母の実家は神郡というところ、筑波山への街道沿いにあった。夏休みに母の帰省でおばあちゃんちに泊りに行くのは,それはそれは楽しみだった。祖母の家は、大きな門構えがあり、車でその門を通り抜けるのに、幅いっぱいでびくびくしたものだった。セミを捕まえたり,遠くの畑に大きくなりすぎたトマトやキュウリをもぎりにいったり。毎日が楽しかった。
中でも一番の冒険は、近くの小川に行くことだった。今思えば、川幅も1mもなく小さな川だったのだろうが、小学生低学年のころには大冒険の舞台に思えたものだった。大きな石を組んで乗せただけの橋もあったが、いつ行っても崩れたまま。川の中をザブザブと歩いていくと、川がカーブして淵になっているところに必ずお羽黒蜻蛉がとんでいるのだが、怖くてその淵の近くには寄れない。しょうがなく精一杯手を伸ばして差し出した虫取りアミは空を切って川面にボチャンというのが常だった。むんとする夕方の田んぼまわりの草いきれまで、今でもありありと思い出せる程、大事な大事な遊び場だった。毎年一緒に遊んだ姉弟、従兄弟たちにとってもとっておきの場所だったのである。
法事かなにかで、数十年ぶりに母の実家を訪れた折、時間の合間を見て思い出の川をみんなで見に行った。あるべきところにあったのは、護岸工事された用水路・・・。風景が変わると幼い頃の思い出も失われてしまうような気がした。少子化を憂いはつくば市とはいえ、この地区も同じ問題を抱えている。子供たちの歓声が聞こえない川ばかり作ってるからだ、と歳を同じだけ重ねた姉弟・従兄弟たちと盛り上がったのは、さっき見た風景を忘れてしまいたかったからに違いない。