2002年に初めて日本女性会議というものに、市の男女共同参画関連ということで視察に行かせてもらった。
基調講演はAとBがあって、辛淑玉の方を選んで、ICレコーダーで録音し、文章起こしを自分でしたもの。時間あったんだなぁ…。文末の脚注も自分で探して入れていた。何のつもりだったんだろう、ただただ面白がってただけな気がする。
他に上野千鶴子さんと辛淑玉さんとあと一人過激な女性(固有名詞が出てこない)の鼎談も聞いてm同様に文字起こししたんだけど、そっちは見つからない。なぜ?
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日本女性会議2002あおもり
2002.10.4.FRI~5.SAT
青森文化会館/ぱるるプラザ青森
テーマ
私は私を大切に思うのと
同じ重さであなたを大切に思う
平和・平等~地球市民としての私たち~
・・・日本女性会議2002あおもり 基調講演Bプログラム
講演者 辛淑玉
改めて自己紹介させていただきます。「辛」は辛い、辛い辛抱の辛と書きまして、そのまま「しん」と読みます。いくつに見えます?(会場参加者に)そこのかた?あたらないと思って言ってる?(笑)…40ぐらい? そちらの方は?…30ぐらい?(お世辞きついよという感じに笑いが盛り上がる)…すみません、(舞台袖に向かって)今の回答者に金の座布団10枚差し上げてください(笑)。43でございます。よく男と間違えられます(当日のいでたちは上下とも白のパンツスーツ、白のエナメルの靴、ベリーショートの髪型、さながら宝塚の男役のよう)。この間山口のホテルに宿泊したとき、夜11時ぐらいに一人でホテルの温泉に入っていました。そしたら4~5人の私よりちょっと上の世代の女性が入ってきたんです。私がお風呂に入っていたら、ドアを開けて一目見るなり、「あ!う!」と言って出てった(爆笑)。おかしいなと思っていたら、しばらくすると隣の男湯から「うわ~!」なにが起きたんだろうと思っていたら、そのおばちゃんたちが戻ってきて「あんたや、あんたや、あんたが入ってたから、男湯と思った!」と言うんです(爆笑)。ちなみに私はその時裸だったんですけどねぇ(爆笑)。
そして「 Ladys and gentlemen」の淑女、淑と書いて「す」と読みます。そして皆さん同じみ、パチンコの「玉」と書いて「ご」と読みます。よくテレビに出るたび、暴言を吐いては降ろされてます。街を歩いていると声をかけられます。そのときの言葉が大体似てまして「あんた、TVで見たよ、日本語上手だね」(笑)。私は東京生まれ東京育ち、三代続いた江戸っ子でございます。今日も何かありましたら、日本語でうかがいますので安心して声をかけてください(笑)。
本職は企業内研修といいまして、ビジネスマンの研修を請け負う会社を経営しております。ですから経営者にあたるわけです。年間、サラリーマン相手の研修というのを200本くらい、それから小中高大の学校、それから地方自治体、それにNPOやNGOなど研修とかを年間100本くらいやっています。3回くらい同じ会社に行きますと「あ、この会社はいい会社」「この会社はもうつぶれる」(笑)、だいたい判ってきます。どういう会社がいい会社かといいますと…。例えば月曜日に研修で会社に行きます、ま、みんな席に座っている。次に金曜日に研修に行くと又みんな同じ席に座っている。それから1ケ月後の補修研修に行きますと、又みんな同じ席に座っている。同じ席に同じ人が座りつづける、これほとんどだめな会社です(笑)。今日はこっち次はあっち、好きなところに自由に座っているのはすごくいい会社です。
今日ここは席決まってましたか?決まってない?自由席!(最前列の席に向かって)自らの意思で一番前!(笑)。今日は自分の好きな席に座れた方、座れなかった方、いろいろいらっしゃると思いますが、だいたいこういう会場も席で性格がわかります(笑)。前から3~4列目ぐらいまでに座っているかたは、「いつでもなんかあったら出て行くわよ!」というタイプの方がお座りになる傾向がありまして(笑)、真中からちょっと後ろになりますと「みんなが行くなら行こうかな」、2階席にお座りになるのは「おもしろくなかったらさっさと帰ろう」(笑)、非常にあぶない感じです。約1時間半皆様にお付き合いいただきます。ひとつだけお願いがあります。途中で具合が悪くなったりトイレに行きたくなったりしましたら、私が話している内容は無視していただいて結構ですので自由になさってください。真中に入ってしまいますとなかなか出られません。そのときは両サイドの方ちょっとだけご協力をお願いします。トイレを我慢してまで聞くほどの内容ではございませんので(爆笑)。あまり多くを期待されますと、今からでもあちらのほう(青森文化会館)へ行っていただきまして、堅い話を聞いていただきたいと。大変申し訳ないんですが、まだ何も話してないうちから、ペンをお持ちになってご用意なさるのは、日本の文部省の最も悪い成果ですね(爆笑)。だいたいご飯食べた後の午後の講演会で一生懸命メモして、家に帰って見るかといったら、寝ますね。今日は一緒にいろんなことを考えていただければなと思っております。
ほんとにあちこち日本全国をびっくりするくらい出回っております。行ってない県はない、昨日は3ヶ所、おとといは韓国、その前は大阪福岡と、全国各地を廻ってますと「うわぁ~、変わったなぁ」と思うのは女です。「ちっとは変わったかな」というのが多くの男性です。ちょっと心に残っている講演をいくつかお話したいと思っております。この間春闘の記念講演で呼ばれました。春闘というのは労働者の人たちが戦う恒例行事みたいなもんですが、それの記念講演に経営者である私を呼ぶ…!(笑)私はちょっと違和感はあったんですが「思想は金で転ぶ」ですから(笑)行くわけです。これよりはもうちょっと大きな会場だったんですが、入った瞬間にここから向こうまでずっと全部男の人。1割も女の人いませんでしたね。ところどころにぽつんと女性の姿が見える。それでもお茶を入れてくれるのは女の人なんですよ。壇上に座っている人たちが、ほとんどドブねずみ色した男、偉そうにしてる(笑)。
それで、こういう話をしました。「今まで、頑張って頑張って頑張って、、頑張って頑張って頑張ってやってきた結果が今ですよね?(笑)だから、新しいことをしよう!これからは違うことをしよう!というなら、がんばらないこと!」と言ったんです(笑)。「権力を持った男の人が頑張れば頑張るほど社会は悪くなるんだから、頑張っちゃいけません!」そしたら会場の人がこっちからこっちまで「うん!」と肯くわけです。私は、「あれっ?結構話聞いてくれたんだな」と思ったんです。そしたら司会者が来て、「いやぁ、辛さんほんとにすばらしいお話をありがとうございました。それじゃ皆さん、今年も、ガンバロウ!!!」(爆笑)。それ以来、男の集まりにはなるべく高額の賃金を出していただけなければ喋らないことにしてます。エネルギーの無駄!
