から感覚とか生き方とかが内側にある人がほとんどだと思います。私フェミニズムは70年代から日本で流通した言葉だと申しあげましたが、この会場にいる人たち、70代でも80代でも90代でも「私はずっとそう考えてたのよ、それをフェミニズムって最近の言葉で言うの」ってそれだけのことなんだと思います。でもって、そうすると私はあなた方の世代を見ると思うのですが、私たちはフェミニズムに言葉を与えるということをやってきました。女性学ってのをやってきたのですけど、そういうのをちょっとかっこよく言うと「私の前に道はなく、私の後に道はできる」って言うんですけど、という女性学のパイオニアの世代です。パイオニアの世代というのは苦労もしましたが、好き放題でもあったんですね、何をやっても誰からも何も言われない。30代40代の方たちは目の前に誰かがいて、歩くフェミとかお勉強フェミとかがあって、なんかお勉強フェミとか、人の言葉を学んで、「(気づくみたいに)あ、ジェンダーなの。あ、フェミなの。」って何かを自分の中に身につけていくときの、プラスもあるけどマイナスもあると思うんです。「やだなぁ、こういうことをこういう風に言われたくないなぁ」って。上の世代からこういう事を押し付けられたくないってのもあるんです。私は石坂さんの先ほどの気配り発言を聞いて、「あ~、この人も大人になったなぁ」って思いましたけど(笑。)ちょっと率直なところ上の世代のフェミを見ていてどう思う?

石坂:気配り抜きで言いますと、好き放題やってくれたおかげで、その反動が私たちの世代にあったかもしれない。上の人たちが痛い目にあっているのを見て、じゃもう少し上手に立ち回ろうとか、その反動でまた保守にいっている女性も多い世代だと思います。

上野:反動って具体的にどういう形を取るの?

石坂:例えば林真理子さんとか(個人的に笑)。これ、オンエアーされてませんか?(笑)。どうやって言ったらいいでしょうか、男性にかわいく見えたい、男性にあまり逆らわない、男性に媚びる、ひどいいい方してますね。林さんということでは…一般論的、一般論で言ってるわけではないんですけど。そういう揺り返しはあったろうなと思います。痛い目にあった人たちと同じ轍を踏まないというところでちょっと引っ込んじゃったかも知れない。

上野:なるほどね、でそのうまく立ち回っていらっしゃる方たちは、ちゃんとそれに成功していらっしゃる?オヤジ社会からうまい汁を吸っていらっしゃる?

石坂:ちょっと自分で描いた漫画の話をします。私、女の子が男社会でいい目をみて自分がおいしい思いをして、それで好き放題やって何が悪いというようなストーリーを書いたことがあります。自分としては上手に男を手玉にとって自分だけが楽をして儲けるというやり方をしてる。しかし気づいてみると一番儲けていたのは男の側ではないか、というところに最終的に持っていく話を描いたことがあった。私の考えでは傍目にとても楽そうでいいとこ取りに見えますが、対等にちゃんとした市民権を得ているわけではないと、得はしていないと思います。

上野:得はしてないと思うのはあなたが第三者で、ご本人はどう思ってらっしゃるかわかんないじゃない?ご本人はいつか石坂さんがおっしゃったようなことに気がつくことがあるの?

石坂:マンガを描いていた後、私自身に子どもが生まれたりして、子ども中心で生活せざるを得ない時があって、やっぱり楽な生活ってずっとは続かない。具体的にはやっぱりどこかでぶち当たるなぁという気がするんです。現実的に自分が困難になると感じる時はあると思います。だから、私は人生は公平にできてると考えたいです。だって悔しいですよ、だってそんな楽していいとこ取りの人生を送る人たちがいっぱいいるとすると「ちょっと待った」ってまた言いたくなりますから、それが本音ですね。

上野:本音が出ましたね、これをなんというか。今に見ていろ路線(笑)。でも、最後に今に見ていろが来なかったりしてね。今の若い子たちの、ロールモデルが栗原ひろみ さん。女の人はずいぶん変わりました。女はずいぶん変わったけど男社会が変わらないもんだから、それだったらできるだけ労を少なく、コストパフォーマンスのいい生き方をしようというように若い女の人たちが思っても不思議はないと思います。うまくいけば、家庭と夫を大事にして世間的にもサクセスできるという栗原ひろみというロールモデルがもうひとつ林真理子さんの向こう側にいらっしゃる。この方もそのうち今に見ていろになるのかしら?じゃ、北原さん、どう?

北原:上の世代って、上野先生の世代のことじゃないですよね?(笑)30代後半とか40代のフェミニズムの人たちって頭に浮かばなくて、やっぱり上野さんの世代になってしまうかな。出会えた形というかフェミニズム業界の中を見ていくと、やっぱり50代の方が多くて、食いもん違うと思うくらい元気な方が多い。(笑)で、なんだろう私に「若いからがんばりなさいっ」とか「あんたすごいわね、セックスグッズ?」とか、「自分はセクシャリティなんかもうどうでもいいんだけど、あんた頑張ってね」って。私はもっと上の世代の方に頑張ってもらいたくて、それでいいとこ取りしたいって思っているので、もっといろんなこと頑張ってやってくださいって気がするので「(ぶりっこ口調で)応援してま~す」って(個人的に大爆笑)。

上野:今日は相当気配り発言が多そうな気がします。でも、お勉強フェミしてた時はどうでした?お勉強の中にもちろん共感もあったでしょうか、違和感もあったと思うのですが。両方あって当然と思いますが。

北原:私たちの時は女性学が大学で学べる時代ではなかったので、ほんと趣味のフェミニズムですよね。今ほんとうらやましい、20代の人たちが「私セクシャリティ勉強してます」って方、いっぱいいるじゃないですか。でも、話を聞いてると、アカデミズムの中で自分の言葉で喋らないから、勉強してても自分の生活がどうなってるかというと、大学の先生にお茶を出したりとかかわいらしい女を演じたりとか。そんな中で引き裂かれる思いがあるというのを聞きます。私自身はそういったところで戦ってなかったので、とても強い違和感をもって生きてきたわけじゃない。

上野:なるほどね、今の北原さんの発言の中で「フェミは趣味ですから」ってこれは言いえて妙ですね。私たちの世代は実はそうでした。フェミは趣味。この趣味で飯が食えるなんて夢にも思っていなかった。ところがやっぱり私若い人見てて思うんです。フェミが趣味でなくなった人たちが、業界ができたために、出てきたのね。その女性の方たちが超高学歴化してる。大学院というところに入院しておられる(笑)。大学院にすすむことを私たち入院というのですが、入院期間が長期化すると社会復帰が困難になる(爆笑)。困難になるとリハビリが必要になる。こういう方たちを大量に生産するのが女性学が大学で市民権を得た効果なのかなと思うと「う~ん」とか思っちゃったりする。というわけで、私若い世代の女を見てるとむかむかすること結構あるんです。で、どうですかね、石坂さん。30代女見ていて、さっき上の世代のことを話してもらいましたが、今度は下の世代を見て、この人たちいったいどうなってんのって思ったときないですか?

石坂:今30代40代の方との付き合いがすっぽ向けてるところがあるので…。上の世代に対してあんまり腹が立つことはありませんし、また、逆にあんまり若い世代向けにマンガを描くこともないから、それもないですね。もうひとつ下の若い世代と付き合っているんですが、うちの子どもは小学6年生。私の住んでいるところは東京といっても下町の雰囲気のあるところで、いつも子どもが出入りしてるんです。朝うちの子を迎えにきて一緒に納豆ご飯を食べて学校いくとか、近所にたまたま仕事をしている親が多いので、うちで夕飯食べていったり風呂入っていったり、男の子も女の子も間近に見ていたので、そこらへんの女の子はおもしろいなと思って、厭きずに見ています。大体子どもはそうですが、女の子の方がはるかに大人で、女の子は騙せないなと思います。男の子は騙せますね。男ってやっぱり、おろかかも知れない(笑)。そこらへんの10歳~12歳の女の子は、あれもやりたいこれもやりたいなんて言ってるところは悪くない。間の世代をこえてその子達と付き合えるかなって思います。女の子とこの間話してたのは、「下ネタって、今までできの悪いギャグのことだと思ってました」って(笑)。全然違うって、いろいろ教えてあげることたくさんあるって(笑)。

上野:お母さんの世代よりは一つ下の今の中学生くらいの方に希望を持っておられるのね.でも、どうでしょうね、小学生くらいまでは男の子と女の子が取っ組み合いのけんかをしても、女の子が勝っちゃったりするんですが、今の50代60代のかただって小学生のころは元気いっぱいだったかも知れないじゃないですか。そのまますんなりその元気のまんま育ちますかね?

石坂:私はいくつか芽を残したいと思っています。逆によいしょと持ち上げて、育てたいなと思っています。現実どうでしょうね、来年くらいは一緒に遊んでくれなくなるでしょうか、男の子と女の子まったく分かれちゃうかも知れないし。今のところ、可能性としてやっぱり才能の塊を見ているわけですから、ちょっと育てたい気にはなりますよね。

上野:11歳って微妙な年ですね。私の敬愛する友人、小倉千加子 さんという方が「セクシュアリティの心理学 」と言う本で「思春期とは」というほんとに卓抜な目からうろこの定義をしておられるんです。「思春期とは女の子が自分の肉体が男の欲望の対象になり、男の目線で値踏みをされると言うことを自覚するようになる年齢のこと、生理年齢に関係ない」ですから、3歳で自覚したら3歳でその子の思春期は始まるの。15歳で遅れた思春期を迎える子もいる。11歳ってきわどい、微妙なころね。この子たちがこのあと、オヤジ社会から甘い汁を吸って寄生して生きようと思うか、それとも思わないか、どうなんでしょうねぇ。

石坂:もう思ってると思いますよ。「年取る前に早くお金持ちの彼つくりたぁぃ」なんて言ってますから、もう侵されているところあるかも知れない。

上野:現実わかってないのは、もうお金持ちの彼はどこにもいないってこと(笑)。

北原:上野さんがおっしゃる若い世代ってどんなあたりかわかんないんですけど。

上野:30代なんです。

北原:…(笑)

上野:その方々って、「Hanako 」って雑誌が出たときに20代を過して、新人類って言われてバブル の時代にぬくぬくと就職して、そんでもってなんだか知らないけど、表参道にルイ・ヴィトンができると500m行列 作っちゃうって人(笑)。

北原:でも、あの列つくってたのはヤンキーとオヤジばっかりでしたよ。(笑)でも、私その世代からずれてて…。怒りの対象からは外れてるんですけど、私にとって若い世代って言うのは10代20代後半なんです。先日新潟で講演した時に、マイク使わなかったので「このくらいの声で大丈夫ですか」って会場に聞いたら、後ろのほうから「ハイハイハイッ」って19ぐらいの女の子が手を挙げて「フェミニズムってなんですか?私ね、学校の先生にここ行けって言われたから来たんだけどぉ。わかんないんだけどぉ。」って。その場を支配してる空気と言うのが行政の、講演の主催は行政ではないんですが、年代の高い人たちの会で、その中で彼女は自分の言葉で話していて、私は「まだ講演始まったばかりで話すわけには行かないんで、ともかく講演聞いてください」って進めたんです。1時間半講演をして最後に質問を受けたら、彼女が真っ先に手を上げて「よかったよ(どすのきいた感じ)、一緒だよ(ヤンキーラップ系の手振り)、かっこいいよ」(爆笑)。19歳で学校の先生と一緒にきてるのに「私も大人のおもちゃ屋やりたいって思ったんだけど、難しそうだね」。ほんとにそんな具合に、大人に囲まれたその場の空気とかに左右されず、19歳の自分の言葉で語れる彼女ってすごいフェミ魂だわって感動した。

上野:そういうところで19の女の子に「フェミニズムってなんですか」って聞かれたらさ、北原さんならなんて答えるの?

北原:答えられなかったんですよ。自分にとってのフェミニズムというのは女として生きにくさを感じる時に、見つけた言葉はすべてフェミニズムだったんだと感じたんですが、定義はできなかったので、「話を聞いて感じて」って言ったんです。

上野:かっこいいって言ってもらえたのね。今日10代来てる?(少数だが手が挙がる)あ、は、ありがとう!おばさんがたに混じって勇気あるわね(笑)。20代いる?(同じくらい手が挙がる)あ、ありがとう、でも少ないねぇ。こういうテーマでやってもやっぱり若い人来てもらえないのね。フェミニズムは、訳語がいくつかあるんです。女性主義・女権拡張論・女性解放思想ってのもある。訳語が違うと意味が違うので、私はフェミニズムがそれまで行なわれてきたいろんな女性の社会運動と一番違うのは、他人を救ってあげようとか自分よりも弱い人たちを助けようとかするのではなくて、私が救われる、私が自分で自分を解放したいということだと思うのよ。それで、私にとって何が解放かということは、誰にも教えてもらえないじゃない?私にしかわかんないじゃない。私が何が気持ちがいいか、私が何者であるかと言うことは私以外の誰にも決められたくないよって言う考えかたってどうだろう。具体的に言うと、私「あがった女」です。あがった女と言うと普通ね、女の定年と言われるんです。ちょっと定年早く迎える人もいるんですね、子宮筋腫とかのいろんな手術とかでね。「おまえはもう女じゃなくなった」なんて亭主に言われたりなんかするんですけど、私はいつもこう思うんです。「おっぱいがあろうがなかろうが、子宮があろうがなかろうがブスだろうがなんだろうが、あたしは女です。女がどういう生き物かは、(ドスをきかせて)あんたに決められたくはねえよ」(拍手)。でね、子宮がなくなっちゃったあがった女は「おばん」です。「おばん」が生き延びていることは文明の悪だとおっしゃっていたのが石原新太郎都知事 。私はこの人に都民税収めて悔しくてなりません(爆笑)。

で、「10代はいい」って話なんですが、おもしろい調査がありまして、NHKが日本人のSEX調査を3000ぐらいのデータを取ってやってます。そこでデータを克明に読み、解釈しながら宮代真司さんという社会学界の札付き男と(個人的に笑)フェミ業界の札付き女の私が対談したんです。本になっています。NHKブックスの「日本人の性行動性意識調査 」と言う地味な本なんですがこれを読むとおもしろいことが判ったんです。30代女というのが日本では歴史の分岐点にいるというのがわかった。何かと言うと、30代女は、頭の中は旧世代のモラルで縛られながら行動は変わってしまっていて、頭と身体が引き裂かれているので股裂き状態にいるかわいそうな人たち(笑)。20代から10代はもう頭の中もやってることも変わってしまっている人たち、この人たちは結構のびのび生き生き。もはや処女なんて関係ない、男の子と付き合うならSEXがあって当然、童貞処女の結婚なんかありえないと思っている人たちで、思っていることを実行している人たちなんです。ところが今の10代20代のおっかさんの世代は40代ですから、40代は頭の中は昔のまんまで、身体もそれに縛られていて、不倫したいと思っているんだけど、思っていながら一歩踏み出せずにがんじがらめになっている人たちだということがデータでわかるんです。私は違うっていう人がいるかも知れませんが、それは統計上の例外です(笑)。統計の全体をみるとそういうことがわかってきて、どうやら30代の女は股裂き状態を生きている。10代20代は別なほうに行きつつあるが、そのかわり母親世代とのものすごく大きなジェネレーションギャップがあってここでは異文化衝突が起こる。40代の母親にとって10代の娘はわからない。もちろん石坂啓さんのような方は例外ですよ。と、いうことが判っているんですけど、30代とか見ててどう思います?

北原:あたしはSEX産業にいるので、30代後半の方を見てると「ジョアンナの愛し方 」を大学生の時に読んで、今「SATISFACTION 」を今読んでる世代だと思うんですよ。

上野:解説して。

北原:「ジョアンナの愛しかた」は‘91年に出た本で、男性を如何に悦ばせるかを描いた本です。ほんとに睾丸の舐め方からペニスの舐め方までほんとに細かく指導して…

上野:ハウツー本ですね。

北原:そうです、それはとってもその時代売れた本で、「SATISFACTION」が35万部出ていて出版界をにぎわしているんですが、これは正しい愛のためのハウツー本、今度は男性に如何にクリトリスをうまく舐めさせるかを。ま、調教の本ですけど。というのもかなり売れてるわけですよ。そうすると頭の中で私たちはSEX楽しめる、女も欲望を言っていかなくちゃ、コミュニケーションしなくちゃ、男とつながってなくちゃ、いいSEXしてなくちゃ、と言いながら実際は違うからそういう本を買う。自分のいい女をそういうことでSTEUPという意識に燃えられないような、うざったい世代という風に思ってるんです。

上野:でも、すごいですね。こういう会場でついにマイクを手に持って「クリトリスを舐めさせる」と(爆笑)。青森はすごいところです。こういう発言をするとこの会場の中にもいろんな方がいらっしゃって。「(しみじみと)あぁ、そういうことを私は夫に一生涯に一度もしてもらったことがない」と思う方もいらっしゃるんじゃ…?(会場静まる)。あるいは、いまさら調教なんてとてもできないわと(笑)とかね。私もほんとに下ネタ専門でございますので、SEX調査いっぱいいっぱいやっているんですが、こういうことがわかっています。日本の70代以上の女の方にとってはSEXは「あのつらいおつとめ」で「一刻も早くやりすごしたい経験」(会場静まる)、だったと言うことがわかってます。50代60代の方にとっても実は性的な快楽とは何かを一度も味わったことがないもの。渡辺淳一 を読むと失神するらしいが、死ぬまでに一度は味わってみたい、でも今の夫にはとても望めない…(笑)というかたがいらっしゃると言うことが判っております。そういう方にはどういう風に申しあげたらいいんでしょうか?

北原:バイブを買ってください(爆笑)、サービスでローションつけて差し上げます。

上野:そうね、バイブって男みたいに気を使わなくていいものね。なるほど、実践的なアドバイス(笑)石坂さんどう?笑ってる場合じゃないわよ。

石坂:30代が引き裂かれているというのは、あそうか、私が今12歳と仲良くやれてるのは向こう側に行っちゃっているからかもしれないと。私は統計の中では出てないんだろうなと思いました。私が青年誌でマンガを描きはじめたころは、ようやく女の子が「こういうSEXはいやだ」とか「こういう男と寝たい」とかを言い出せるようになったころなんです。そのときにそうことを言える女たちがぽつぽつでてきたなって。今、女性の例で世代別の傾向が判りましたけれども、男の子に置き換えても判りやすいんです。今の若い男の子と言うのは最初から、ゴミを出したり、スパゲティを作ったりそれくらいやってないとモテナイと言うのをもう心得ている。

上野:今ドキッとしたでしょう息子さん持ってるお母さん方。それでも避妊してくれって言い出せなくて妊娠しちゃったって子結構いるみたいなんですけど。

石坂:自分としては仕事や付き合いであったりとても気にかけていて、いい方向に持っていきたいと思っているんですが、とりあえずできる範囲のところでは、やれることはやっていこうと思っています。本当は家で「Hしてもいいけど、避妊はするように」というのは言ってたと思います。今学校で性教育を一生懸命取り組んで下さっているみたいなんですが、すずめの受精はどういうのでしょうとか描いてあるんですね。教科書に。判りますか?すずめの受精、答えは体内受精なんですが。

上野:すずめもチンチンあるんですか?

石坂:知らないです。すずめの雄雌の絵が描いてあるんですが、わかんないんですよ、同じようにしか見えない(笑)、私が先生に教えて欲しいくらい。要するに私たちは言葉をもっていなかったというのがすごく実感なんです。自分たちの身体のことを話すときに恥ずかしげに「あそこ」としか言えなかったんですよ。何でそんなに卑下する必要があるんだということ。例えば自分が妊娠した時、ほんとに痛感したんですが、自分の身体のデリケートなところ、いろんなところを主治医と話をしたい、人に確認したい時に言葉を使えない。恥ずかしくて。何でいちいち「恥ずかしい」という字とかですね、「陰」というかげと言う重苦しい字が性器にはついているんですか。恥毛とか陰核とかですね。もっと等身大の手垢のついてない言葉が本当に欲しかった。普通「ひじのこの辺がさ」というのと同じように、それ以上でもそれ以下でもない言葉がない。例えばコンドームという言葉は私はエイズ問題があった時の、少ない功績のひとつだと思うんです。コンドームという言葉を恥ずかしくなく口に出すことができるようになった。上野さん、若いころはコンドームをなんて呼びましたか?

上野:突撃一番(爆笑)、それは軍隊用語です。

石坂:(笑いながら)私そんなの、高校生のころ、歴史の本でしか知りません。「あれ」とか「ゴム」とか「サック」とか、今思うとこっぱずかしいのは「むんどーこ」と言うのまであった(笑)。言うほうが余計恥ずかしいと思うじゃないですか。コンドームという言葉を獲得できなかった。妊娠した時に女性が自分の身体を語るとき、こんなに不自由なのかと。もちろん妊娠する以前に男性と付き合っているとき自分の身体を語る言葉がないなぁと言うのがあった。できるだけ私は自分の子どもたちには、自分の子どもは一人ですがいつも友達とかたむろしているので、子どもたちにはそんなに大人のフィルターのかかっていない普通に使ってかまわないと何でも喋るんです。そうするとむこうも喋ってきますから、ビックリします。「パパとママって交尾したんだよね」とか(笑)。「(平然と)しましたよ」なんて返事してね。「やりまくった?」なんて突っ込んでくる。そういうこともあんまり顔色変えないでいるんですが。

上野:りっぱなご家庭(笑)。

石坂:現実的には手の届くところからちょっとづつ改善したいなと思っている。

上野:話が下ネタよりになっていると思われるかも知れませんが、私はこれはとっても大事なことだと思うんです。ベッドの上で相手に自分の気持ちをきちんと伝えられるかどうかは、普段相手に自分の要求をちゃんと言えるかということときっちりつながっていると思ってるんです。相手に何もいえないで生きている人が、突然ベッドの上で大胆になるなんてことはない、実際はね。どうもそれは男の夢らしいんですが(個人的に笑)。自分が何を感じていて相手にどうして欲しいか、一番基本のコミュニケーションは身体のコミュニケーションですからそこを大事にしないと生活にももちろん影響があると思っています。避妊に関しては最近「避妊なしやりっぱなしのSEXは性暴力だ」という概念が出てきましたから、避妊がないと性暴力だと訴えてもいいかもしれません。北原さん、続き何かありますか?

