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茨城大学生涯学習講座③(2003年)

茨城大学の長〇川先生の生涯学習講座を受けた記録③

ビデオで見るジェンダー論課題
■テキスト「チャンス」

ウーピー・ゴールドバークはオヤジをめざす!~フェミニズムの系譜の中の反省

「見えない壁」「ガラスの天井」と言われる、女性の社会進出や昇進を阻むしくみについて映画は言いたかったのだろうが、学生さんたちの笑い声をききながら、同じような体験を見聞きしてきた身としては笑えない現実にやりきれなさを感じる。こんな描かれ方ではスカッとしない。そんなにうまくいくわけないし、デフォルメされた荒唐無稽な男/男社会の描かれ方には深みもリアリティを感じないし、まったくのB級映画である。またさらに、このような映画が「フェミニズム」として認識される危険性を非常に強く感じる。

フェミニズムは現在も様々な視点から検討が加えられつつある理論である。フェミニズムの系譜を丁寧にたどれば、それが発見された時からは想像もつかない地点に今あることがわかる。21世紀の私たちがめざすのは、いわゆる「男女平等」ではないのである。

この映画の主役ローレルにもっともふさわしいセリフは「It’s not fair!」ではないか。自分の立てた企画を利用し顧客との契約にこぎつけ出世していく男に対して、そしてそれらを支える男社会に向かってローレルはそう叫びたかったに違いない。多くの女性が同じ思いを抱きながらフェミニズムに出会ったはずであったが、ちょっと前までのフェミニストたちはその「unfair」な思いを男女平等という形ではらそうとした。

女性の社会進出をしやすくする環境を整えるということが、女性の能力に見合った、より高い賃金/地位/権力に結びついてしまった。それらは上野千鶴子が「オヤジ社会&オヤジ」と言って唾棄すべきものとした父権性的イデオロギーであり、倒すべき敵がたどった同じ道を女性も平等を叫びながら加わってしまったという過程がフェミニズムの系譜の中に、しかもごく近い年代に在る。

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私はフェミニズムを、ずっと弱者の思想だと思ってきた。もしフェミニズムが、女も男なみに強者になれる、という思想のことだとしたら、そんなものに興味はない。弱者が弱者のままで、それでも尊重される思想が、フェミニズムだと、私は考えてきた。
だから、フェミニズムは「やられたらやりかえせ」という道を採らない。相手から力づくで押し付けられるやり方にノーを言おうとしている者たちが、同じようにちからづくで相手に自分の言い分を通そうとすることは矛盾ではないだろうか。弱者の解放は「抑圧者に似る」ことではない。
(上野千鶴子:日本女性学会ニュース89号/朝日新聞2002年9月11日)
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映画のラスト、ローレルの秘書サリーが元上司のフランクを面接で落とす場面がある。溜飲の下がる場面だろうか?こうやって溜飲を下げることを私はよしとしない。サリーの服装の変化を見逃したくない。ローレルの秘書をしていたころはいかにも中年女性風のセーターやカーディガンをまとっていたサリーの服装に変化が現れはじめ、ついにこの場面では紺のジャケットを颯爽と着ている。やはり、この映画は「男なみ」を目指した一時代前のフェミニストたちの間違った方向を描いているように思える。

2003年7月29日提出

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