どころが、女の人ってすごくおもしろいんです。例えば最近の話なんですが九州に講演に行きました。ちなみに今日九州から来られている方はどれくらいいます?(少ないが手が挙がる)あ、そうですか。じゃ、ちょっと聞きましょう。(会場前列に向かって)九州って一言で言うとどういう感じですか?自分の思う九州をどうぞ。(…間…)聞かなくていいですって?ひょっとして学校の先生でしょうか(笑)。(別の人から返事)男尊女卑?そうですね、なんとなく九州というと九州男児というイメージがしますよね。実は、そうなんです(笑)。例えば一例をあげますと、女性校長、小学校の女性の校長先生、比率がすごく上がったんです。全国的には16%。小学校の女の先生の割合が7割、多いところでは8割です。ところが九州のあるところでは女性の校長の比率は3%!全体的に全国比率から落ちるところです。
そこで講演に行ったときホテルに泊まって、そこにはサウナがついていました。私はタダのものは何でも行くという主義、プロレタリアートの基本みたいなものですので(笑)、サウナ行きました。その中に4人の女性がいました。私が40代、年齢は聞いてないので解りませんが、おそらく私より上の世代、50代と60代。それからちょっと話をしたら私の母よりちょっと上の感じがしたので70代の女性がいたんです。私を含めて5人の女がサウナでじっとしてTVを見ていた。その時TVでやってたのは…。中村俊介さんてご存知ですか?タレントさんで、サッカーではなくて。ちょっと二枚目で20代前半、なかなかきれいな感じの男の子。彼がこういう話をしてたんです。
「僕ね、自分の彼女が胸の開いた服とかノースリーブとか肌が見える服は絶対着てほしくない、そういう(服を着てる)女とは付き合わない」(会場静まる)。そういうのはとてもいやだと言っていた。トーク番組でしたので、両脇に明石家さんまさんと所ジョージさんがいて、さんまさんがね、「じゃ、なにかい。夏、海に行ったりプール行ったりするとき水着着ないの?」「当たり前です、だから僕はそういうところへは行かない」とか(爆笑)。こっちの所さんが「じゃ、結婚するならヴァージンがいいの?」って聞いたんです。そしたら彼は「もちろんです」(馬鹿にしたような笑いが少し)。
さて、第1問。その時私の周りにいた女性たち、九州の女の人たちは、なんと言ったでしょうか?それでは、ここでちょっと近くに行って聞いてみましょう。(会場に降りながら)講師が降りてくるなんて思っても見なかったでしょう?(爆笑)。(通路そば来賓席に近づきながら)思わず目をそらせました、こちらから行きたいと思います(爆笑)。その時九州の女の人はなんて言ったでしょうか?(来賓の男性)「その通りです」となりの方にも聞きましょう。(同じく来賓の男性)「うわぁ~」(爆笑)。いいですね、こちらは?(同じく来賓の男性)「当然ばってん」。(あきれたように)青森に未来はない(大爆笑)。
会場の男性に聞きますと、だいたいそんな感じ、あと、うちの娘ムコにいいとか。私はサウナで何も話さずじっと聞いていたんですが、今から彼女たちの言葉は東京方言に翻訳してお伝えします(笑)。最初に、となりにいた女性50代、彼女の第一声「バカじゃないの、この子」(爆笑・大拍手)。「へ?」と思ったんです、普通そんなの見て意見なんか言わないんですよ。サウナって階段状になってるじゃないですか。上の方に座っていた、隣りの人よりもうちょっと年上の人が「支配したいんだよ、支配、自分のもんだと思ってんだよ」(爆笑・大拍手)。そしたら、もう一人が「こいつ中村雅敏の息子よ」(爆笑)。全然違うんですよ、でも世の中こういう流言飛語も飛び交うんですね。「やっぱり、お父さんも変だから、息子も変だわ」(爆笑)。中村さんの名誉にかけてまったく違いますから(笑)。
私が最もうわぁ~と思ったのは最高齢の人です。彼女はなんと言ったか、彼女は「いったいこの子の父親は、何をしとると!」と言ったんです。東京方言に直しますと「いったいオヤジは何してるんだ」とこういうことです。「へぇ~っ」っと思ったのね。子どもが何か問題を起こしたりするといつも「いったい母親は何してるんだ」って言われるわけですよ。ところがあの先輩世代の女性が「いったい父親は何をしてるんだ」と言うわけですよ。これは賛成するしかないと私思いまして(爆笑)それから私はひたすら火に油を注ぐべく、「そうですよね、そうですよね」って(爆笑)。そういうね、初めて会った世代の違う人たちがひとつのテーマに沿って意見をばぁ~っと言うなんてかつてありえなかったことですよ。
そういう女の人たちの変化ってものすごく大きくて、小中高大と私立のところに呼ばれることが多いのですが、公立はさすがにちょっとまずいなと思うのか(笑)。私立は女子高とか男子校があって、どこに行っても「何か質問ありますか?」って聞いて「はいはいはい」って手が挙がるのはみんな女の子。女子高に行くと大変ですよ、この間なんか1時間半の講演が終わって3時間質問受けました(笑)。やめてよ、そんなにギャラもらってない!(爆笑)でもね、その女の子たちの質問がすごくおもしろいの。ジャンルがない。例えば就職の質問、「私は将来パイロットになりたいと思います。でもお母さんがそんなに世の中甘くないと言います。男女は本当に平等でしょうか?」とか。これは中学1年生の女の子でした、「辛さん、お父さんが3ケ月入院して、そしたらおじいちゃんが家に来て7つの弟に、『いいか、お父さんがいない間おまえがお母さんを守るんだ、しっかり…。』(爆笑)、それ以来弟はノイローゼです」(爆笑)「どうしたらいいんでしょう?」(爆笑)。
ほんとにどんな質問が出てくるかと思いきや、そういう目の前に具体的におきたこと、昔だったらそういうことたくさんありましたけど、疑問にも思いませんでしたよね。でも、今の子たちは、「なんか変、ちょっと変」って言ってくるんです。傑作な質問があったんです。「辛さん、右翼と左翼はどう違うんですか?」(爆笑)。これはおもしろいから聞いて見ましょう。(ステージを降りながら)右翼と左翼はどう違うんでしょう?(笑)こちらの方に聞いて見ましょう(今回も男性)。聞いたのは中学校1年生です。…間…5,4,3,2,1…(男性ぼそぼそと話している)「(辛復唱する)実際には右よりの考え方と左よりの考え方があって…ですか?」(爆笑)。女性会議にきてるだけで、男は勘違いって所ありますからね(爆笑)。私はプロのコンサルタントですから、そういうときは子どもに解る答え方をしなくちゃいけません。「辛さん、右翼と左翼はどう違うんですか?」「いいかい、よく聞きなよ。右翼はバカでもなれるけど、左翼は勉強しないとなれないよ」(大爆笑・大拍手)。そんなこと言ってだまくらかしてるんです。女の子って好きです、女性会議もとても好きなんです。見てください(ステージの飾り付けを見ながら)きれいでしょう、すごい美しいですよね。私女の人が呼んでくれるイベントって何で好きなのか、必ず花とお菓子があるんです(笑)。男の人が呼んでくれるとこの辺に盆栽なんかがある(爆笑)。
その反対に「何か質問ありますか?」って聞いたときにまったく手を挙げないのが男の子です。見事ですよ、びたっと。なぜかというと簡単です。質問するというのは、分からないからする、バカがする、そういう感覚です。それから変な質問をしたりかっこ悪い質問をしたりして恥をかきたくないと思うわけです。目立ったりするのがいや。皆と同じ事してなきゃいけない。質問するならみんながあっと言うようなデカイ質問をしなきゃいけない。し~んとしてるわけです。男子校もよく行きます。私が今記憶しているだけでも、浜松の学校、それから兵庫、大阪もそうでしたね、九州の学校なんかもそうでした。四国もそうでしたね、ぱっと思いついただけでも何校も出てくるんですが、男子校で私がどんな講演をしても必ず同じ質問が出されます。必ずというと語弊がありますね、7割ぐらいの確立でその質問が出ます。質問する時の子は手は挙げません。先生が「それじゃ、○○君」さすがですね、そう言って指されるのはたいてい級長さん。級長って言って判らない方います?ホームルーム委員とか、級長って言って判るのは40代(笑)。
指された子が、どこの学校に行っても、どんな講演内容でも、必ず、ほんとにビックリするほど同じ質問を私に投げかけてきます。その質問は何だと思われますか?それでは2階席の一番前の男性、はい、あなた(笑)。2階席も指しちゃうぞ(笑)。…(間)…(男性)「ヒントありますか?」ヒント?(爆笑)。すごいですね、攻撃は最大の防御なり(爆笑)。ヒントはですね、今のこの社会情勢を見事に反映している質問です。そして、女の子には一度も聞かれたことのない質問です。どうぞ(笑)5・4・3・2・1…どうぞ!(…間…答えない)降参だそうです(笑)。どなたかおわかりになる方?聞いてみましょうか、はいそちらの方?「日朝関係」?はい、ちょっと関係があります。具体的にどういう質問でしょうか。前の方に聞いてみましょう。「北朝鮮か、大韓民国か」あ、「あなたは北朝鮮か大韓民国のどちらか」ということ?どっちだと思いますか?国籍は韓国です。
