2002年ごろに書いていた映画の感想
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戦場のピアニスト / 主演・エイドリアン・ブロディ 2002年
/アカデミー賞主演男優賞他6部門.・カンヌ映画祭パルムドール
(予告編はこちら)
映画を見ながら、去年青森で聞いた辛淑玉の講演を思い出していた。戦争を国威国家を背負って見ていては解決しない、1人の人間としての視点をというメッセージを聴いていて感動したことを。この映画の紹介でも必ずふれられている、監督ポランスキーはホロコーストを生き延びたユダヤ人であるが、その視点に偏りはなく、ドイツ人にも良い人がいた、ポーランド人にも悪い奴はいた、と。辛淑玉の語る第2次世界大戦と同じ、平等に個の視点で冷静に事実を伝えてくれている。
私が映画を見た時期はイラクへアメリカ・イギリス軍が「解放」のため進行し、バグダッド陥落が伝えられたころだった。TV画面の見えないところで起こっていることが映画の中でリアルに映し出される。巧妙に悲惨な場面を報道しないTVの画面から、あの映画のような状況を読み取れる人がどれくらいいるのだろうか。メディアの読み方、メディアの裏側を感じ取れる感性を、せめてこの映画を見ることで、「今」この映画が上映されている意義を大切に活かして欲しいと思った。
夜の闇に紛れて「月光」が聴こえてくるシーンは、わすれられないシーンのうちのひとつ。「月光」を聴いて、心がふるえた。音楽の素養に乏しい私でもドイツ将校が奏でる「月光」はベートーヴェンの曲だろうと推測できるし、ドイツ将校に曲を弾けと命じられてシュピーマンが引いたのはショパンで、ショパンはポーランド人なんだろう、と。戦争のさなか、しかも敗戦が遠くない戦況の中「月光」を引くために夜出かけてくる将校の人間性が、何気ないカットで伝えられる。部下の出す書類に次々と目を通しサインするシーン・・・。
そしてポランスキーの偏りのない視点も、本当にさりげなくしかし印象的に語られる。ホロコーストを生き延びたヴァイオリン弾きが立場の一転したドイツ人捕虜に向かって罵倒したことを「悔やむ」、聞き逃してしまいそうな小さなせりふだけれど、間違いなく観客に届いているだろう。
アカデミー賞授賞式でのエイドリアン・ブロディのコメントはこの映画のあのシーンとつながっているんだと、映画を見ながら振り返っていた。「あなたの信じる神がどのような名であれ、神のご加護を」と。
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もうひとつの感想
主演の男優は実際にピアノを弾いている!洋画を見ていてよく同じような場面に出会う。ピアノを弾いている指先だけが別人だろうと思ってみていると画面がひいてきて、演じている本人だったりすること!よくパンフにピアノの特訓をしたとか書いてあるけど、特訓なんかであんなに豊かなピアノが弾けるようになるものなんだろうか?
元題が同じ別の映画「ピアニスト」でもそうだった。若い音楽家の役の役者が自分でピアノを弾いている。役のうえで、若い音楽家が自分のピアノの先生に「表情豊かな曲を弾く」とか、「曲の構想があ~だ、こ~だ」と言われる場面があった。
そこでの設定は、日本で言ったら芸大の音楽家ピアノコース(そんなのある?っていうかそんな感じの)の学生の役で、そんな学生が弾く曲がどんなレベルなのか、ピアノの解る人が映画を見たら違和感を感じないような演奏なんだろうなぁ。ってえことはそういうレベルに曲を弾けるって事だよね。
特訓でそういうレベルにたとえ1曲でもできるようになるって、ホンマかいな?!私も(も、なんて言っていいのか!)ピアノ習い始めてもう3年ちょっとになるのに、いまだに簡単な編曲のものしか弾けない。練習量が違うって言われたら終わりだけど、そんな量でカバーできるものなのか?ある程度の時間って必要なんじゃないのかって思う。あるいはピアノってものが日本よりもっと身近で、弾ける人も多いとか・・・。なんだかそういう場面に出会うたびに文化の差を感じるなぁ。
とにかく、ピアノの先生関係でこの映画を見た方!ぜひ本人の弾いている曲が、役に見劣り(聴き劣り?)しない程のものなのかどうか、教えてください。