北原:まず「避妊なき…」の話なんですが、避妊ってグラデーションがあるなと思ってます。「避妊って膣外射精 なんでしょ」って子が多い。具体的な言葉をつけてくれないと、中学生高校生に避妊しましたかって質問すると「男の子=40%:女の子=20%、が、してます」この開きっておかしいじゃないですか。そこにグラデーションがあるんですよ。質問自体が「コンドームつけましたか?」とか「膣外射精してますか?」とかそういう風にやると、全然違うものがでてくるなと思っているんです。

上野:なるほど、質問してる人が腰が引けてる。

北原:そうなんです。

上野:避妊なきSEXは性暴力ということでいうと、今10代の期待されない妊娠よりも実は30代40代の中絶のほうがもっと多いですから、避妊なきSEXという性暴力を夫にふるわれている女性が実際はこの中にずいぶんいらっしゃるんだろうなとデータを見ると思います。ここにいらっしゃる方はどうか知りませんが。夫に避妊してと言えないならましてやどこが気持ちがいいなんて言えないだろうな。やっぱりフェミになって欲しいですね。

北原:それとは別に、コミュニケーションとエロティックなファンタジーの関係というのをどういう風に解決していくのかと言うところも考えているんです。例えばさっきワークショップやってるなんて言いましたが、そういうところで若いフェミニストの子とAVを一緒に見ているわけです。すると、見てる子が「この女性は主体性がない」なんて言って怒るんですが、いざ自分のファンタジーとか自分のエロティックなことを語るとなると、相手の主体性なんかどうでもよくなったりする。「あたしこうして欲しいのとかきちんと言ってる?」とか聞くとフェミニストの女性であっても「そんなことSEXの最中に言うと、なんかエロっぽくなくなっててヤダ」なんて感じあるわけですよ(笑)。最低限の避妊とかルールがあった上での「私こうしたい」というのがさっきの正しい「SATISFACION」、相手にきちんと伝えてコミュニケーションするのが最上のSEXですってのが、そういう子たちには、ちょっと押し付けっぽく感じられて「コミュニケーションめんどくさいよね」ってのが若い世代にはあるのかなと感じてるんです。

上野:私気配りおんなですので慌てて付け加えますが、(会場に向かって)この中で、セカンドヴァージンになって長い方は?(会場シ~ン・個人的に爆笑)。わかんないかな…。「夫とずいぶん長い間…、このまえあったのはうん10年前かな」ってかたいらっしゃる?と思うんですが…。おもしろいのはSEX調査で、性生活が活発なことと今の人生に対する満足感との間には何の因果関係もないということがわかっております。ですから、やれば豊かだと言うことは全然ないので、やってないからと言って自分の人生を悲惨だと思う必要は全然ない。人生の豊かさはそういうものとは全然別のところにある。SEXは人生の様々なメニューの中のひとつに過ぎない、あったのないのと死ぬの生きるのって話じゃない。一線を越えたからと言って「一生私の面倒見て」とか、「おまえは俺のもんだ」とか言われる筋合いのものじゃないといことですよね。(パネラーの二人に向かって)そういうことって私たちすごく一致してるのよね。(笑)それで、本題に戻りますが、フェミはどうして嫌われると言うことなんですが。フェミバッシングということが各地で起こっています。この中に行政の担当者の方もいらっしゃると思いますが、わりと現場の方はピリピリしておられる。何でこんなに嫌われるんだと思います?

石坂:私昨日東京から青森に来たんですね、空港から市内までタクシーに乗ったんです。行き先のホテルの名前を言ったら、それまでいろいろ話していた運転手さんが急にキッとなって「あ、会議の方ですか?」(爆笑)「あ、ちょっとまぁ、仕事で…」なんて返事して。

上野:今の聞くとあれですね、1995年の北京女性会議 の時の運転手さんの反応を思い出しました。「あ、あの会議の人…」ていう。

石坂:こっちはおたおたする必要なかったんですが、運転手さんに詰問されましてね「あの会議は何をやっているんですか」とか「まぁ、いろいろねぇ…すごい良い内容のものもあったりね(爆笑で聞こえない)…もありますよ(爆笑)」とか。私はさっきも言いましたが男性向きにマンガを描いていますから、男性の読者に支持されないと仕事が成り立たないのでどの辺までだったら読んでもらえるか、その範囲内にどれくらい自分の言いたいことを混ぜ込めるか、最初から妥協策を考えながらやってきていますので、男性から歓迎されていないだろうと言うことは大前提で思っていました。なぜとかはゆっくり考えていたことはないですね。

上野:(会場に向かって)皆さん笑ってらしたけど、皆さん方も「あの会議の人」(爆笑)忘れないでくださいね。ステージの上の人だけじゃないですからね。北原さんどう思います?

北原:フェミニズムバッシングと言うのが起きてなかった時代があるのかどうか知らないんですが、最近の組織的なバッシングが増えていると言うようなことでいいんですよね?

上野:手口が巧妙になってきたということです。進化してます。例えば「男女共同参画を考える女たちの会」なんてのができまして、その会長さんが新聞のインタビューに答えて「やっぱり男らしさ、女らしさって大事にしなくてはいけませんね」と、こうおっしゃるんです(個人的に爆笑・会場は戸惑いのざわめき) 。

北原:(会場の反応に驚きの表情)

北原:フェミニズムの問題というよりは、私は組織だってやってる人たち、保守的な人たちが魅力的に映る時代になっているんだなという風に思っちゃうんです。フェミニズムバッシングというのも、フェミというよりは時代が少し変わってきていて、どう変わってきているかうまくいえませんけど、右翼的保守的な言葉、本質的な言葉が魅力的に映ってしまうような感覚を持つ若い人が増えている。

上野:どうしてそうなっていると思います?

北原:どうしてなんでしょう?私ほんとに知りたいんですけど。「わしズム 」の本なんか読んで研究したんですがわかんないですね。

上野:解説してください。

北原:「わしズム」というのは小林よしのり が編集長の雑誌、表紙に自分の写真がナルシスティックに映ってる雑誌なんですけど、西部 さんとかが書いてる。男らしさ女らしさという物語がないと人は生きていけないという、男女共同参画なんておかしな左翼の運動だとか。どうです、ミズリブさんは?

上野:「(そういう人たちに)男女共同参画社会基本法は日本の文化を破壊する」と言われております。(会場に向かって)皆さん方文化破壊者(笑)。

ミズリブ:何、バッシング?エライ目にあったわよ。フェミバッシングなんてない時代なんかないじゃない。私たち一番痛い思いをしてきたのよ。私あの時のメディアのオヤジども、許してないからね!(笑)。あの時にリブのイメージが矮小化されましたから、リブって言ったらピンクヘルメットって。メディアがどんなことやったか、ちゃんと見て欲しいよ。そういう扱いをされても、「あぁあんな女いるんだ」って、情報が全国の女に伝わるんだって、それを(共感を持って)ちゃんと受け取った女がいたんだ。

上野:ところでね、フェミバッシングがなぜ起きるかを考えているとき、反省するべきなのは誰でしょうかと言うのを考えてみたいと思います。フェミの連中の戦略がまずいからだよって、瀬地山君 なんかが言ってますけど(個人的に笑)。「反省するのはフェミの側だよ。もうちょっと上手にやんなきゃ。僕がやったらもうちょっと上手にやったのに」って言う人もいるんだけど。それとも「嫌われることやっているから当然だろうが、それは聞き手の問題だよ、男に嫌われたくないって男の鼻毛読んでるようじゃなめられちゃう、届かないのが当たり前だろうが」という説と2つあるんですが、どう思います?

北原:送り手の問題と受け手の問題ですよね、私は送り手に立っているのではないですけれども、受け手の問題だと(思います)。だって変わんないですよ。私はフェミニズムが受け入れられる社会ができたときにフェミの役割って終わるじゃないですか。それだから、受けが悪くて当然と思っているんです。

上野:これは覚悟がおありですね。嫌われて当然。ですから、(会場に向かって)皆さんよ~く聞いてってくださいね。嫌われないフェミニストって矛盾ですから(爆笑)。

石坂:もし女の意識というのと男の意識、社会の意識・社会の構造があるとしたら、今女の意識が一番先に行ってると思うんです。先駆者たちの儲けにあやかっている人たちも台頭してはいますが、若い人ほどあまり固くなく、女の人が一番「こういう生き方はいやだ」と「こういうものを獲得したい」と一番敏感に貪欲に手に入れかけているんだろうと思うんです。(女が)旧態然としていれば(自分自身の中に)あまり矛盾はできないですむ、女の欲望を自覚しないで、(女が)我慢している状態で男の人たちは社会をつくっていたんですが、その極めてはっきりとずれができている。男の人たちがそれに対して動揺したり、「強くなって生意気になってきた」って言ってうろたえるのも致し方ないかなと。でも歴史を考えれば女の人が強気になったんじゃなくて圧倒的に弱い時代の方が長かったわけで、まだ対等のところに行っていないにも関わらず、そういう風に意識の差がいろんな現象を出すんだろうと思います。社会全体の意識とか受け皿的な構造がもっと遅れているわけですから、致し方ないなと。現場は現実とちょっとづつ折り合いをつけていくかと言うことしかないと思います。

上野:私はこう思ったんです。フェミバッシングの質が段々変わってきた。進化してるとう言い方は変でしたが。やっぱ、ここんとこは保守が強くなったのではなくて危機感を覚えるだけの理由が登場してきたと。女が本気で力をつけてきたからだと思うんです。逆が、いままでは「おめこ 」ぼし…あぁ、やらしいなぁこの言葉(個人的に大爆笑・会場反応なし)(…間…)わかってる人は判ってると思いますが。お目こぼしがあっただけだから、そうじゃなくなってきた。例えばこれから先来年統一地方選があります。女性候補者が出たりすると議員定数決まっているじゃないですか、女性が当選すれば誰かに出て行ってもらわなければならないわけです。そうすると本気で危機感を感じているオヤジたちが組織的に反撃にでているんだろうなというのを、辻本バッシングと真紀子バッシング に感じました。(パラパラ拍手)石坂さん?

石坂:上野さんも私も清美ちゃんの友人ですが、北原さんもそうですね。辻本さんのやられ方を見ていると自民党のおじさんたちほんとに恐かったんだと、ほんとにこういう女のこのことを嫌っていたんだなと。普通は政治的に画策と言うのはもっと巧妙にですね裏で手を回してとかなのに、本気にやったら、あんな思いっきり表舞台で引き摺り下ろされると言うことが驚きでした。

上野:なりふりかまわぬって感じでしたね。ほんとに皆さんがたもこう思っていてください。かわいがられている間は無害な私(笑)。嫌がられ始めるとほんとに力がついてきた証拠。逆風は実力の証し(拍手)。私もうひとつ30代の人見て思ってるんですよ。私たちの世代って女がまとめて差別されました。女が4年制大学なんて、行ったら最後嫁にいけない、職にも就けない。学歴逆詐称なんてこともあって、高卒と偽って仕事についた人たちも多かった。それが男女雇用機会均等法 なんてのができて、「(オヤジ口調で)君、頑張る?男なみになりたいんだったら女捨てておいで、そしたら男と同じように扱ってあげるよ」という風になってきて一見見た目は女の選択肢が増えてきたように思いますが、かえって女のパワーが女同士の連帯に向かわないで女が他の女を出し抜くために向かっていくといういや~な感じがするの。この出し抜きのモデルが林真理子だと思っているわけです。だから、斉藤美奈子 さんみたいに「上野千鶴子と林真理子はネガとポジでおんなじよ 」って言って欲しくないんだよね(個人的に大爆笑)。

北原:そうですよね、あの新聞記事 ですよね。出し抜きたいと言う気持ちは私はとても身近に感じていて、バブルがはじけたといっても大学出て自然に一流企業に入って、ちょうど10年ですよね、10年たった時にぽつぽつと結婚して会社を辞めていく人たちを見ていると現実と突きつけられている感じをよく友達を見てると思いました。あと、30代ということで子育てがあるじゃないですか、そのときの選択肢が多くて30代生きてくの大変じゃないですか、先暗いって感じですよね、

上野:じゃ、30代相手にしないで、10代に希望を託すか?反論がでそうですが、ところで本日のメインテーマですが「次の世代にフェミニズムをどう手渡すか」そのやり方、稚拙だとかこれじゃ反発買うよとか言われていたんだけど、これについてはフェミのメッセージを受け取る当事者としてどうしたらいいだろうか。例えば同世代の女の人たちにフェミのメッセージを手渡すのはどうすればいいだろうかをお二人に考えてもらいたいのですが、その前に、ミズリブ。

ミズリブ:え~?次の世代?関係ないわよ、大きなお世話よ。私たちは自己解放のためだけに戦ってきたの。自分を救うのは自分だけよ。自分が救いたい人間がかってにやればいいじゃない。私たちは私たちのためにやってきたんだから、若い連中が戦いたくなかった
らそれは自業自得ってもんじゃない?彼らは彼らで自分でやればいいのよ。私たちの後姿だけみてればいいの。

上野:って、いうかも。(石坂笑っている)なんで笑うの?

石坂:あっけに取られてるんです、(笑いながら)人格変わるみたいなところありますよね千鶴ちゃん(爆笑)。若い世代の人にどう伝えるか、若い女性に特にフェミニズムをどう伝えるかと言うことを考えると、逆のことは日常茶飯事であるわけです。若い男たちに逆フェミを教えるようなことは慢性的にある。みんなそういう空気を吸っている。刷り込みと言ってもいい。私は男性誌で仕事してますからいつもワンパターンでこういう女が呼び込まれるんだろうってずっと不満に思っていたんです。必ずあるんです、アイドルの水着の写真。グラビアですね、中で表紙の水着姿で映っている必ずあるポーズ。女の子がきゅっとかがんで胸の谷間を強調するポーズ必ずあるんです。私も自分のマンガを描いてるときに編集の人によく注文されます。「ちょっと色っぽく、角度で女の子の胸を強調して」って言われたりしてます。何で男ってそれが好きなのかなってこんなワンパターンでこれくらいの程度で満足してるのか、単純だなって。ところがうちの息子が4歳の時です。うちの子もおっぱいとても好きなんです。だいたい小さな子はお母さんのおっぱい好きですよね。特に息子はブラジャーつきのおっぱいと言うのが好きだった(笑)。

上野:変態だよ(爆笑)。

石坂:私はめんどくさいのであんまりブラジャーしてないんですが、たまたま外出する時にブラジャーしてると向こうからタ~ッと走ってきてがばっと抱きついてくるんです。ある日がばっと抱きついて「ママ、こうやってやって」ってそのポーズをするんです(大爆笑)。私暇だったから「いいよっ」ってやってやったんですが、はふはふ言いながらうれしそうにしてるんです。それで「ママ、今日寝るときもブラジャーしてて」って言うんです「夜寝るときはめんどくさいからいやだ。窮屈だから、ブラジャー貸してあげるからブラジャー持って寝なよ。何色がいい?」「黒」(爆笑)。4歳ですよ、私その時愕然としたんですけど、私は女の子だからとか男の子だからなんて育ててるつもりはなかったんですが、決定的に彼は黒のブラジャーをした女の人がこういう角度でやってるのをどっかで見ちゃって反応しちゃったんでしょね。男はやっぱりおろかだなって思ったんですけど。それが悪いとは言いませんよ、性癖はいろいろあってかまいません。朗らかに見守ってあげたいと思います(笑)。その逆フェミ情報は当然のように、女の子は男の子にとってかわいくあるものであるというのが慢性的にある。さっき言ったように逆風に耐えている、かっこいい女性が増えなくてはだめだと思うんです。いろんなことをやって、必ずしもフェミ専門、入院中ではなくても趣味でやってる程度でもかまわない、いろんなグラデーションいっぱいあってかまわないんですが、非常に魅力的に愉快にかっこよく楽しく生きてる女性、大人の女も悪くないなと思わせることしかないと思うんです。

上野:今のってほんとにそうね。「フェミってやると、人生が生き辛くなるんでしょう?」とかいう人に会うんですよね。だから皆さん方一人一人にフェミってやるとこんなに明るく元気になるのよって顔して生きててもらわないと、ね。

北原:必要ない人にフェミは必要ないと思うんですが、ほんとそのとおりだと思うんですよ。今回のタイトルに若い世代にどうやって伝えるか、ほんとに大きなお世話だと思うんです。今ミズリブの話を聞いていて思ったんですが、覚悟を決めて私は私で生きるのよって私を決めるのは私だけよって気分のところで生きていける、それによって辻本さんのようなバッシングを受けないような社会をつくっていくためにやっていきたいんですけど、嫌われる覚悟で私は私よって生きていける女が増えることしかないと(パラパラ拍手)。

上野:あぁ、拍手ですね。あと、こういうことをやっていると(ミズリブのかぶりものをかぶりながら)私がリブをコケにしてからかいの対象としてると不愉快な思いをなさる方のいらっしゃるかもしれませんが、ミズリブは私の分身なんです。半分以上は私の本音です。立場上、これをかぶらないで言うとさしさわりがある(個人的に笑)。こういう集まりが段々高齢化していく、私たちの女性学の集まりなんかも、毎年毎年1年ずつ、平均年齢が上がるんです。これじゃイカン!って言う人がいると、「え?どこがいけないんですか?」とか思っちゃったりして。私、もっと若いときは(石坂、北原のパネラーを指して)これくらいのときはSEXの現役世代だからこういうこと喋ってきたんですが、今私の目の前に出てくるのは老後の問題なんです。私の関心というのは、現役の時は産むか産まないか、どんなSEXをするか、男とどんな関係を持つか、結婚するかしないか、どうやって別れるか、というところからずっと動いてきて、今はどうやって老いを迎えるかが、今私の一番切実な関心なんです。そしたらこういうような関心の移り変わりで仲間たちとやっていくことを同窓会といいます。フェミが同窓会でどこが悪いの?何でいちいち下の世代の面倒まで見てやらなきゃいけないの?だって自己解放って自分の問題じゃない?解放されたい人がただやればいいじゃない。何が解放か、私にとってこれが解放でもあんたにとってそれが解放かどうかはわかんないじゃないとこう思うから、やっぱりね私基本的には前向いてやんなきゃだめ、後姿見せてればそれでいいと思ってます。「ただいつも前を向いている上野です」なんちゃって(個人的に笑)。そろそろ時間なので、こんなことうちわで話しててどうする、すばらしい伝統芸能じゃあるまいし、でも今日は役者がそろいましたねぇ。やっぱここだけで話してちゃしょうがない、この会場から一歩外に出るとそこはオヤジ社会です。さあ、最後にお二人に話していただきたいのは、じゃオヤジをどうする?(…間…)どうする、どうする、譲り合ってる場合じゃない。

石坂:私は今ビックコミックオリジナルというところで描いてるんです。私が子どもの頃あの雑誌はおじさん雑誌で、ゴルフなんかやってるおじさんが読んでる雑誌だと思っていたんですけど、ハタと気づいたら自分の年齢がとっくに読者の年齢を越えちゃってたんですね。そこで描いてる私は、オヤジどうする?で、青年誌に描いていたころからオヤジ雑誌に移行していますので、そこで売り込んでちょっとでも読んでもらいたいなぁと思っています。自分の作しか余裕ありません。

上野:すばらしい。これが一番の実践ですね。しかも彼女には漫画という人に真似のできない技量を持っていらっしゃる。オヤジの現場でゲリラ戦を戦っていくという。じゃ石坂さんぜひ期待しましょう。北原さんどうぞ。

北原:オヤジを殺したいと思って生きてたことがあるので、(笑)ほんとにオヤジ=憎むべき対象というのが、血を通してオヤジ社会を憎んでたことがあるので如何に殺していくかです。私は(オヤジ社会が)女の勢力というのをおびえているというのをほんとに実感していて。ほんとに私が切れたりとか怒ったりとか「なんですか!」とちゃんと言うと、おびえるオヤジもいるんだと最近わかってきて、絶滅するまで教育しようとも思ってないんですが、いわれなきことをされた時なんかはちゃんと怒って怯えさせていきたいと思っています(笑)。

ミズリブ:オヤジ?ほっとけばいいのよ。絶滅の危機に瀕する種なんだから、いずれマンモスみたいに淘汰されんのよ。

上野:と、言いたいんだけど結構長生きなんだよね。間違いなく逝っていただけると思うんですが、できれば安楽死してくれたらいいのね、どうも無理心中とかの断末魔を演じたがるのではた迷惑なのよね。できるだけ平和共存しながら人の迷惑にならないでゆっくりと途切れていただきたいな、と。ハードランディングよりソフトランディングしていただきたい、小泉構造改革でも下手なしわ寄せは女どもに寄せないで自分の始末は自分でつけていただきたいと思うんです。どうでしょうか、男女共同参画なんだそうですけど、今会場に男性の方もお顔が見えます。一歩外に出たらそういう方とは違う方がいらっしゃると思います。その中で一人一人が現場でゲリラ戦をやってくるということをしましょうかね(拍手)。

