あと5年

フォンズは常陸太田市生涯学習センターが新規オープンしたときとほぼ同時に発行が始まった市民による生涯学習情報誌。

 

当時、県立生涯学習センターが唯一県北にはなく、日立市に建設されるのか常陸太田が引っ張るのか、綱引きがあるのではと聞いた。が、常陸太田はあっさりと県立生涯学習センターの綱引きから降り、市立を目指したのだという。あくまでもうわさで聞いた話。
そんなわけで、市立生涯学習センター立ち上げにかかわった市の職員さんは「えり抜き」の人がそろっていた。その顔ぶれをみて、そう感じたものだった。

 

えり抜きの職員さんの中で、私も懇意にさせていただいていた方が「市民による生涯学習情報誌をたちあげたい。」と言って相談に来たのは来るミレニアムに世の中がなんとなくざわめいていたころだった。

 

「市民が創る情報誌といって、形だけ市民を集めて、職員が縁の下で段取りを進めるのではなくて、一から全部作る情報誌にしたい。なので、市民の方はこれと思う人を一本釣りしていきます」と。私も、釣られた人でした。釣られたなんて言い方は申し訳ないですね、その職員さんの心意気に感じたので、喜んで食いついたのが正確でしょう。2000年6月に創刊された情報誌が「フォンズ」です。それから20年もたってしまって、今89号を制作中です。はるばる遠くに来たもんだ~♪と歌いたくもなります。

 

数年前、そのフォンズ瓦解の危機がありました。取材から写真撮影、原稿のレイアウト・取材先の連絡から発行後のお礼と発行紙のお届けまで、「あんたらがやるんでしょう?市の補助金もらって作ってるんだから…」などの職員の発言から、発行に携わっていたメンバーすべてが「もう(フォンズメンバーを)やめよう」と一致したことも。

 

なんだかんだありましたが、今も続いております。続いているのは、20年も楽しんで作ってきたフォンズをきれいな形で終わらせたい一心から。あと5年ほどで100号がみえてきて、その100号を記念して終わりにしたらいいな、と密に策を練っております。

ひそかなたくらみとは別に、新しく入ったメンバーの力によって、紙ベースでの発行であったものにWEBという力強いツールを手にすることになりました。Mさんがメンバーに入ってからのフォンズの垢ぬけた仕上がりは、紙面を見ていた常陸太田市民の方にも伝わっているに違いないです。そのさらに上を行って、今まで発行されたフォンズバックナンバーをすべてWEBにアップし、常陸太田市の生涯学習にかかる情報が検索できるようにしあげたい、Mさんの夢だそうです。

PDFデータでしか残ってなかった全8ページ88号分、8の3並びですが700余ページをテキスト化している最中です。(テキスト化しないと検索に引っかからないからね)

20年のフォンズの歴史の中で、愛着のある連載がいくつかあります。「水の思い出」というタイトルで表紙を飾った市民の方たちのリレーエッセイ。市内在住農家による野菜や畑のあれこれを描いていただいた「農天気」、そしてどうしても情報誌に漫画を入れたいという私の願いをかなえてくれた「踊るママパラダイス」という漫画付き子育てエッセイ。そして一番最後に始まった「太田点描」という連載のクオリティは相当な高レベルと読むたびに思います。

毎晩宿題のように、連載物のテキスト化をする作業は、果てがないですが、楽しんで携わってきた道を振り返るようで、苦ではありません。ポチポチと原稿を見ながら打ち直しをしていると、その原稿をいただいた時に頭はタイムスリップしていきます。そうだった、こんなこともあった、あの時の取材先は剣呑なひとだったなぁ、あの取材は楽しかった、などなど。

そして、出来上がるテキストを見ているとある種の感慨にとらわれます。10年近く続いた連載もあり、原稿を書いて下さった皆さんになにかお返しできないか?100号記念号はかかわってくださった方たちへのお礼を込めて作りたいし、形になる何かを皆さんにお返ししたい。

