2000年前後、自作のホームページ(以下HP)を作っていた(ホームページといういい方は誤りというのはその当時知らなかった)。
ホームページビルダーというソフトがあって、それを利用していかにも手作りなWEBを作るのが流行っていた…んだと思う。ぼんやりと頭の中で思っていることをいざ話そうとすると要旨がまとまらず何を言いたかったのか自分でもわからなくなることが頻繁にあり、考えや感想をアウトプットしようとしていたんだろうと、当時を今振り返って思う。(今も説明がうまくなったとは思えないけどね)
たぶん朝日カルチャーセンターの通信講座だったと思うが、自分と社会を考える小論文講座も受講して悪戦苦闘した記憶だけしっかり残っている。
平成2年から参加していたまいづる塾という市民団体に、日立関係の技術者さんがいて、その人がものを教えるのにとても優れていて、エクセルやらワードやらパワポやら教えてもらったが、その中で「ブログをやりましょ」という聞きなれない言葉があり、何度も意味を聞き直したことがあった。
「ブログって、日記ですよ」「日記をネットに書くってどういうことですか?」なんて、今じゃ考えられないやり取りをしたことが懐かしい。
教えてもらったブログもどきを、自作のHPに取り入れて、読んだ本やお気に入りのCDの感想、映画の感想など、あれやこれや書き始めたのはそのころだったのか、時系列があやふやになってる。当時フリーのブログサービスがいっぱいあって、選んだのはライブドア。時代感じるなぁ。
ブログは簡単だった。HPはコンテンツの階層を考えてそろえて作らないとならないけど、ブログはタグをつけて書き飛ばせば後で、タグごとに見ることもできるし…。なんてことをリアルタイムでやっていたのが20年も前なんだね。
更新はたまにだけど、ブログは結構長く続いていたが、2010年代ツイッターやフェイスブック全盛期を迎えて、距離ができていたところ、友人のMさん(WEB制作のプロ)がブログを今風のシンプルな作りに直していただいた。
一時、もうブログなんかやめちゃおうと思っていたけど、歳のせいか昔のことを振り返って面白い・若かったなぁと笑えるようになってきたので、捨てちゃうこともないと思い返した。⇦今ここ。
で、ブログがきれいになったのを機に、HPビルダー時代のデータって残ってないのか探してみたら、ありました!メモ魔だった私が、PCが盛んになるにつれて書くのではなくPCにデータでため込む方にシフトしていたから、ちゃ~んと残ってた。(断捨離に励んだのはずっと後だったので、ため込む楽しさに浸ってたんだね)
で、せっかくなので昔のHPに書いていたことも整理して新しいブログに残しておこう、かな。
まず手始めに…上の方にもかいたけど朝日カルチャーの通信講座の原稿をアップ。全部で5回の「自分と社会を考える小論文」。課題が出されて、提出すると添削されて返ってくる。その添削が温かくって、カウンセリングを受けたような気になった。全5回のうち4回目「第4回 現代日本は<豊かな>社会か」が書けなくてさぼったのも覚えている。
1990年に茨城県のハーモニーフライト応募してイギリス・フランス・デンマークに視察に行かせていただたころから、自分の中には大きな悩みがあって、そのせいもあり自分の中を探るようなこういう講座に応募していた。実際カウンセリングや自助グループにも通っていた。悩みがあるってホントに痩せるんだよね。3か月で15キロくらい痩せてしまった、ほんとに。それも含めて懐かしい。
当時私は40歳代、これくらいしか書けなかった、今はもっと劣化してるだろうな。
自分と社会を考える小論文 第1回課題 他者*****
第1回 他者
私にとって他者は不安を呼び起こす厄介なものでしかない。「自分と社会を考える小論文」を受講したものの、いざ小論文を書こうとして、自分の書いたものを読むであろう添削者・他者の目が恐ろしく感じられ、自分を考えるために受講したにもかかわらず自分を隠す、あるいは自分を底上げしてかっこよく見せるための文章を書くにはどうしたらよいものかと、途方にくれる。このように、距離のとり方、価値観の違いの調整の仕方、コミュニケーションのとり方など、他者との関わり方に一喜一憂する。なぜこれほど快・不快を呼び起こされるのか(A)。