もうちょっとだけ時間があるので、オヤジをどうするの次にもうひとつだけどうしてもお若いお二人に聞きたい。現役世代、つまりまだ産めるという女の方たちに聞いてみたいことがあるんです。子どもがどんどん減っている、こんな世の中じゃ子どもを産みますという気分になれない、少子晩婚化世代のちょっとばっか先を走ってるのが北原さんの世代ですね。どうでしょうか、この先この世の中に子どもを送り出してくれるんでしょうか?それに(パネラーをさしながら)この中に夫子持ちという少数派がいるので、石坂さんなんですけど、私気がついてみたら非婚化世代の一周遅れのトップランナーになってた(笑)。そんなものですが、石坂さんも結局子どもは一人、次まだ予定あります?ですからこの世の中にもし希望というものがあるならそこにどうやって子どもを送り出してもらえるのかということを聞きたいなと思います。

石坂:私は子どもは一人で懲りたほうですね。若い子に早まるなと言っている。厚生省のポスターで「育児をしない男を父と呼ばない」…

上野:別名育児なし(意気地なし)ともいう(笑)。

石坂:私あれ厚生省にしてはよくやったと、あのコピーを作ったのもたぶん女性だろうなと思います。あれくらいのことで世のおじさんたちはブーブーと言ってたらしいですね。そんなことまで疲れている男たちを駆りだすのかって。あれは安室さんのだんなさんでサムさん?私に言わせればあれは手ぬるい、あれはきげんのいい赤ん坊を抱っこしているだけ(笑)。ああなるまでにはどれくらいぐちゃぐちゃのべちゃべちゃの…赤ん坊をあやしてどうしてこんなに女にばかりしわ寄せがくるんだと思ってましたから、ほんとに夫婦仲も悪くなちゃいましたよ。ただですね、私はおもしろかったから。子どもがいなければいない生活を楽しんでました。いなくてラッキーだったこともありますし、いると楽しいこともたくさんあると思ってますので、産んだからには楽しもうと思ってますし産んだからには子どもとも愉快にやっていこうと思っています。私の子は男の子ですけど、できるだけ軟弱なだめ男に、すごくマッチョじゃなくって徴兵制でも始まったら、大泣きしていやだというような子どもにしたいと思ってます。あんまりしつけはしてなくて、でも酒の席のしつけは厳しくしてます。コップがカラっていうと、「ハイ」ってビールをついでくれます(笑)。そういう男の子を一人世の中に送り出せばフェミニズムでも貢献できたかなと(爆笑)。

上野:次の世代にフェミニズムを手渡す一番確実な方法かも知れませんね。

北原:私は社会制度が良くなったり、夫が子育てに参加したり、いろんな方面に。そうすれば少子化止まったり、おじさんたちがが頑張っていいことかも知れないんですけど、社会制度がよくなったからといって私は子どものことはまったく、恐怖心すら感じる人間なので産むことはないだろうと思います。産まないという選択をする人が少ないとやりづらいと思っちゃうんですけど、そういうのは性格もあることなので…。気持ちよく子育てできる環境ができればそれはそれでいいよね、私は勘弁してよって感じ。

上野:はい、あなたはそのほうがいいかもしれません。というわけで少子化が完全に良くなるという見通しもなく(爆笑)。実はもうひとつ介護にも触れようと思ったんですが、(会場に向かって)どうぞ皆さん方、この世代の方たちに(石坂、北原を指しながら)もはや介護は期待しないでくださいね。(会場微妙な反応)そのために介護保険があるんですから(少し笑)。時間が参りました。どうもこうやって話を聞いてますと、世代を超えてフェミニズムという言葉はそれぞれの自分の言葉で語り合っているという実感をもっていただけたらいいなと思っています。なんか、聞いててイライラしたりムカッと思ったりそうかと思ったりなさったでしょうが、今日は時間の制約もありまして会場からの発言もいただけませんが、会場を一歩出たらどうぞ大声で今日のご感想をお話くださいませ。じゃ、今日はほんとに長い間、表番組を袖にしてきてくださってありがとうございました。(拍手)

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1 全体会Aは「平等・開発・平和~より豊かな生き方を求めて」。パネラーは船橋邦子(大阪府男女協働推進連絡会議議長)、鹿嶋敬(日本経済新聞編集委員)、中野麻美(弁護士)、坂東眞理子(内閣府男女共同参画局長)、佐々木誠造(青森市長)の5名。

2 国連総会の採択した世界女性の権利章典。70年代後半に策定・審議され79年国連総会で採択、81年国際的に効力発生。日本は85年批准。ここで上野が75年と言っているのは国連が同年を国際婦人年と定めたこととの流れの発言と思われる。

3 北原みのりの著書に「フェミの嫌われ方」(新水社1400円)がある。それから連想したタイトルか?

4 70年代初頭のウーマンリブの旗手といわれた活動家。国連世界女性会議がメキシコで行なわれた時参加、そのままメキシコで4年暮らした。帰国後鍼灸師となり「れらはるせ」を開設。著書「いのちの女たち―とり乱しウーマンリブ論」「いのちのイメージトレーニング」など。

5 リブとフェミの違いは、以下のサイトがそのニュアンスをうまく伝えている。文末参照(参考①)
http://www.h3.dion.ne.jp/~haneko-i/genkou/2gender2.html

6 ピンクのヘルメットをかぶりTVメディアなどに押しかけて自己主張のみをするバカなおばさん、というイメージがある。子どもの頃、TVで見た記憶がある。

7 高橋留美子 「らんま1/2」や「犬夜叉」で人気の漫画家。「めぞん一刻」は音無響子がヒロイン。掃除・洗濯・裁縫万能、着物の着付けもばっちりできるし、テニスもこなすスーパーウーマン(?)。亡き夫惣一郎の面影を胸に一刻館管理人の職に就きますが、着任早々異常な住人たちの洗礼を受け…。

8 元衆議院議員(社民党・党政審会長も務めた)。大学在学中、アジア諸国をめぐる平和運動「ピースボート」を始める。「新人類サミット」開催。出版企画など多彩な活動を続け、社民党から衆議院議員に当選。土井たか子の秘蔵っ子と言われた。秘書給与流用疑惑で衆議院議員を辞職するまでの顛末は記憶に新しい。

9 料理研究家。26歳の時、14歳年上の男性と結婚。専業主婦のつもりがいつの間にかひとつの家事が「ビジネス」になってしまった。料理番組のほか、化粧品や食品のCMキャラもつとめ、出版した本はベストセラー化、カリスマ主婦と呼ばれる。受ける要因は、プロだけど”フツーであること”、でも”チョットだけ”おしゃれなこと。有元葉子ほどカリスマ性はないし、小林カツ代ほど庶民度は高くない。そして料理は決して難しくなく、フツーの主婦が手軽に作れるのが、はるみ流。

10 早稲田大学大学院文学研究科後期博士課程修了(心理学専攻)。愛知淑徳大学教授。医学博士。著書に「セックス神話解体新書」「ジェンダーの心理学」など。上野との対談「ザ・フェミニズム」もある。

11 セクシャリティが性的欲望・性現象を指すなら、心理学が扱う対象であるという観点により、ジェンダーとセクシャリティの混乱を整理しそれらが構築主義的に解明される最先端まで読者を導こうとする。01年発行、有斐閣選書 1500円

12 マガジンハウスが「キャリアとケッコンだけじゃいや」をキャッチフレーズに88年創刊した女性情報誌。バブル経済の恩恵を受け、ブランド品・グルメ・海外旅行など、従来の「キャリア(仕事)か結婚」という二者択一を超えてより豊かな生活を貪欲に求める女性たちをマーケット業界では「Hanako族」と呼んだ。「クロワッサン」のように女性の自立を掲げることなく消費情報の提供に徹した。

13 85年9月プラザ合意で、ドル高の修正・円高方向への国際的誘導によって円高不況がおこり、対抗手段として、公定歩合の引き下げが行われた。結果、マネーサプライは急増し、だぶついた金が株式や不動産へ流れた。それらの資産価格が、経済の基礎条件から想定される適正価格を大幅に上回る状況。86年以降土地や株式が高騰した時期をバブル経済と呼ぶが、90年以降、地価・株式は急落して「バブルがはじけた」。

14 フランスの高級ブランド、ルイ・ヴィトンの世界最大級の店舗が02年9月1日、東京・表参道にオープンした。前日からの徹夜組を含め、開店を待ちわびて女性客ら限定品目当てに約1500人並び、その列が約1キロに。前日の夕方から母親(49)と店の前に並んだという東京都府中市の女子大生(23)は「絶対にバッグが欲しい。友だちに自慢できる」と入店が待ち切れない様子。昼食やいす持参で駆け付けた人たちの姿も。

15 「週刊女性」01年11月6日号 「独占激白”石原慎太郎都知事吠える!”」 より抜粋
「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、”文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ”なんだそうだ。”女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。」

16 不明。

17 「ジョアンナの愛し方―男性があなたに夢中になる203の方法」 小学館文庫381円
オリビア・セントクレア(著)与えられるセックスよりも、与えるセックスのほうがずっと素晴らしい。そのための方策をつぶさに、しかも具体的に語って衝撃をあたえたベストセラーの文庫化。セクシーな女性が、お手本を見せてあげなければ女の悦ばせ方がわからない―男なんてそんなもの。女性によってはじめて書かれた、女性自身のための素晴らしいセックス203の方法論。

18 サティスファクション―究極の愛の芸術 2300円 発行アーティストハウス
キム・キャトラル(著)。アメリカで人気のテレビ番組「Sex and the City」でサマンサ役を演じる女優キム・キャトラルと彼女の夫でジャズミュージシャンのマーク・レヴィンソンによって書かれた。 オープンなコミュニケーション、信頼、愛、互いを喜ばせることへの興味、といったシンプルなことがセックスライフを豊かにし、カップルをより深い方向へ導くと言う。しかし、多くの女性がセックスについて質問されたとき、不満を抱いていると告白しているのが現状だ。性的な欲望を恋人に伝えるのは難しいが、2人でオープンにこの問題について話し続けることが、よりよい関係を保つためには必要で、男性がほんの少し、知識を身につけることで、2人の関係はさらに良くなっていくという。

19 昭和8年北海道上砂川生まれ。札幌医科大学在学中の昭和29年、21歳の時に処女作『イタンキ浜にて』を発表する。その後、医師となってからも、同人誌「くりま」を通じて多くの小説を発表し、昭和40年『死化粧』で第12回新潮同人雑誌賞を受賞し文壇デビューを果たす。昭和45年に『光と影』で第63回直木賞受賞。『遠き落日』で第14回吉川英治文学賞受賞。その後は『ひとひらの雪』『うたかた』に代表される、男女の愛と性の深淵や人間の持つ情念を描いた、情痴文学を確立。日本経済新聞に連載され、大ブームを巻き起こした『失楽園』は、この分野における代表作。私は「ケッ」って思うよ、中身。

20 性交の途中で射精する直前に膣から男性性器を抜去して、膣外に射精する方法。しかし、避妊効果は十分でなく、長期的には妊娠してしまう場合が多く避妊法として認めることができない。また性感染症の視点からもすすめられない。が、避妊法と思っている若者が多いらしい。

21 85年にナイロビで開かれた第3回世界女性会議で、国連婦人の10年最終年にあたり世界行動計画の実施期限の2000年までの延長と実施上のガイドライン「ナイロビ将来戦略」を採択した。そのガイドラインに基づく実施状況の評価と更に必要な戦略を確認したのは95年に開かれた北京女性会議である。

22 「女」に何らかの本質があるという本質主義的フェミニズムの流れが一時あったが、構築主義的アプローチによる見直しがあったことは大方の理解をまだ得ていないと思う。特に高齢の参加者が多かった会場は「そのせりふのどこがいけないのか理解しかねる」という反応だったように思う。

23 漫画、音楽、思想、日本を束ねる知的娯楽本(自称)。みうらじゅんの漫画「断崖先生」、秋本治と小林よしのりの漫画論対談、西部邁の時評などを収録する。幻冬社発行。

24 漫画家。「こまわりくん」などのギャグマンガを描いていたが、「ゴーマニズム宣言」で薬害エイズ問題を漫画化して支援し一躍有名になる。その後南京大虐殺問題など発言が政治・右傾化傾向が強くなり、「新しい歴史教科書をつくる会」発足には中心メンバーとして関わる。

25 西部邁 評論家。秋明大学教授。新保守主義者。「新しい歴史教科書をつくる会」理事。「朝まで生テレビ」に準レギュラー出演。

26 瀬地山角 東京大学大学院総合文化研究科助教授。ジェンダー論、東アジア研究。著書は「東アジアの家父長制」「フェミニズムコレクション」「お笑いジェンダー論」等。

27 関西弁で「おめこ」は「おまんこ」と同じ。上野は富山県出身、京都大学大学院終了後、京都精華大学等経ているため、関西生活あり。

28 小泉純一郎を総理にした立役者だが、外務大臣であった当時外務省を牛耳っていた鈴木宗雄との確執などから大臣を更迭される。その後、秘書を関連会社から出向扱いで勤務させたことが発覚し、一気にバッシングの勢いが強まった。自民党の党籍停止処分を受け、議員辞職し、議員生命を失ったとまで言われている。

29 辻本が筑紫哲也編集「週刊金曜日」で連載していたコラムを始め、ホームページなどにイラストを提供していた。

30募集・採用から定年・退職・解雇に至る女性差別を禁止する法律。85年日本が国連の女性差別撤廃条約を批准する段階で、それまでの法律が条約に違反すると理解されたため、同年制定された。

31 56年新潟市生まれ。成城大学経済学部卒業。文芸評論家。著書に「妊娠小説」「紅一点論」「読者は踊る」等がある。

32 斉藤美奈子著:「文壇アイドル論」で80年を駆け抜けた「女の時代」の旗手の一人が林眞理子であり、もう一人の旗手が上野と対比させている。「成り上がった」林と「(アカデミズムから)降りてきた」上野、男社会に受け入れられたい願望を露にして逆に男社会からバッシングを受けた林と、男社会を鋭く批判したわりに男社会で居場所を確保した上野は、「女の時代」のネガとポジであると評している。

33 朝日新聞02年8月20日夕刊「女の時代」のネガとポジ~元“宿敵”に見る共通項(単眼複眼)

日本女性会議2002あおもり

2002年に初めて日本女性会議というものに、市の男女共同参画関連ということで視察に行かせてもらった。

基調講演はAとBがあって、辛淑玉の方を選んで、ICレコーダーで録音し、文章起こしを自分でしたもの。時間あったんだなぁ…。文末の脚注も自分で探して入れていた。何のつもりだったんだろう、ただただ面白がってただけな気がする。

他に上野千鶴子さんと辛淑玉さんとあと一人過激な女性(固有名詞が出てこない)の鼎談も聞いてm同様に文字起こししたんだけど、そっちは見つからない。なぜ?
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日本女性会議2002あおもり

2002.10.4.FRI~5.SAT
青森文化会館/ぱるるプラザ青森

テーマ
私は私を大切に思うのと
同じ重さであなたを大切に思う

平和・平等~地球市民としての私たち~
・・・日本女性会議2002あおもり 基調講演Bプログラム
講演者  辛淑玉
改めて自己紹介させていただきます。「辛」は辛い、辛い辛抱の辛と書きまして、そのまま「しん」と読みます。いくつに見えます?(会場参加者に)そこのかた?あたらないと思って言ってる?(笑)…40ぐらい? そちらの方は?…30ぐらい?(お世辞きついよという感じに笑いが盛り上がる)…すみません、(舞台袖に向かって)今の回答者に金の座布団10枚差し上げてください(笑)。43でございます。よく男と間違えられます(当日のいでたちは上下とも白のパンツスーツ、白のエナメルの靴、ベリーショートの髪型、さながら宝塚の男役のよう)。この間山口のホテルに宿泊したとき、夜11時ぐらいに一人でホテルの温泉に入っていました。そしたら4~5人の私よりちょっと上の世代の女性が入ってきたんです。私がお風呂に入っていたら、ドアを開けて一目見るなり、「あ!う!」と言って出てった(爆笑)。おかしいなと思っていたら、しばらくすると隣の男湯から「うわ~!」なにが起きたんだろうと思っていたら、そのおばちゃんたちが戻ってきて「あんたや、あんたや、あんたが入ってたから、男湯と思った!」と言うんです(爆笑)。ちなみに私はその時裸だったんですけどねぇ(爆笑)。

そして「 Ladys and gentlemen」の淑女、淑と書いて「す」と読みます。そして皆さん同じみ、パチンコの「玉」と書いて「ご」と読みます。よくテレビに出るたび、暴言を吐いては降ろされてます。街を歩いていると声をかけられます。そのときの言葉が大体似てまして「あんた、TVで見たよ、日本語上手だね」(笑)。私は東京生まれ東京育ち、三代続いた江戸っ子でございます。今日も何かありましたら、日本語でうかがいますので安心して声をかけてください(笑)。

本職は企業内研修といいまして、ビジネスマンの研修を請け負う会社を経営しております。ですから経営者にあたるわけです。年間、サラリーマン相手の研修というのを200本くらい、それから小中高大の学校、それから地方自治体、それにNPOやNGOなど研修とかを年間100本くらいやっています。3回くらい同じ会社に行きますと「あ、この会社はいい会社」「この会社はもうつぶれる」(笑)、だいたい判ってきます。どういう会社がいい会社かといいますと…。例えば月曜日に研修で会社に行きます、ま、みんな席に座っている。次に金曜日に研修に行くと又みんな同じ席に座っている。それから1ケ月後の補修研修に行きますと、又みんな同じ席に座っている。同じ席に同じ人が座りつづける、これほとんどだめな会社です(笑)。今日はこっち次はあっち、好きなところに自由に座っているのはすごくいい会社です。

今日ここは席決まってましたか?決まってない?自由席!(最前列の席に向かって)自らの意思で一番前!(笑)。今日は自分の好きな席に座れた方、座れなかった方、いろいろいらっしゃると思いますが、だいたいこういう会場も席で性格がわかります(笑)。前から3~4列目ぐらいまでに座っているかたは、「いつでもなんかあったら出て行くわよ!」というタイプの方がお座りになる傾向がありまして(笑)、真中からちょっと後ろになりますと「みんなが行くなら行こうかな」、2階席にお座りになるのは「おもしろくなかったらさっさと帰ろう」(笑)、非常にあぶない感じです。約1時間半皆様にお付き合いいただきます。ひとつだけお願いがあります。途中で具合が悪くなったりトイレに行きたくなったりしましたら、私が話している内容は無視していただいて結構ですので自由になさってください。真中に入ってしまいますとなかなか出られません。そのときは両サイドの方ちょっとだけご協力をお願いします。トイレを我慢してまで聞くほどの内容ではございませんので(爆笑)。あまり多くを期待されますと、今からでもあちらのほう(青森文化会館)へ行っていただきまして、堅い話を聞いていただきたいと。大変申し訳ないんですが、まだ何も話してないうちから、ペンをお持ちになってご用意なさるのは、日本の文部省の最も悪い成果ですね(爆笑)。だいたいご飯食べた後の午後の講演会で一生懸命メモして、家に帰って見るかといったら、寝ますね。今日は一緒にいろんなことを考えていただければなと思っております。

ほんとにあちこち日本全国をびっくりするくらい出回っております。行ってない県はない、昨日は3ヶ所、おとといは韓国、その前は大阪福岡と、全国各地を廻ってますと「うわぁ~、変わったなぁ」と思うのは女です。「ちっとは変わったかな」というのが多くの男性です。ちょっと心に残っている講演をいくつかお話したいと思っております。この間春闘の記念講演で呼ばれました。春闘というのは労働者の人たちが戦う恒例行事みたいなもんですが、それの記念講演に経営者である私を呼ぶ…!(笑)私はちょっと違和感はあったんですが「思想は金で転ぶ」ですから(笑)行くわけです。これよりはもうちょっと大きな会場だったんですが、入った瞬間にここから向こうまでずっと全部男の人。1割も女の人いませんでしたね。ところどころにぽつんと女性の姿が見える。それでもお茶を入れてくれるのは女の人なんですよ。壇上に座っている人たちが、ほとんどドブねずみ色した男、偉そうにしてる(笑)。

それで、こういう話をしました。「今まで、頑張って頑張って頑張って、、頑張って頑張って頑張ってやってきた結果が今ですよね?(笑)だから、新しいことをしよう!これからは違うことをしよう!というなら、がんばらないこと!」と言ったんです(笑)。「権力を持った男の人が頑張れば頑張るほど社会は悪くなるんだから、頑張っちゃいけません!」そしたら会場の人がこっちからこっちまで「うん!」と肯くわけです。私は、「あれっ?結構話聞いてくれたんだな」と思ったんです。そしたら司会者が来て、「いやぁ、辛さんほんとにすばらしいお話をありがとうございました。それじゃ皆さん、今年も、ガンバロウ!!!」(爆笑)。それ以来、男の集まりにはなるべく高額の賃金を出していただけなければ喋らないことにしてます。エネルギーの無駄!

