ホーム » others » 茨城大学生涯学習講座①(2002年)

茨城大学生涯学習講座①(2002年)

茨城大学の長〇川先生の生涯学習講座とか、学生さんのカリキュラムで一般公開されていたものによく出かけていて、その時の提出課題。

講座は「ビデオで見るジェンダー論」といって、先生が選んだ映画を見てから、小論文を提出するというもの。先生は出欠もとらないし、課題の提出もうるさくないので「楽な講座」と学生さんの間で代々伝わっているらしく、いつも教室は100人以上は入れそうな大きな教室。後ろの方で映画を見ていて、こりゃ楽だね、と思った。

学生時代にこんなこと考える学生なんて、どのくらいいたのかなぁ。

******
ビデオで見るジェンダー論課題

ビデオで見るジェンダー論課題
■テキスト「息子」

課題1 父親の背景にある農家の家族と息子にある近代家族における父親像について

三国連太郎演じる岩手の父は、伝統的家父長制を生きた父として描かれている。戦後日本の資本主義の急速な発展によって一つの世代の交替という短い時間の中で、家父長制の内容が変化せざるを得なかった日本のひずみがこの映画ではよく表されている。

■家父長制の父親の背負ったもの
家父長制とは男尊女卑や男性の優位性などといった個人的・個別的事象ではなく、ある種の支配の体系である。それは年長者による年少者の支配、男による女の支配のシステムとして機能し、家庭においては「家」という権力を代々委譲するために機能してきた。

明治末期~大正初期の生まれと思われる父の育った時代は、「年長者は年少者よりすべてにおいて優れ(父&長男>息子&次男)」「男は女より優れる」という規範が社会的合意としてあった時代である。父はその親のもと長男として生まれ家父長制の権力・財産の継承者として生活を営んできたのである。

家父長制の頂点にたつ父は絶大な権力を持つ一方、その社会的な合意によって、個人的な資質を問われないですむと言う利点を有していた。長男に生まれさえすれば、他の兄弟よりも資質において劣っていることが明白であっても、権力委譲は長男にされたのである。個人の資質を権力委譲の対象選定の基準に取り入れることは、家父長制という制度そのものを崩してしまうのでありえなかった。

家父長制の中の男はシステム維持のため、自由は持ち得なかったが、逆に制度によって個人を守られていたともいえる。

■近代社会の父親の背負ったもの
一方、高度成長期の日本を生きた三国の長男は、近代家族の父親として描かれている。近代家族とは、資本主義の発達によって地域社会や大家族の解体がすすみ、核家族化することによって委譲すべき「権力・財産」が変化した家族と言える。「家」という権力よりも「賃金」という権力を選んできたともいえるだろうか。高給を得ることが「権力=ステータス」と変化していったのが近代化の側面であり、いわゆる「家父長制」の財産権力が変化した。

そのため、個人が社会の中に剥き出しで置かれるという状態が現出することになる。不自由ではあるが「家父長制の家」の権力委譲構造の中にいれば個人の能力の高低を問われずにすんでいた男たちは、「金」という権力に乗り換えたため、その「金」をどれだけ得られるかで男個人の能力、そして存在価値までが計られるという状況におかれることとなる。このことは映画の中の長男と次男の描かれ方によく現れている。

勉強ができ、高学歴の長男はホワイトカラーとして都会の一流会社に就職している、よって高給取り。次男は高卒でブルーカラー、低賃金。長男が次男を見下したように接するのは、家父長制の名残である年長者>年少者という身分の高低とともに、より多くの金を稼げる男が男として優秀という近代社会の規範をも背負っているからである。

家父長制の時代から現在まで、権力の担い手たるべき男たちには次のような言葉が幼少から投げかけられ刷り込まれている。「泣くな/逃げるな/負けるな/頑張れ/泣き言は言うな、男は黙って…」。母親や祖父母の声が聴こえてこないだろうか?「ボクは男の子なんだから、泣かないの。強い強い!」と。

自分自身の存在価値が金で計られる社会の中で、負けること許されない男たちは、文字通り死ぬまで働きつづけることを要求されているのである。

「リストラで自殺」などと言う解説が新聞を飾ることがある。一見解りやすい説明がつくことで自殺の原因が理解できたなどど、思考停止状態に陥ってはいけない。彼らが死を選ぶのは、仕事を失ったからではない。仕事をなくしたゆえの=金を稼ぐことができなくなった故の=自身の存在価値を奪われたからなのである。

明治男は気概があるので、生半可なことでは自殺などしないとか、今の時代を生きる男たちがさも弱くなったように述べる論調は真実を見逃している。明治の家父長制を生きた男たちは社会制度に厚く守られていたが、近代社会を生きる男たちを守るものは何もないのである。

課題2 一番感動したシーンとその理由を述べ、ジェンダー視点で検討せよ

岩手に1人戻った父がストーブに火をつける瞬間に見る幻想のシーンに涙する自分を発見する。この涙の成分は何だろう?