自分にとって、最初に意識した他者は父であった。親というものは子を愛し守り育てるという大義名分の下、逆に親たちの価値観の範囲内に子どもたちを留めようとする(B)。子どもの側から言うと、親のしいたレールの上を歩くということになる。このような対応をされるとき、他者が自分の中に侵入し自分自身が失われる恐れを感じる。自分の価値観・コントロールのままに他者が動く・同意する場合に自己が肯定され、他者との一致・一体感を持てるため「喜・快」として感じ、反対の場合は「憂・不安・怒り」などを感じる。他者との関係で感情が表出される時、「喜」「憂」と正反対の現れ方をすることがあるが、その根は同じものではないか。つまり、他者を通して、自分と一致するか否かを確認できるか否かがその根にある。他者と関わりあっているようで実は自分自身を他者まで拡大できるか、他者によって受け入れを拒絶され、縮小するか、をしていたに過ぎない(C)。
では、他者と関わるということはどういうことなのか?他者のと関わりから起こる感情のゆれに怖気づいて他者との関わりを避けることは、一時的に自分を安全圏に置くことはできるが、一生他者と関わらずに生きていくことはできない(D)。だとしたら、不安などの感情に揺られている自分に気づく、自分が感じている感情を見つめることが、他者との関わり方を学ぶ第一歩になるのではないか。しかし、それでは他者とのかかわりで起こる感情のゆれを体験するということで元の木阿弥のようにも思える。
しかし、出会いによって起こる様々な感情や対立は、他者との一致という目で見るのをやめると、自分自身の境界線を意識できるチャンスになる(E)。豊富な出会いは自分自身の境界線をより確立することになる。また、同じような意識の他者がその他者自身との一致を私に求めてきたときにも、自分の境界をきちんと意識できることによって、一致するしないではない対応で他者に返すことができるようになるかもしれない。他者は自分の前に立ちはだかるものとして現れるのではなく、自分に豊富な体験をもたらすものとして現れるのだ。他者は招かざるものではなく、いわば「お客さま」なのではないか。
講評
はじめての講座で、本文にもありますが、他者に文章を見られることの不安があったと思います。今回は主に本作品を使って、経験をもとに論述を進める、という点について書きたいと思います。まず、最初の段落での問いの提示は、とても読ませるものです(Aの部分)。小論文は問いを立て、それを問い進める作業ですので、その最初の入り口がとてもよく提示されている点が評価できます。つぎのBの部分では、経験の記述が欲しかったです。父はどのような時、どのような様子で自分の価値観の範囲内に子どもたちを留めようとしたのか、そのことについて具体的な記述があると効果的です。そうすることでCの部分にあるような、自己の他者への拡大、といった主張が生きてきます。
同様に、Dの部分にも具体的な経験の記述が欲しかったです。たとえば、他者と関わらずに生きていくことはできないと痛切に感じる時はどのような時か、また、他者と関わりを避けることの安心感だけでは満足できない自分のあり方の具体的な記述を加えてほしかったです。これらのことは最終段落のEの部分にも言えることで、たとえば出会いによって起こる様々な感情や対立が、他者との一致という目で見るのをやめれば自分自身の境界線を意識できるチャンスになるのは、具体的にどのような場面なのでしょうか。誰とどのようにコミュニケーションしたことで、自分の境界線を意識できるようになったのか、そうした記述があると、ここの部分は説得力のあるものになったでしょう。
これまで具体的経験の記述について指摘してきました。確かに論文は経験の記述ではありません。しかし、論に説得力を持たせる、あるいは他人に伝えるためには、経験の記述が重要です。本作品では、抽象度を高めて論を展開することができています(これも論文を書くうえで重要な作業です)。ただし、抽象化して語る前には、その材料となる具体的経験という素材が必要です。このことに気をつけて論を立ててみてください。具体的な経験を他者に伝えることの不安はあるかと思います。それは当然のことだと思います。ですが、論文もひとつのコミュニケーションだと思ってチャレンジしてくださることを期待します。