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愛知トリエンナーレ 見てある記③

愛知トリエンナーレ、見てある記③

津田道子「あなたは、その後彼らに会いに向こうに行っていたでしょう。」

各地で行われる芸術祭によく見かける、伝統的建造物の中に作品を配置する…その伝統的建造物が作品の一つの必然としてあり、アーティストがどう作品にまとめ上げたかを観る、ものが多くある。

これもそのひとつ。尾張藩の御用商人の屋敷内(伊藤家住宅 https://aichitriennale.jp/venues/Venue_S01.html)で展開されるアート作品。作品解説にいわく「『見る』という行為そのものと、私たちが無意識の内に当たり前ととらえている認知や身体感覚を問うている。」という作品なんだそうだけど…。

多くのほかの会場でも感じることなんだけど、この作品がここにある意味が?というか作品の一部として昇華されてないというか…。

作品自体は2つにわかれていて奥座敷で映像作品が展開されていて、もう一つは入口近く、立派な竈の近くに座って、ヘッドフォンで環境音を聞く…、後者の方がなんともいたたまれなさを醸し出してしまって…。

効果音なら効果音だけに絞ったらよかったのに(いや、これも私の勝手な感想)薄っぺらい若い女性の声でこの建物のこの位置の意味とかを語ってる。そういう内容なら、声で聴かせないで掲示でも作品の解説にでも載せておいていただきたかった。ヘッドフォンで強制的に聴かされている感が出てしまって、そうそうに外してしまった。

私個人の好みで、建造物を見ることが好きなせいか?竈の詳細を詳しくみたいのに、竈の前にヘッドフォンをした観客がじ~っと座っていて、作品だというから邪魔もできないし、近づくと作品に参加するのだと思われて、ボランティアさんにヘッドフォンを勧められちゃうし。

この伊藤家住宅がある付近は、通りが伝統的建造物を今に生かしてホテルやら骨とう品店にしてあったり、土地の持っている魅力がとても大きな所だった。

そんな場所で、作品を展開することにアーティストさんってもっと「怖れ」をもってもいいんじゃないかな。今まで見た作品の中で、建物に負けてる、って感じたもの、多かったなぁ。建物だけではなく…ホワイトキューブから飛び出して、雑音や歴史が混在・現在も生きている場所で作品を展開することに、もっと慎重…慎重っていうと言葉が違うなぁ、なんて言ったらいいのか。自然や「まち」を超えるインパクトのある作品を期待する、とでもいうか…。

おまけ
愛知トリエンナーレの会場の一つになっている「四間道・円頓寺」は芸術祭でなくてもう一度行ってみたいと思った。作品を見て回ったのは夜7時過ぎだったんだけど、商店会ではあちこちにオープンな居酒屋さんが点在し、お店の外でとおりにはみ出て椅子テーブルで宴会中の方多かった。細い路地も入り組んでいて、土地の魅力がばんばん響いてくるところ。

作品で聴かされた「うちとそとの間の空間の面白さ」的なことは、この商店会で飲んでるおっちゃんや観光客を見ていた方がぞくぞくと面白かったよ。(すっごい辛口でなんか申し訳ないけど、私には?だった、ということで勘弁してください)

愛知トリエンナーレ 見てある記②

愛知トリエンナーレ、みてある記②(作品の良しあしの順番ではないので念のため)

「アレハンドロ・ホドロフスキーのサイコマジック」
直訳すると「精神・霊魂に関する魔術」おどろおどろしいことこの上ないけど、そのまんまのネーミング。これが「アート」なのか?が最初の印象。

作品としては、アーテストで作品の名前になっているアレハンドロ・ホドロフスキーがサイコマジックを繰り広げている映像と、その参加者が後日アレハンドロ・ホドロフスキーにあてて書いた手紙の展示(同じものが冊子として持ち帰り自由で提供されている)。

「彼のもとを訪れる相談者に『処方箋』として悩みの根源である事象に、相談者自身で行動を起こすことを促しており、その対価として「相談した内容と与えられた処方箋、そして処方箋を実践した結果どうなったかを、作家へ宛てた手紙で記す」ということを求めます」