私に投げかけられる質問は見事にどこの学校でも同じでした。この質問以外はほとんど投げかけられませんでした。「辛さん、日本が好きですか?」(会場からあ~そうかという声)。この裏にあるものはなにか。外国籍住民ですね。どう見ても日本人じゃない名前ですよね。よそ者ですよ、。「からしよしたま」とは読んでくれません(笑)。彼らは人生始まって以来、こんなにえばってる女見たことないんですよ。あちこちの進学校、偏差値の高い高校に行っていて、競走に勝ち抜いて、男としてのプライドを持っている。「よそ者の女が自分たちの学校に来て、偉そうなことを言ってるよ。あんた、日本が好きですか?。好きだったら文句言うなよ、嫌いなら出て行けよ」(会場からそうそうそうの声)。
これは嫁に対してずっと言われてきたことですね。例えば、嫁さんが「今日私ちょっと男女共同参画の会議に行ってくる」とかいうと「あんた、そんなところで知恵つけて!」。それからね、ちょっと地域活動なんかすると、「そんなことやるんなら、でてけ!」って言うでしょう?つまり、「ここに居させてもらいたいなら家の家風に従えよ、そうでなかったら出て行け」こういうことは日本の社会にずっとあった、いえ、儒教社会にずっとあったことです。それをそのままこちらに押し付けているんです。
子どもでもお客さんでございますから、お客様と向きあって、ちゃんと言うんです。「それでは、お伺いいたします。(たたみかけるように)あなたが言っている日本とは、政治ですか、経済ですか、文化ですか…」(爆笑)。そしたら向こうは「う~」ってうなって黙ってしまう。そしたら次に聞いてくるのは「日本人は好きですか?」。私はプロのインストラクターですから、もちろんそのお客様も大切にちゃんと向き合います。「それでは、お伺いいたします。あなたが言っている日本人の中にアイヌは入っていますか?あんたが言ってる日本人の中に、ウチナンチュは入っていますか?あなたの言っている日本人の中にあなたのお父さんお母さんの戸籍がちゃんと入っていますか?あなたの言っている日本人の中にハンディキャップと言う個性を持った人は入っていますか?(段々口調が低くなる)あなたの言っている日本人の中に日本国籍を取得してない人は入ってますか?あなたの言っている日本人の中にセクシュアルマイノリティは入っていますか?百歩下がって、あんたの言ってる日本人の中に女ははいってんのか?」(爆笑・拍手)。
そうなんです、なめてんですよ、女を。その中で何人かがこう言ってくるんです。「辛さん、日本と韓国が戦争になったらどっちにつきますか?」。「それではお伺いいたします。日本と韓国が戦争になったら、私はどっちにつくと思いますか?」(爆笑)。この質問は男子校からかけられたんですが、おもしろいから、逆に聞いてみたんです。女子高と共学ではだいたい1割が韓国、1割が日本、8割が判らない、これが女子高・共学での回答です。この間行った男子校の回答、男子校はほとんど数値がぶれません。7割が韓国、2割が日本、1割が判らない。つまり男の子というのは10代で国家を背負うんです。そういう質問の方が男らしくてでかくてりっぱな質問だと思ってるんです。その時私はこう答えます。「もし戦争になったら、一番先に殺されるのは私です(会場静まる)。韓国に行っても殺される、日本にいても殺される。もちろん北朝鮮に行っても殺される。それが戦争でしょ?」。異端を排除する、色の違うものを排除する、そういうことに賛成しない人を排除する、そして戦争の足手まといになるものを排除する。もっと言えば、人殺しを手伝わないものを排除する、人殺しに反対するものは殺される。私が味方じゃないかも知れないと疑われた瞬間に殺される。これが戦争でしょ?「あんたたちに聞きたい、この中で1時間でもいいから、自分のじいちゃんやばあちゃんにどんな青春時代を送ってきたの?何を食べたの?どういう本を読んだの?そのときは何になりたかったの?隣りの人とどんな会話をしたの?何でもいい、1時間でいいから聞いたことあるのか?」って聞いたんです。私が講演しているところ、1時間でいいからじいちゃんやばあちゃんと話したことがあると言った子どもに今まで会ったことがない。たくさんいると思いますよ、でもそういう質問をかけてくる、そういう学校においては少なくともそういう子はいない。もうあの世代から、国威国家を背負います。
なぜ?それが男として育てられているから、なんです。あなたたちは生まれたときから名前の付けられ方が違います。男の子は強くてたくましくて、そして雄大な名前を付けられます。女の子は愛らしくて美しくて可憐な名前が付けられます。男で「」、女で「」はいない(爆笑)。生れ落ちたし瞬間からそういったものが違います。そして、もらえるおもちゃが違います。マジンガーZとかね。サッカーのボールとかバットとか。女の子はお花であったり、リカちゃん人形だったり、与えられるものが違います。幼稚園に入ると、女の子は赤いかばん、男の子は青いかばん。そのうち色のついたものは男の子から奪い取られます。だって、男がカラフルなものを着てると恥ずかしいって。小学校に入ると、男の子のあいうえお順で呼ばれ、次に女の子があいうえお順で呼ばれます。一番に男、二番に女。小学校でPTA頑張るのはお母さんです。でも、PTA会長お父さんです。自治会頑張るのお母さんです、でも自治会長はお父さんです。小学校の先生は女の先生が多い、でも校長先生は男です。それから、中学校に行くと女の先生は4割くらい、高校に行くと女の先生は2割、そして大学に行くと女の先生はほとんどいません。高等学府に行けば行くほど女が少なくなる。女がバカで男が利口だと無意識のうちに学んで行きます。
校庭でマラソン大会をやる、男は8キロ、女が4キロ、なんなんだ?(笑)。この間はおもしろかった、ある地域で給食のパンが男の子の方が2枚多い(笑)。私みたいにでかいのはどうなっちゃうんだ(爆笑)。おうちに帰ればどうですか、おとうさんの茶碗はでかくてお母さんの茶碗は小さい、両方ともお茶が好きなのに、じいちゃんの湯飲みはでかくてばあちゃんの湯飲みはちっちゃい。還暦になりました、じいちゃんとばあちゃんに何かプレゼントをといって、二人にペアウォッチと。両方とも目が遠いのにじいちゃんの文字盤はでかくて、ばあちゃんのはちっちゃい(爆笑)。そんなことが延々と繰り返されるわけです。
この間研修に行ったんです。私は酒を飲むんです。ビールから始まっていろんなお酒を飲みます。人に招待された時はなるべく1種類にしようと思ってますが(笑)、自分で飲むときは焼酎とかいろんなのを飲みます。この間うちの研修で、私のほかに男性スタッフが7人いました。たまたま女は私ひとり。おもしろかったですよ、私は酒飲みますが、スタッフは下戸なんです(爆笑)。一番最初にビールから始まって赤ワイン、白ワイン、冷酒がいいや、最後にウイスキーなんて。スタッフはジュースにコーラにジュースにウーロン茶で、最後にコーラとか(笑)。(オーダーすると)必ず私のところにジュースがきます。男のスタッフの方に酒が行くわけです。そこまではいいんです。朝、毎朝、朝食取るじゃないですか。お座敷に○○会社ご一行様とか書いてあって、一人ずつお膳が置いてある。そこに座るわけです。月曜日はここに座ろうかな、火曜はあっちにしようかなとかね、あちこち座る位置を変える。どこの席に座っても私のところにおひつが来る!(爆笑)。いやだって言ってもついてくる、あっちへ押しやってもついてくる。女が給仕をすると当たり前のように思っている。そういうことが無意識のうちに社会で繰り返される。
その研修の帰りに、途中で高速でトイレ休憩に入ったんですよ。高速道路のトイレって行ったことあります?男のトイレの標識に男の絵が描いてあって、女の方のトイレは女の人の絵のよこにガキが一人ついている(爆笑)。あたしは頭に来て、子どもの便所はみんな女がやらなきゃいけないのか、って!たまたまそのときは研修でマジックを持ってましたので、これじゃイカンと思って男の標識にガキの絵を描いた(爆笑・拍手)。そしたらスタッフが「辛さんやめてください、公共器物破損罪になります!辛さんは日本人じゃないから罪が重い!」(爆笑)。「こんなもん、だまってられるか!」って(爆笑)。
どっちにしても私たちは社会の中でいろんなものを知らない間に着せられているわけです。これは差別です。だけどね、私を含め、男の子を虐待してるという意識が抜け落ちていると思うんです。男の子は生れ落ちた時から、ずっと言われることがあるんです。「負けるな、泣くな、やりかえせ」(笑)。いつも負けちゃいけません。いつも競争で勝ってなくてはいけない。勝って勝って勝って勝ちつづけなければ男じゃないわけです。そして何かしくじったり、何かちょっと辛いことがあっても、男の子は泣くことは許されません。「あんた男の子でしょ、しっかりしなさい」「うじうじしちゃだめ、めそめそしちゃだめ」「ぐっとこらえて、じっとがまんして、堪えて堪えて、ずっと耐えて!踏まれても踏まれても、玄関マットのように耐えて!」(笑)。そうしなきゃいけないと育つわけです。
