写真は「こころのはな」というアート作品。
蓮見先生いわく「『花咲き山』のイメージですよね」。山奥の集落の里山、ぶなの林の中に一面にビーズで作った花が咲いている。ビーズという人工的なテイストのものがブナ林の木漏れ日で淡い色合いをして咲いているのが息をのむほど美しい。今回の視察には北川さんのオフィスの方が道案内と作品の説明に同行して下っていた。その話によると、このビーズの花の作品は作家とその集落の住民がともに作り上げたもの。作家さんは当初20000本の花を咲かせようと思っていたらしいが、村人たちが花作りをするうちに「のってしまって」最終的には30000本の花が咲くことになったのだそうだ。
人々のちいさな力が集まって形になるというあり方を、自分はもともととても大事だと思っていたのだけど、それが実現したものがなんともいえない美しさで目の前に広がっている。この写真はひとつの例だが、他の作品も同じような経過を経て過疎の村の中に点在している。
この写真は「光の家」、家がひとつの作品となっていてしかも宿泊ができる。広い日本間の天井というか屋根部分がスライド式で開くようになっており、夕暮れから日没まではたたみに寝転んで四角く空いた天井の窓から、夕闇色に変化していく空や流れる雲を見上げる、それがアートだという。
北川さんは昔常陸太田で行われた「クリスト・アンブレラ展」のお手伝いもした、お手伝いというよりほとんど日本でのプロデューサ役をしたといっていいほど関わって下さっていた方。あのクリストアンブレラと同じで、しかも規模が数倍数十倍大きくなったイベントが大地の芸術祭だったんだ。
クリストアンブレラ展は今でも心に残っている。何の変哲もない青い傘が見慣れた田舎道に立てられたとたん、その傘越しに見える風景の意味が変わったのを本当によく覚えている。こんなに美しい風景の中に私たちは住んでいるんだとあの傘が教えてくれた。同じことが新潟の山奥で3年ごとに繰り広げられていて、今年は第3回目だという。
福井に行ったときに抱いた国文祭なんてという感覚はすっかり消えてなくなった。こういうことが2008年に茨城県でできるとしたら…。こんなすばらしい企画はない。
魔法にかかったような二日間だった。バスで移動する道沿いに、田んぼの真ん中に、商店会の空き地に点在するアート作品。いつの間にか壊れた農機具まで「あれも作品ですか」というような気分になっている。カルチャーショックってこういうことかも。
家に帰ってきてからも、会う日と会う人に大地の芸術祭の話をしまくる。すごい。芸術と地域振興の幸せなつながりを見せてもらった。