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むかしむかし~映画の感想⑥

2002年ごろ書いていた映画の感想

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まぼろし 

/ 主演・シャーロット・ランプリング 2001年(予告編はこちら

愛する人を失った時から、そのことを逃げ様のない現実として受け入れるまでの心の動きが、とても哀れに美しかった。自分にとって大切な存在をなくした時、その喪失を受け入れるのは難しい。時が解決するなんて、簡単に言うけど、時だけでは絶対に解決しない。喪失を純粋に悲しむことも難しい。愛する人を失って、泣いて泣いて・・・という時、自分で自分をかわいそうがって泣いていたりする。これから一人で生きていくさみしい自分を泣いていたり。自分自身の奥に沈みこんで、自分自身を見つめていく過程がなければ、喪失を本当に受け入れることはできない、どんなに時間がたっても。

シャーロット・ランプリング演じる妻は、夫の失踪という現実を拒否し、夫と以前と変わらぬ生活を続けているという幻想に浸って喪失を受け入れられず時を過す。が、様々な現実のカケラを体験するうちに、否応なしに夫の死を受け入れていく。

好きだった人や親密な人の面影を別人の中に見つけてしまうことがある。どこかが似ていると感じたり、彼or彼女が好きな「物」にその人自身の存在を感じてしまう時など。そういうとき、その面影を見てしまう自分の中にこそ、彼or彼女が存在するんだと思う。似ている何かを、知らず知らずのうちに別の対象にさがしている自分を感じたりするとき、それくらい「人」のことを思える時、そういう感情をいったいなんて呼べばいいんだろう。愛なんてわけのわからない言葉ではない、別の言葉がないものだろうか。

夫の影を求めてやまない妻が、あたらしいパートナー候補とベットをともにした時の笑い声と「あなたは軽いのよ」というセリフが強烈。記憶って不思議だと別のページにも書いたけど、記憶って頭の中にだけあるのではないんだと思った。肌がいとしい人の指先を覚えていたり、ある香りによって数十年の隔たりを越えて、子どもの自分に瞬間でつれ戻されたり。頭の中の記憶やこだわりは、こだわりを意味する道筋が理解できたとたんにほどけるように消えてなくなる・・・意味合いが違った場所へ記憶されなおすことがある。身体に染み付いた記憶は、特に臭覚とか触感とかいう五感の原始的な部分の記憶は、深層で記憶されてしまうのか消すことが難しい。虐待された記憶なんかはその最たるものだと思う。映画のように夫を覚えてしまっている妻の哀しさ。

映画の冒頭、夫が暖炉にくべる薪を探しに行って、大きな枯れ枝をひっくり返すと裏が朽ち始めていて、たくさんの虫が這いまわっているところが、人の存在を象徴的に物語っているようだった。

そして、こんな風に年齢を重ねて行けたら、って惚れ惚れするくらいシャーロットランプリングはきれいだった。内側の充実をそのまま現しているような外見、真一文字に結ばれた唇が、美しかった。

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