必ず言われます「やりかえせ」。どんなことがあってもやり返せ。やり返す時は「死ぬ気でやりかえせ」といわれます。死ぬほど頑張らないと許してもらえない。私たちの社会はどんなことがあっても誰一人勝つことができません。勝てないからこそ、地球は成り立つのです。にもかかわらず、いつも勝て勝て…。そして、泣くという作業は、なんといいうかものすごく大きな癒しの作業です。医学的なことは専門家にお聞きください。少なくとも泣いたりとか感情表現したりとかいうことは、人間の緊張を解くことです。やり返せ、やり返せ、いつでもどこでもやり返す。そしてやり返せなかったらどうなりますか?男社会から排除されるんです。「負けるな、泣くな、やりかえせ」って言われて一生懸命生きてきた子たち。小中高校、いじめで自殺するのは大半が男の子です。だってそうでしょう、いじめられたら、勝たなきゃいけない。それを家族には決して言えない。自分がいじめられているなんて死んでもいえません。引きこもりになる子の大半は女です。命の電話にかかってくるのはほとんどが女の子です。17歳18歳の子ども達が壊れていく。この間会った大学の先生はデータでいくと2年前から男の平均寿命が縮まった。どうして?過労死自殺、リストラ自殺です。死因の第2位に自殺が入ってきました。男が全世代に渡って壊れ始めています。男って虐待を受けても我慢することを強いられるわけです。
一番解りやすいのが体育会。先輩に(張り手)バシッとやられて「(直立不動の姿勢で元気よく)気合が入りました、どうもありがとうございました」(笑)。バシッとやられるのはね、虐待であり、加害ですよ。加害を受けてありがとうございましたって言わなきゃいけない文化がそこに根付いてます。それにね、女も男の子は傷つかないって思ってるから、男の子が中学校とかでちょっと怪我したり血が出ても、男の子だからほっとくんです。男の子はそれくらいしょうがないわよね…。そうやって暴力の世界にそのまま置き去りにされます。女の子が怪我してびぇ~って泣くと、かわいそかわいそってすりすりする。男の子は我慢しなさい、これって虐待です。
この間TVをみてたら、リバイバルで「青春とはなんだ」をやってました。ワンシーンだけでしたが、覚えている方もいるでしょうか。とても不良のラグビー部がいつも馬鹿にされている学校との試合でコロ負けした。みんな悔しいって大泣きに泣いてると、熱血先生が「よし、みんな歯をくいしばれ」って言って、ポンポンポンと一人づつ殴る。殴り終わった瞬間に、生徒たちが「先生っ!」って抱きつく。バカかこいつらって思いません?(爆笑)。なんというおぞましい、殴られたり虐待を受け、加害をうけて、ありがとうと言ってしまう精神構造が、いかに壊れて、いかにおかしいかと解ってない。でもそれは、男だからと言って、そこにわれわれはずっと押し付けてきていたんです。
この間TVを見てたら、有事法制とかの話でしたが、女性のジャーナリストが「私はもう恐くてなりません、日本が攻められたらどうしたらいいんですか。私は恐くて恐くて、だから自衛隊の人にはがんばってもらわないと」おまえが行けよって(爆笑)。不愉快、大変失礼だよね、というのはここには2つの大きな間違いがあります。ひとつは男の命は女より軽い、だから女を守るために男が命をなげうっても当たり前だと思っている。もうひとつは、男は人を殴ったり殺したりしても傷つかないと思っている。これは人間に関する無知です。とんでもないです。私はこういうの大嫌いです。
一番解りやすい話をひとつしましょう。1年ぐらい前におきた、新宿の歌舞伎町の雑居ビル火災1はご存知ですか?44人の人が亡くなりました。あそこに今も花束が供えられつづけています。あのビル入口ね、この半分くらいしかないんですよ(60cmぐらい)。すっごく狭い、人が一人入れる、通りすぎるのはちょっと難しいかなって、とっても小さなところです。そこで44人が死んだんです。そこに花束が供えられている。TVで「遺族が今も…」なんて言ってたので、「あ~、取材してないな」と思った。だってあそこで亡くなった方の大半は東京に住んでいた人じゃない。私が知る限り、あそこに花を置いたのは、全員じゃないけど、知っている限り、あれは新宿消防署の職員です。あの時、現実に自分が立ち上って目の前で、自分の手の中で人が死ぬんです。そして自分はそれを助けられないんですよ。あの中の半分以上の人がその後現場に行った時に気分が悪くなったそうです。仕事がちゃんとできないと訴えてる。それは人が死んだ時に、あんたは男だから、あんたは消防隊員だからと、次もちゃんと仕事ができるでしょうと周囲もわれわれも思い込んでいるわけです。そうじゃない?いつもそれを忘れ去られて、男は虐待の中をずっと生きている。そしてひたすら一家を背負い、語ることを許されない。
17年間、私は会社経営をやっています。そうしますと17年前に新入社員研修をした社員は今課長クラスになっているわけです。「こいつは出世するな」と思う課長クラスは一番先にわかる。今はそういうことはないんですが、当時はこういうことがあった。例えば上司が「おい、あれはどうした?」というと「あれ」を3つぐらいの中から「これだ」と当てられるという霊媒師のような奴が出世した(爆笑)。「あれってなんですか?」なんて聞いたら、「何も解ってない」って言われちゃうわけです。卑近な例でいいますと、ある役人の「けんちゃん」がいて、そこへ中央から役人が来る、その役人が「最近ゴルフやってないなぁ」というと、けんちゃんは「あぁ、そうか」と青森カントリークラブに走る、これはなかなかいい役人になった。ところが「最近ゴルフやってないなぁ」と言った瞬間に「それじゃ、身体なまっちゃいますね」(爆笑)、こいつは出世しない。つまり阿吽の呼吸です。そして会議の時はテーブルの上に載ったものはすべて決まっている。だから何か意見を言うと、「そんなおまえ、会議の時に意見言ってどうすんだよ」ってことになる(爆笑)。それくらい会議の時は物事が決まっている。
これは国会も一緒です。国対政治2と言って「国会の中でバンバン議論すればいいのに」って思っていても、そのときには決まっている。それを支えているのが談合社会です。談合社会と言うのは成功なんかしなくていい社会、失敗さえしなければいいんです。だからいつも過去の繰り返しです。「去年はこうだった、おととしはこうだった」と。いつでもどこでも過去の繰り返し、そして何かあったら「そんなことは前例がない」というんです。前例がないからいつも新しいことができない。そういう風に必至にふんばって必至に頑張ってきた。なぜそうしたのか?男でなければ賃金が上がらなかった、男でなければ一家を支えられなかった、男が唯一稼ぎ手だったからです。
男が能力があるとかという問題ではない、男だということで賃金が上がる。男の賃金100に対して女は、どうですか?平均で60です。これは正社員の賃金です。女は正社員なんかになれませんから。なれたとしてもそのままずっと正社員で昇進昇格があるのかと言うと、今まではなかった。ほとんどがパート・アルバイトです。男100に対して、パートの女、女ばかりじゃないですが、パートアルバイトの賃金は50です。これは男のパートも入った数字です。男パートを抜いて女だけのパートですと、約40。ところが女は家事や育児がありますね。生きてる時間必至に働いたとしても男100に対して女の賃金は5~10です。それじゃ生活できない。そこで「おまえいったい誰に食わせてもらってんだ」ということになるのです。そんな風にしてずっと女は自分の能力に見合う賃金を得ることも、社会に出ることも許されませんでした。
死ぬ気で働いて、朝から晩まで働いて家事も育児もせず、夫婦の会話さえない状態の中でただひたすら働いて、いざ気がついてみたら、定年になって離婚を突きつけられる。そして夫が言うのです「いったい、俺が何をしたんだ」「あんたが何もしないからよ」(笑)。つまり働いてさえいれば、金を稼いでさえいれば、少なくとも男のポジションは守れた。ところがその社会が今劇的に変化しています。ものすごいリストラの嵐。すごいですよ、この間私の知っているある銀行で350人がリストラにあいました。友人が「日本の社会は俺が動かしているんだ」って言っていたのが、リストラされて「(媚びるように)辛さん、どこか紹介して」って。別の業界でも300人のリストラがあって、私の友人の女性、彼女はリストラされた瞬間に「あ、これで北海道に1週間旅行に行こう」「失業保険で遊ぼう」とか(笑)、非常にたくましく生きてる。
つまり、今は信じていたものがガラガラと崩れていく。なぜ?それは嘘だったからです。もう持たない構造なんですね。私が知る限り、ほんとに能力がある友人は、少なくとも私は見たことがない。なぜ?簡単ですよ。採用する時に能力をはかって入れてます?嘘ですよ。今だって採用100人あったら90人は女が点数がいいんです。だけども、実際にふたを開けたら居るのは男です。男にはゲタをはかせるんだ。学閥とか地縁血縁で入れていくわけです。要するに人間関係で採用します。人間関係で採用して、切るときになって突然能力がはかれるか?嘘ですよ。切る担当者も順送り人事ですからね、「明日から、おまえこれの(首を切るしぐさ)担当になれ」といわれるだけ。人を見る能力があるわけじゃない。だから誰から切るか、パートであり、俺に逆らわない奴から切る。これが日本のリストラです。本当に能力をはかると言うのであれば、経営トップの能力がはかられなければならない。それはまったくはかられえないまま、いつでも下から切られる。