映像は、言葉に語弊があったら申し訳ないが「新興宗教の儀式」のように「しか」見えない。あるいは、一時期はやった「自己実現セミナー」の講習会か。教祖様にあたるホドロフスキーが様々な声掛けやアクションで参加者を「あやつっている」風景のようにしか見えない。

しかし、提供された冊子をしみじみ読んでみると印象がかわっていく。ホドロフスキーが求めているのは「手紙を書くこと」のみ。献金したり人間関係を捨てさせられたりは全くなく、「儀式」に参加後行動することを求められた参加者が、何年後でもいい、ホドロフスキーへ、行動の結果どうなったかを手紙にしたためる、ことだけが要求されている。

ある手紙、病に悩んでいた参加者。疑いつつも「儀式」に参加し、行動を起こし、自分を深く見つめる‥‥結果として、病は治ってはいない(ここ大事)が、気にしないで生きていくことを決断する、ここに至った「サイコ=精神・霊魂」の道筋が本人によって綴られている。

初めて越後妻有の芸術祭を見たときに、行く前後で自分の価値観がガラッと変わってしまったのを、とても印象的に覚えている、アートってすごい、と。

これも、そういう意味からいうと「アート作品」であるのか!?

すごいとは思うが、心の奥底がぞわぞわと落ち着かないのも同時に感じた。これがアート作品であり、変な宗教とは違って安全であったとしても、そこに立ち入るには相当な勇気というか覚悟が要る…。

愛知トリエンナーレ 見てある記①

電凸で幕開けした愛知トリエンナーレ、もっぱらの印象は電凸された作品に枠とられてしまっている感があるが、会場に足を運んだものとしては(芸術祭の開催地市民として表や裏をちょっと垣間見たものとしては)、そのほかの作品に素晴らしいものが多かったし、そこが語られないのはなんとももったいないとしか思えない。

何を見てきたか的、メモを少々。1日1作品。

旅館アポリア (喜楽亭)

最初に見た作品で、ドーンと一発一番印象に残ったものになった。

会場は料理旅館として、戦前戦中戦後と栄えた建物。戦前は養蚕業、戦中は海軍、戦後は自動車産業関係者の御用達の高級料亭。

2階建て、すべてを雨戸で締め切り、部屋ごとにこの建物の歴史とからまる時代の映像を流して見せる。

ある部屋では、神風特攻隊草薙隊が、任務に赴く前日この宿で過ごした。隊員の手紙が当時の写真の映像とともに写される。

またある部屋では、小津安二郎(宣伝部隊として南洋に派遣された)の作品や横山隆一(同じく宣伝部隊として漫画を多数残している)の作品とともに、激動の時代を映し出している。

作品の紹介にある通り、歴史の授業で学んだ通り一遍の(しかも後付けである)ことしか知らない私にとって、その時代の空気や複雑で相反する背景などが、映像とともに波打つような共感を呼ぶ。

映像作品はどちらかというと苦手だし、一番最初に行った会場で先を急ぐ気分満載であったにもかかわらず、全部屋の全映像を残すところなく見てきた。

この作品を、歴史の授業に取り入れてたら、と思う。教科書に書かれた遠い時代の関係ないこととしての戦争が、今ここにあると感じられるに違いない。

本当に大事なことはネットではみつけられないよぉ

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なんと一年ぶりのブログ更新。(更新する前後で、WEBが違ってるのはご愛嬌)
ブロガーと自称する人がちょくちょく来店する。中には、とても印象が強く顔を覚えさせていただき、気づくと、あちこちのイベントでお見かけする方もいる。向こうは私のことを覚えてないらしく、それはラッキー(それでいいのか、は置いておく)。イベントやお店の紹介をブログに綴っているのを読ませてもらって、ため息。

SNSがこんなに発達するなんて、数年前には思ってもみなかった。2011の大震災の時に、ツイッターで情報を拾ったことがものすごく遠い時代のことのように感じる、今の情報氾濫ぐあい。情報発信ツールを手に入れて、それを「自己表現」ならまだしも自分自身の承認欲求のために使っているのでは?と思える書き込みをまま目にするよね、ブロガーさんのように。気分がわるくなることこの上ないですよ~、ほんと。

