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気になるTV①(2003年ごろ)

昔のホームページ整理編、そろそろ最終コーナー。

常陸太田市の男女協働参画委員をやっていたころ、TVから流れるCMの中のメタメッセージを取り上げてフォーラムをしたことがあった。その流れで、当時CMを面白がって見ていた記録。

 

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小堺一機のキャラクターイメージ

洗剤のCM(1989年~1997年) 小堺のキャラクターイメージはどのようなものだろう?「妻の尻にしかれている気弱な夫」ではないだろうか?CMの中でもそのような演技が含まれていた。(洗濯が終わったら、追加で洗濯物を渡される)男性も家事に協力する必要性を認めながらも「すすんで」「喜んで」「当然に」するものではなかったのである。このような環境の中、家事をする男性の増加は期待できない。

 

洗濯するイケメンの登場

~玉山鉄二       朝日新聞2003年7月5日(土)~クリーンヒット

1.1kg入りで店頭価格は300円前後。花王「アタック」、ライオン「部屋干しトップ」など350円前後のシェア上位品より割安感があること、「母と子」が定番だった洗剤CMに屈強風の男性ばかり登場させたこと、も人気に結びついている。柔軟剤成分をパウダー状の微粒子にしたことで、界面活性剤を使う通常の柔軟剤が衣類の吸水性を悪化させる難点を克服した。「ボールド(bold)」は英語で「大胆な」の意味。

 

CMの状況設定は?

初めて男性のみが登場する洗剤のCMの細部を検証してみる。状況設定は北海道を思わせる大規模な酪農家で働く男たち、その中の「洗濯当番」が玉山である。当初「柔軟剤」という言葉を使わず「やわらかくするの、つかってるだろう」と表現。白く洗いあがったやわらかい洗濯物にほお擦りする男たちのほほえまく屈託のない笑顔がバックの青空のようにすがすがしさを表現している。イケメンの洗濯する男の登場は家事に対するイメージの変化、あるいは家事をすすんでする男性の増加のあらわれだろうか?(柔軟剤というモノを知っている男)

 

CMは「あったら便利/これはいい」を訴え購買に結びつけるため、状況設定にリアルさを感じさせないと、嘘っぽくなり商品の訴求効果も薄れる。例えばこのCMがホワイトカラーのサラリーマンが洗濯するところを想像してみよう。このCMの続編はラガーたちらしい、残念ながらサラリーマンが登場する可能性は薄いと思われる。

気になるTV ①CMボールズ後日談

柔軟材入り洗剤ボールズのCM、洗剤を使う状況設定が面白くなってきている。

 

①大規模農業従事者/②ラグビー部員/③サーカス団員/④保育園の保父さん

 

①~③まで、いずれのCMも男だけの職場・状況設定で違和感を感じさせないものであったが、今回はついに保父さんの登場である。毎回登場する男たちのうち、ボールズで洗濯をしてない男たちはマッチョ風の男性陣をそろえ、洗濯当番で柔軟材入りの当製品を使うのが玉山鉄二であるのは共通。そこから透けて見える意図は、ボールズを「知っているVS知らない」でおじさん年代の男と若い男の対比を表そうとするもの。いつも古い男側から「やわらかくするの使ってるのか」「柔軟材使ったのか」と聞かれ、玉山が「いいえ、洗剤だけです」と答える。古いとイメージつけられている男たちも、最初は「洗濯物やわらかくするの、使ったのか?」「柔軟材(普通名詞をつかってるぞ)使ったのか?」など、柔軟材や洗濯の時につかう、洗濯物が柔らかくするものがあるということは、知っている。しかも、ついに保父編では、今まで玉山に柔軟材を使ったのかと聞いていた側の男性が、洗濯をしようとして柔軟材を探してるという状況に変わっている。(CMってほんとに細部まで気をつけて作ってあって、このCMシリーズは当初から、玉山を洗濯係ではなく「洗濯当番」と呼んでいる。役割の均等性に配慮十分)洗濯をしたことがある男たち、それが違和感ない状況をCMは設定している。今回の保父は、状況として違和感がないとは言い切れないが、それゆえにこういうことも(保育園の養育者に男性が増える)将来あってもいいよね、という主張としてみてもいいのかも。保父編のラストは、お昼寝をしている子どもたちにやわらかいタオルをかけ、トントンと背中をたたいたりしながら添い寝をしている玉山ら保父たちの映像で終わる。このCM、なかなかやるよ。何が?家事育児は大変なんではなく、大切で楽しいものなんだってのが、その映像から伝わってくるのだ。

 

昨年行ったセミナーでこのCMの話をさせていただいたとき、主婦が最も好きな家事は洗濯だという指摘を受講生からされた。確かに洗いあがった洗濯物が青空にそよぐ風景は家事の中でもここちよい瞬間である。そういえば、やりたくない家事の上位にランクされる「お風呂洗い」を夫がやってるCMって、多いなぁ…。家事の分担ってやりたくないことの押し付け合いではなく、家事の重要性を楽しさのほうから感じてもらったほうがいいんじゃないだろうか。家事は世間一般の評価は得にくいかもしれないが、重要な「仕事」で、能力もかなり要求され、またやりがいもあるものである。仕事を持ちながら家事も女性が担うことは、仕事を二つ抱えることであって負担は大きい。ゆえに現代の女性たちは家事の喜びを感じることもできにくいまま、家事分担の掛け声が大きくなってきたのではないか。

 

家事とくくられる衣食住は人が生きていくことに直接必要なことであり、また育児や介護は、人とのかかわり方、親密な人間関係を結ぶ方法とその親密な相手を思いやることを学ぶ場でもある。女性の社会進出のために、あるいは性役割分担の解消として、家事労働の分担を訴えるのは方向が違うのではないか?生きることの総和としての家事の喜びや、育児介護で人との関わり方を知る必要性を訴えるというのが、男女共同参画や家事分担を訴える本筋なんではないのだろうか?

 

このCMの受け手の側、玉山がTVに出たとき、視線を吸い寄せられる層として、戦隊ものの子ども番組をみていた主婦層(かなり若め)が、画面のこちら側にいることが想像でき、CMは変わりつつある男像を描いてもいるが、依然と変わらず洗濯を担当する女性像が仄見える。しかし、このように楽しそうに洗濯をし、子どもたちを寝かしつけるCMを無意識のうちに見聞きすることで、ある種のメッセージが見ているものの中に埋め込まれる。CM製作者が意図したかどうかは不明だが、こういうCMを見ながら育つ、現在の男の子たち(10代)は、家事への抵抗が少なく、また家事育児をする男=もてるという刷り込みもされていくのだろうか?

 

 

 

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