どころが、女の人ってすごくおもしろいんです。例えば最近の話なんですが九州に講演に行きました。ちなみに今日九州から来られている方はどれくらいいます?(少ないが手が挙がる)あ、そうですか。じゃ、ちょっと聞きましょう。(会場前列に向かって)九州って一言で言うとどういう感じですか?自分の思う九州をどうぞ。(…間…)聞かなくていいですって?ひょっとして学校の先生でしょうか(笑)。(別の人から返事)男尊女卑?そうですね、なんとなく九州というと九州男児というイメージがしますよね。実は、そうなんです(笑)。例えば一例をあげますと、女性校長、小学校の女性の校長先生、比率がすごく上がったんです。全国的には16%。小学校の女の先生の割合が7割、多いところでは8割です。ところが九州のあるところでは女性の校長の比率は3%!全体的に全国比率から落ちるところです。

そこで講演に行ったときホテルに泊まって、そこにはサウナがついていました。私はタダのものは何でも行くという主義、プロレタリアートの基本みたいなものですので(笑)、サウナ行きました。その中に4人の女性がいました。私が40代、年齢は聞いてないので解りませんが、おそらく私より上の世代、50代と60代。それからちょっと話をしたら私の母よりちょっと上の感じがしたので70代の女性がいたんです。私を含めて5人の女がサウナでじっとしてTVを見ていた。その時TVでやってたのは…。中村俊介さんてご存知ですか?タレントさんで、サッカーではなくて。ちょっと二枚目で20代前半、なかなかきれいな感じの男の子。彼がこういう話をしてたんです。

「僕ね、自分の彼女が胸の開いた服とかノースリーブとか肌が見える服は絶対着てほしくない、そういう(服を着てる)女とは付き合わない」(会場静まる)。そういうのはとてもいやだと言っていた。トーク番組でしたので、両脇に明石家さんまさんと所ジョージさんがいて、さんまさんがね、「じゃ、なにかい。夏、海に行ったりプール行ったりするとき水着着ないの?」「当たり前です、だから僕はそういうところへは行かない」とか(爆笑)。こっちの所さんが「じゃ、結婚するならヴァージンがいいの?」って聞いたんです。そしたら彼は「もちろんです」(馬鹿にしたような笑いが少し)。

さて、第1問。その時私の周りにいた女性たち、九州の女の人たちは、なんと言ったでしょうか?それでは、ここでちょっと近くに行って聞いてみましょう。(会場に降りながら)講師が降りてくるなんて思っても見なかったでしょう?(爆笑)。(通路そば来賓席に近づきながら)思わず目をそらせました、こちらから行きたいと思います(爆笑)。その時九州の女の人はなんて言ったでしょうか?(来賓の男性)「その通りです」となりの方にも聞きましょう。(同じく来賓の男性)「うわぁ~」(爆笑)。いいですね、こちらは?(同じく来賓の男性)「当然ばってん」。(あきれたように)青森に未来はない(大爆笑)。

会場の男性に聞きますと、だいたいそんな感じ、あと、うちの娘ムコにいいとか。私はサウナで何も話さずじっと聞いていたんですが、今から彼女たちの言葉は東京方言に翻訳してお伝えします(笑)。最初に、となりにいた女性50代、彼女の第一声「バカじゃないの、この子」(爆笑・大拍手)。「へ?」と思ったんです、普通そんなの見て意見なんか言わないんですよ。サウナって階段状になってるじゃないですか。上の方に座っていた、隣りの人よりもうちょっと年上の人が「支配したいんだよ、支配、自分のもんだと思ってんだよ」(爆笑・大拍手)。そしたら、もう一人が「こいつ中村雅敏の息子よ」(爆笑)。全然違うんですよ、でも世の中こういう流言飛語も飛び交うんですね。「やっぱり、お父さんも変だから、息子も変だわ」(爆笑)。中村さんの名誉にかけてまったく違いますから(笑)。

私が最もうわぁ~と思ったのは最高齢の人です。彼女はなんと言ったか、彼女は「いったいこの子の父親は、何をしとると!」と言ったんです。東京方言に直しますと「いったいオヤジは何してるんだ」とこういうことです。「へぇ~っ」っと思ったのね。子どもが何か問題を起こしたりするといつも「いったい母親は何してるんだ」って言われるわけですよ。ところがあの先輩世代の女性が「いったい父親は何をしてるんだ」と言うわけですよ。これは賛成するしかないと私思いまして(爆笑)それから私はひたすら火に油を注ぐべく、「そうですよね、そうですよね」って(爆笑)。そういうね、初めて会った世代の違う人たちがひとつのテーマに沿って意見をばぁ~っと言うなんてかつてありえなかったことですよ。

そういう女の人たちの変化ってものすごく大きくて、小中高大と私立のところに呼ばれることが多いのですが、公立はさすがにちょっとまずいなと思うのか(笑)。私立は女子高とか男子校があって、どこに行っても「何か質問ありますか?」って聞いて「はいはいはい」って手が挙がるのはみんな女の子。女子高に行くと大変ですよ、この間なんか1時間半の講演が終わって3時間質問受けました(笑)。やめてよ、そんなにギャラもらってない!(爆笑)でもね、その女の子たちの質問がすごくおもしろいの。ジャンルがない。例えば就職の質問、「私は将来パイロットになりたいと思います。でもお母さんがそんなに世の中甘くないと言います。男女は本当に平等でしょうか?」とか。これは中学1年生の女の子でした、「辛さん、お父さんが3ケ月入院して、そしたらおじいちゃんが家に来て7つの弟に、『いいか、お父さんがいない間おまえがお母さんを守るんだ、しっかり…。』(爆笑)、それ以来弟はノイローゼです」(爆笑)「どうしたらいいんでしょう?」(爆笑)。

ほんとにどんな質問が出てくるかと思いきや、そういう目の前に具体的におきたこと、昔だったらそういうことたくさんありましたけど、疑問にも思いませんでしたよね。でも、今の子たちは、「なんか変、ちょっと変」って言ってくるんです。傑作な質問があったんです。「辛さん、右翼と左翼はどう違うんですか?」(爆笑)。これはおもしろいから聞いて見ましょう。(ステージを降りながら)右翼と左翼はどう違うんでしょう?(笑)こちらの方に聞いて見ましょう(今回も男性)。聞いたのは中学校1年生です。…間…5,4,3,2,1…(男性ぼそぼそと話している)「(辛復唱する)実際には右よりの考え方と左よりの考え方があって…ですか?」(爆笑)。女性会議にきてるだけで、男は勘違いって所ありますからね(爆笑)。私はプロのコンサルタントですから、そういうときは子どもに解る答え方をしなくちゃいけません。「辛さん、右翼と左翼はどう違うんですか?」「いいかい、よく聞きなよ。右翼はバカでもなれるけど、左翼は勉強しないとなれないよ」(大爆笑・大拍手)。そんなこと言ってだまくらかしてるんです。女の子って好きです、女性会議もとても好きなんです。見てください(ステージの飾り付けを見ながら)きれいでしょう、すごい美しいですよね。私女の人が呼んでくれるイベントって何で好きなのか、必ず花とお菓子があるんです(笑)。男の人が呼んでくれるとこの辺に盆栽なんかがある(爆笑)。

その反対に「何か質問ありますか?」って聞いたときにまったく手を挙げないのが男の子です。見事ですよ、びたっと。なぜかというと簡単です。質問するというのは、分からないからする、バカがする、そういう感覚です。それから変な質問をしたりかっこ悪い質問をしたりして恥をかきたくないと思うわけです。目立ったりするのがいや。皆と同じ事してなきゃいけない。質問するならみんながあっと言うようなデカイ質問をしなきゃいけない。し~んとしてるわけです。男子校もよく行きます。私が今記憶しているだけでも、浜松の学校、それから兵庫、大阪もそうでしたね、九州の学校なんかもそうでした。四国もそうでしたね、ぱっと思いついただけでも何校も出てくるんですが、男子校で私がどんな講演をしても必ず同じ質問が出されます。必ずというと語弊がありますね、7割ぐらいの確立でその質問が出ます。質問する時の子は手は挙げません。先生が「それじゃ、○○君」さすがですね、そう言って指されるのはたいてい級長さん。級長って言って判らない方います?ホームルーム委員とか、級長って言って判るのは40代(笑)。

指された子が、どこの学校に行っても、どんな講演内容でも、必ず、ほんとにビックリするほど同じ質問を私に投げかけてきます。その質問は何だと思われますか?それでは2階席の一番前の男性、はい、あなた(笑)。2階席も指しちゃうぞ(笑)。…(間)…(男性)「ヒントありますか?」ヒント?(爆笑)。すごいですね、攻撃は最大の防御なり(爆笑)。ヒントはですね、今のこの社会情勢を見事に反映している質問です。そして、女の子には一度も聞かれたことのない質問です。どうぞ(笑)5・4・3・2・1…どうぞ!(…間…答えない)降参だそうです(笑)。どなたかおわかりになる方?聞いてみましょうか、はいそちらの方?「日朝関係」?はい、ちょっと関係があります。具体的にどういう質問でしょうか。前の方に聞いてみましょう。「北朝鮮か、大韓民国か」あ、「あなたは北朝鮮か大韓民国のどちらか」ということ?どっちだと思いますか?国籍は韓国です。

私に投げかけられる質問は見事にどこの学校でも同じでした。この質問以外はほとんど投げかけられませんでした。「辛さん、日本が好きですか?」(会場からあ~そうかという声)。この裏にあるものはなにか。外国籍住民ですね。どう見ても日本人じゃない名前ですよね。よそ者ですよ、。「からしよしたま」とは読んでくれません(笑)。彼らは人生始まって以来、こんなにえばってる女見たことないんですよ。あちこちの進学校、偏差値の高い高校に行っていて、競走に勝ち抜いて、男としてのプライドを持っている。「よそ者の女が自分たちの学校に来て、偉そうなことを言ってるよ。あんた、日本が好きですか?。好きだったら文句言うなよ、嫌いなら出て行けよ」(会場からそうそうそうの声)。

これは嫁に対してずっと言われてきたことですね。例えば、嫁さんが「今日私ちょっと男女共同参画の会議に行ってくる」とかいうと「あんた、そんなところで知恵つけて!」。それからね、ちょっと地域活動なんかすると、「そんなことやるんなら、でてけ!」って言うでしょう?つまり、「ここに居させてもらいたいなら家の家風に従えよ、そうでなかったら出て行け」こういうことは日本の社会にずっとあった、いえ、儒教社会にずっとあったことです。それをそのままこちらに押し付けているんです。

子どもでもお客さんでございますから、お客様と向きあって、ちゃんと言うんです。「それでは、お伺いいたします。(たたみかけるように)あなたが言っている日本とは、政治ですか、経済ですか、文化ですか…」(爆笑)。そしたら向こうは「う~」ってうなって黙ってしまう。そしたら次に聞いてくるのは「日本人は好きですか?」。私はプロのインストラクターですから、もちろんそのお客様も大切にちゃんと向き合います。「それでは、お伺いいたします。あなたが言っている日本人の中にアイヌは入っていますか?あんたが言ってる日本人の中に、ウチナンチュは入っていますか?あなたの言っている日本人の中にあなたのお父さんお母さんの戸籍がちゃんと入っていますか?あなたの言っている日本人の中にハンディキャップと言う個性を持った人は入っていますか?(段々口調が低くなる)あなたの言っている日本人の中に日本国籍を取得してない人は入ってますか?あなたの言っている日本人の中にセクシュアルマイノリティは入っていますか?百歩下がって、あんたの言ってる日本人の中に女ははいってんのか?」(爆笑・拍手)。

そうなんです、なめてんですよ、女を。その中で何人かがこう言ってくるんです。「辛さん、日本と韓国が戦争になったらどっちにつきますか?」。「それではお伺いいたします。日本と韓国が戦争になったら、私はどっちにつくと思いますか?」(爆笑)。この質問は男子校からかけられたんですが、おもしろいから、逆に聞いてみたんです。女子高と共学ではだいたい1割が韓国、1割が日本、8割が判らない、これが女子高・共学での回答です。この間行った男子校の回答、男子校はほとんど数値がぶれません。7割が韓国、2割が日本、1割が判らない。つまり男の子というのは10代で国家を背負うんです。そういう質問の方が男らしくてでかくてりっぱな質問だと思ってるんです。その時私はこう答えます。「もし戦争になったら、一番先に殺されるのは私です(会場静まる)。韓国に行っても殺される、日本にいても殺される。もちろん北朝鮮に行っても殺される。それが戦争でしょ?」。異端を排除する、色の違うものを排除する、そういうことに賛成しない人を排除する、そして戦争の足手まといになるものを排除する。もっと言えば、人殺しを手伝わないものを排除する、人殺しに反対するものは殺される。私が味方じゃないかも知れないと疑われた瞬間に殺される。これが戦争でしょ?「あんたたちに聞きたい、この中で1時間でもいいから、自分のじいちゃんやばあちゃんにどんな青春時代を送ってきたの?何を食べたの?どういう本を読んだの?そのときは何になりたかったの?隣りの人とどんな会話をしたの?何でもいい、1時間でいいから聞いたことあるのか?」って聞いたんです。私が講演しているところ、1時間でいいからじいちゃんやばあちゃんと話したことがあると言った子どもに今まで会ったことがない。たくさんいると思いますよ、でもそういう質問をかけてくる、そういう学校においては少なくともそういう子はいない。もうあの世代から、国威国家を背負います。

なぜ?それが男として育てられているから、なんです。あなたたちは生まれたときから名前の付けられ方が違います。男の子は強くてたくましくて、そして雄大な名前を付けられます。女の子は愛らしくて美しくて可憐な名前が付けられます。男で「」、女で「」はいない(爆笑)。生れ落ちたし瞬間からそういったものが違います。そして、もらえるおもちゃが違います。マジンガーZとかね。サッカーのボールとかバットとか。女の子はお花であったり、リカちゃん人形だったり、与えられるものが違います。幼稚園に入ると、女の子は赤いかばん、男の子は青いかばん。そのうち色のついたものは男の子から奪い取られます。だって、男がカラフルなものを着てると恥ずかしいって。小学校に入ると、男の子のあいうえお順で呼ばれ、次に女の子があいうえお順で呼ばれます。一番に男、二番に女。小学校でPTA頑張るのはお母さんです。でも、PTA会長お父さんです。自治会頑張るのお母さんです、でも自治会長はお父さんです。小学校の先生は女の先生が多い、でも校長先生は男です。それから、中学校に行くと女の先生は4割くらい、高校に行くと女の先生は2割、そして大学に行くと女の先生はほとんどいません。高等学府に行けば行くほど女が少なくなる。女がバカで男が利口だと無意識のうちに学んで行きます。

校庭でマラソン大会をやる、男は8キロ、女が4キロ、なんなんだ?(笑)。この間はおもしろかった、ある地域で給食のパンが男の子の方が2枚多い(笑)。私みたいにでかいのはどうなっちゃうんだ(爆笑)。おうちに帰ればどうですか、おとうさんの茶碗はでかくてお母さんの茶碗は小さい、両方ともお茶が好きなのに、じいちゃんの湯飲みはでかくてばあちゃんの湯飲みはちっちゃい。還暦になりました、じいちゃんとばあちゃんに何かプレゼントをといって、二人にペアウォッチと。両方とも目が遠いのにじいちゃんの文字盤はでかくて、ばあちゃんのはちっちゃい(爆笑)。そんなことが延々と繰り返されるわけです。

この間研修に行ったんです。私は酒を飲むんです。ビールから始まっていろんなお酒を飲みます。人に招待された時はなるべく1種類にしようと思ってますが(笑)、自分で飲むときは焼酎とかいろんなのを飲みます。この間うちの研修で、私のほかに男性スタッフが7人いました。たまたま女は私ひとり。おもしろかったですよ、私は酒飲みますが、スタッフは下戸なんです(爆笑)。一番最初にビールから始まって赤ワイン、白ワイン、冷酒がいいや、最後にウイスキーなんて。スタッフはジュースにコーラにジュースにウーロン茶で、最後にコーラとか(笑)。(オーダーすると)必ず私のところにジュースがきます。男のスタッフの方に酒が行くわけです。そこまではいいんです。朝、毎朝、朝食取るじゃないですか。お座敷に○○会社ご一行様とか書いてあって、一人ずつお膳が置いてある。そこに座るわけです。月曜日はここに座ろうかな、火曜はあっちにしようかなとかね、あちこち座る位置を変える。どこの席に座っても私のところにおひつが来る!(爆笑)。いやだって言ってもついてくる、あっちへ押しやってもついてくる。女が給仕をすると当たり前のように思っている。そういうことが無意識のうちに社会で繰り返される。

その研修の帰りに、途中で高速でトイレ休憩に入ったんですよ。高速道路のトイレって行ったことあります?男のトイレの標識に男の絵が描いてあって、女の方のトイレは女の人の絵のよこにガキが一人ついている(爆笑)。あたしは頭に来て、子どもの便所はみんな女がやらなきゃいけないのか、って!たまたまそのときは研修でマジックを持ってましたので、これじゃイカンと思って男の標識にガキの絵を描いた(爆笑・拍手)。そしたらスタッフが「辛さんやめてください、公共器物破損罪になります!辛さんは日本人じゃないから罪が重い!」(爆笑)。「こんなもん、だまってられるか!」って(爆笑)。

どっちにしても私たちは社会の中でいろんなものを知らない間に着せられているわけです。これは差別です。だけどね、私を含め、男の子を虐待してるという意識が抜け落ちていると思うんです。男の子は生れ落ちた時から、ずっと言われることがあるんです。「負けるな、泣くな、やりかえせ」(笑)。いつも負けちゃいけません。いつも競争で勝ってなくてはいけない。勝って勝って勝って勝ちつづけなければ男じゃないわけです。そして何かしくじったり、何かちょっと辛いことがあっても、男の子は泣くことは許されません。「あんた男の子でしょ、しっかりしなさい」「うじうじしちゃだめ、めそめそしちゃだめ」「ぐっとこらえて、じっとがまんして、堪えて堪えて、ずっと耐えて!踏まれても踏まれても、玄関マットのように耐えて!」(笑)。そうしなきゃいけないと育つわけです。

必ず言われます「やりかえせ」。どんなことがあってもやり返せ。やり返す時は「死ぬ気でやりかえせ」といわれます。死ぬほど頑張らないと許してもらえない。私たちの社会はどんなことがあっても誰一人勝つことができません。勝てないからこそ、地球は成り立つのです。にもかかわらず、いつも勝て勝て…。そして、泣くという作業は、なんといいうかものすごく大きな癒しの作業です。医学的なことは専門家にお聞きください。少なくとも泣いたりとか感情表現したりとかいうことは、人間の緊張を解くことです。やり返せ、やり返せ、いつでもどこでもやり返す。そしてやり返せなかったらどうなりますか?男社会から排除されるんです。「負けるな、泣くな、やりかえせ」って言われて一生懸命生きてきた子たち。小中高校、いじめで自殺するのは大半が男の子です。だってそうでしょう、いじめられたら、勝たなきゃいけない。それを家族には決して言えない。自分がいじめられているなんて死んでもいえません。引きこもりになる子の大半は女です。命の電話にかかってくるのはほとんどが女の子です。17歳18歳の子ども達が壊れていく。この間会った大学の先生はデータでいくと2年前から男の平均寿命が縮まった。どうして?過労死自殺、リストラ自殺です。死因の第2位に自殺が入ってきました。男が全世代に渡って壊れ始めています。男って虐待を受けても我慢することを強いられるわけです。

一番解りやすいのが体育会。先輩に(張り手)バシッとやられて「(直立不動の姿勢で元気よく)気合が入りました、どうもありがとうございました」(笑)。バシッとやられるのはね、虐待であり、加害ですよ。加害を受けてありがとうございましたって言わなきゃいけない文化がそこに根付いてます。それにね、女も男の子は傷つかないって思ってるから、男の子が中学校とかでちょっと怪我したり血が出ても、男の子だからほっとくんです。男の子はそれくらいしょうがないわよね…。そうやって暴力の世界にそのまま置き去りにされます。女の子が怪我してびぇ~って泣くと、かわいそかわいそってすりすりする。男の子は我慢しなさい、これって虐待です。

この間TVをみてたら、リバイバルで「青春とはなんだ」をやってました。ワンシーンだけでしたが、覚えている方もいるでしょうか。とても不良のラグビー部がいつも馬鹿にされている学校との試合でコロ負けした。みんな悔しいって大泣きに泣いてると、熱血先生が「よし、みんな歯をくいしばれ」って言って、ポンポンポンと一人づつ殴る。殴り終わった瞬間に、生徒たちが「先生っ!」って抱きつく。バカかこいつらって思いません?(爆笑)。なんというおぞましい、殴られたり虐待を受け、加害をうけて、ありがとうと言ってしまう精神構造が、いかに壊れて、いかにおかしいかと解ってない。でもそれは、男だからと言って、そこにわれわれはずっと押し付けてきていたんです。

この間TVを見てたら、有事法制とかの話でしたが、女性のジャーナリストが「私はもう恐くてなりません、日本が攻められたらどうしたらいいんですか。私は恐くて恐くて、だから自衛隊の人にはがんばってもらわないと」おまえが行けよって(爆笑)。不愉快、大変失礼だよね、というのはここには2つの大きな間違いがあります。ひとつは男の命は女より軽い、だから女を守るために男が命をなげうっても当たり前だと思っている。もうひとつは、男は人を殴ったり殺したりしても傷つかないと思っている。これは人間に関する無知です。とんでもないです。私はこういうの大嫌いです。