暖かい部屋で家族そろって食事をする。みやげ物を子どもに手渡す父、歓声を上げながら包みを開けようとする子どもたち、体を気遣う妻。祖父の温かい目は父に向かって「おまえ(父)は期待通りの息子である」といいたげである。このような場面に感動を受けるのは、自分もまた、寄り添って生きる家族への強い郷愁を持っているからであろう。郷愁とは失われたものへの強烈な恋慕の感情。あの場面は失われた/手の届かない愛にあふれた家族の暖かさを文字通り幻想で見せているのである。「愛だよ、愛」とCMで次男・永瀬が語ったのはちょっと昔のことでした。

資本主義社会が必要とした核家族は、家族制度維持のために愛・性というファンタジーを用いた。資本主義社会の「愛」のからくりに気づいている自分のより深い意識の中に、あの場面に涙する別の自分があり、二面性を意識せずにはいられない。「制度から自由であることは制度に守られないことでもある。個で生きることは、非常なストレスを生む。資本主義が高度に発達した近代社会で個を優先させて生きることは本当に人間らしい生き方と言えるのだろうか?」と深層の自分が表側の自分をゆさぶり問いかける。その答えは?

愛あふれる家族、言い換えれば、人は親密な関係なしには生きられないのであろうか。人がもっとも恐れるものは死であろう。死とは永遠の孤独、人々の記憶からも忘れ去られる。人のもっとも恐れるものは死ではなく、孤独かも知れない。親密な愛に包まれた人間関係を実現する場として家族は強力な磁場を発揮してきた。

しかし、高度に発達した資本主義社会はすでにほころびを露にしてきており、歩調を合わせるように、愛や性を媒介とした親密な人間関係=家族もまたほころびを見せてきている。人が求めてやまない「孤独からの解放=親密な人間関係の中に包まれること」を愛や性のファンタジーから自由にすることは可能なのだろうか?あるいは、親密な関係を持つ人間同士のつながりは家族だけが持つものなのであろうか?さらに考えれば、親密な関係を持たず、固定的でない距離感の人間関係の中で生きることこそ、孤独ではなく本当の自由と言えるのではないか?だとすると、あの涙は自由への恐れの裏返しかもしれない。

【おまけ】村上龍「最後の家族」は、近代家族がどこに向かうのかの一つのヒントに思える。

課題3 あの後、父親を取り巻く環境はどうなっていくと思うか?

長男・長女・次男ともにそれぞれの生活に追われ、また故郷の慣れ親しんだ家を離れがたい父の思いとの折衷案で、父は独居老人として暮らすことになる。たぶん10年ぐらいは1人で暮らせるのではないか。しかし、心臓の薬としてニトロを持ち歩いていることから、一番ありうる可能性としては心筋梗塞による突然の孤独死。その葬式の場が想像をたくましくさせる。

ともに東京近郊で暮らす長男次男に比べ比較的父の近くに住んでいた長女の環境を想像してみる。田舎暮らしを続けていることから結婚相手も長男であることが想像でき、父に同居を申し入れることはできにくい。やむを得ず自分の生活に合わせ足しげく父の下へ様子を見に通っていたが、「家族はともに暮らすもの」の規範が強く残る地方にいる長女にとって父の死を見とれなかったことへの自責の念が強い。家族に愛情深く接することは女の役目であるとするジェンダー規範が働くためである。

長男は職場内の出世に伴い、転勤を余儀なくされる。自分が故郷を捨ててきているため、家族同居を強く主張できない長男に対し、子どもの環境を優先に考える母親は夫の単身赴任を選択する。単身赴任中の不自由な暮らしを続けるうち、長男は故郷の父親の不自由さ・さみしさを実感として捉えられるようになる。出稼ぎの父を自分を重ね合わせてみていたかもしれない。そんな中、父の孤独死が知らされる。長男はいろいろと手を尽くしたにもかかわらず(同居を申し入れたが断られている)、孤独死する父に「自分の面子」がたたない思いを抱く。近代家族の父として今を生きながらも、成長の過程で刷り込まれた規範は家父長制の名残も残しており、家と父を守るべきジェンダーを背負っている長男は、守れなかった自分を肯定的に捕らえることができないのである。