そうするといろんなものが壊れていく。信じてたものがガラガラ壊れる。そして家に帰ってくると、居場所がない。だって、生活をデザインする力がないんですから。家のことをやる力もない、会話する力もない、男からこの社会が奪ったからです。男は無口でなければならない、沈黙は金、男は黙ってサッポロビール(笑)。ぐっと耐えじっと耐え、ただひたすら走りぬく。そういうことが美しいとしてきた。そうやって男の人たちを壊してきました。それは虐待といいます。どうしてお父さんはそんな生き方を強いられたの?それは簡単ですよね。男の価値は金だったからです。東大を出た人がなぜいいか、そりゃね、東大でてれば食いっぱぐれがないわけです。金以外の価値は男に求められたことはないんです。あんたの価値は金、それ以外の価値はない。そのひとつしかない価値を剥奪されたんです、それが今の社会です。デフレ社会というのは男から最後の生きる道すら奪ったのです。その抑圧された男たちはどこへ向かっているのか?行き場がないんです。例えば、男は一番でなければいけない、男は勝たなきゃいけない、でも社会に出たら負けますよ。家に帰ってきたら、女房にまで馬鹿にされたくないって思う。で、文句をいう女房を殴る、女房は子どもを殴る、子どもは犬を殴る(笑)。弱いほう弱いほうへと向かって行きます。それがDVであり児童虐待です。
社会全体がものすごく大きく変わった。かつて痴漢のポスターがありましたね。「気をつけよう 甘い言葉に 暗い道」。いつでも女が気をつけないといけなかった。「夜の11時ごろ帰り痴漢にあった!」なんていうと、「あんたがそんな遅くふらふらしてるからいけないのよ」って言われるわけです。ところが今はポスターも変わりました。「痴漢は犯罪です」、男たちに言ってるわけですよ(笑)。それから、女性専用列車がある東京の京王線では「痴漢には前科がつきます」とかね、脅かし方が違う(笑)。つまりね、DVにしてもそうです、かつては夫婦ゲンカといわれた、そしてそれを我慢しなきゃいけないのはいつも女だった。「昨日亭主に殴られた」「あんたの口の利き方が悪かったんじゃないの」って。でもね今は違います。去年の12月から時代が大きく変わりました。DV、夫・恋人からの暴力は犯罪になりました。これが理解できない方が男社会にはいらっしゃいます。例えば、セクシャルハラスメント。おもしろいです。セクハラと訴えられた男の人は共通してこういいます「俺は運が悪かった」と思っている。「なぜ」って聞いたら、「去年おなじことしてたのに、今年になったら訴えられた」(爆笑)。「去年も今年も俺は変わってないぞ」「あんたが変わってなくても、相手が変わったらあんたも変わんなきゃいけないの」。関係性が理解できないわけです(個人的に笑)。女が何か訴えるのは口答えであって、それは馬や牛が話してる以上に男には理解できない(爆笑)。男が女に訴えられるなんて国辱ものです、許しがたいとか思うわけです。ですから、これから抑圧された男の人たちからバッシングを皆さんが受けるのかと思うと、(腕で涙をぬぐうしぐさ)(爆笑)。でも、ここの人たちは大丈夫かな(爆笑)。
社会が大きく変わりました。そして国際社会も大きく変わってきている。今日はテーマに「平和」ということなので、そっちの話もさせていただきたいと思います。この社会の劇的な変化はどこに起因するのか。ちょっと憲法の話をさせていただきます。これが憲法上が望んだ世界なのではないかと思います。憲法9条というのは武力を放棄しようと言ってるでしょ。あれ違いますよ、口だけで国を守れと言ったんです(個人的に笑)。例えば女房をたたいた男の人が「あんたなんで叩くのよ」「あそこまで言われたら叩くしかないんだよ」、とんでもない。言われたらちゃんと言い返す、議論をつくす。何かあったら、こぶしを出す、これは最も腐った男のなれのはてです。腐った国家のなれの果てが軍事力を行使する社会です(パラパラと拍手がわき、増える)愛があれば、相手に対する思いやりがあれば軍事力は行使しない。今私たちの周りではいろんな状況が起きています。例えば、拉致3。非常に悲しい事件です。今から拉致事件をどう見るのか、私たちの生きてるこの社会、日朝関係、東アジアというのはどういう風に見ていけばいいのか。それを少しお話させていただきたい。
先に申しあげます。私はいろんなところでお話させていただきますが、いつも不思議な現象にあいます。ちょっと勉強した子が「辛さん、日本は本当にアジアで悪いことをしました。そんな日本人ばかりじゃないんです。日本人を代表して、誤りたいと思います」。聞くんです「あんたに聞きたい。あんたは泥棒したの?あんたは殴ったの?あんたが強姦したの?あんたは人を殺したの?」「いえ、僕はやってません」「やってなかったら私に謝るな。今を生きる私たちはお互いに謝ることが勝負ではない。なぜなら、あなたが謝れば本当の加害者が逃げる。そして、私は被害者ではない。被害者でない人間に謝るんでは、本当の被害者は救われませんよ。この代理人の関係を止めることが最も大事な社会づくりなんですよ」といいます。「あんたと私にとって一番大事なことは何か。早く加害者を探し出して、処罰し、いまだに続くその被害の実態をしり、被害者を救済することです。今を生きる私たちは加害者を野放しにしていることには責任がある、しかし加害者がやったことに対しては責任はない。明確に分けるべきだ。」
拉致の事件のお話です。私は在日の、自分では朝鮮人といいます。国籍は韓国です。日本で生まれて3代続いておりますので、父母は日本語しかわかりません。私の会社ができて
この数十年間中で、拉致問題が一番取りざたされてます。すごいですよ、嫌がらせ、抗議。私の知ってる人の名前で脅迫が送られてきたり・・。だけどね、私が「今ここに在る」のはなぜなんだろう、それは植民地という国家による拉致があったんです。それで私はここにいることになった。そしてそんな私が国というものは決して人を守らないんだなと感じたのは今から約20年前の、金大中拉致事件4です。当時民主化を唱えていた韓国の金大中、彼が日本で韓国の軍独裁政権から拉致をされました。同じころ、西ドイツでは尹伊桑さんという音楽家5がやっぱり韓国の軍事独裁政権から拉致されました。
その時、西ドイツ政府が取った行動というのは、こういう形でした。「うちの客人に何するんだ!とんでもないことだ!国交を断絶する!」って言ったんです。そして、西ドイツ政府は客人である尹伊桑さんをちゃんと西ドイツに連れ戻しました。ところが日本は違いました。そのまま金大中を英雄にし、そして主権を侵害されても何もしませんでした。私はそのときに子どもながら、「うわ~、この国は絶対に私を守らない」と思いました。ちなみに旧植民地出身者で今私のような在日は6世まで生まれています。この6世に対して、二重国籍も認めず、なおかつ生地主義6も認めないのは国際社会の中で日本だけです。国連の人種差別撤廃条約7をふくめてあらゆるところから何十年にもわたって勧告8を受けてます。それでも一向に動こうとしない。そしておまえは朝鮮人だということで排除し、その権利を奪ってきました。私たちはその日震えました。
日本の差別がきつい中、韓国は在日をスパイ扱いしました。その弾圧はとても激しかった。そのときにふと、キラキラと輝いて見えたのが北朝鮮だったんです。1959年から約十万人の朝鮮人が、6000人の日本国籍を持った女性と子供たちを連れて、北の大地に向かいました。行った人たちのそのほとんどが日本生まれで、ふるさとは韓国です。私のじいちゃんも、いとこもおじも何名も行きました。少なくとも私の身内がいつどこで死んだかはっきりしません。一緒に帰ったおじは、自分の父親、私のおじいちゃんにどこに住むのかも知らされてませんでした。在日は40年も前からあの国の状態がどういう状態か知っていました。そしてこ(日本)社会は朝鮮人を受け入れてくれないという思いがあるから、その(北朝鮮)組織から出ることはできなかった。組織に対して異議申し立てできないから、何をしたか。なけなしの金でひたすら北朝鮮にせめて命だけはと、たくさんの方がものを送りました。
私は小さい時に朝鮮語が読めました。がね。今はわかりません。私はばあちゃんに預けられていたんですが、ばあちゃんのところにいろんな朝鮮人のばあちゃんが来るんです。北朝鮮からの手紙を持って。その手紙を見ると、最初の1ページは社会主義国家はすばらしい、幸せに暮らしてますと書いてあるんです。違うのはその下の物資の無心です。ネッカチーフが300枚、セイコーの時計が60何個、時代によって求められてくる品物が違います。1行1行読んでいると字を読めないおばあちゃんたちが、「そうか」って聞いてるわけです。私の嫌いなばあちゃんもいるわけです。すんげぇ嫌みなばあちゃんがいて、そのばあちゃんは手紙を読んでもらう時に限って、グリコのおまけのついたお菓子を持ってくる(笑)。そうすると、それをちらつかせながら、私に手紙を読めと言う。このおばあちゃんのはお菓子をもらってもヤダって思うんですが、ま、読むわけです。そすると読み終わったらばあちゃんがお菓子くれるかなって思うとそのまま帰っちゃう(笑)。しかもうちの仏壇のお菓子まで持っていっちゃう。ほんとに嫌なばあちゃんだって思って、でもそのばあちゃんも何回もきます。「この間読んでもらった手紙の、サッカリンは50袋って聞いたけどそれでいいか?」とかね、「ネッカチーフは100枚といったけど合ってるか?」数字の確認にきます。そういうことが何度も続いて。あのおばあちゃんたち、人のものを盗んでまで、意地汚いと言われても、一生懸命ものを送った、家族のために。