一番解りやすい話をひとつしましょう。1年ぐらい前におきた、新宿の歌舞伎町の雑居ビル火災1はご存知ですか?44人の人が亡くなりました。あそこに今も花束が供えられつづけています。あのビル入口ね、この半分くらいしかないんですよ(60cmぐらい)。すっごく狭い、人が一人入れる、通りすぎるのはちょっと難しいかなって、とっても小さなところです。そこで44人が死んだんです。そこに花束が供えられている。TVで「遺族が今も…」なんて言ってたので、「あ~、取材してないな」と思った。だってあそこで亡くなった方の大半は東京に住んでいた人じゃない。私が知る限り、あそこに花を置いたのは、全員じゃないけど、知っている限り、あれは新宿消防署の職員です。あの時、現実に自分が立ち上って目の前で、自分の手の中で人が死ぬんです。そして自分はそれを助けられないんですよ。あの中の半分以上の人がその後現場に行った時に気分が悪くなったそうです。仕事がちゃんとできないと訴えてる。それは人が死んだ時に、あんたは男だから、あんたは消防隊員だからと、次もちゃんと仕事ができるでしょうと周囲もわれわれも思い込んでいるわけです。そうじゃない?いつもそれを忘れ去られて、男は虐待の中をずっと生きている。そしてひたすら一家を背負い、語ることを許されない。

17年間、私は会社経営をやっています。そうしますと17年前に新入社員研修をした社員は今課長クラスになっているわけです。「こいつは出世するな」と思う課長クラスは一番先にわかる。今はそういうことはないんですが、当時はこういうことがあった。例えば上司が「おい、あれはどうした?」というと「あれ」を3つぐらいの中から「これだ」と当てられるという霊媒師のような奴が出世した(爆笑)。「あれってなんですか?」なんて聞いたら、「何も解ってない」って言われちゃうわけです。卑近な例でいいますと、ある役人の「けんちゃん」がいて、そこへ中央から役人が来る、その役人が「最近ゴルフやってないなぁ」というと、けんちゃんは「あぁ、そうか」と青森カントリークラブに走る、これはなかなかいい役人になった。ところが「最近ゴルフやってないなぁ」と言った瞬間に「それじゃ、身体なまっちゃいますね」(爆笑)、こいつは出世しない。つまり阿吽の呼吸です。そして会議の時はテーブルの上に載ったものはすべて決まっている。だから何か意見を言うと、「そんなおまえ、会議の時に意見言ってどうすんだよ」ってことになる(爆笑)。それくらい会議の時は物事が決まっている。

これは国会も一緒です。国対政治2と言って「国会の中でバンバン議論すればいいのに」って思っていても、そのときには決まっている。それを支えているのが談合社会です。談合社会と言うのは成功なんかしなくていい社会、失敗さえしなければいいんです。だからいつも過去の繰り返しです。「去年はこうだった、おととしはこうだった」と。いつでもどこでも過去の繰り返し、そして何かあったら「そんなことは前例がない」というんです。前例がないからいつも新しいことができない。そういう風に必至にふんばって必至に頑張ってきた。なぜそうしたのか?男でなければ賃金が上がらなかった、男でなければ一家を支えられなかった、男が唯一稼ぎ手だったからです。

男が能力があるとかという問題ではない、男だということで賃金が上がる。男の賃金100に対して女は、どうですか?平均で60です。これは正社員の賃金です。女は正社員なんかになれませんから。なれたとしてもそのままずっと正社員で昇進昇格があるのかと言うと、今まではなかった。ほとんどがパート・アルバイトです。男100に対して、パートの女、女ばかりじゃないですが、パートアルバイトの賃金は50です。これは男のパートも入った数字です。男パートを抜いて女だけのパートですと、約40。ところが女は家事や育児がありますね。生きてる時間必至に働いたとしても男100に対して女の賃金は5~10です。それじゃ生活できない。そこで「おまえいったい誰に食わせてもらってんだ」ということになるのです。そんな風にしてずっと女は自分の能力に見合う賃金を得ることも、社会に出ることも許されませんでした。

死ぬ気で働いて、朝から晩まで働いて家事も育児もせず、夫婦の会話さえない状態の中でただひたすら働いて、いざ気がついてみたら、定年になって離婚を突きつけられる。そして夫が言うのです「いったい、俺が何をしたんだ」「あんたが何もしないからよ」(笑)。つまり働いてさえいれば、金を稼いでさえいれば、少なくとも男のポジションは守れた。ところがその社会が今劇的に変化しています。ものすごいリストラの嵐。すごいですよ、この間私の知っているある銀行で350人がリストラにあいました。友人が「日本の社会は俺が動かしているんだ」って言っていたのが、リストラされて「(媚びるように)辛さん、どこか紹介して」って。別の業界でも300人のリストラがあって、私の友人の女性、彼女はリストラされた瞬間に「あ、これで北海道に1週間旅行に行こう」「失業保険で遊ぼう」とか(笑)、非常にたくましく生きてる。

つまり、今は信じていたものがガラガラと崩れていく。なぜ?それは嘘だったからです。もう持たない構造なんですね。私が知る限り、ほんとに能力がある友人は、少なくとも私は見たことがない。なぜ?簡単ですよ。採用する時に能力をはかって入れてます?嘘ですよ。今だって採用100人あったら90人は女が点数がいいんです。だけども、実際にふたを開けたら居るのは男です。男にはゲタをはかせるんだ。学閥とか地縁血縁で入れていくわけです。要するに人間関係で採用します。人間関係で採用して、切るときになって突然能力がはかれるか?嘘ですよ。切る担当者も順送り人事ですからね、「明日から、おまえこれの(首を切るしぐさ)担当になれ」といわれるだけ。人を見る能力があるわけじゃない。だから誰から切るか、パートであり、俺に逆らわない奴から切る。これが日本のリストラです。本当に能力をはかると言うのであれば、経営トップの能力がはかられなければならない。それはまったくはかられえないまま、いつでも下から切られる。

そうするといろんなものが壊れていく。信じてたものがガラガラ壊れる。そして家に帰ってくると、居場所がない。だって、生活をデザインする力がないんですから。家のことをやる力もない、会話する力もない、男からこの社会が奪ったからです。男は無口でなければならない、沈黙は金、男は黙ってサッポロビール(笑)。ぐっと耐えじっと耐え、ただひたすら走りぬく。そういうことが美しいとしてきた。そうやって男の人たちを壊してきました。それは虐待といいます。どうしてお父さんはそんな生き方を強いられたの?それは簡単ですよね。男の価値は金だったからです。東大を出た人がなぜいいか、そりゃね、東大でてれば食いっぱぐれがないわけです。金以外の価値は男に求められたことはないんです。あんたの価値は金、それ以外の価値はない。そのひとつしかない価値を剥奪されたんです、それが今の社会です。デフレ社会というのは男から最後の生きる道すら奪ったのです。その抑圧された男たちはどこへ向かっているのか?行き場がないんです。例えば、男は一番でなければいけない、男は勝たなきゃいけない、でも社会に出たら負けますよ。家に帰ってきたら、女房にまで馬鹿にされたくないって思う。で、文句をいう女房を殴る、女房は子どもを殴る、子どもは犬を殴る(笑)。弱いほう弱いほうへと向かって行きます。それがDVであり児童虐待です。

社会全体がものすごく大きく変わった。かつて痴漢のポスターがありましたね。「気をつけよう 甘い言葉に 暗い道」。いつでも女が気をつけないといけなかった。「夜の11時ごろ帰り痴漢にあった!」なんていうと、「あんたがそんな遅くふらふらしてるからいけないのよ」って言われるわけです。ところが今はポスターも変わりました。「痴漢は犯罪です」、男たちに言ってるわけですよ(笑)。それから、女性専用列車がある東京の京王線では「痴漢には前科がつきます」とかね、脅かし方が違う(笑)。つまりね、DVにしてもそうです、かつては夫婦ゲンカといわれた、そしてそれを我慢しなきゃいけないのはいつも女だった。「昨日亭主に殴られた」「あんたの口の利き方が悪かったんじゃないの」って。でもね今は違います。去年の12月から時代が大きく変わりました。DV、夫・恋人からの暴力は犯罪になりました。これが理解できない方が男社会にはいらっしゃいます。例えば、セクシャルハラスメント。おもしろいです。セクハラと訴えられた男の人は共通してこういいます「俺は運が悪かった」と思っている。「なぜ」って聞いたら、「去年おなじことしてたのに、今年になったら訴えられた」(爆笑)。「去年も今年も俺は変わってないぞ」「あんたが変わってなくても、相手が変わったらあんたも変わんなきゃいけないの」。関係性が理解できないわけです(個人的に笑)。女が何か訴えるのは口答えであって、それは馬や牛が話してる以上に男には理解できない(爆笑)。男が女に訴えられるなんて国辱ものです、許しがたいとか思うわけです。ですから、これから抑圧された男の人たちからバッシングを皆さんが受けるのかと思うと、(腕で涙をぬぐうしぐさ)(爆笑)。でも、ここの人たちは大丈夫かな(爆笑)。

社会が大きく変わりました。そして国際社会も大きく変わってきている。今日はテーマに「平和」ということなので、そっちの話もさせていただきたいと思います。この社会の劇的な変化はどこに起因するのか。ちょっと憲法の話をさせていただきます。これが憲法上が望んだ世界なのではないかと思います。憲法9条というのは武力を放棄しようと言ってるでしょ。あれ違いますよ、口だけで国を守れと言ったんです(個人的に笑)。例えば女房をたたいた男の人が「あんたなんで叩くのよ」「あそこまで言われたら叩くしかないんだよ」、とんでもない。言われたらちゃんと言い返す、議論をつくす。何かあったら、こぶしを出す、これは最も腐った男のなれのはてです。腐った国家のなれの果てが軍事力を行使する社会です(パラパラと拍手がわき、増える)愛があれば、相手に対する思いやりがあれば軍事力は行使しない。今私たちの周りではいろんな状況が起きています。例えば、拉致3。非常に悲しい事件です。今から拉致事件をどう見るのか、私たちの生きてるこの社会、日朝関係、東アジアというのはどういう風に見ていけばいいのか。それを少しお話させていただきたい。

先に申しあげます。私はいろんなところでお話させていただきますが、いつも不思議な現象にあいます。ちょっと勉強した子が「辛さん、日本は本当にアジアで悪いことをしました。そんな日本人ばかりじゃないんです。日本人を代表して、誤りたいと思います」。聞くんです「あんたに聞きたい。あんたは泥棒したの?あんたは殴ったの?あんたが強姦したの?あんたは人を殺したの?」「いえ、僕はやってません」「やってなかったら私に謝るな。今を生きる私たちはお互いに謝ることが勝負ではない。なぜなら、あなたが謝れば本当の加害者が逃げる。そして、私は被害者ではない。被害者でない人間に謝るんでは、本当の被害者は救われませんよ。この代理人の関係を止めることが最も大事な社会づくりなんですよ」といいます。「あんたと私にとって一番大事なことは何か。早く加害者を探し出して、処罰し、いまだに続くその被害の実態をしり、被害者を救済することです。今を生きる私たちは加害者を野放しにしていることには責任がある、しかし加害者がやったことに対しては責任はない。明確に分けるべきだ。」

拉致の事件のお話です。私は在日の、自分では朝鮮人といいます。国籍は韓国です。日本で生まれて3代続いておりますので、父母は日本語しかわかりません。私の会社ができて
この数十年間中で、拉致問題が一番取りざたされてます。すごいですよ、嫌がらせ、抗議。私の知ってる人の名前で脅迫が送られてきたり・・。だけどね、私が「今ここに在る」のはなぜなんだろう、それは植民地という国家による拉致があったんです。それで私はここにいることになった。そしてそんな私が国というものは決して人を守らないんだなと感じたのは今から約20年前の、金大中拉致事件4です。当時民主化を唱えていた韓国の金大中、彼が日本で韓国の軍独裁政権から拉致をされました。同じころ、西ドイツでは尹伊桑さんという音楽家5がやっぱり韓国の軍事独裁政権から拉致されました。

その時、西ドイツ政府が取った行動というのは、こういう形でした。「うちの客人に何するんだ!とんでもないことだ!国交を断絶する!」って言ったんです。そして、西ドイツ政府は客人である尹伊桑さんをちゃんと西ドイツに連れ戻しました。ところが日本は違いました。そのまま金大中を英雄にし、そして主権を侵害されても何もしませんでした。私はそのときに子どもながら、「うわ~、この国は絶対に私を守らない」と思いました。ちなみに旧植民地出身者で今私のような在日は6世まで生まれています。この6世に対して、二重国籍も認めず、なおかつ生地主義6も認めないのは国際社会の中で日本だけです。国連の人種差別撤廃条約7をふくめてあらゆるところから何十年にもわたって勧告8を受けてます。それでも一向に動こうとしない。そしておまえは朝鮮人だということで排除し、その権利を奪ってきました。私たちはその日震えました。

日本の差別がきつい中、韓国は在日をスパイ扱いしました。その弾圧はとても激しかった。そのときにふと、キラキラと輝いて見えたのが北朝鮮だったんです。1959年から約十万人の朝鮮人が、6000人の日本国籍を持った女性と子供たちを連れて、北の大地に向かいました。行った人たちのそのほとんどが日本生まれで、ふるさとは韓国です。私のじいちゃんも、いとこもおじも何名も行きました。少なくとも私の身内がいつどこで死んだかはっきりしません。一緒に帰ったおじは、自分の父親、私のおじいちゃんにどこに住むのかも知らされてませんでした。在日は40年も前からあの国の状態がどういう状態か知っていました。そしてこ(日本)社会は朝鮮人を受け入れてくれないという思いがあるから、その(北朝鮮)組織から出ることはできなかった。組織に対して異議申し立てできないから、何をしたか。なけなしの金でひたすら北朝鮮にせめて命だけはと、たくさんの方がものを送りました。

私は小さい時に朝鮮語が読めました。がね。今はわかりません。私はばあちゃんに預けられていたんですが、ばあちゃんのところにいろんな朝鮮人のばあちゃんが来るんです。北朝鮮からの手紙を持って。その手紙を見ると、最初の1ページは社会主義国家はすばらしい、幸せに暮らしてますと書いてあるんです。違うのはその下の物資の無心です。ネッカチーフが300枚、セイコーの時計が60何個、時代によって求められてくる品物が違います。1行1行読んでいると字を読めないおばあちゃんたちが、「そうか」って聞いてるわけです。私の嫌いなばあちゃんもいるわけです。すんげぇ嫌みなばあちゃんがいて、そのばあちゃんは手紙を読んでもらう時に限って、グリコのおまけのついたお菓子を持ってくる(笑)。そうすると、それをちらつかせながら、私に手紙を読めと言う。このおばあちゃんのはお菓子をもらってもヤダって思うんですが、ま、読むわけです。そすると読み終わったらばあちゃんがお菓子くれるかなって思うとそのまま帰っちゃう(笑)。しかもうちの仏壇のお菓子まで持っていっちゃう。ほんとに嫌なばあちゃんだって思って、でもそのばあちゃんも何回もきます。「この間読んでもらった手紙の、サッカリンは50袋って聞いたけどそれでいいか?」とかね、「ネッカチーフは100枚といったけど合ってるか?」数字の確認にきます。そういうことが何度も続いて。あのおばあちゃんたち、人のものを盗んでまで、意地汚いと言われても、一生懸命ものを送った、家族のために。

私のところにも北朝鮮に最後に渡ったおじからずっと手紙が来てました。「何とかおまえに総連の仕事をしてもらいたい。」と。そうすれば政府のためになる。具体的に言えば調達具合が違う。日本から行った女性たち、その子供たちのことを考えれば日本政府はもっといろんな交渉ができたはずです。もっと早い段階で。それから日本の親族とかは、朝鮮人と結婚したというと、一家から消したんです。そういう、日本から物資の調達ができなかった人たちがどういう生活をしたかということは、目に見えて解ってました。でもね、私は途中でね、もう送らなくなったんです。疲れた。当時の私はそんなに稼げなかった。父も母も疲れている、家の生活さえ苦しいのにそこからまた金を切り詰めて自分の父でもない、母でもない、小さな時は一緒に暮らしたけど、ものを送りつづけることはできなかった。自分でこう思うんです。おじさんたちは自分の意志で行ったんじゃないか。朝鮮の人たちは自分たちの力でその社会を変えなくちゃいけないんだ。甘えてるんだ。日本の人は皆苦しいけどがんばってるんだと。自分で都合のいいように、理由付けをするんです。最後におじさんからきた手紙には、血でね、血を朱肉代わりにして指紋が押してあったですね。それから手紙が来なくなって1年くらいしたら、おじが死んだと知らされました。私はその時「よかった」って思ったんです。支えきれなかった、ほっとしました。

在日60万人の中で10万人帰ったと言うことは、ひとつの家系で何人かが帰ったと言うことです。最も弱いものから、日本に居ても先がないと思った人たちから帰っていきました。最も弱いものから。大きな生き辛さがあったのかもしれません。今100万人いると言われます、帰化した人は。ほとんどみんな知ってましたよ。でもみんな声に出さなかった。

中国の領事館9で起こった事件、われわれは「そうだよね」ここの国の人たちは、要するに権力者の人たちは絶対に助けてはくれない。中国残留孤児10だってあのような扱いを受けた。そういう目で見てました。そして拉致事件が起こって、日本の方の多くは知らないけど、朝鮮人のどれだけの人が言いたかったか。日本社会はわからないと思います。国家による権力を使ったあの人権侵害・拷問の辛さと言うものを何世代にわたってわれわれは受けてきたか。この社会はそれを朝鮮人に向けるんですよ。その社会で一番痛さがわかるところに向ける。大阪にいた時に、大阪の朝鮮学校の人に「あんた今しんどいだろう」って聞いたら、「いえ、辛さん。違いますよ。今一番やられてるのは小学校ですから」。今は小学生に向けられる。

やってる人たちはどういう人たちか?普通の人です。抑圧された社会の中で息苦しさのはけ口を、「あそこに悪い奴がいるぞ」って安心して叩いている社会ができあがっている。そしてほとんどの人は何も考えない。拉致も同じように一人の人間として考えなくてはいけないと思います。

例えば軍用性奴隷のことを考えましょう。拉致監禁・強制売春。この女性たちは、彼女たちをあのようにし、植民地の下で日本帝国主義の甘い汁を吸おうとし、彼女たちを車に乗せた朝鮮人は山のようにいたんです。ところが戦争が終わった段階で、朝鮮人はいい人で、日本人はみんな悪い人って決めてしまった。国境を越えた犯罪者がいるわけです。そして国境を越えて被害者がいる。こんな時に国威国家を背負っていたら解決なんてしないです。拉致の被害者の立場になってみたらどんなことがあっても責任者を連れ出して実行犯をきちんと裁判にかけ、そしてその引渡し要求をするべきです。すべてにおいてそうすべきです。韓国も北朝鮮も植民地支配の時の、最もひどいことをした戦犯に対しては韓国の法廷できっちり裁くんです。そしてそのときに自分たちが甘い汁を吸った朝鮮人も日本人もみんな裁くんです。そして日本に対して戦犯の引渡し要求をする。それが正しいあり方だと思います。被害者は国境を越えています。加害者も国境を越えています。国民国家の中で、どの国が善い、どの国が悪いなんて考えていたらいつまでたっても代理人なんです。そんなバカなことで被害者が救えるのか?はたして処罰できるのか。できませんよね。

ですから、私は日朝国交正常化には反対なんです。なぜ?これをいうと、右翼と同じ結論になってしまうのですが(笑)。韓国の国交正常化は1965年にありました。日韓条約11。この時は経済援助として、植民地時代に甘い汁を吸った韓国政府、そして軍部に金が渡りました。そして(韓国政府は)その金を使って民主化勢力を弾圧し、(韓国国民が)自らの手で這い上がるのに又何十年もかかりました。今回の日朝交渉も、同じように犯罪者であるあの軍部に対して経済援助をしようとするんです。話にならない。本来あの人たちは、植民地被害者の代表じゃないんです。その人たちに金を渡す?どんなことがあっても人道支援はしなくちゃいけない。1997年と98年300万から400万の人たちが餓死しています。それをずっと見てみぬふりをしてきました。どんなことがあっても人道支援はしなくちゃいけない、でも、絶対に犯罪者と手は組まない。それが取るべき道と思います。

私は日朝関係と言うのは冷戦構造だと考えます。行き詰まりの結果としての象徴としての日朝関係だと思います。この視点を多くの人が忘れているかもしれません。日本と北朝鮮、これを韓国と北朝鮮の対立軸で見てしまうと間違ってしまいます。日本と北朝鮮は双子です。どうしてか?東アジアの政治の展開・経済の展開あらゆるものの展開の象徴だからです。日本は民主制を取りました。北朝鮮は社会主義という経済体制を取りました。気がついてみたら結果はどうですか。両方とも強固な世襲制を作り上げました。制度に対する世襲制ですよ。そしてそれが延々と続くという体制を作り上げました。制度に対する世襲制というのはいくらでも変えられます。ところが制度にない世襲制はまったく変えることが困難なんです。

