ホーム » others » むかしむかし~本の感想⑧

むかしむかし~本の感想⑧

2002年~2004年ごろに書いていた本の感想

*****

『家をつくる』ということ
     ―後悔しない家づくりと家族関係の本 / 藤原智美 プレジデント社 ¥1800
家族を『する』家
     ―「幸せそうに見える家」と「幸せな家」 / 藤原智美 プレジデント社 ¥1500
 産業経済から送り出されるCMにのったイメージは私たちの中に密かにかつ巧妙に忍び込んでいる。TVや雑誌を通じて、いろいろな流行、男や女の振舞い方や愛し方まで教えられ、私たちはそれらに洗脳されていることにすら気づかない。この本は、「家を建てると家族が幸せになれる」という幻想を見事に暴き出した。男と女が結婚し、子どもが生まれれば、自然と「家族」になれると思いがちだが、この本は哲学がなければ間違いなく破綻するという。箱もの行政といって、入れ物―施設を作るだけで文化を育てようとしない行政施策を私たちは批判するが、こと家にかけて、私たちは同じ過ちを犯している。家を建てれば家族が幸せになると…。

 三年前に書かれた「『家をつくる』ということ」で、家を作るということは、まず自己とその家族をテーマとした思索の旅からはじめられなくてはならないと訴えた著者が、今回「家族を『する』家」で、夫婦の寝室を取り上げ、夫婦の絆とは子どもではなく、コミュニケーションこそが夫婦の絆なのだと力説する。それには寝室が単に寝るだけの空間から、とことん語り合える空間へと意識を変えなければならないという。

 戦後復興期、日本のめざす豊かさを象徴するものとしてアメリカのホームドラマがもてはやされた。大型冷蔵庫、暖炉があるリビング、芝生を敷き詰めた広い庭と自家用車があるアメリカのごく普通の一般家庭で繰り広げられるドラマの中に、日本人は「夢=幸せな家族」を重ね合わせていた。当のアメリカ人はこうしたドラマの物質的なものには目もくれず、「家庭のあり方」そのものに目を向けた。だからこそ、そうした理想を実現できない時は離婚の道を選び、離婚率が五十%にも及んだ。今、アメリカ社会はその時代の反省を受け、新しい家族主義の時代へ進み始めているというのだという。その最も代表的な例が、不倫をしたクリントンを、危機を乗り越えてこそ家族になるのだと離婚しなかった妻。

 遣唐使の時代から文化の輸入の得意な日本人は、今回も土壌の違う文化をアメリカから持ってきて植えつけ、今そのしっぺ返しを、「一四歳・一七歳」から受けている。子どもを自立させるには子ども部屋が必要だと、アメリカ製のTVドラマを見て勘違いし、子ども部屋をなんのポリシーもなく与えた結果、子ども部屋は鍵のかかる独立した家となり、孤立化していく。この二冊の本の中に登場する家はいずれも新聞紙上に取り上げられた家である。金属バット殺人事件や女子高生コンクリート詰め事件、神戸のA少年からオウムの修行部屋まで。「家族関係と住宅は密接につながっている、家は家族の単なる入れ物ではない」としたら、この事件の関係者たちは家族だったのか、同居している他人だったのか。家を「家族の入れ物」でなくするために必要なこと、それがコミュニケーションである。

 現在は、子ども部屋の孤立を憂い、玄関からすぐに階段・子ども部屋へと続く間取りは嫌われ、まずリビングに入らなければ子ども部屋にたどり着けないタイプが主流だという。しかし、今度こそ「幸せになれる」はずのリビングで行われているのは、相変わらず会話ではなく人のいる気配の確認でしかない。
 欧米の家のリビングはパブリックスペース―個が人間として成長するための他者との交わりのための公的空間―として存在するのだ。私たちはうかうかとまたCMにのせられかねない。大事なのは間取りではなくて、会話すること。家族になるには、「夫をする・妻をする・父親をする・母親をする」覚悟を持たなければならないというのだ。「子育ては夫婦が話し合うこと」から始まるのだと。

 夫婦の寝室が別であることや、セックスレスの夫婦さえ違和感を持たずに語られる今、時代は、アメリカのように、もう一度夫婦が向き合う流れに戻るのか、あるいは「幸福な家族」なんて幻想だと、新しい人間関係を作り上げる方に向かうのだろうか?

 「家族」を考える二冊の本は、ビジネス関係に強い出版社から出された。この本に手を伸ばした読者たちを想像する時、深い空井戸に落ち、届かぬ天の月に手を伸ばしている人間像が浮かんでくる。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Scroll to Top