狼少年のパラドクス―ウチダ式教育再生論
9/11の新聞に「内田樹氏に小林秀雄賞」という記事があった。ふ~ん。
内田樹の書籍追っかけし始めてどのくらいになったかなぁ。ほんとによく本を出す人なので、すぐに追っかけが間に合わなくなっちゃったけどさ。
賞を受けた本は確かに久々のびっくり内容。追っかけてきたからこそなんだけど、読み続けてると、内田樹的視点っていうか、考え方っていうか、それに取り込まれてるということなのか、内田的見方の範疇の中から内田の本を読むという変な読み方が身についちゃって、かえって新鮮さが感じられなくなってしまう。
で、写真あげているのは、受賞作ではない。受賞の記事にもあるように、たぶん内田を説明するときには「下流志向」がどうしてもあがるんだろうな。売れてるし。でも、内容的にはこの「狼少年~」のほうがドライブ感のある読み応え。今年の春ハワイ旅行の直前にこの本を手に入れて、旅行中に読んでいた。まったく外の景色とは不似合いだし、リゾートに行くときに持っていくような本でもないんだけど、読み始めちゃったのが、やめられなくなって…。その一月前発行が「下流志向」だったんだった。そのころは教育再生会議とかがニュースでよく取り上げられていて、そのメンバーの胡散臭さが本を読んでいるときの時代の背景として自分の中にインプットされてた。(ヤンキーを売りにしてたメンバーがいたじゃん、任命された会議のメンバー放り出して立候補したり。ああいう人たちはこれ読んで出直してほしいって気がするね、っと内容がずれた)
はじめて内田樹を読み出した頃、どれをとっても読んでいるうちに自分の思考の枠を覆されるような、あなたの思考の枠はこの辺が限界ですね、って俯瞰から見下ろされているようなぞくぞくする感覚があった。それが久々に感じられたのは、実は受賞作ではなく「先生はえらい」。これはびっくりのパラドクス展開本。そして、「街場の現代思想」は定番作だなぁ。自分の活動範囲が修正/転向(並列に書いて良いのかなぁこんな語句)なってきたのは、内田樹の本にどっぷりになっていた頃と重なる。フェミ系の本をまったく手に取らなくなったのは内田のせいか、手に取らなくなったような内的変更が内田の本を読むという現れ方をしたのか、鶏と卵でしょうか。
このブログのAmazon書籍紹介を使っていたら、近々村上春樹本を出す予定、なんだと!?内田樹の映画論もおもしろかった(全部が同感ではなく、性差ゆえの反論があるけど)。その内田が語る「村上春樹」、読まない手はないよなぁ。楽しみ。