次男は家父長制から見捨てられた「次男」であり、また近代社会の高賃金を稼ぐ男としての役割からも、すでに遠い存在であることを本人もうすうす感じてはいる。結婚相手に聾唖者をえらび、さらに近代社会の周辺で生きることを余儀なくされていく。

社会規範に沿って生きることは、裏返せばその制約の中を生きることである。周辺に生きる次男は権力構造から遠い存在であるが、一方で規範からのある程度の自由/距離をおいて生きることが可能になってくる。このことは人が自分らしく生きる上で非常に重要な意味を持つ。制約から自由であること、あるいはどのような制約を自分は受けているかを自覚を持って生きること(構築された自分自身に気づく)をフェミニズムは「解放」と呼んだのであり、女性解放思想としてともすれば認知されがちなフェミニズムは、実は女だけでなく男も解放する思想だと言うことができる。

映画の中で次男の結婚報告を聞いた晩、父が「お富さん」を熱唱する場面が印象深い。あの場面の父は自分の存在が弱者でしかないことを突きつけられていた。彼もまた権力から見放されることによって、規範からの自由を得たのである。規範に沿うことを強制されない場面で初めて父と子は本音の表出が可能になった。人間の持つ親密な感情はこの時初めて父と次男の間でのみ交わされたのではないか。

次男が職を転々としていたころの父の次男への接し方と、この時以降の接し方が激変していることに注目したい。(家父長制の権力者・父の役割で接していた時/親密な人間関係の当事者同士として)岩手に帰る父はFAXまで携えていた。初めて心を交わした父の喜びが「お富さん」熱唱のシーンとなる。(次男の結婚相手が聾唖者なのもある意味づけを感じさせる)

その後岩手に帰郷した父は前述の幻想をみるのであるが、あの幻想は過去の現実ではない。実際過去のあの場面では、父は家父長制の役割としての自己を演じていたはずであり、感情の起伏を露にしないとか、何か得たいの知れない気分の盛り上がりを感じたが、それを感じること自体を自分に禁じていたはずなのである。

人間は自分の感情を「知っている」と思いがちである。だが、柳田國男が「東北の女性は不安と言う感情が理解できない」と調査研究の結果述べたころと環境がそう変化していない時代に成長した父は、親密な愛情を「覚える」ことはなかったのではないか。役割に沿った振舞を家父長制の中でパターン認識していただけではなかったか?あの幻想の場面は心の交流を次男を通して初体験した父が、こうあることもできたはずの過去として見たのではないか。

岩手で独居老人として暮らしている父は、近所の人にこういわれたかもしれない。「歳とったんだねぇ、(性格が)丸くなっちゃって。お嫁さんとFAXなんかやり取りしちゃってさぁ。」彼は丸くなったのではなく、感情を自分のものとし、表すことができるように、やっとなったのである。たとえ一人暮らしではあっても、孤独死をすることになっても、幸福な晩年だったのではないか。

さて、上記のような思いを抱えた、3人が父の葬式で久しぶりに対面する。父と心の交流を持てた次男は、純粋に悲しみにくれているが長男と長女はそれぞれが抱える自責の念や刷り込まれたジェンダーによって、父の死という悲しい場面でさえ、与えられた役割を演じつづけている。次男はそのような2人に、説明できない怒りを感じ、葬式の最中に2人に言いかがりのように突っかかることを繰り返し、最終的には大騒ぎの喧嘩を繰り広げることになる・・・。山田洋次監督得意の「寅さん」的てんやわんやが起こって、人生の悲哀をそれぞれが感じるエンディングとなる、なんちゃって。

結婚や誕生、葬式という人生の区切りとされるできごとに人が出会う時、人の深層意識に刷り込まれたものが表に出てくることが多い。リベラルな印象を持つ人が、思いがけず前近代的な規範をしょっていることに気づかされたり…。文化とジェンダーは二重螺旋のように複雑に影響しあって今の私たちの中に根付いている。人権問題として単純には語れない。

2002/6/3 提出

UP

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Scroll to Top