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むかしむかし~映画の感想⑤

2002年ごろ書いていた映画の感想

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/  小林博和(兄)、小林貴裕(弟)   2001年 
/ 第1回世界学生映画祭大賞           
引きこもりの兄をふくめた家族のありのままを、弟がホームビデオで撮影した記録映画というかドキュメンタリー的作品。チラシの紹介文に「これは1本の映画をつくることによって自分の家族のあり方をより良い方向に変えようという必死な現実的な願いから生まれた作品である」(佐藤忠男・映画評論家)とか、「この作品には驚かされた。『癒し』映画なら簡単に作れる。しかし、ここでは映画が『治療』になっている。本当にそんなことが可能だったとは」(斉藤環・精神科医)とかある。それよりもインパクトあるのは「ひきこもってもいいじゃないか。ちょっと遠回りするだけだよ。」と映画タイトルHOMEのすぐそばに添えられた一文。

そんなわけないだろう!ってチラシをみて思った。チラシから受ける印象はひきこもりが弟の努力と寛容(「ひきこもってもいいじゃないか~」)な態度で更生しました、って予定調和的な深みのない映画だろうって感触。映画の自主上映会の情報は知っていたけど、そういうわけで行く気にはならなかった、ところが。茨城大学のH先生が「いい映画」だと「友達と行ったら」と、チケットを何枚もくれて、さらに上映会場がお勧めだぞと言うので、まぁありていに言えばわざわざ時間をつくって人を誘って出かけたわけです。

事実としての画面は重い。ひきこもりの兄に心身とも痛めつけられた母親のおびえるような姿や家族と離れて住む父親を世間一般の人はどうみるのだろうか?ほとんどの人の反応は「かわいそうに」だろう。AC(アダルトチルドレン)という考え方をもし理解できたら、あの両親への印象はまるで正反対になる。あの母親の態度は、ひきこもりの兄を、自分がいないと生きていけない状態・依存させ支配する者として見え、そしてひきこもりを抱えた家族の現実から逃避した父親は、自分の支配が及ばなかった兄を捨てたのだと・・・。

捨てられ支配された兄に初めて向き合ったのが、ビデオを持った弟だったということは映画の手法や可能性を語る人にとっては画期的なことだったのだろう。ちらしの映画評論家の推薦文のように。でも「家族とは」という視点はそこからは語れないように思う。それがこの作品を作った監督・撮影者・弟の限界だったと。弟は兄の言う、「3センチ上の世界」って理解できてないじゃないか。映画だけを見たら、その限界と最初に感じた予定調和的な深みのない作品という感触はあたり!だったね。ただ自分はその奥の依存症の家族の崩壊を見たのでそれは恐ろしく胸に痛かった。

ところが上映会のあと、NHKのインタビュー番組も同時に流したんです。そこで兄が語っているのを聴いていて、そこからがおもしろくなってきた。(NHKの番組のできが良かったというわけじゃない。この番組も予定調和的な映画の限界をただなぞっているだけ。良かったのは兄の言葉。それもインタビュワーには届いてはいなかったが)映画のパンフも残り1冊というのをGETして読んでみると映画の印象が一変してしまったのです。「ひきこもってもいいじゃないか。ちょっと遠回りするだけだよ(弟)」に対して「ちっともよくない。この一文を、そのままの意味で弟が捕らえているのだとしたら、私はこれからも弟と対決していかなければならないだろう(兄)」!!!そうなんだよ、弟が理解できてないのを兄はわかっていたんだ。母がしきりに「ゴメンね」と謝るのと同じ地平線上に今も弟はいると兄は知っていて、それでも家を出て行ったんだ!!!

この映画は映画のエンドで終わったのではなくて、映画の時間枠の外からが本当の映画のスタート・意義であり、そういう意味で今も映画は作られつづけている。映画の真のつくり手は今世間の中で生活している兄だったんだ。

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