(ネタばれ含む)
コロナ騒ぎで映画館から遠ざかり、物足りない気分でいたが、やっと落ち着いたような気配の漂う中2本の映画を見た。感想は…とほほ(毎度)
浅田家
著名な賞をもらった写真集、自分も持っている。カメラや写真のいろいろを教えていただいていたころ、手にした写真集の一つ。写真の視点もだけど、この写真を撮ろうとした次男に協力した家族ってどんな家族?そんなストーリーが展開されるのだと思って選んだ映画だった。
映画が始まるとまもなく、この映画は事実に基づいたエピソードをもとに構成されている云々というクレジットがでる。何その書き方。感動実話と公式サイトにも載っているけど、そこじゃなくエピソードに基づいて構成云々のところ。どういう意味?それは見終わったら理解した。映画に芯がない、って意味ね。
浅田さんの写真は面白いし、この写真集をきっかけに家族写真を撮るようになっていったそれもとても理解できる。そのこと自体はとても意味あると思える。
東日本大震災で被災した地域で、がれきの中からアルバムを探し出し丁寧に洗って持ち主や関係者に戻そうとした取り組みも、リアルタイムでニュースで知っていたし、とても意義ある活動だと思っていた。
それらの「意味ある」「意義ある」ことごとを、ただ並べただけの映画。それらを突き通すなにがしかのメッセージがない。映画を作る人たちは、それを訴えたくて映画にするのではないのか?
それがまったく感じられないんだね。淡々とエピソードがつづられていく。「淡々と」っていう飾り言葉は、そのあとに続く文言を肯定的に感じさせるものと思ってるけど、淡々とただ並べ連ねただけなんだよなぁ、この映画。
何でこんなつくりなんだ?と思ってみてて、エンドロールになり訳が分かった。
映画を作ったのはジャニーズ事務所なんじゃん。ジャニーズの顔見世興行のために映画をつくり、金をはたいて豪華な共演者をあつめ、よさげな(泣けそうな)エピソードを並べて映画にしました、ってことか!!菅田将暉って仕事選ばないって、友達が言ってた。二枚目の無駄遣い、役者の無駄遣い。
演技派と言われそうな共演者は、役を演じながら疑問を感じなかったんだろうか?映画を撮っている撮影組のスタッフは、これを映画と言っていいのか、疑問を感じなかったんだろうか?日本の映画ってこんなつくり方を許していいんだろうか?
「罪の声」
浅田家の上映前にこの映画の予告編が流れていた。浅田家を見終わって、ため息をつきながら次は「罪の声」を見に来て口直ししなくちゃと思った。(その時は期待感いっぱい)
はい、この映画も映画じゃない。ドラマだ。よくできたミステリードラマだ。原作は読んでないけど、本だけにしておいたほうがまだよかったんじゃないだろうか、ミステリーなら許せるよ、何もメッセージが入ってなくても(ミステリー好きのかたには申し訳ない。ミステリーにも訴えるものが込められている作品多々あることは承知している)。
こっちも出演者豪華だよ。こんだけの出演者揃えてるんだから、さぞやいい作品、期待作、と思わせちゃうトリックに今回まんまと引っかかった、私。
よくできたミステリードラマ。ほかに言うべき言葉はないです。脚本、あのドラマで絶賛された人だったね、でもこれじゃなぁ。WOWOW、金出しても、ドラマ作ってるくらいがいいんじゃないか。映画の夢を壊さないでおくれ。
ただね、出演者の配役が、これはまぁぴったりで。よくもまぁこんなにぴったりな役者ばかりいたもんだ、と日本の俳優陣の層の厚さを感じたのが、唯一の救いかも。もったいない。家族にスポット充てるとか、報道の意義を突き詰める、記者の苦悩とか、いろいろメッセージの種はいっぱい転がってたのになぁ、ストーリーの中に。
原作が長いのか?原作の中から、テーマを選んで切り詰めたらよかったのか?感情移入できないことこのうえない。涙もろくなっておばさんが見てるのに…。
邦画って、ほんとに生き残れるんだろうか?