そしてこの2つの国のもうひとつの共通点はすべての経済政策が失敗したことです。失敗した原因は何ですか?かたや軍、かたやゼネコンです。そしてこの体制を今もって変えることができない。この体制を作り上げたのは世襲制をベースにした男だけの社会です。男だけで決めて、男だけで作り上げた。世襲制の中に女は入っていません。世襲制というのはすべて直系の長男をベースにした儒教・家父長制であり、そういったものが脈々と続くわけです。世襲になったらどうですか?簡単ですよ。(国民・人民は)やりながらあきらめちゃうんですよ。どんながんばっても社長にはなれません。どんなにがんばっても天皇なんかになれません。どんなにがんばっても金日成にはなれません。そうするとあきらめと無力感です。それが社会の中に蔓延しています。これが東アジアの停滞のすべての原因です。

われわれ女は決定権の中に入ることはできない。そしてその結果として出来上がってきたものは、見事な世襲制であり、儒教であり、そしてそれは天皇制であるわけです。今政治家の中で二世でないのはどれだけありますか?今、大幹部で二世でないのはどれだけいますか?そうでなければ、もう生きていけないそういう社会を作り上げてしまったのです。これに一緒になって手をつないだのがアメリカです。ブッシュJrですね。あの人どうですか?必ず武力で解決しようとします。これ3つあわせると現代の椿事です。お父さんに誉めらたいと思って一生懸命ピストルを振り回しているガキと、先代よりでかいことやりたいと能力もないのにふんばっている若旦那と(笑)、親父の遺産だけで食ってのめるだけ飲もうとしているぼんくらですよ(笑)。

この3つが集まって新しい時代が作れるのか?そしてこの3つが冷戦構造の象徴でもあるわけです。冷戦構造って何ですか?アメリカを中心とした世界システムでしょ?ただアメリカを中心とした世界システムって京都議定書12を見てもわかるでしょう?あらゆるもの、私たちが市民社会で作り上げていこうと思っているもの、全部これが抑圧しているわけです。いくつか例をあげましょう。情報ネットワークによるグローバルヴィレッジの構想。NGO/NPOを母体にする新しい地球市民社会構想、それから自然エネルギー利用による持続可能なエコロジー社会の構想、これらはすべてアメリカを中心とした世界システムの中で抑圧されつぶされています。アメリカを中心とした世界システムの基本は暴力装置を伴った権力抗争です。そしてこれが冷戦構造の遺物でもあるわけです。これを変えていく道はただひとつ。決定権の中に女が入る。これしかない。そして社会を、日朝関係日韓関係そしてアジアを変えていくのはまさにそこに立つことしかないわけです。

かつて韓国と北朝鮮のピョンヤンでの会談13がありました。あの時記者に聞かれたんですよ。「辛さん、おめでとうございます。ピョンヤンで金正日書記と金大中さんがであった瞬間すばらしかったですね。本当におめでとうございます。感想を」って言われた瞬間に「なにおめでたいんだ」って。「辛さん、あの映像を見てどう思いましたか?」「二人ともデブだと思いました」(爆笑)。デブって差別用語ですね。私太っていることは決して悪いことだと思っていません。太っているのは体に悪いだけですから。何の問題もないですね。でもね、指導者で権力を握っているものは、人民がやせ細っているのに指導者が太ってるのは犯罪ですよ。あんなのとんでもないって言ったら、私の先輩が「辛さん、中年になったら水でも太るんですよ」「うそ!」(爆笑)。こういう視点が大事です。

そして北朝鮮の女性の人たち、難民の人たちにインタビューしました。「この社会はおかしいと思ったわ」って言うんです。「いつ?」「1980年」「何でそのころおかしいと思ったの?」「光州事件があって、それが北朝鮮のTVで流れた、軍部はこんなに民衆を圧迫してますって、流れた」って言うんですね。「何であれを見て変だと思ったの?」「だって、辛さん。学生たちがすごくいい服を着ていました」。つまりね、私たち生活者の視点に立ったとき、うそが全部透けて見える。今必要なのは男の感覚に一緒になることではない、そうではなくて、今私たちが生き抜いていくためにどういう風にしなければいけないのか。それは私たちが決定権の中に入っていくことです。そのひとつが男女共同参画です。そして均等法であり、DVの法律であり、ストーカー規制法です。すべてにおいて、女の人たちに今までとは違う社会に入っていくとしたものは、同時に男の人たちを今の奴隷制度から開放するものでした。おまえたちはもう虐待の中で生きなくていいんだよ。男はこれからもっと豊かな金以外の生き方があるんだよ、もう暴力の世界に行く必要はないんだよ。そして戦後唯一男を解放した法律として私たちの手元に届きました。ぜひ多くの人たちとともに進んでいきたいと思います。今日は長い間ありがとうございました。


1 新宿・雑居ビル火災 利益至上、防災の壁に (毎日新聞 2001年9月3日朝刊)
44人の犠牲者を出した東京都新宿区歌舞伎町のビル火災は、「ペンシルビル」と呼ばれる小型雑居ビル火災の恐ろしさを改めて見せつけた。地価が高騰した80年代から90年代にかけて、都市部に急増したペンシルビル。階段が一つしかない煙突のような構造のため、火災が起きたら逃げ遅れて惨事につながる危険性が高い。しかし、テナントの入れ替わりも頻繁で、行政による実態把握や指導は後手に回ってきた。利益のために安全を無視する業者の存在も、繁華街の防災対策を妨げる壁になっている。
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(参考)被害にあったビルの4階は”飲食店”と新聞には書いてあるものの、この店、「スーパールーズ」という名前の、風俗店。死亡者は、風俗に行っていて被害にあったと想像された。2日の日刊スポーツ社会欄で、被害者の妻のコメント、「仕事にいっていると思ってたのに」。多分、被害者の夫は、遊びにいくとは言えずに、「残業で今日は泊まっていくよ」とでも伝えていたのか。妻は、夫の死のショックに加えて、騙されていたことに対するショック受けていた様子であると伝えている。事件の一報のあと、死者の確認がすすんでも氏名が公表されないまま報道がされ、「飲食店」と思っていた人にまで、名前の公表が憚れる場との想像を生んだ。また、女性の死亡者も匿名にされたことを指摘するフェミニストもいた。「どうしてその職業を遺族が恥じねばならないのか」と。

2 どの法案を、いつ審議するかは議院運営委員会という正規の常任委員会で決めることになっているが、実際には、実質的な協議は理事会で決着される。また、小会派の参加を排除するために、理事懇談会の形式で協議を行うことも少なくない。さらに、各党の国会対策委員会(国対)間の協議で国会の議事運営が事実上決定されることが多い。これが「国対」政治である。「国対」政治の問題は、議院外の密室での取引によって交渉が行われていることであり、また、「国対」政治では法案を通すか、通さないかということばかりが重要で、法案の中味の議論がおざなりになってしまっている。

3 北朝鮮拉致疑惑
政府は1997年5月1日、参院決算委員会での答弁で、北朝鮮に拉致(らち)された疑いがある邦人が「7件10人」に上るとの認識を示した。内訳は、77年に新潟市で行方不明になった横田めぐみさん(当時13歳)のほか、同年から翌年にかけて北陸や九州で行方不明になった3組のカップルを含む7人、80年に宮崎市で消息を絶った大阪在住の男性、87年の大韓航空機事件の犯人金賢姫の自供で明らかになった日本人化教育係の「李恩恵」。 日本政府の問い合わせに対し、北朝鮮の朝鮮赤十字会中央委員会は98年6月、10人は北朝鮮国内に存在しないと回答してきた。

4 1973年8月8日、来日中の韓国の元大統領候補・金大日(キム・デジュン)氏が何者かによりホテルから拉致され、5日後、韓国の自宅前で発見された。当時韓国は朴正煕(パク・チュンヒ)の事実上の独裁政権の下。金氏は戒厳令が施行されている国内を避けて日本とアメリカを舞台に民主化運動を行っていた。現場に在日韓国大使館の金東雲一等書記官(事件後解雇・その後行方不明)の指紋が残されていたことから、事件はKCIA(韓国中央情報部)によるものと思われたが、韓国政府はこれは韓国国内の問題であるとして日本の捜査当局からの調査依頼を一切拒否。同年11月2日金鍾泌首相が来日して日本の田中首相と会談。日本と韓国の政府間で、金大中氏の今後の身の安全を韓国政府が保証することを条件に、これ以上の事件究明は行わないという政治決着が行われた。

5 南朝鮮で社会の民主化と平和統一の機運が胎動していた1967年に「安企部」の前身である「韓国中央情報部」(KCIA)によって繰り広げられたのが、「南朝鮮赤化工作団事件」である。この事件で著名な音楽家、尹伊桑氏をはじめ数10人の海外僑胞が西ドイツ、フランス、イタリアなど西欧諸国から拉致されて南朝鮮に連行され、多くの人々が処刑された。

6 国籍の取得は、血統主義と生地主義の2つの制度により決められる。血統主義は父系血統主義と父母両系血統主義に分かれ、前者は父親がその国の国籍を持っていれば子供に同じ国籍が付与されるというもの。後者は父または母のいずれかがその国の国籍を持っていれば子供にも国籍が引き継がれるというもの。日本は父母両系血統主義を取っている。またアメリカや南米の多くの国のように、生地主義を取る所もある。これは父母の国籍によらずその国内で出生した場合に国籍が付与される制度である。また併用主義を採用している所もあり、例えば、血統主義を取っている国も例外的に生地主義を採用したり、生地主義を取っている国も部分的に血統主義を取ることがある。

7 人種差別撤廃の重要性、差別撤廃への最低基準を示した国際人権条約で、正式名称は「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する条約」。国連で1965年に採択され、69年に発効した。日本の外務省によると、締約国は昨年9月末現在で156ヵ国。日本は95年に加入している。 同条約は人種差別を、「人種、皮膚の色、門地(家柄)または民族もしくは種族的出身に基づくあらゆる区別、除外、制約または優先であって…人権および基本的人権を認識し、享有しまたは行使することを妨げまたは害する効果を有するもの」と定義。日本では在日同胞や他の外国人はもちろん、部落差別、アイヌ民族や沖縄出身者への差別なども該当する。
締約国は、こうした差別を撤廃するため、あらゆる施策を「遅滞なく」追求しなければならない。つまり同条約は国家による人種差別などを禁止しているのはもちろん、社会における差別をなくすことも国家の責務としている。そのための基本方策として、①悪質な差別行為や差別団体を法律で禁止②被害者に対する裁判所と国家機関による有効な救済②劣悪な状況に置かれている人々への特別措置④差別観念を取り除くための教育・マスメディア・文化活動の奨励③お互いの独自性を尊重し共に連帯する取り組みの奨励などの措置を取るよう求めている。
締約国は2年に1回(初回は締結から1年後)、順守状況に関する報告書を国連事務総長に提出する。人種差別撤廃条約の各締約国の条約順守状況を監視するため国連に設置された人種差別撤廃委員会はこの報告書をもとに、締約国政府代表と公開の場で議論しながら審査。審査結果をまとめた「最終所見」(最終見解、総括所見ともいう)を採択し、懸念事項について改善を勧告する。審査では各国NGOの情報も参考にされる。

8 人種差別撤廃条約の日本での順守状況を審査した国連・人種差別撤廃委員会は、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で、審査結果をまとめた「最終所見」を採択。日本政府に対し、朝鮮学校卒業生の大学受験資格差別問題、朝鮮学校などで在日同胞の子どもたちが朝鮮語で教育を受ける権利が承認されていないことへの懸念を表明し、こうした差別的取り扱いを撤廃するよう勧告した。また、(チマチョゴリ事件など)朝鮮学校児童生徒に対する暴力行為とそれに対する当局の対応が不適切であることへの懸念も表明し、政府がより断固とした措置を取るよう勧告した。国連の条約機関が朝鮮学校および同胞児童生徒への差別を是正するよう勧告したのは、1998年の子どもの権利委員会、規約人権委員会(自由権規約委員会)に続くもの。日本政府の差別の論理が世界に通じないことが改めて明らかになった形だ。
人種差別撤廃条約の各締約国政府は締結後1年以内、その後は2年に1回、条約の実施状況に関する報告書を国連事務総長に提出する。これをもとに、国連に設置された人種差別撤廃委員会が締約国政府代表と公開の場で議論しながら審査を行う。
日本政府は同条約に95年に加入したにもかかわらず、それから5年経った2000年、ようやく2回分を一括した初の報告書を提出。
ほかに、在日と直接関連するものでは、帰化申請の際に日本名が強要される現状について懸念を表明し、「個人の名前が文化的および種族的アイデンティティーの基本的な側面であることを考慮し」、防止措置を取るよう勧告した。
最終所見は、世界各国から選ばれた専門家らによる国連・人種差別撤廃委員会が「条約解釈の決定版」として正式に採択したもの。その意味は重い。これ自体に法的拘束力はないが、締約国政府には尊重する義務がある。

9 「話したい」通じぬ声 中国・瀋陽総領事館事件(時時刻刻)2002年5月10日 朝日新聞朝刊
中国遼寧省瀋陽の日本総領事館で起きた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)出身者とみられる男女5人の拘束事件は、市民団体が導き、メディアを通じて世界に「公開」された。日中韓3国にも複雑な波紋を投げかけている。身柄引き渡しと事情聴取を強く求める日本。簡単には応じそうもない中国。強制送還という最悪の事態を憂慮し、韓国は「人道的措置を」と求めている。その時、何が起きたのか。瀋陽の日本総領事館は9日、前日の模様や詳しい対応を明らかにした。現場には、ビザ担当の男性副領事1人だけが駆け付けて対応に当たり、総領事館内に入り込んだ武装警察官は5、6人だったと語った。8日午後2時ごろ、女性2人の叫び声を聞いた。男性副領事が建物から出て門の近くに駆け付けた。鉄門にしがみつき、拘束から逃れようとしていた女性の声だった。1メートルほど開いていた門のすき間を抜けて、男性2人が総領事館内に走り込み、建物内の入り口に近いビザ申請待合室に入り込んだ。門から建物まで約40メートル。副領事は建物に戻り、2人が待合室のベンチに座っているのを見たが、会話を交わす前に武装警察官5、6人が入り込み、2人を門の外にある詰め所に連れ去った。助けを求めるような発言はなかったという。 この間、約20分間。武装警察官が武器を携帯していたかどうか確認は出来なかった。副領事は追いすがりながら「領事館に来たのだから(男性らと)話をしたい」と言ったとしている。当時、総領事館内にいた日本人職員は8人。対応した副領事を除く残り7人は建物の外に出ず、北京の日本大使館などとの連絡に当たった。外出から帰った別の副領事が武装警察側に「身柄を(詰め所から)移動させないで欲しい」と申し入れたが、5人は午後3時2分、ワゴン車で連行された。女性の叫び声を聞いて集まってきた人々で、門の前には人だかりができていた。 岡崎清総領事は、中国北方航空機墜落事故のため、車で大連に向かう途中だったが、連絡を受け、午後6時ごろ総領事館に戻ったという。 瀋陽市中心部の日本総領事館周辺は9日、厳戒態勢が敷かれた。総領事館の建物の周りには約10メートルおきに武装警察官が警備に立っていた。出入り口の門には普段の倍以上の5人が、中に入ろうとする人の身分を確認。敷地外からのカメラ撮影も禁じた。日本総領事館の東側には米国総領事館も隣接しており、同様の警備態勢がとられていた。

10 残留邦人は、戦前国策により中国に入植した開拓民の家族であり、終戦前後の日本国の「満州放棄」「現地定着」政策と開拓民遺棄のため、悲惨な逃避行にさらされ、辛うじて生き残ったものの、日本政府が終戦後も早期・適切な帰国措置を取らなかったため、長年に渡り中国に放置された者である。
中国からの帰国者は、中国旅券所持者はもちろん、日本大使館から日本人に発給される渡航証明書を所持している者、戸籍に記載ある者も、法務局等で日本国籍の保有が確認されるまでは外国人として扱う、というのが法務省入国管理局の方針である。その結果、帰国に際して、外国人に必要な身元保証人をたてなければならず、外国人登録を強いられてきた。
また、厚生省は、1985年3月、中国帰国者の「身元引受人制度」を制定し、現在まで続いている。
当初は、「残留孤児」の肉親は、身元引受人として、帰国手続、帰国旅費負担、帰国後の生活等の世話すべてを行うことを建前としており、身元の判明しない孤児については、ボランティアに身元引受人として、肉親の肩代わりをさせた(帰国旅費までも負担させて問題となった)。この結果、身元引受人の受入れ体制の不備、言語・生活習慣等の違いなどのため、摩擦が絶えず、「孤児」は都会に逃げ出し、一方、肉親等身元引受人側にもその実態、問題点が知れ渡り、「身元引受」拒否、あるいは訪日調査でも名乗り出ないケースが多数生じることとなった。

11 日韓会談を経て1965年6月に調印された日韓両国の一般的国交関係を定めた日韓基本条約ほか4協定の総称。基本条約は、①両国間に外交・領事関係を開設②1910(明治43)年8月22日以前の旧条約の無効③韓国政府は朝鮮における唯一の合法的政府であることなどを定めた。
ほかに韓国漁業専管水域や両国の共同規制水域を定めた漁業関係、財産および請求権・経済協力関係、在日韓国人の法的地位・待遇関係および文化財関係の4協定。

12 97年12月に京都で開催された気候変動枠組条約第3回締約国会議では、先進国及び市場経済移行国の温室効果ガス排出の削減目的を定めた京都議定書が採択されました。この京都議定書は暖化問題に対し人類が中長期的にどのように取り組んでいくのかという道筋の第一歩が定められたものである。しかし実際に運用に至るまでは紆余曲折があった。モロッコで開かれていた気候変動枠組み条約第7回締約国会議で、運用ルールが決まった。議定書の採択から4年、難航していた交渉がようやく最終決着した。
議定書は温室効果ガスの削減目標を国ごとに決めている。各国は目標達成に際し、化石燃料の消費を減らすだけでなく、ガス排出量の取引や森林による二酸化炭素吸収などを組み合わせることができる。
運用ルールは、その場合の森林吸収分の算入限度といったことの取り決め。ルールが法的文書として採択されたことで京都議定書は完成した。各国は議定書の批准に向けて動き出すことになる。しかし米国の議定書離脱で、米国の入らない不十分な体制になるうえ、合意を優先した妥協で、森林の二酸化炭素吸収分が大きく算入されることになった。温暖化防止の効果はかなり減殺された。
京都議定書が削減義務を課しているのは先進国だけであり、目標を達成しても途上国を含めた温室効果ガスの総排出量は増える。途上国の排出量は10年後に先進国を追い越す勢いだが、今のところ途上国を排出規制に参加させるめどはたっていない。

13 「南北共同宣言」(全文)
祖国の平和的統一を念願する全同胞の崇高な意思により、大韓民国の金大中大統領と朝鮮民主主義人民共和国の金正日国防委員長は、2000年6月13日から15日までピョンヤンで歴史的に対面し、首脳会談を行った。
南北首脳は分断の歴史上初めて開かれた今回の対面と会談が、互いの理解を増進させて南北間関係を発展させ、平和統一を実現するのに重大な意義を持つと評価し、次のように宣言する。
1.南と北は国の統一問題を、その主人であるわが民族同士で互いに力を合わせ、自主的に解決していくことにした。
2.南と北は国の統一のため、南側の連合制案と北側のゆるやかな段階での連邦制案が、互いに共通性があると認め、今後、この方向で統一を志向していくことにした。
3.南と北は今年の8・15に際して、離散家族、親せきの訪問団を交換し、非転向長期囚問題を解決するなど、人道的問題を早急に解決していくことにした。
4.南と北は経済協力を通じて、民族経済を均衡的に発展させ、社会、文化、体育、保健、環境など諸般の分野での協力と交流を活性化させ、互いの信頼を固めていくことにした。
5.南と北は、以上のような合意事項を早急に実践に移すため、早い時期に当局間の対話を開催することにした。
金大中大統領は金正日国防委員長がソウルを訪問するよう丁重に招請し、金正日国防委員長は今後、適切な時期にソウルを訪問することにした。
2000年6月15日
大韓民国大統領 金大中
朝鮮民主主義人民共和国国防委員長 金正日

茨城新聞 私の時評(2004年)

昔のホームページ整理してアップしなおす日々。映画の感想が終わってこんどは新聞に書いたコラム。今から20年近く前のことなので、今読むと「うそっぽーーーい」とこっぱずかしい文章がならんでる。

以下は2004年当時、個人名を平気で出していたのね。新聞に載るのだからいいか、って思ったんだろうな。

*****

茨城新聞 私の時評
茨城新聞の日曜日に連載のコラム/時評。10人前後の県民がそれぞれの活動分野に関する話題を提供するもので年毎にメンバーが交代する。今年(4月から3月まで)その執筆を依頼された。1年に5回だというので書くことは嫌いではないからお受けすることにした。10年余市民活動をしてきた中で感じたことを、集大成なんていうのは大げさだけど、整理する意味も込めて書かせてもらおうと思う。

執筆者一覧
××さん 朗読グループ「はらんきょうの会」代表 明野町
××さん 水戸市民生委員・児童委員、元県警本部参事官 水戸市
××さん 水戸市消費生活センター所長 水戸市
××さん 経営コンサルタント 鉾田町
××さん つくば研究支援センター・インキュベーションマネージャー つくば市
××さん NPOウィラブ北茨城代表理事 北茨城市
私 まいづる塾長 常陸太田市
××さん NPO波崎未来フォーラム理事長 波崎町
××さん 国際交流ボランティア「フレンドリーあんず」代表 日立市
××さん 県保健体育課スポーツ振興室長

私担当分
2004年5月16日
2004年7月25日
2004年10月10日
2004年12月19日
2005年3月6日

茨城新聞 私の時評 3月6日掲載   「楽しみ」を「喜びに」―――生涯学習のすすめ
 「過剰なお客様扱い」あるいは「ただで使えてラッキーな人たち」、いわゆるボランティア活動で出かけると今でもそのような対応をされて戸惑うことがあります。今までになかった考え方としての言葉が「あぁ、こういうことなんだ」と一人一人の気持ちの中で腑に落ちるまでには長い時間が必要とされるからでしょう。

 まちづくり活動の仲間とは他に、気のあう仲間たちとハンドベルの演奏をするようになって数年になります。小学校の保護者会や老人介護施設でのお楽しみ会など、演奏に来て欲しいと声をかけていただくことが多くなりました。仲間たちはそれぞれに仕事を持っており、時間や都合をやりくりして集ってくれます。もちろん報酬や謝礼が欲しくて行くのではありませんが、自分たちの演奏の楽しみだけで行くのでもありません。では何のために忙しい合間を縫って演奏に出かけるのか?