私のところにも北朝鮮に最後に渡ったおじからずっと手紙が来てました。「何とかおまえに総連の仕事をしてもらいたい。」と。そうすれば政府のためになる。具体的に言えば調達具合が違う。日本から行った女性たち、その子供たちのことを考えれば日本政府はもっといろんな交渉ができたはずです。もっと早い段階で。それから日本の親族とかは、朝鮮人と結婚したというと、一家から消したんです。そういう、日本から物資の調達ができなかった人たちがどういう生活をしたかということは、目に見えて解ってました。でもね、私は途中でね、もう送らなくなったんです。疲れた。当時の私はそんなに稼げなかった。父も母も疲れている、家の生活さえ苦しいのにそこからまた金を切り詰めて自分の父でもない、母でもない、小さな時は一緒に暮らしたけど、ものを送りつづけることはできなかった。自分でこう思うんです。おじさんたちは自分の意志で行ったんじゃないか。朝鮮の人たちは自分たちの力でその社会を変えなくちゃいけないんだ。甘えてるんだ。日本の人は皆苦しいけどがんばってるんだと。自分で都合のいいように、理由付けをするんです。最後におじさんからきた手紙には、血でね、血を朱肉代わりにして指紋が押してあったですね。それから手紙が来なくなって1年くらいしたら、おじが死んだと知らされました。私はその時「よかった」って思ったんです。支えきれなかった、ほっとしました。
在日60万人の中で10万人帰ったと言うことは、ひとつの家系で何人かが帰ったと言うことです。最も弱いものから、日本に居ても先がないと思った人たちから帰っていきました。最も弱いものから。大きな生き辛さがあったのかもしれません。今100万人いると言われます、帰化した人は。ほとんどみんな知ってましたよ。でもみんな声に出さなかった。
中国の領事館9で起こった事件、われわれは「そうだよね」ここの国の人たちは、要するに権力者の人たちは絶対に助けてはくれない。中国残留孤児10だってあのような扱いを受けた。そういう目で見てました。そして拉致事件が起こって、日本の方の多くは知らないけど、朝鮮人のどれだけの人が言いたかったか。日本社会はわからないと思います。国家による権力を使ったあの人権侵害・拷問の辛さと言うものを何世代にわたってわれわれは受けてきたか。この社会はそれを朝鮮人に向けるんですよ。その社会で一番痛さがわかるところに向ける。大阪にいた時に、大阪の朝鮮学校の人に「あんた今しんどいだろう」って聞いたら、「いえ、辛さん。違いますよ。今一番やられてるのは小学校ですから」。今は小学生に向けられる。
やってる人たちはどういう人たちか?普通の人です。抑圧された社会の中で息苦しさのはけ口を、「あそこに悪い奴がいるぞ」って安心して叩いている社会ができあがっている。そしてほとんどの人は何も考えない。拉致も同じように一人の人間として考えなくてはいけないと思います。
例えば軍用性奴隷のことを考えましょう。拉致監禁・強制売春。この女性たちは、彼女たちをあのようにし、植民地の下で日本帝国主義の甘い汁を吸おうとし、彼女たちを車に乗せた朝鮮人は山のようにいたんです。ところが戦争が終わった段階で、朝鮮人はいい人で、日本人はみんな悪い人って決めてしまった。国境を越えた犯罪者がいるわけです。そして国境を越えて被害者がいる。こんな時に国威国家を背負っていたら解決なんてしないです。拉致の被害者の立場になってみたらどんなことがあっても責任者を連れ出して実行犯をきちんと裁判にかけ、そしてその引渡し要求をするべきです。すべてにおいてそうすべきです。韓国も北朝鮮も植民地支配の時の、最もひどいことをした戦犯に対しては韓国の法廷できっちり裁くんです。そしてそのときに自分たちが甘い汁を吸った朝鮮人も日本人もみんな裁くんです。そして日本に対して戦犯の引渡し要求をする。それが正しいあり方だと思います。被害者は国境を越えています。加害者も国境を越えています。国民国家の中で、どの国が善い、どの国が悪いなんて考えていたらいつまでたっても代理人なんです。そんなバカなことで被害者が救えるのか?はたして処罰できるのか。できませんよね。
ですから、私は日朝国交正常化には反対なんです。なぜ?これをいうと、右翼と同じ結論になってしまうのですが(笑)。韓国の国交正常化は1965年にありました。日韓条約11。この時は経済援助として、植民地時代に甘い汁を吸った韓国政府、そして軍部に金が渡りました。そして(韓国政府は)その金を使って民主化勢力を弾圧し、(韓国国民が)自らの手で這い上がるのに又何十年もかかりました。今回の日朝交渉も、同じように犯罪者であるあの軍部に対して経済援助をしようとするんです。話にならない。本来あの人たちは、植民地被害者の代表じゃないんです。その人たちに金を渡す?どんなことがあっても人道支援はしなくちゃいけない。1997年と98年300万から400万の人たちが餓死しています。それをずっと見てみぬふりをしてきました。どんなことがあっても人道支援はしなくちゃいけない、でも、絶対に犯罪者と手は組まない。それが取るべき道と思います。
私は日朝関係と言うのは冷戦構造だと考えます。行き詰まりの結果としての象徴としての日朝関係だと思います。この視点を多くの人が忘れているかもしれません。日本と北朝鮮、これを韓国と北朝鮮の対立軸で見てしまうと間違ってしまいます。日本と北朝鮮は双子です。どうしてか?東アジアの政治の展開・経済の展開あらゆるものの展開の象徴だからです。日本は民主制を取りました。北朝鮮は社会主義という経済体制を取りました。気がついてみたら結果はどうですか。両方とも強固な世襲制を作り上げました。制度に対する世襲制ですよ。そしてそれが延々と続くという体制を作り上げました。制度に対する世襲制というのはいくらでも変えられます。ところが制度にない世襲制はまったく変えることが困難なんです。
そしてこの2つの国のもうひとつの共通点はすべての経済政策が失敗したことです。失敗した原因は何ですか?かたや軍、かたやゼネコンです。そしてこの体制を今もって変えることができない。この体制を作り上げたのは世襲制をベースにした男だけの社会です。男だけで決めて、男だけで作り上げた。世襲制の中に女は入っていません。世襲制というのはすべて直系の長男をベースにした儒教・家父長制であり、そういったものが脈々と続くわけです。世襲になったらどうですか?簡単ですよ。(国民・人民は)やりながらあきらめちゃうんですよ。どんながんばっても社長にはなれません。どんなにがんばっても天皇なんかになれません。どんなにがんばっても金日成にはなれません。そうするとあきらめと無力感です。それが社会の中に蔓延しています。これが東アジアの停滞のすべての原因です。
われわれ女は決定権の中に入ることはできない。そしてその結果として出来上がってきたものは、見事な世襲制であり、儒教であり、そしてそれは天皇制であるわけです。今政治家の中で二世でないのはどれだけありますか?今、大幹部で二世でないのはどれだけいますか?そうでなければ、もう生きていけないそういう社会を作り上げてしまったのです。これに一緒になって手をつないだのがアメリカです。ブッシュJrですね。あの人どうですか?必ず武力で解決しようとします。これ3つあわせると現代の椿事です。お父さんに誉めらたいと思って一生懸命ピストルを振り回しているガキと、先代よりでかいことやりたいと能力もないのにふんばっている若旦那と(笑)、親父の遺産だけで食ってのめるだけ飲もうとしているぼんくらですよ(笑)。
この3つが集まって新しい時代が作れるのか?そしてこの3つが冷戦構造の象徴でもあるわけです。冷戦構造って何ですか?アメリカを中心とした世界システムでしょ?ただアメリカを中心とした世界システムって京都議定書12を見てもわかるでしょう?あらゆるもの、私たちが市民社会で作り上げていこうと思っているもの、全部これが抑圧しているわけです。いくつか例をあげましょう。情報ネットワークによるグローバルヴィレッジの構想。NGO/NPOを母体にする新しい地球市民社会構想、それから自然エネルギー利用による持続可能なエコロジー社会の構想、これらはすべてアメリカを中心とした世界システムの中で抑圧されつぶされています。アメリカを中心とした世界システムの基本は暴力装置を伴った権力抗争です。そしてこれが冷戦構造の遺物でもあるわけです。これを変えていく道はただひとつ。決定権の中に女が入る。これしかない。そして社会を、日朝関係日韓関係そしてアジアを変えていくのはまさにそこに立つことしかないわけです。