メンバーが大きなエネルギーをかけて取り組んでできあがったイベントを、ちょろっとみて、「より多くより広くつたえます」といった位置で紹介していようなブログを読むと、何様!?って突っ込みたくなる。汗をかいたわけでもなく、人をつなぐ苦労をしたわけでもなく。実体験の伴わないわりに、やたら美しい文章、きらびやかな形容詞。

地域で暮らしているなら、自分が「やったこと」を発信することに、軸足を置こうよ。批評や情報発信なんていう絶対安全地帯から、人様がやってることをあれこれ言ってるひとって、私は信用しない!そういう人が取材に来たって、「本当に大事なことはネットではみつからない」ですから。

以下Wikipediaより引用―――
「承認欲求とは、自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求である。尊重のレベルには二つある。低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。マズローは、この低い尊重のレベルにとどまり続けることは危険だとしている。高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。」

コンテンポラリーアートなのさ♪の巻

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文化財曝涼あり、美術協会展あり、Art+1あり、準備てんてこまいの中、常陸太田アーティストインレジデンスの1年間の集大成となる常陸太田芸術会議にやっとこさこぎつけました。ラストスパートだったアーティストさんたち、お疲れさまだったね。

芸術会議最終土曜日の10月18日、水府支所での交流会にばたばたと参加。見知った顔が勢揃いで、まずは芸術会議についてのあれこれをコーディネータさんやアーティストさんの言葉で語っていただく。まだ作品は全くみれてないうちに、話を先に聞いちゃっていいものか、ってか聞いて分かるか?と思いつつ・・・。いやぁ、聞いて良かったです。ききながら、心に残った語り手の言葉をメモ(太字がそれです)。そして交流会翌朝、作品に会いに行った。

「アートを意識しないで生み出されている作品、クラフトなどを、現代アートの立場から、考察しつなげる、こと。」

予算がばりばりあるわけではない地方で、レジデンスの事業を行うコンセプトについてはディレクターのMさんの口からも何度も聞いている。それが実際に作品という形で私たちの目の前に出現した、その過程をかみ砕いて丁寧に語ってもらった、その端的な例が「高台の菊池さんち」という作品。

あるおばあちゃんのお宅、おばあちゃんが亡くなって、建物も取り壊しが決まっていた。おばあちゃんが趣味で作ったいろいろなクラフトが家の中に所狭しと飾ってある。田舎のおばあちゃんがよくやっていること、私なら「しょーもないものをつくって」と流してしまうような、失礼な言い方をして申しわけないえど、「手慰み」の数々。それをアーティストさんは作品として昇華して見せてくれた。

菊池さんちの玄関を入ると、板の間の板がくだけて宙づりになったシーンと出会う。とりこわされようとしている家そのもののよう。隣の和室の真ん中には、おばあちゃんとおじいちゃんが二人寄り添う写真が飾られている。その周りをかざるおばあちゃんのクラフトの数々。おばあちゃんがこの家で、暮らした年月、楽しく手を動かして「なにか」を作り、それはひとときの喜びの時間を中に閉じ込めて、誇らしげに家の天井からつるされ飾られ愛でられていた。そのいとおしき営みが行われて来た家とその主。

奥の間には、おばあちゃんの娘さんが、その精神を受け継ぎ、仲間達と作り続けいている陶製のじゅうづるさんがいっぱい。心の赴くまま、手を動かし、生み出されてきたじょうづるさんたちに、おばあちゃんのDNAは引き継がれていくのか。

奥の間をみて、帰ろうとしたら、会場の担当者がもう一つ作品があると案内してくれたのは、おばあちゃんの写真が飾ってある和室の奥の一間。暗幕で暗闇になった押し入れほどの広さの空間の中に、陶芸仲間の作品が展示され、そのひとつひとつを小さなLEDライトで照らし出している。

いわゆるアーティストがアート作品を作ろうとするとき、その生まれ出る作品は最初から「見られる」ことを内包してこの世に生み出される。そのことへの違和感。何かに感銘を受け、あるいは心が動かされて何かの表現として生まれ出るもの、原初のアートは見られることなど、、意識されずに生まれ出てきたはず。その原初のアート、そして原初のアートを生み出す「いわゆるアーティスト」ではない「普通の人々」に、アートを取り戻す、そういうことを目指して、常陸太田芸術会議って開かれたんだね。この暗闇の中、小さな光ではあるけれども、照らされている作品は、むかしむかしアートが生まれた瞬間を象徴しているように、見えてきた。

