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むかしむかし~映画の感想⑮

2002年ごろ書いていた映画の感想

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ハウルの動く城 

/ スタジオジブリ (ネタばれ注意!)(予告編はこちら

宮崎駿監督の最新作。一足先に見に行ってきた二女に感想を聞くと「ムズカシイ・・・(^_^;)」。茨城大学の生涯学習公開講座でもこのアニメの話がちょっと出て、みてきた方が(50代後半の女性)「難しかった、どうしてソフィは若くなったり年寄りになったりするのかしらね」とのこと。ふ~ん、と思いながら見に出かけた。

宮崎監督のアニメ映画には原作があるけど、原作は正しい意味での原作ではなくて、登場人物のキャラクターとか大まかなストーリー「少女の成長譚」だとか、今回のハウルで言えば、たぶん動く城のプロットが気に入ったんだろうな、ほぼ宮崎監督のオリジナルだと思ったほうがいい、そういうつくりの毎回の作品のひとつだった。

宮崎監督作品の流れで言うと「耳をすませば」「千と千尋」系とでも言おうか、少女が自分を発見し成長していく様が描かれている作品のひとつになるだろう。背景に描かれてる戦いの中のひとつとして、いかにも宮崎風の飛行物体などがたくさん登場するが、あれはきっと宮崎オリジナル、原作にはないに違いない(後日原作を読んでみたがやはり想像通り)。

魔女にかけられた呪いが「難しい」という感想を解くヒントになるのではないかな。自分にかけられた呪いを人に説明できないと言うくだりは、なるほどそういうことねとどんどんなぞは解けていく。原作に忠実ではないと書いたが、人物像などはきちんと描いてはいる。ただし非常に短く象徴的に説明されるので、考えながらみてないとわからないままに過ぎてしまう。たとえばソフィの人物像、父の家業の帽子屋を長女だからと継いでいる。妹は近くの店の看板娘であり、その妹目当ての客で店が繁盛するほど。このくらいの説明で、ソフィと妹の性格は十分すぎるくらいに描かれている、のだけど、解らない人にはわかんないのだろう。

自分がやりたくて帽子屋を継いでいるのではないこと、きれいな妹に比べ、地味な長女性格のソフィいは、コンプレックスを抱えているし、自分のやりたいこと(帽子屋は継ぎたくはなかったんだろう)を自分の口に出すことができない、損な性格だねとソフィは思っているんだろう。呪いを他人に説明できないということがヒントだと言うのは、このこと。「あんたってかわいくないね」などと人に言われたとする、言われた当人は「そんなことない」と否定しようとしても、自分自身が容貌に引け目を感じていると、その言われた言葉は深層心理の中で大きくなり、表面上自分で否定しても心の奥底では「自分はブスかも」と悩みを抱えることになる。これが「言葉の持つ力=呪い」、だ。

そのソフィが、容貌もなんも関係ない老婆になってしまうことによって逆に開き直りからコンプレックスを克服していくそのプロセスで、「自分を見つける」「自分に自信を持つ」時は本来のソフィの若さを取り戻すし、また、愚痴をこぼすような状況の時には、人も信じられず自分自身も信じられないので老婆の姿=呪いの力に押さえつけられている状態に戻ってしまうと言うからくりだろう。

火の悪魔とハウルの契約=呪いについても二女はわからないと言っていた。これは想像になるけど・・・。火の悪魔はもともとは流れ星だったのがラスト近くに種明かしされる。その流れ星をハウルが飲み込むシーンが出てくるのだが、そこが悪魔との契約らしい描かれ方だなと思う。たぶん、「流れ星が地上に落ちると消える=死んでしまう」のをハウルが「美しい流れ星」を救おうと悪魔に永遠の命をみたいな願いをして、それと引き換えに、悪魔との契約って言ったら定番の、命とか魂を悪魔に提供したんだろうね。

その契約によって「心臓=心」をなくしたハウルはそのために火の悪魔と一心同体のようになってしまう(ひとつの心臓を共有する関係)になり、そののろいを解くには、ハウルが心を取り戻すことが必要で、心を取り戻すには「恋」という薬が大事、って事でしょうか。だから、きれいな女の人の心を盗む(女の人に恋するふりで近づくけど、心がないので愛せなくて、相手の心を奪うだけになってしまう)。ところがソフィが献身的に接してくれたので初めて恋をする=人を愛することができ、心を取り戻す、って読んだのですが。細かなところは、千と千尋でも説明されてないので今回も想像するしかないのね。その想像部分を補う心理的な読みができないと「難しい」のでしょう。

読みが正しいかどうかが心配で、原作も読んでみた。翻訳が下手なのか原文がこういう語り口調なのかはわからないけど、回りくどい文章で読みにくく、特に面白い話だとも思わなかった。ハリーポッターに夢中になるような世代なら、(読書初心者とでも言いましょうか)面白く読めるかも知れないけど、それなりに人生経験をつんできたおばさんにとっては、無駄を省いてセリフひとつに象徴性を持たせるくらい研ぎ澄まされた宮崎アニメの方がよっぽど面白かった。

ただ、原作でも映画でも、ソフィーがハウルを、そしてハウルがソフィーを、いったい何時好きになったの?とは思った。あれが好きなのに打ち明けられない同士の物語なら、二人とも最初のお祭りのシーンでの出会いの一目ぼれってこと?そんなぁ、って感じがする。

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