かつて韓国と北朝鮮のピョンヤンでの会談13がありました。あの時記者に聞かれたんですよ。「辛さん、おめでとうございます。ピョンヤンで金正日書記と金大中さんがであった瞬間すばらしかったですね。本当におめでとうございます。感想を」って言われた瞬間に「なにおめでたいんだ」って。「辛さん、あの映像を見てどう思いましたか?」「二人ともデブだと思いました」(爆笑)。デブって差別用語ですね。私太っていることは決して悪いことだと思っていません。太っているのは体に悪いだけですから。何の問題もないですね。でもね、指導者で権力を握っているものは、人民がやせ細っているのに指導者が太ってるのは犯罪ですよ。あんなのとんでもないって言ったら、私の先輩が「辛さん、中年になったら水でも太るんですよ」「うそ!」(爆笑)。こういう視点が大事です。
そして北朝鮮の女性の人たち、難民の人たちにインタビューしました。「この社会はおかしいと思ったわ」って言うんです。「いつ?」「1980年」「何でそのころおかしいと思ったの?」「光州事件があって、それが北朝鮮のTVで流れた、軍部はこんなに民衆を圧迫してますって、流れた」って言うんですね。「何であれを見て変だと思ったの?」「だって、辛さん。学生たちがすごくいい服を着ていました」。つまりね、私たち生活者の視点に立ったとき、うそが全部透けて見える。今必要なのは男の感覚に一緒になることではない、そうではなくて、今私たちが生き抜いていくためにどういう風にしなければいけないのか。それは私たちが決定権の中に入っていくことです。そのひとつが男女共同参画です。そして均等法であり、DVの法律であり、ストーカー規制法です。すべてにおいて、女の人たちに今までとは違う社会に入っていくとしたものは、同時に男の人たちを今の奴隷制度から開放するものでした。おまえたちはもう虐待の中で生きなくていいんだよ。男はこれからもっと豊かな金以外の生き方があるんだよ、もう暴力の世界に行く必要はないんだよ。そして戦後唯一男を解放した法律として私たちの手元に届きました。ぜひ多くの人たちとともに進んでいきたいと思います。今日は長い間ありがとうございました。
注
1 新宿・雑居ビル火災 利益至上、防災の壁に (毎日新聞 2001年9月3日朝刊)
44人の犠牲者を出した東京都新宿区歌舞伎町のビル火災は、「ペンシルビル」と呼ばれる小型雑居ビル火災の恐ろしさを改めて見せつけた。地価が高騰した80年代から90年代にかけて、都市部に急増したペンシルビル。階段が一つしかない煙突のような構造のため、火災が起きたら逃げ遅れて惨事につながる危険性が高い。しかし、テナントの入れ替わりも頻繁で、行政による実態把握や指導は後手に回ってきた。利益のために安全を無視する業者の存在も、繁華街の防災対策を妨げる壁になっている。
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(参考)被害にあったビルの4階は”飲食店”と新聞には書いてあるものの、この店、「スーパールーズ」という名前の、風俗店。死亡者は、風俗に行っていて被害にあったと想像された。2日の日刊スポーツ社会欄で、被害者の妻のコメント、「仕事にいっていると思ってたのに」。多分、被害者の夫は、遊びにいくとは言えずに、「残業で今日は泊まっていくよ」とでも伝えていたのか。妻は、夫の死のショックに加えて、騙されていたことに対するショック受けていた様子であると伝えている。事件の一報のあと、死者の確認がすすんでも氏名が公表されないまま報道がされ、「飲食店」と思っていた人にまで、名前の公表が憚れる場との想像を生んだ。また、女性の死亡者も匿名にされたことを指摘するフェミニストもいた。「どうしてその職業を遺族が恥じねばならないのか」と。
2 どの法案を、いつ審議するかは議院運営委員会という正規の常任委員会で決めることになっているが、実際には、実質的な協議は理事会で決着される。また、小会派の参加を排除するために、理事懇談会の形式で協議を行うことも少なくない。さらに、各党の国会対策委員会(国対)間の協議で国会の議事運営が事実上決定されることが多い。これが「国対」政治である。「国対」政治の問題は、議院外の密室での取引によって交渉が行われていることであり、また、「国対」政治では法案を通すか、通さないかということばかりが重要で、法案の中味の議論がおざなりになってしまっている。
3 北朝鮮拉致疑惑
政府は1997年5月1日、参院決算委員会での答弁で、北朝鮮に拉致(らち)された疑いがある邦人が「7件10人」に上るとの認識を示した。内訳は、77年に新潟市で行方不明になった横田めぐみさん(当時13歳)のほか、同年から翌年にかけて北陸や九州で行方不明になった3組のカップルを含む7人、80年に宮崎市で消息を絶った大阪在住の男性、87年の大韓航空機事件の犯人金賢姫の自供で明らかになった日本人化教育係の「李恩恵」。 日本政府の問い合わせに対し、北朝鮮の朝鮮赤十字会中央委員会は98年6月、10人は北朝鮮国内に存在しないと回答してきた。
4 1973年8月8日、来日中の韓国の元大統領候補・金大日(キム・デジュン)氏が何者かによりホテルから拉致され、5日後、韓国の自宅前で発見された。当時韓国は朴正煕(パク・チュンヒ)の事実上の独裁政権の下。金氏は戒厳令が施行されている国内を避けて日本とアメリカを舞台に民主化運動を行っていた。現場に在日韓国大使館の金東雲一等書記官(事件後解雇・その後行方不明)の指紋が残されていたことから、事件はKCIA(韓国中央情報部)によるものと思われたが、韓国政府はこれは韓国国内の問題であるとして日本の捜査当局からの調査依頼を一切拒否。同年11月2日金鍾泌首相が来日して日本の田中首相と会談。日本と韓国の政府間で、金大中氏の今後の身の安全を韓国政府が保証することを条件に、これ以上の事件究明は行わないという政治決着が行われた。
5 南朝鮮で社会の民主化と平和統一の機運が胎動していた1967年に「安企部」の前身である「韓国中央情報部」(KCIA)によって繰り広げられたのが、「南朝鮮赤化工作団事件」である。この事件で著名な音楽家、尹伊桑氏をはじめ数10人の海外僑胞が西ドイツ、フランス、イタリアなど西欧諸国から拉致されて南朝鮮に連行され、多くの人々が処刑された。
6 国籍の取得は、血統主義と生地主義の2つの制度により決められる。血統主義は父系血統主義と父母両系血統主義に分かれ、前者は父親がその国の国籍を持っていれば子供に同じ国籍が付与されるというもの。後者は父または母のいずれかがその国の国籍を持っていれば子供にも国籍が引き継がれるというもの。日本は父母両系血統主義を取っている。またアメリカや南米の多くの国のように、生地主義を取る所もある。これは父母の国籍によらずその国内で出生した場合に国籍が付与される制度である。また併用主義を採用している所もあり、例えば、血統主義を取っている国も例外的に生地主義を採用したり、生地主義を取っている国も部分的に血統主義を取ることがある。
7 人種差別撤廃の重要性、差別撤廃への最低基準を示した国際人権条約で、正式名称は「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する条約」。国連で1965年に採択され、69年に発効した。日本の外務省によると、締約国は昨年9月末現在で156ヵ国。日本は95年に加入している。 同条約は人種差別を、「人種、皮膚の色、門地(家柄)または民族もしくは種族的出身に基づくあらゆる区別、除外、制約または優先であって…人権および基本的人権を認識し、享有しまたは行使することを妨げまたは害する効果を有するもの」と定義。日本では在日同胞や他の外国人はもちろん、部落差別、アイヌ民族や沖縄出身者への差別なども該当する。
締約国は、こうした差別を撤廃するため、あらゆる施策を「遅滞なく」追求しなければならない。つまり同条約は国家による人種差別などを禁止しているのはもちろん、社会における差別をなくすことも国家の責務としている。そのための基本方策として、①悪質な差別行為や差別団体を法律で禁止②被害者に対する裁判所と国家機関による有効な救済②劣悪な状況に置かれている人々への特別措置④差別観念を取り除くための教育・マスメディア・文化活動の奨励③お互いの独自性を尊重し共に連帯する取り組みの奨励などの措置を取るよう求めている。
締約国は2年に1回(初回は締結から1年後)、順守状況に関する報告書を国連事務総長に提出する。人種差別撤廃条約の各締約国の条約順守状況を監視するため国連に設置された人種差別撤廃委員会はこの報告書をもとに、締約国政府代表と公開の場で議論しながら審査。審査結果をまとめた「最終所見」(最終見解、総括所見ともいう)を採択し、懸念事項について改善を勧告する。審査では各国NGOの情報も参考にされる。