もう一度あの文章を。

「アートを意識しないで生み出されている作品、クラフトなどを、現代アートの立場から、考察しつなげる、こと。」

そうだったんだ、と深く納得。昨日交流会で耳にした言葉が作品と一緒に身体の中をかけ巡るような時間だった。

「わからないものを、わからないまま付き合って来て、『わからない』を持ちつつ一緒に作業をしているうちに、「お!」と挨拶するような関係性になること、それがコンテンポラリーアートなのよ」

芸術会議開催に至るまで、ほぼ一年間。交流会の冒頭ディレクターのMさんが言った言葉「長かった」ほんとに長かったよね。やっとやっとたどりつけた、ばたんきゅーってかんじの週末でした。

何をするの?誰がやるの、なんで?いろんな???を頭のうえにいっぱい貼り付けながら過ごして来た日々が、そうか、そうだったんだ、って納得した高台の菊池さんち。この台詞は助っ人アーティストというか、助っ人コーディネーターというか、本人もどういう肩書きなのかよく分からないと、苦笑しながら自己紹介していたSさんの言葉。言い得て妙とは、このことか!

最近続けて訪問した中之条と市原アートミックスで、なんとなく腑に落ちない感が残っていた。作品について、どう感じればいいのかな、という戸惑いというか。その腑に落ちない感じは、自分の中にある、作品への思いの投げかけ方の足りなさによるんではないかと、反省した。今日この日から、現代アートへの理解が、ほんの少しではあるけれど、深まったような感謝の気持ちも持ちつつ、超超いそがしかった10月は終わりました。たのしかった、ぜ!

15日…サッカーの話じゃないよ(^_^;)

15日、日本戦の前半終了までみてから、友人の車に乗って上京。目的地についた時には敗戦、な一日の始まり。

森美術館で「ゴー・ビトゥイーンズ展」へ。様々な境界の橋渡し役としての子どもからみた世界。なかなかヘビーな内容でした。「子ども」という言葉から連想するハッピーなイメージとは違って、社会的な課題をその境界で順応する(順応するしかない)子どもの視点から露わにする、ってな感じ。重かった。

その後アートトライアングルの別の一点、国立新美術館へ徒歩移動。大きな展示会がないので、ゆったりした館内でライブラリーなどぶらぶらして時間つぶし。こんな優雅な時間つぶしは久しぶりだな!ライブラリーでふと目に止まった書籍を立ち読みしていて、がーーーーーん!手にした書籍は以下の3冊。

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アートプロジェクト運営ガイドライン

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組織から考える継続する仕組み

パラパラと読んだだけで、ソッコーでアマゾンさんにぽちっと。上の2冊は書籍として販売はされてなく、助成事業の成果物としてDLして全部読める、しかもとてもわかりやすい。こんな整理が既にされていたなんて、今までの半年のあれこれを思うと、私の時間を返して!っていいたいくらいの内容です。NPOに関わる皆さんに全員読んでいただかなくちゃ!!!時間つぶしのつもりが、思いがけない書籍発見の貴重な時間になっちゃって、ラッキー♪

その後下北沢のB&Bに移動、本日のメーンは「椿昇さんのトークショー」です。

瀬戸内国際芸術祭に参加したアーティスト椿昇さんたちによる書籍発売に合わせたトークショー。気になる言葉がずらずら、ひたすらメモを取る。

・テーマは「観光」から「関係」へ
・本当に大事なものはフェイスブックやネットには出さない
・システムを変えることなしに、アートだけやっていても何も残らない
・街中に、高速無線LAN環境を整えてもらった。こういう環境がないとクリエイターは所詮居付かない。
・地域の法整備があってこそ、地域が変わっていく
・ホストとゲストの関係を乗り越えないとならない

先週の北川フラムさんのトークショーといい、今回といい、得るところ多い上京だったなぁ。でも、もうトークとか聞くのはいいや、実践だ!実践あるのみ!