 演奏そのものも楽しんでいるのはいるものの、それよりもその場に来合わせてくれた人たちとの気持ちの交流や、職員の方たちの暖かさな対応が、逆に私たちに力をくれるのです。だから、「ただで使えてラッキーな人たち」という対応を受けると、せっかく出かけていった仲間たちみんな気持ちがしぼんで帰ることになってしまいます。

 また、同じ場にいた聴き手の方たちが、ほんの少しでも気持ちが安らいだり楽しんでいただけたかもしれないという思いが、私たちの喜びになる。個人的な「楽しみ」が他者のためになるという「喜び」に変わる幸せをいただいているのがボランティアなのでしょう。ですから、「ただで来てもらって申し訳ない」という過剰なお客様扱いも不要です。

 ボランティアといいましたが、これらの活動は生涯学習といわれるものです。生涯学習にはまちづくり活動のような「地域の課題解決型」とハンドベルの演奏のような「趣味型」の2つあり、趣味の延長としての生涯学習は、課題解決型よりも最初の一歩を踏み出しやすい活動といえるでしょう。全国的に市町村合併が進み、それに伴う行政サービスの低下が心配されていますが、ハンドベルの例のように生涯学習はその心配を補って、なおかつ自分自身の喜びとなる可能性を持っています。また、「遠くの親戚より近くの他人」と言われていましたが、地域社会が揺らいでいる今は、「近くの他人=地域社会」の他にも人のつながりを作っていかなくてはなりません。趣味や、同じ問題意識をもとにする生涯学習は人と人を結ぶ力を持っています。

 そういえば、正月ぼ~っとTVを見ていたら「生涯学習」と連呼するCMが目立ちました。「you can」と呼びかけるそのCMを見かけるたびに、「WE CAN」のほうがふさわしいのにと思ったものです。「ボランティア」や「生涯学習」といった言葉を耳にして誰もが同じ概念を持てるよう、「今年こそWE CAN生涯学習!」始めませんか?

茨城新聞 私の時評 5月16日掲載   「ふるさと大好き」をはじめよう
一番上の子の小学校入学に備え、通学路を覚えようと子どもと一緒に歩いていた時です。路地よりさらに細い、軒の間をすり抜けるような小道を歩いていると、自分が小学校に通っていた子ども時代にタイムスリップするようでした。常陸太田は昔の通りの雰囲気や町並がまだ多く残っています。通りがかりに出会う人は「こんにちは、暖かなお天気ですね」と気さくに声をかけてくださる…。まちの雰囲気と住む人の暖かさを知り、常陸太田がその時から好きになったのです。

まいづる塾はまちづくりの市民団体として平成2年に発足しました。まちづくりの最初の一歩は住んでるまちが好きな人を増やすことです。そのために最も効果的なのは「歩いて知る」こと、塾創設以来「まちウォッチング」という事業を欠かさず行ってきました。常陸太田のすばらしい「ひと・もの・こと」を四季折々に歩いて訪ねるのですが、参加者から、「長く地元に住んでいながら知らなかった」という感想をよく耳にします。

 青い鳥の昔話を例にあげるまでもなく、幸せ・心地よさというのはなかなか気がつきにくいものなのでしょう。さらに言えば、失われたときに初めて気がつくことも多いのかも知れません。効率性・利便性という価値観に押され、地方都市から元気が失われてきつつある中、都会の大イベントや近郊の大きな祭に関心が奪われ地域の祭の開催は難しくなってきています。そのような時、地元を愛する若い人たちにめぐりあうことが続きました。太田まつりでは、中学生のボランティアの参加が激増しています。準備作業や後片付といった決して華やかではない作業に、「もくもくと」ではなく、楽しげに遊び感覚で取り組む様子を見ていると、私たちまで元気になってきます。また、地元出身のミュージシャンやダンスインストラクターとして活躍する若者たちもこの数年地元の祭のために大きな力を発揮してくれています。

 また、「ちん電を守る高校生の会」の活躍を新聞紙上でご覧になった方も多いと思います。地元の活力のひとつが失われそうになった時、最初に立ち上がったのは高校生でした。署名運動に始まり、学習会・陳情、そして夏にはちん電祭の開催を計画中と聞きます。進行もすべて高校生たちによって行われた学習会に参加して、自分たちのできることを積み重ねることによって何かを変えようとするその行動力に感動しました。ひるがえって、自分たち大人は何をしてきただろうかと、自分に問わずにはいられませんでした。
ふるさとを好きになる人を増やすことは、まちづくりの最初の一歩ではあります。そして次のステップは、ふるさとに対する想いを何らかの行動で表すことです。がんばっている高校生をはじめとした若者と一緒に、大人が何かを始めることが今求められているのです。手の中にある幸せに気づき、失わないために。

茨城新聞 私の時評 7月25日掲載   地域社会と友達のつくり方
「友達ってどうやったら作れるんだろう?」、30歳近くなってそんなことを悩むとは思ってもいなかった。小・中学校から高校時代を振り返ってみても、友達は作ろうと思ってできたのではなく、いつの間にか気の合う仲間がそばにいたのだった。結婚で生まれ育った土地を離れ、見知らぬ町に住むことになり、ひとりの知り合いもいない状況に途方にくれた。出産によって「赤ちゃん」という共通項や話のきっかけを得て、公園デビューも順調にしたものの、「表面上のおつきあい」と言ってしまっては申し訳ないが、心に抱えたもやもやなどを話し共感してもらえる友達関係はなかなかできず、「友達って作ろうと思うと難しい…」と文頭の言葉になったのだった。

PTAや子ども会の役員をやりたがらない人の方が多いと聞く、理由は「大変だから」。確かに何かお役目をいただくと、時間はとられるし気がもめることもある。でも、そうやって過ごしてきた時間を後で振り返ると、大変だったことの大半はどこかに行ってしまい、逆に話せる友達や知り合いが大勢いることに驚かされる。友達という宝物は子どものころも無意識にこうやって作ってきたのだった。否、そのように過ごしてきた時間の贈り物が友達なのかもしれない。

学校のように必然的に関わらねばならない活動の他にも目を向けるとその宝物はさらに広がっていく。結婚後、話し相手のいない寂しさや心細さ、仕事をやめ社会とつながりも失ってしまったような閉塞感を抱えていた頃、何かはわからない「何か」が欲しくて、あるいは楽しみを求めて、子どもを抱えいろんなところに出かけていったものだった。そこで出会った人たちと子どもの劇場を立ち上げたり、まいづる塾で活動してきた10年余が私を「常陸太田市民」にしてくれたのだと思う。

今は、まちを歩けば顔見知りの方が声をかけてくださり、買い物に行ってもお店の方と話が弾む。♪そんな時代もあったの♪と懐かしい歌を鼻歌で歌えるくらい友達にも恵まれている。地域社会の崩壊と言う言葉を耳にするようにして久しいが、地域社会は勝手に崩壊したわけではない。作ることが難しい友達のように、地域社会もその地域に住む人同士の丁寧な関わり方や時間がくれる賜物として初めてそこに「在る」ことに人が気づかなかっただけなのだ。だとしたら、自分にとっては地域社会の崩壊は無縁だと言える。パソコンを基礎から上級まで教えてくれる仲間、ビデオの上手な撮りかたや心が届く話し方を教えてくれる友達、笑い話のように「80過ぎたら一緒に温泉めぐりをしようね」と言い合う友もいる。私をつつむ「現在」の豊かで暖かい関係は、私の「過去」の賜物であり、未来の「夢」である。そしてそれらはつながった時間の中にしかありえない。その時間をさかのぼりスタートはどこだったのかと訪ねると、閉塞感を抱え孤立していた頃にたどり着く。寂しさや閉塞感は恐れるにたりない。恐ろしいのは閉塞感や寂しさを感じられないことのほうである。なぜなら寂しさや大変さは自分をどこか違う場所へいざなうきっかけやサインになりうるから。

ベビーカーに赤ちゃんを乗せ、もう一人のお子さんの手をとり、リュックにはいっぱい荷物をつめて大変そうに歩いているお母さんを見かけると思わず心の中でエールを送ります、「豊かな時の流れを捕まえてね」と。

茨城新聞 私の時評 10月10日掲載  地図を持ってまちにでよう! 

「回覧板でぇ~す」という声とともにまた新しい情報が届く。市報・お知らせ版などさまざまな情報が届く回覧板、今日はどんなお知らせかと楽しみに手にするのは私ばかりではないでしょう。市役所の発行する広報誌は事業概要の説明や報告がもっぱら。広報という性格上仕方のないことではありますが、せっかく回覧板という市民に直接届く情報媒体を持ちながら、もっと積極的に市への関心を高めることに使えないものだろうかといつも思っていました。常陸太田市では、その回覧板に数年前から「フォンズ」という生涯学習情報誌が加わりることになったのです。

「フォンズ」は一風変わった情報誌です。行政が発行するのですが、写真撮影や記事はもちろん、時にはレイアウトをするのも一般市民です。20名弱のメンバーがフォンズネットワークという名前で編集しており、その一員に私も当初から加わっています。新しい情報誌の発行に伴い、一番に訴えたかったのは「主張」する広報誌になりたいということでした。主張する内容は「常陸太田市の素晴らしさ」。市民が一歩足を踏み出すような面白そうな視点と切り口で常陸太田市のよさを紹介したい、そして「フォンズ」をきっかけに自分で常陸太田市の素晴らしさを発見する市民がひとりでも多く生まれるようにしたい、と。

常陸太田市は巨峰で有名ですが、ほぼ同じ時期の秋の味覚の梨もあります。近隣の市町村の人に会うたびに、農家が丹精込めて育てた枝で食べごろになるまで時期を待った果物のおいしさを話したり、直接葡萄・梨農家にご案内することもあります。ところが地元の方でも農家に買いに行かない/行けない人も多いのです。農家へ直接買いに行きたくても「どこへ行ったらいいのか」と迷いあきらめてしまうのでしょう。

「フォンズ」では去年は葡萄、今年は梨を特集しました。農協の葡萄部会や梨部会の方々のご協力をいただき梨・葡萄のプレゼントも行いました。行政が発行する広報誌でプレゼントをするのは珍しいことではないでしょうか。このような「変わった情報誌」ならではの取り組みは、編集に携わる市民の意図ややる気を支えることをモットーにしている担当課・生涯学習課の理解のうえに初めて成り立つのです。

今年のプレゼント当選者から、あるお礼状が届きました。そこには、常陸太田市へ都会から移ってきて田舎だとばっかり思っていたが自然の素晴らしさや市内の商店の方と交流が生まれたことや、プレゼントをきっかけに、自分で小さな和菓子店を探し当てた喜びがつづってありました。「フォンズ」発行の時の願いが実を結んだ文面に、喜びはひとしおでした。

一歩踏み出すと、地域には素晴らしい人や自然が発見できます。今まで目には入っていてもその素晴らしさを見つけ出せないでいた宝物。地域資源という私たちのまわりに溢れる宝物、フォンズはその宝の地図のようなものです。でも、宝の地図はあくまで地図でしかありません。その地図を頼りに宝物を改めて発見するのは、地図を持って行動し始める、市民一人一人なのです。

茨城新聞 私の時評 12月19日掲載   自然な生き方を考えなおそう  

「自然」という言葉ほど不自然な言葉はありません。春になると桜が咲き、時期が過ぎるとその花が散ること、猫が小鳥やねずみのような小さな生き物を狩って遊ぶというようなことは文字通り自然なことでしょう。でも、この言葉が人間の社会の中に用いられるとき、一転してそれは悩ましいものとなってしまいます。たとえば、「年頃になったら、自然に男と女が惹かれあい」「結婚するのが自然」など。自然は「普通」や「当たり前」という言葉と同じように用いられ多用されてきました。

人は物事を考えるときに、二つのことを対比して考えがちです。白黒をつけるという言葉に代表されるように二つの価値観を比較してそのどちらかをよしとする考え方に自然をあてはめると、反論を許さない強さが得られます。なぜなら、散らない花はないのですから。人はみな安心・快・幸福を求めて生きています。自然であると肯定されることで、それらが簡単に手に入るのです。つまり、人の行動に対して言う自然というくくり方は安心を求める人間が求めた考え方になるのです。

自然という言葉は、自然であると言い表された物事を、そのことが正しいかどうかそれ以上さかのぼって考える必要がないと言い切っているに等しい響きも持っています。ねずみが猫を狩ることがないように。人が生きていくうえでなんらかの判断を必要とされる場面に出会ったとき、たいていの人はその判断の基準として社会規範に沿っているかどうかを、無意識のうちに重ね合わせてみています。そして、規範通りの選択を「自然」なこととして選ぶのです。それが「男女が惹かれあい結婚することが自然である」というような用いられになってきました。社会の多くの人たちが選ぶ価値基準を規範といい、それを肯定するのに大変便利な言葉として自然は人間の中で用いられているのです。

しかし、規範は判断の基準となるとともに、判断を限定する力も持っています。人は判断を自分で下したかのように思っていますが、実は規範に寄り添うことによって、自ら考えることをやめているに過ぎません。大事なことは、規範は多くの人が寄り添ってはいますが、それがすべてではないこともあるということです。

同性同士の結婚が認められる国ができてきたように、「自然だ」とした規範がもはや意味をなないほど価値観が複雑になってきている時代には、社会規範に寄り添い、依存して思考を捨てるのではなく、自分が欲する生き方の基準はなんだろうと常に考えながら生きていくことが求められているのかもしれません。考えに考えたぬいた果てにたどり着く場所は、もともと今までの社会にあった規範と同じところかもしれません。しかし、その考えるという過程を抜きにしていることが、今の社会の乱れの下にあるように思えてなりません。茨城県でも起こってしまった信じられないような事件を耳にして、考えることの大切さを思いました。


むかしむかし、人知れずつくっていたHP④

4回目はさぼったので、タイトルで④とあるけど第5回目の原稿

第5回 他人に迷惑をかけなければ何をしても<自由>である
仮に絶海の孤島にたった一人で移住したとしよう。生活上の不便はさておき、「迷惑をかける/かけられる」という状況はこのような場所では考えられない。つまり、迷惑をめぐる状況は人が社会の中で生きていく時に起こるものである。迷惑だと感じるのはどのような場合だろうか?たとえば電車などに乗っている時、車内で大声でしゃべる集団、いちゃいちゃモードで目のやり場に困るカップルなどが思い浮かぶ。このような行動に不快感を抱く人も多いかもしれないが迷惑だと断定できるわけではない。迷惑をかける/かけないの境界線や内容は人により違っており、そのために衝突が起こる。大事なのは社会の中で、自分と他者双方に迷惑でないというルールを、社会全体の合意として決めるという考え方である。その合意の中に自由は存在するのであって、ルールを作ろうという合意そのものを課題は否定してしまう(A)。

自由の決定権は個人にはないのだが、課題のような考え方をするものが多い。自由の範囲を社会的合意で決めようとするその枠組みを越えて、個人の自由の範囲だとしてとられる行動は自分自身や他者にどのような影響を及ぼすのであろうか。

他者のある行動によって、引き起こされる迷惑という負の感情を考えてみる(B)。課題のような言葉は、前記のような行動をとったものが、公共のルール違反だと非難された相手に切り返すように言うことが多い(C)。非難する側は正論であるように断定するが、自分が判断の基準としている規範が、世代・性別や国籍・人種などによって違いがあり、変化していくものであることに思いが至っていない(D)。社会規範はいったん合意として成り立つと、納得できなくても従わないと制裁を受けるという罰を裏側に持つ。罰によって守られるということは、規範は自然な状態で「正しさ」として存在するのではないということである。罰があるゆえに自分が行いたい行動を押さえ、実際にとる行動とずれが生じると、当事者は自己の中で自分の欲求が引き裂かれる思いを抱く。規範に沿わず欲求そのままに行動できる者に対して、ねたみ・嫉妬とでもいうべき感情が、深層心理の中に生まれてくる(E)。これが関わりの中で生まれる不快・迷惑の中身である。

一方、野良猫を虐待し殺すというような、他者・人間が関わってない行動の場合や、規範を破る者たちは、負の感情から自由なのだろうか?規範を知りつつ破ることは規範からの自由という快感を伴い、また規範に縛られない自己をアピールすることにもある種の快感を得ている(F)。しかしこのことは規範という枠組みを持たないということではない。規範の枠を超えるという快感は、規範を守らない否定的な自己認識と表裏となって、自分自身の中に沈殿していく(G)。他人に迷惑をかけてないと主張して得た自由は自分自身を傷つけることになるのである。

講評 
他人に迷惑をかけなければ何をしても自由であるという課題に対して、自由は個人そのものにはなく社会的な合意によること、また負の感情という点から考察された作品です。展開に複雑な点は見られますが、興味深い視点が多い大変読ませる論述です。また、全体的に、他人の考えを借りず、自分で物事を考えようとする姿勢が伝わってくる点も評価できます。以下展開にしたがってコメントしてゆきます。

まずAの部分の指摘では、自由が社会による合意を根拠としている点が鋭く捉えられています。課題の中の考え方の中に合意という観点が欠如しているという指摘は妥当なものでしょう。ここまでの展開は非常にすっきりしたものですが、次のB、C、Dの部分のつながりがわかりにくいです。というのも、Bでは、これから迷惑という負の感情が論述されるとされているのに、Cでは課題のような言葉は非難された相手への切り返しとして出る言葉であること、そしてDでは非難するものの根拠が絶対的なものでないことが述べられています。要するにB、C、Dそれぞれの意味は解るのですが、つながりが明確ではありません。展開としては、BからすぐにEのことを論じたほうがよりすっきり行くでしょう。

そのうえで、Cのようなリアクションがありうることを示せばさらに明確な展開となるでしょう。最終段落のFの指摘は鋭いものです。ただし、Gの部分の記述がよくわかりません。抽象度が高いので、具体的な記述が必要だと思います。例えばFで述べられているような規範を破ることに快感を抱き、自己価値を感じるような人間の中には、どのような負の部分があるのか、と考えても良かったでしょう。

展開がもう少しすっきりして、Gの結論部分が具体的なものとなったらこの論文はさらによくなったでしょう。

むかしむかし、人知れずつくっていたHP③

第3回 私にとっての<自然>

 今、<自然>という言葉ほど不自然な言葉はない。春になると桜が咲き、時期が過ぎるとその花が散ること、猫が小鳥やねずみのような小さな生き物を狩って遊ぶというようなことは文字通り自然であろう。しかし人間の社会の中に用いられるとき、一転してそれは悩ましいものとなる。たとえば、「年頃になったら、自然に男と女が惹かれあい」「結婚するのが自然」で、「結婚したら自然に子どもが授かる」など。自然は普通や当たり前という言葉と同じように用いられ多用されてきた(A)。

 人は物事を考えるときに二項対立という方法をよく使う。白黒をつけるという言葉に代表されるように二つの価値観を比較してそのいずれかをよしとする考え方に自然をあてはめると、反論を許さない強さをもつ。なぜなら、散らない花はないのであるから。前回のテーマでも述べたように人間は安心・快・幸福を求めて生きている。自然ではない、と否定されることは不安を呼び起こし、逆に自然であると肯定されることで、それらが簡単に手に入るのである。つまり、自然というくくり方・判断は安心を求める人間が求めた概念である(B)。

 また、自然という言葉は、自然であると言い表された事物を、そのことが正しいかどうかそれ以上さかのぼって検証する必要性がないと言い切っているに等しい響きも持っている。ねずみが猫を狩ることがないように。生きていくうえで何か判断を要する場面に出会ったとき、たいていの人はその判断の基準として社会規範に沿っているかどうかを、無意識のうちに重ね合わせてみている。そして、規範通りの選択を「自然」なこととして選ぶ。それがたとえば「男女が惹かれあい結婚することが自然である」というような用いられ方になる。このように社会の多数を占める人たちが選ぶ価値基準を規範といい、それを肯定するのに大変便利な言葉として自然は用いられているのである。しかし、規範は判断の基準となると同時に、判断を限定する力も持っている。人は判断を自分で下したかのように思っているが、実は規範によって縛られているに過ぎない。大事なことは、規範は多くの人が選び、また縛られるものではあるが、真理ではないのである。自然は規範の正当性が問われることがないように使われてきた。規範の正当性が問われることは社会の成り立ちを脅かしかねないからである(C)。