8 人種差別撤廃条約の日本での順守状況を審査した国連・人種差別撤廃委員会は、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で、審査結果をまとめた「最終所見」を採択。日本政府に対し、朝鮮学校卒業生の大学受験資格差別問題、朝鮮学校などで在日同胞の子どもたちが朝鮮語で教育を受ける権利が承認されていないことへの懸念を表明し、こうした差別的取り扱いを撤廃するよう勧告した。また、(チマチョゴリ事件など)朝鮮学校児童生徒に対する暴力行為とそれに対する当局の対応が不適切であることへの懸念も表明し、政府がより断固とした措置を取るよう勧告した。国連の条約機関が朝鮮学校および同胞児童生徒への差別を是正するよう勧告したのは、1998年の子どもの権利委員会、規約人権委員会(自由権規約委員会)に続くもの。日本政府の差別の論理が世界に通じないことが改めて明らかになった形だ。
人種差別撤廃条約の各締約国政府は締結後1年以内、その後は2年に1回、条約の実施状況に関する報告書を国連事務総長に提出する。これをもとに、国連に設置された人種差別撤廃委員会が締約国政府代表と公開の場で議論しながら審査を行う。
日本政府は同条約に95年に加入したにもかかわらず、それから5年経った2000年、ようやく2回分を一括した初の報告書を提出。
ほかに、在日と直接関連するものでは、帰化申請の際に日本名が強要される現状について懸念を表明し、「個人の名前が文化的および種族的アイデンティティーの基本的な側面であることを考慮し」、防止措置を取るよう勧告した。
最終所見は、世界各国から選ばれた専門家らによる国連・人種差別撤廃委員会が「条約解釈の決定版」として正式に採択したもの。その意味は重い。これ自体に法的拘束力はないが、締約国政府には尊重する義務がある。
9 「話したい」通じぬ声 中国・瀋陽総領事館事件(時時刻刻)2002年5月10日 朝日新聞朝刊
中国遼寧省瀋陽の日本総領事館で起きた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)出身者とみられる男女5人の拘束事件は、市民団体が導き、メディアを通じて世界に「公開」された。日中韓3国にも複雑な波紋を投げかけている。身柄引き渡しと事情聴取を強く求める日本。簡単には応じそうもない中国。強制送還という最悪の事態を憂慮し、韓国は「人道的措置を」と求めている。その時、何が起きたのか。瀋陽の日本総領事館は9日、前日の模様や詳しい対応を明らかにした。現場には、ビザ担当の男性副領事1人だけが駆け付けて対応に当たり、総領事館内に入り込んだ武装警察官は5、6人だったと語った。8日午後2時ごろ、女性2人の叫び声を聞いた。男性副領事が建物から出て門の近くに駆け付けた。鉄門にしがみつき、拘束から逃れようとしていた女性の声だった。1メートルほど開いていた門のすき間を抜けて、男性2人が総領事館内に走り込み、建物内の入り口に近いビザ申請待合室に入り込んだ。門から建物まで約40メートル。副領事は建物に戻り、2人が待合室のベンチに座っているのを見たが、会話を交わす前に武装警察官5、6人が入り込み、2人を門の外にある詰め所に連れ去った。助けを求めるような発言はなかったという。 この間、約20分間。武装警察官が武器を携帯していたかどうか確認は出来なかった。副領事は追いすがりながら「領事館に来たのだから(男性らと)話をしたい」と言ったとしている。当時、総領事館内にいた日本人職員は8人。対応した副領事を除く残り7人は建物の外に出ず、北京の日本大使館などとの連絡に当たった。外出から帰った別の副領事が武装警察側に「身柄を(詰め所から)移動させないで欲しい」と申し入れたが、5人は午後3時2分、ワゴン車で連行された。女性の叫び声を聞いて集まってきた人々で、門の前には人だかりができていた。 岡崎清総領事は、中国北方航空機墜落事故のため、車で大連に向かう途中だったが、連絡を受け、午後6時ごろ総領事館に戻ったという。 瀋陽市中心部の日本総領事館周辺は9日、厳戒態勢が敷かれた。総領事館の建物の周りには約10メートルおきに武装警察官が警備に立っていた。出入り口の門には普段の倍以上の5人が、中に入ろうとする人の身分を確認。敷地外からのカメラ撮影も禁じた。日本総領事館の東側には米国総領事館も隣接しており、同様の警備態勢がとられていた。
10 残留邦人は、戦前国策により中国に入植した開拓民の家族であり、終戦前後の日本国の「満州放棄」「現地定着」政策と開拓民遺棄のため、悲惨な逃避行にさらされ、辛うじて生き残ったものの、日本政府が終戦後も早期・適切な帰国措置を取らなかったため、長年に渡り中国に放置された者である。
中国からの帰国者は、中国旅券所持者はもちろん、日本大使館から日本人に発給される渡航証明書を所持している者、戸籍に記載ある者も、法務局等で日本国籍の保有が確認されるまでは外国人として扱う、というのが法務省入国管理局の方針である。その結果、帰国に際して、外国人に必要な身元保証人をたてなければならず、外国人登録を強いられてきた。
また、厚生省は、1985年3月、中国帰国者の「身元引受人制度」を制定し、現在まで続いている。
当初は、「残留孤児」の肉親は、身元引受人として、帰国手続、帰国旅費負担、帰国後の生活等の世話すべてを行うことを建前としており、身元の判明しない孤児については、ボランティアに身元引受人として、肉親の肩代わりをさせた(帰国旅費までも負担させて問題となった)。この結果、身元引受人の受入れ体制の不備、言語・生活習慣等の違いなどのため、摩擦が絶えず、「孤児」は都会に逃げ出し、一方、肉親等身元引受人側にもその実態、問題点が知れ渡り、「身元引受」拒否、あるいは訪日調査でも名乗り出ないケースが多数生じることとなった。
11 日韓会談を経て1965年6月に調印された日韓両国の一般的国交関係を定めた日韓基本条約ほか4協定の総称。基本条約は、①両国間に外交・領事関係を開設②1910(明治43)年8月22日以前の旧条約の無効③韓国政府は朝鮮における唯一の合法的政府であることなどを定めた。
ほかに韓国漁業専管水域や両国の共同規制水域を定めた漁業関係、財産および請求権・経済協力関係、在日韓国人の法的地位・待遇関係および文化財関係の4協定。
12 97年12月に京都で開催された気候変動枠組条約第3回締約国会議では、先進国及び市場経済移行国の温室効果ガス排出の削減目的を定めた京都議定書が採択されました。この京都議定書は暖化問題に対し人類が中長期的にどのように取り組んでいくのかという道筋の第一歩が定められたものである。しかし実際に運用に至るまでは紆余曲折があった。モロッコで開かれていた気候変動枠組み条約第7回締約国会議で、運用ルールが決まった。議定書の採択から4年、難航していた交渉がようやく最終決着した。
議定書は温室効果ガスの削減目標を国ごとに決めている。各国は目標達成に際し、化石燃料の消費を減らすだけでなく、ガス排出量の取引や森林による二酸化炭素吸収などを組み合わせることができる。
運用ルールは、その場合の森林吸収分の算入限度といったことの取り決め。ルールが法的文書として採択されたことで京都議定書は完成した。各国は議定書の批准に向けて動き出すことになる。しかし米国の議定書離脱で、米国の入らない不十分な体制になるうえ、合意を優先した妥協で、森林の二酸化炭素吸収分が大きく算入されることになった。温暖化防止の効果はかなり減殺された。
京都議定書が削減義務を課しているのは先進国だけであり、目標を達成しても途上国を含めた温室効果ガスの総排出量は増える。途上国の排出量は10年後に先進国を追い越す勢いだが、今のところ途上国を排出規制に参加させるめどはたっていない。
13 「南北共同宣言」(全文)
祖国の平和的統一を念願する全同胞の崇高な意思により、大韓民国の金大中大統領と朝鮮民主主義人民共和国の金正日国防委員長は、2000年6月13日から15日までピョンヤンで歴史的に対面し、首脳会談を行った。
南北首脳は分断の歴史上初めて開かれた今回の対面と会談が、互いの理解を増進させて南北間関係を発展させ、平和統一を実現するのに重大な意義を持つと評価し、次のように宣言する。
1.南と北は国の統一問題を、その主人であるわが民族同士で互いに力を合わせ、自主的に解決していくことにした。
2.南と北は国の統一のため、南側の連合制案と北側のゆるやかな段階での連邦制案が、互いに共通性があると認め、今後、この方向で統一を志向していくことにした。
3.南と北は今年の8・15に際して、離散家族、親せきの訪問団を交換し、非転向長期囚問題を解決するなど、人道的問題を早急に解決していくことにした。
4.南と北は経済協力を通じて、民族経済を均衡的に発展させ、社会、文化、体育、保健、環境など諸般の分野での協力と交流を活性化させ、互いの信頼を固めていくことにした。
5.南と北は、以上のような合意事項を早急に実践に移すため、早い時期に当局間の対話を開催することにした。
金大中大統領は金正日国防委員長がソウルを訪問するよう丁重に招請し、金正日国防委員長は今後、適切な時期にソウルを訪問することにした。
2000年6月15日
大韓民国大統領 金大中
朝鮮民主主義人民共和国国防委員長 金正日