展示会2つ

今日は芸術館に、水戸岡鋭治さんの鉄道デザイン展を見に行った。ノリ鉄では無いけれど、こんな電車が走っていたら、ただ乗るだけに行きたい、って思える細部までとても美しい電車たち。会場内にプチ線路もあって、子どもでもいたら一緒に乗るんだけどなぁ・・・説明係のお姉さんに勧められて、一人寂しく乗って来ました(*^^)v

スタンプラリーもやっていて、全部押したらポストカードをいただいちゃいました。スタンプ最後の1個を見落としてうろうろしてたら、おなじ境遇の若い男性がいて、お互いスタンプを見せ合い、見落としスタンプを教えあって完成!なかなかこういう雰囲気っていいじゃない(*^_^*)

でもでも、一番印象に残ったのは、となりの小さな部屋に展示されていたMENDING MITO の展示。昨日の茨城新聞に記事が載っていて、友人からおすすめイベントってメールが来て気がついたもの。

水戸の南町から大工町あたりの商店などの「ほころび」を直してそのビフォーアフターが展示されていた。なんだろう、このほのぼの感覚。直されたほころびと一緒に店主や関係者が写真に納められていて、その表情からも不思議な暖かさが伝わってくる。思わずにんまりしてしまう「ほころび」の数々。

展示会場の入り口には、直されたほころびの場所が示されたマップがおいてあり、それを巡って確認する人もいるんだとか。

太田でやったら面白そう、って思って一番先に思い浮かんだのは東二町の文房具屋さんのひさしテント・・・う~む(*^_^*)

大友克洋原画展~活版フェスタ


5月4日、九ポ堂さんに教えていただいた活版フェスタのワークショップを申し込んであり、上京のついでに、前回買えなかった大友克洋のグッズを買い足し(*^_^*)学校だった建物の利用法としてはとてもいい。エントランスがひろびろとして、開放感があるのは学校ならでは。

お目当ては缶バッチセット。麻布にバッチをつけて額に入れて飾ろうかと思う。懐かしいシーンがカラーでバッチになってる。一つ一つのバッチが「あのシーンだ」と思い出せるほど没頭して読んだ漫画家さんでした。「でした」って過去形ではなく、連載が始まるとか・・・。どうなんだろう、若干の不安込みの期待感あり。

場所は移動して活版フェスタ。こじんまりとしたビルの4階が会場。エレベーターを降りるとすぐに会場がみえ、部屋はおおきくはないものの、熱気がじんわり伝わってくる。

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一番先に目に飛び込んできたのは、この活版印刷機!アンティークのオルゴールかと思うような出で立ち!機械って美しかったのねぇ、昔から。

会場には活版を業となす企業がブースを並べて作品を販売している。中にはこんなスタンプを売っているところも(*^_^*)黄門様が初代から最後の里見浩太朗さんまであったようだけど、残ってたのはこの方の代。常陸太田ですから、速攻で買いました。つくっているのはなんと土浦の出身。それにしてもそっくりな消しゴムはんこ。消しゴムはんこで名をなしたナンシー関みたいに上手です。写真を送ると、消しゴムはんこを作ってくれるとか。

似顔絵はんこ作家 Fumiwo 史緒
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はんこ作家さんがもう一人、 羅久井ハナさん

目を引いたのは、この原稿用紙。PORTさん
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7字20行の原稿用紙を作った、メモ用紙としてサイズをいい感じでつくったら、この字数×行になって、たまたまツイッターの140字と同じだった、とか。糸井重里が使ってると言うことで、確かにセンスいい。

下の写真は、上の白地の部分に絵を描いてもいいし、という説明だったけど、自分は喜久屋さんのような筆文字が書けるかたが商品のPOPに使うと面白いのではないかと思った。お土産に購入(*^_^*)

一番欲しかったはこちらの活字ホルダー。但し値段が数万円で断念(T_T)。作ってるのは築地活字さん。
スタンプとしても使え、勿論紙への印字、持ち手を交換すれば、レザーへの刻印やハンドプレスの活版印刷もできるとか。垂涎ですが・・・。
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時間となりまして、申し込んであったワークショップは「ハンド・モールドで活字をつくろう!」鉛を溶かしたものを活字を組んだ鋳型に流し込んでmy活字をつくり、それでカードを印刷してもらうというもの。

