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真鶴

就眠儀式とでもいうか毎晩寝る前に本を読む習慣がある。

川上弘美の最新作を買った晩、うれしたのし期待感で本を持って寝床に入った、のはいいのだけど。読み始めてすぐに、いつもの川上弘美らしくないと思った、が、本の世界に引きずり込まれてしまう。夜読むにはその引き込む力が強すぎると感じ、そのまま本を閉じて寝ることにした。

就眠儀式用に持ち込む本が面白かったら、そのまま夜通しでも読めるぐらい(実際「ゆれる」は夜中までかかったけど読み終えて寝た)な自分にとってこういう判断はありえない、初めての体験。でも、判断は正しかったと思う。なぜなら、夢を見た。楽しい夢ではない。自分の心のやりどころがなく、ストレスでやせてしまったころ、胃の奥に重くて熱い塊をもって暮らしていた頃の感覚がそのままリアルによみがえったような夢。川上弘美の世界をたゆたうような夢。あまりにも引力の強い本だったのだろう。

翌日の日中に読了。登場人物に感情移入するというようなレベルでなく、引かれるままに本の世界に同化していってしまったような感覚を、読んでいる間ずっと感じていた。失うことを恐れていた頃の感覚…。失ったものが、目の前には存在しないのに、自分の中はその失ったもので一杯になっている、そのことがこの文章以外では語りえないような言葉で語られる驚き。はらはらと言葉が散っていく。川上弘美らしくない途絶えまろび転ぶような文章。心が動くさまを語るとこうなるのだ。

前作「古道具中野商店」は、ただ「好き」な本と言える。川上らしいしみじみとした感情を描いていて本当に好きな本。この「真鶴」は恐ろしい本。自分を見失い、またそこから時間をかけて回復してきた経験がある人にとっては「本」というような対象物ではない。同化するもの、思い浮かんだのはSTING/ThePoliceのsynchronicity。

Synchronicity

本の表紙として紹介されるのは一番上にある写真の「真鶴」という文字のもの。これは本のカバーで実際の本の表紙は別になる。そちらのほうがいいと思うのになぜだろう。

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