 しかし、同性同士の結婚が認められる国ができてきたように、自然と称する規範がもはや意味を成さないほど価値観が複雑多様になってきている。そのような時代に、社会規範によりそい・依存して思考を捨てるのではなく、自分が欲する生き方の基準はなんだろうと考えながら生きていくこと(D)、それが自分にとっての自然な生き方である。
講評 
 「自然」という概念をめぐって、その意味と問題を考える作品です。Aの部分で「自然」の一般的用法を取り出し、そのうえで、Bの部分において、人間の安心を求める気持ちに自然の意味本質をおく展開は、説得力のある独自のものになっています。ここには、「自然」が世界そのもののあり方としてあるのではなく、人間のあり方に相関して(安心を求める気持ちに答えるように)成立した概念であることがとられられており、鋭さを感じます。このあたりの論述は、テキスト(「『考える』ための小論文」)の59ページにある「本質観取」の好例だといえるでしょう。

 また、Cの部分では、それまでの論述をさらに進めて、自然という概念の問題点が述べられています。これはテーマを独自に問い進め、問題を見つけ出す小論文として大変評価できる展開です。自然という言葉が、価値基準や規範を固定化してしまう傾向にある、という指摘には、非常に納得させられます。また、それが「社会」に対立することでもあるという主張は大変説得力のあるものです。全体的に、本作品はとても完成度の高いものです。

 ひとつだけ指摘するならば、結論部分との結びつきで、「自然」と「社会」との対立の図式をもう少し展開してみてもよかったでしょう。たとえば、社会は人為的なもの、人工的なものである、として、人為によって規範が変えられること(たとえば同性同士の結婚が認められること)という点から、Dの部分にあるように、自分の生き方の基準を探していくことを結論付けてもよかったでしょう。社会が人為的である以上、規範は自然で固定的なものではないはずで、一人一人の生き方の中から出てくる価値基準によって支えられて変化していくものだと思うからです。この点について論じてみてもよかったでしょう。とはいえ、本作品は自然という概念の本質を見つめ、問題点を自分で取り出すよい論文だと思います。

むかしむかし、人知れずつくっていたHP②

第2回 現代における生と死

 私は小さなころから、失うということがとても恐ろしかった。失う、たとえば身近な親戚の死などはもちろん、家出したまま戻ってこない飼い猫や小さな消しゴムでも、私に属しているモノを失うことさえ恐ろしかった。どうしてこんなにも喪失が恐ろしいのだろう?人の死に面した時、よく人は悲しさから泣くが、その泣くという行為の対象は誰だろう(A)と思ったことがある。自分と共通の時間や場を持った人を失うということは、自分自身の何か、その人との思い出やこれから過ごすであろう未来の時間を失うことを悲しんでいるのであって、その対象は自分自身であった(B)。人の死に接したときすべての人が自分を悲しんでいると言い切れるわけではないが、人が亡くなったことを純粋に悲しんでいるばかりではないと気づいた時、死は喪失の一種であり、また失うことが私にもたらす恐ろしさの意味が見えた(C)。

 その恐ろしさは誕生までさかのぼる。母親の胎内にいる時、人は絶対の安心安全に包まれている。空腹などの一切の不都合から自由であり、そもそも思考するということさえない。安心安全な母親の胎内からの誕生は、安心な場を失う(D)ということでもある。人は絶対的に何かを欠いた感覚を持って生を受けるのだ。 そして失った安心をもう一度得ようと懸命に何かをするということが生きるということではないのか(E)。よりよき生を生きるということの根っこにある何かを欲するということは欠けた感覚が作り出すものではないのか。母親の胎内に包まれるような絶対的な愛情を欲して人を求め家族をつくり、家族を守るために懸命に働き、心地よい家庭を築きあげてくる。生きることは様々な安心を得られそうなモノたちを自分の周りに集めることでもある(F)。しかしそうやって得られるのは安心感だけである(G)。なぜなら、得たものは喪失の危険性をともにもたらすからである(G)。安心を得ようとして喪失の危険性をともに呼び寄せる、生きるということは矛盾に満ちている。

 科学の発達は「神の死」をもたらし、そのために信仰にすがるという思考停止の手段を禁じられてしまった。「おそれることはない」とやさしく諭す絶対者の存在も否定された現代に生きる私は、この生きることの恐ろしさから逃れるすべを自分で考え出さなければならないことになった。厄介なことである。
講評 
 展開に説得力があり、読ませる作品になっています。まず、Aの部分で、明確な問いが立てられ、Bの部分でその答えが求められています。Bの部分の答えは、一般的には失われた対象に対して悲しんでいるとされるところを「自分自身」に対して、としているところが独自のものになっています。一般通念に抗いつつ自分自身で考える能力を感じます。

 続くCからの展開はBの「自分自身」という観点を生かしつつ、自己にとっての喪失の恐ろしさを取り出そうとするものになっており、それまでの展開とスムーズにつながる論述になっています。また、ここから、Dの部分の「安心」というテーマを取り出している点、EやFに示されるように、私たちの生の根本に「安心」を求める欲望が存在ていることが述べられている点は非常に読ませる洞察になっています。さらに、Gの部分では「安心感だけ」という言い方で、「安心」への欲望そのものを問う構成になっており、問いをさらに深める姿勢が感じられ、大変評価できます。

 ここまでの展開は完成度の高いものですが、Gの問題の深め方については、いくつか方向性があると思います。本作品の展開に即して言えば、Hの部分にあるように、安心は喪失と裏返しの関係であるというのがここでの中心的主張でありますが、この主張はもう少展開できると思います。たとえば、安心が喪失と表裏一体の関係であるとして、それでも人間は安心を求めてしまうことの意味を考えることができると思います。喪失抜きの安心(絶対の安心)が無い以上、人間はむしろ喪失を恐れることなく、そのつど安心を求めることが大切だと考えることも可能です。

 また、最終段落にも関わってくるテーマですが、信仰のような絶対の安心を与えてくれるものがなくなってきた現代社会において、安心とは何なのか、を問うことができると思います。確かに、本作品にあるように、よく考えてみれば、私たちのどんな安心感も喪失の可能性をはらむよるべないものかもしれません。しかし、仮にそうであるとしても、私たちが日常的に経験する安心感は、私たちの生きることを励まし、元気にしてくれるものであることは確かであると思います。信仰のような絶対的なものではないけれども、日常的安心感が私たちの生きることを支えている意義というのは論じてもよいと思います。このあたりを、具体的な例なども含めて論じてみると、さらに読ませる論述となるでしょう。とはいえ、本作品はそれ自体で展開と洞察力に優れたものです。大変評価できます。

むかしむかし、人知れずつくっていたHP(当時のいい方)

2000年前後、自作のホームページ(以下HP)を作っていた(ホームページといういい方は誤りというのはその当時知らなかった)。

ホームページビルダーというソフトがあって、それを利用していかにも手作りなWEBを作るのが流行っていた…んだと思う。ぼんやりと頭の中で思っていることをいざ話そうとすると要旨がまとまらず何を言いたかったのか自分でもわからなくなることが頻繁にあり、考えや感想をアウトプットしようとしていたんだろうと、当時を今振り返って思う。(今も説明がうまくなったとは思えないけどね)

たぶん朝日カルチャーセンターの通信講座だったと思うが、自分と社会を考える小論文講座も受講して悪戦苦闘した記憶だけしっかり残っている。

平成2年から参加していたまいづる塾という市民団体に、日立関係の技術者さんがいて、その人がものを教えるのにとても優れていて、エクセルやらワードやらパワポやら教えてもらったが、その中で「ブログをやりましょ」という聞きなれない言葉があり、何度も意味を聞き直したことがあった。

「ブログって、日記ですよ」「日記をネットに書くってどういうことですか?」なんて、今じゃ考えられないやり取りをしたことが懐かしい。

教えてもらったブログもどきを、自作のHPに取り入れて、読んだ本やお気に入りのCDの感想、映画の感想など、あれやこれや書き始めたのはそのころだったのか、時系列があやふやになってる。当時フリーのブログサービスがいっぱいあって、選んだのはライブドア。時代感じるなぁ。

ブログは簡単だった。HPはコンテンツの階層を考えてそろえて作らないとならないけど、ブログはタグをつけて書き飛ばせば後で、タグごとに見ることもできるし…。なんてことをリアルタイムでやっていたのが20年も前なんだね。

更新はたまにだけど、ブログは結構長く続いていたが、2010年代ツイッターやフェイスブック全盛期を迎えて、距離ができていたところ、友人のMさん(WEB制作のプロ)がブログを今風のシンプルな作りに直していただいた。

一時、もうブログなんかやめちゃおうと思っていたけど、歳のせいか昔のことを振り返って面白い・若かったなぁと笑えるようになってきたので、捨てちゃうこともないと思い返した。⇦今ここ。

で、ブログがきれいになったのを機に、HPビルダー時代のデータって残ってないのか探してみたら、ありました!メモ魔だった私が、PCが盛んになるにつれて書くのではなくPCにデータでため込む方にシフトしていたから、ちゃ~んと残ってた。(断捨離に励んだのはずっと後だったので、ため込む楽しさに浸ってたんだね)

で、せっかくなので昔のHPに書いていたことも整理して新しいブログに残しておこう、かな。

まず手始めに…上の方にもかいたけど朝日カルチャーの通信講座の原稿をアップ。全部で5回の「自分と社会を考える小論文」。課題が出されて、提出すると添削されて返ってくる。その添削が温かくって、カウンセリングを受けたような気になった。全5回のうち4回目「第4回 現代日本は<豊かな>社会か」が書けなくてさぼったのも覚えている。

1990年に茨城県のハーモニーフライト応募してイギリス・フランス・デンマークに視察に行かせていただたころから、自分の中には大きな悩みがあって、そのせいもあり自分の中を探るようなこういう講座に応募していた。実際カウンセリングや自助グループにも通っていた。悩みがあるってホントに痩せるんだよね。3か月で15キロくらい痩せてしまった、ほんとに。それも含めて懐かしい。

  

当時私は40歳代、これくらいしか書けなかった、今はもっと劣化してるだろうな。

自分と社会を考える小論文 第1回課題 他者*****
第1回 他者 
 私にとって他者は不安を呼び起こす厄介なものでしかない。「自分と社会を考える小論文」を受講したものの、いざ小論文を書こうとして、自分の書いたものを読むであろう添削者・他者の目が恐ろしく感じられ、自分を考えるために受講したにもかかわらず自分を隠す、あるいは自分を底上げしてかっこよく見せるための文章を書くにはどうしたらよいものかと、途方にくれる。このように、距離のとり方、価値観の違いの調整の仕方、コミュニケーションのとり方など、他者との関わり方に一喜一憂する。なぜこれほど快・不快を呼び起こされるのか(A)。

 自分にとって、最初に意識した他者は父であった。親というものは子を愛し守り育てるという大義名分の下、逆に親たちの価値観の範囲内に子どもたちを留めようとする(B)。子どもの側から言うと、親のしいたレールの上を歩くということになる。このような対応をされるとき、他者が自分の中に侵入し自分自身が失われる恐れを感じる。自分の価値観・コントロールのままに他者が動く・同意する場合に自己が肯定され、他者との一致・一体感を持てるため「喜・快」として感じ、反対の場合は「憂・不安・怒り」などを感じる。他者との関係で感情が表出される時、「喜」「憂」と正反対の現れ方をすることがあるが、その根は同じものではないか。つまり、他者を通して、自分と一致するか否かを確認できるか否かがその根にある。他者と関わりあっているようで実は自分自身を他者まで拡大できるか、他者によって受け入れを拒絶され、縮小するか、をしていたに過ぎない(C)。

 では、他者と関わるということはどういうことなのか?他者のと関わりから起こる感情のゆれに怖気づいて他者との関わりを避けることは、一時的に自分を安全圏に置くことはできるが、一生他者と関わらずに生きていくことはできない(D)。だとしたら、不安などの感情に揺られている自分に気づく、自分が感じている感情を見つめることが、他者との関わり方を学ぶ第一歩になるのではないか。しかし、それでは他者とのかかわりで起こる感情のゆれを体験するということで元の木阿弥のようにも思える。

 しかし、出会いによって起こる様々な感情や対立は、他者との一致という目で見るのをやめると、自分自身の境界線を意識できるチャンスになる(E)。豊富な出会いは自分自身の境界線をより確立することになる。また、同じような意識の他者がその他者自身との一致を私に求めてきたときにも、自分の境界をきちんと意識できることによって、一致するしないではない対応で他者に返すことができるようになるかもしれない。他者は自分の前に立ちはだかるものとして現れるのではなく、自分に豊富な体験をもたらすものとして現れるのだ。他者は招かざるものではなく、いわば「お客さま」なのではないか。
講評 
 はじめての講座で、本文にもありますが、他者に文章を見られることの不安があったと思います。今回は主に本作品を使って、経験をもとに論述を進める、という点について書きたいと思います。まず、最初の段落での問いの提示は、とても読ませるものです(Aの部分)。小論文は問いを立て、それを問い進める作業ですので、その最初の入り口がとてもよく提示されている点が評価できます。つぎのBの部分では、経験の記述が欲しかったです。父はどのような時、どのような様子で自分の価値観の範囲内に子どもたちを留めようとしたのか、そのことについて具体的な記述があると効果的です。そうすることでCの部分にあるような、自己の他者への拡大、といった主張が生きてきます。

 同様に、Dの部分にも具体的な経験の記述が欲しかったです。たとえば、他者と関わらずに生きていくことはできないと痛切に感じる時はどのような時か、また、他者と関わりを避けることの安心感だけでは満足できない自分のあり方の具体的な記述を加えてほしかったです。これらのことは最終段落のEの部分にも言えることで、たとえば出会いによって起こる様々な感情や対立が、他者との一致という目で見るのをやめれば自分自身の境界線を意識できるチャンスになるのは、具体的にどのような場面なのでしょうか。誰とどのようにコミュニケーションしたことで、自分の境界線を意識できるようになったのか、そうした記述があると、ここの部分は説得力のあるものになったでしょう。

 これまで具体的経験の記述について指摘してきました。確かに論文は経験の記述ではありません。しかし、論に説得力を持たせる、あるいは他人に伝えるためには、経験の記述が重要です。本作品では、抽象度を高めて論を展開することができています(これも論文を書くうえで重要な作業です)。ただし、抽象化して語る前には、その材料となる具体的経験という素材が必要です。このことに気をつけて論を立ててみてください。具体的な経験を他者に伝えることの不安はあるかと思います。それは当然のことだと思います。ですが、論文もひとつのコミュニケーションだと思ってチャレンジしてくださることを期待します。

かどやが!その4

1

間が空いてしまってもう前に何を書いたのやら、自分でもうろ覚えで読みなおしました(苦笑)

 

かどやのアイスキャンデー、のブログを書いてたら、いろいろ感想が聞こえてきました。その中で、これは上手にかわして来たつもりだった点にツッコミがはいりました。「なぜかどやではなくまんしゅうやご贔屓だったか」問題(問題なのね・笑)

え~、なんともうしましょうか、当時の子供のことですのでご容赦頂きたいし、あくまでも好みだからねぇ…つまり、かどやは私ら子供にとって、セカンドチョイスのお店だったってことなんですね(あ~、言っちまったよ、ついに)。まんしゅう屋のアイスは美味しかったし、キャンデーも色が濃かった(色が濃いと美味しいって感じでしょう?実際味が良かった記憶なんです)!その点を当時を知ってる◯◯から突っ込まれました(笑)そうです、簡単にいうとまんしゅうやのアイスが美味しかった。

で、前回の続きに戻ります。

かどやの店内、例のカレンダーよりも表がわに墨跡豊かに「アイスキャンデー 50円也」「あずき 60円」「アイスクリーム 100円」「ソフトクリーム200円」と縦書きのお品書きに書いて貼りだしてありました。

大人になって、アイスの大人買いができるようになると、いつもキャンデー20本アイス10個などとまとめ買いしてましたね。

 

「キャンデー20本とアイスクリーム10個ください。あとソフトクリームね」
「はいはい、小豆も入れますか?」
「入れてください」
「お父さん、アイス10個」
とおばさんから声がかかると白い前掛けをした(渡る世間~のTVのおじさんみたいな白いエプロン)おじさんが手早くアイスを作ります。おばさんはキャンデーを数えて、白い紙袋にいれ、更に新聞紙で(ここ大事)くるくる包んで、キャンデーの入っていた冷凍庫に一旦保管。

その間、おじさんはソフトクリームを作ってくれて、それを舐めながらおじさんのアイスを作る手さばきを見ている。

おじさんは、アルマイトのお盆(ここも大事・冒頭の写真参照よ)にモナカの皮を10数個並べます。モナカの皮は昔の駄菓子屋さんみたいなアルミの蓋のかぶさった大きな瓶に入ってた。で、冷凍庫からディッシャーでアイスを掬い、木のヘラで平らに均してはモナカの皮にカシャンと乗せていきます。思えば、アイスディッシャーなんてものを最初に目にしたのもここだな。まんしゅうやではアイスを作る場面は見た記憶がない。

10個ディッシャーでアイスを皮に乗せると、モナカの皮で蓋をして、こちらもやっぱり紙袋に入れた後、新聞紙でくるくるし、アイスキャンデーと一緒にレジ袋に入れて渡してくれます。「新聞紙ってえらい、ちょっとの時間なら、溶けずに持ち帰れるのは新聞紙だから」っておばさんが言ってた。

かどやに通い始めて、しばらくはなんだか罪悪感があったんだよね。もともとおなじみではないのにこっちに買いに来てって思われないだろうかとか、変なこと考えてたんだねぇ。おとなになってからは一番若いおばさんとは仲良しになって随分通ったなぁ。

 

で、ある日、驚きの事実を告げられる。アイスキャンデーをやめてアイスクリームとソフトクリームだけになっちゃうって。そのおばさんにどうしてやめちゃうんですかって、思わず聞いちゃったですよ。おばさん「キャンデーの液をいれて冷やす道具が壊れちゃって。新しいの欲しくてももうつくってないんだって」。真鍮製の試験官状の筒が6個か8個入り口あたりでつながってる感じ?の型が穴が空いてしまったとか。穴が空くほど使ったんだね。

 

日本の文化とか、かろうじて残っている工芸品とかは、それを作る人はまだまだ残るんだけど、周辺の道具を作る人が先にいなくなっちゃって道具がなくなっていくという順番でなくなっていくんですよね、なんでも。アイスキャンデーもそうだったんだ!

 

夫は金属部品を作る工場をやっているので、夫に「真鍮かステンレスで作れない?」って聞いちゃいましたよ。ショックだったから。夫曰く「ものすごく高くなっちゃうよ」う~ん(泣)

 

アイスだけになっても通いましたが、やはり花はキャンデーでしたねぇ。そしてある夏、かどやにアイスを買いに行ったら、雨戸がしまったまま!が~ん!全部やめちゃったんだ(大泣)おばちゃんが亡くなっちゃったんだろうか、そういえばおじちゃんは数年前から姿見なかったしなぁ、いろいろ想いがめぐりました。50年以上親しんだアイスキャンデーのお店かどや、今でも実家によって旧国道経由で帰るとき、そこを通ると、雨戸が閉まったままの佇まいが目に入り、胸がキュンとなっていたのでしたが、このたび何やらリニューアル。恐ろしくてリニューアル後は傍を通ってません。

かどやが!その3

話がどんどんずれるけど…ご容赦ね。

 

映画女優のカレンダーは当時貴重品だったと思う。

なかなか手に入らない、きっと買わなくちゃならないタイプの豪華なカレンダー。

それがいつも毎年はってあったのは、そうだ、バス停!

かどやは一方通行の細い道に面して建っていますが、

かどやたるゆえん、店に向かって右は旧国道と地元の人が呼ぶ

旧国道6号線に面していました。千石町というバス停が

かどやの横壁面にあって、そこには近くにあった映画館の看板がかかっていたんですね。

多賀会館!知ってる方も多いと思うんですが。私の初映画はここでゴジラ対モスラ。

おもいっきりかどやから離れます!

多賀会館は、2階建ての映画館で、2階は桟敷席でした。

映画の合間には普通に「おせんにきゃらめる」ってばんじゅうを下げた人が売りにきてた。

昔の映画館は、建物の外に映画の音声をスピーカーで流していました。

なので、外にいると映像は見れないけど、怪獣映画のドキドキするような

音楽なんか聴き放題(笑)弟は、その音だけ聞きに行ってて

親に怒られていた…すまぬ弟よ、昔のことを述べてしまった(苦笑)

多賀会館の一番古い記憶は、ゴジラの銅像(?)が建ってたこと。

映画をやってたんだと思うけど、ミニチュアのゴジラが映画館の前にしばらく建ってた。

子供心に、なんで?と思ったんだろうな。

モスラやキングギドラやラドンや、いろいろこの映画館で楽しみました。

最後はポルノ専門館になってしまってなくなっちゃった。

 

で、その映画館の看板がかどやの脇のバス停にあって、壁を貸してたんだな。

だから、あんな高級カレンダーを毎年あそこでは貼ってたんだ、と当時の記憶が

余計な方に飛びました。

 

道が交差するところで、タバコの販売。そこには年配のおばあちゃんがいつも座っていた。

昔のタバコ屋さんのつくりに共通しているタイル張りのカウンター、

あれ、今回のリノベーションで保存されてるんだろうねぇ。

まさかの取り外しなんかしてないだろうね、心配になってきた。

あのタイル張りのカウンター、移設できるものなら欲しいもの(何に使うんだ!)

常陸太田のカフェの近くにも文房具&タバコ販売のお店があって

そこにもそのタイル張りカウンターがある。

あれ、壊さないでほしいなぁ。

今回はまったくアイスキャンデーにはふれないで終わってしまった、

でもこれもかどやの一面よね。(まだ続く、みたい)

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