見た目には簡単そうに見える鉛の流し込み、あっというまに冷えるので一気に流し込まないとこんな風になっちゃう(笑)
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「天下太平」の4本と、大きめで「活」という活字を作って来ました。何に使おうかな(*^_^*)
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会場ではいろんな活版印刷グッズも売っていて、こんな木箱も売ってました。ボタンケースを探してるお友達にあげようかな・・・。
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会場に来てる人はおおきく二分されてる。30代くらいのセンスいい若者、そして活版印刷の時代をリアルに体験してきた年配層。東京には活版印刷の会社がまだ多く残っていて、その雰囲気を若者が好んで、静かなブームになっているという、レトロ・懐古など他にもよくあるパターン。上手に代替わりでき、生業として成り立ち、仕事・文化として残ると嬉しいなぁ。

越後妻有~再訪

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市観光課・鯨ヶ丘商店会主催で、越後妻有大地の芸術祭、本当に視察にいけました。感激

日帰りという強行軍で見られる作品も限られますが、あの空気というか作品を含めた自然・人を多くの人と一緒に感じてこられることは、きっといつか何かにつながると思えた。

トップの写真は前回もお土産に買って帰ったワンカップ。アート作品ばかりでなくグッツから何から何まで表現されている物にぶれがない、その象徴のような意味合いをこのワンカップのデザインに感じたんだった。

グッツはグレードアップしていてこれは鯨ヶ丘倶楽部の面々も全員が写真を撮っていた米、袋がすごい、さらに値段もすごい。
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お、おっと!レジわきになにげにあるのは北川フラムさんご本人の似顔絵はがきではないか!そっくり!あの羽のついた帽子、赤い靴下…、そうだよねぇ、思い出しました。
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で、作品、最初に見に行ったのが田島誠三の「絵本と木の実の美術館」越後妻有の他のアート作品にも共通の「地域の人と共に作る芸術」がここでも実践されていた。

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廃校になった小学校にいくと、早速目にとぼこんできたのがこれ、バッタリバッタという鹿威しのような物。たまった水で鹿威しが動く動力をワイヤーで校舎内に引き込み作品を動かしているのだという。

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これは絵ではない。下の写真がアップしたもの。小さな木の実が貼ってある…。何千、何万…?

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なんとラッキーなことに、田島誠三ご本人が作品をつくりにその場に来ていた。お話も直接伺えることになり、思わずパチリ!

教室を改装したカフェまで併設されていてそれが何ともおしゃれだと思っていたら…。田島誠三の二人の息子さんは木工作家とレストランのシェフなのだそうで、その二人ともカフェに関わっているのだそうだ。

見る物すべて「うまい」、参考にさせていただくしかない発想の無い一般ピープルはうなるしかありませんでした。

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次は農舞台。エントランスにある作品は地域の店舗の屋号が書いた木の柵ずらっと並んでいて、地域丸ごとお出迎えの精神を表した作品だという。そこを歩いていくとセンサーが働き、地元の方言で歓迎のメッセージが流れる仕組みになっている。自分の店同じ屋号を見つけて大喜びの商店会長Wさん。
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つい先日まで鯨ヶ丘商店会でも行っていた古い民具の展示、アートはこうなるっていうのを見せつけられました。持ち手の木の部分には地域の作物の種が埋め込んであり、過去を表す古民具と未来を表す種とが一緒になって永遠性を表しているのだそうです。鯨ヶ丘でも同じような意図で行ってはいたんだけど、きっちり言葉に表わされているのを聞くと、コンセプトの際だち方もこちらの方がきっちりしているなぁと、つくづく思い知らされました。

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これも作品。一輪車を屋台風にしてあり、すべてのパーツが折りたため一輪車にすっぽりしまうことができるという優れもの。鯨ヶ丘倶楽部の製造担当N兄弟は、その場で「帰ったらすぐつくって」と発注されてました。

とんぼ返りの一日だったけど、みんな「見る物がみんなアートに見える」と3年前の自分と同じ感想を口にしていた。さて、これから鯨ヶ丘はどう動き出す?

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↑なぜか動画がうまくUPできない…。携帯で取ったからかなぁ。今回のいちばんお気に入り、脱皮する家の入り口に展示してあった作品。永遠に回していたくなる今回は音の出るお土産を二つ買ってきた。もう一つもそのうち動画でUPしよぉっと。

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