今日も、ポチポチテキスト化の宿題、5年後のそのお礼はどうしようかの楽しみを思いながら。
(写真は連載の漫画の中で好きなもののいくつか♡)

常陸太田の人情はみょうがの味

6月24日のフェイスブックにこんな記事を書いた。
(リンクはアカウントある人した見られません)

*****以下転載

夏の好物でなかなか作れないのがミョウガの甘酢つけ。あっという間にぽりぽり食べちゃうので、買ってまで作れない^_^;

誰か庭に捨てるほどはえてくるひと、とってわけてくれないかと、人知れず毎年願ってる。

わけてくれたら仕上がり品をお返しするのになぁ。

聞くと、ミョウガの生えてる場所つて、なめ○じとか、蛇とかいるシケったところなんだって?だから農家でもあんまり作らないって、ほんと?

*****
何気なく投稿してるんだけど、読んで気にかけてくれている人って案外多いんだな。何がって、今年の夏はみょうがをいただんですよ、ほんと立て続けにお届けいただいたのでびっくり。

おばちゃんの与太話を覚えてくれていて、しかも季節がきたら手間を惜しまずあのやぶ蚊の多いがさ藪をかきわけてみょうがを取ってくれるという方に、私ぁ囲まれて生きているんだと、しみじみしちゃった。

ありがたくこうして甘酢漬けにしていただいております。
皆様、本当にありがとうございました。
思えば思うほど、ありがたくて涙出ちゃうよぉ‥‥。

iMacがくる~ぅ

 

MacBookProのストレージが結構いっぱいになってきたんだけど、新しい機種を買おうか、いっそのことiMac買おうか…悩みに悩んで、iMac注文したら、1週間もしないうちに、iMac新しいの出ました!ってAppleのニュース。そんなあほな‥でも、しょうがないなぁと思っていたら、詳しい友人が「マックは手元に届いてから1-2週間以内なら返却できるはずだから、届いたら返送した方がいい」とアドバイス。

 

そんな会話をしたその晩に、こんなメールがきました。(冒頭の写真)なんか、Appleって不思議な会社ねぇ。

村上春樹短編はさようなら

この本を最初に知ったのはアマゾンの予約本として。

本屋さんで、平積みされていたのをみたら、不思議に思っただろうな。どうしてこんな表紙?

安西水丸さんじゃないもんなぁ、もう。

微妙な違和感を持ちつつ、予約して届いて読んで…。

 

おもしろい短編もいくつもありました。でも書下ろしのは…判断する者じゃないとは思うけど、短編集はもう買うのをやめよう、と思った。読み終えても本棚には戻さず、ブックオフ行に用意してある段ボール箱の一番上にそっと置く。

 

なんか、さみしいね。深み読みもできるんだろうし、忘れられない村上短編もある。でも、よく考えたらその短編も「好き」で、忘れられないのではなかったなぁ。なんだろうこの不思議な読後感。

三題噺~キュウリとアートとフォンズ

まずは前段。

常陸太田市生涯学習センター発行のフォンズという情報誌の手伝いをしてかれこれ20年余。回覧板で市報等と一緒に配布されてくるだけだったが、WEBを整備できることになり、バックナンバーがすべてネット上で見られるようになった。

生涯学習センター発行 フォンズ 

WEBでは画像データとしてアップされていて、そのままでは検索に引っかからないため、現在はページを鋭意テキスト化の真っ最中。

8ページ×88号発行済みなので、総ページ数704ページ!いや、途方もないデータアップしないとなぁ…。パソコンの時代だったので、作った原稿は残っているのもだいぶあり、ストック分をやっと全部WEB担当の方にお渡しした(今ここ)。

原稿は、校正されて紙面になるので、その校正をネット上のBNを見ながら修正して上書きして、というなかなか面倒な作業ではある。が、長年楽しんで作ってきたフォンズなので思い入れもあり、作業自体はさほど苦にはならない。

校正しつつなので、必然的に文章をそのまま読む、でキュウリ!

里美にいらっしゃる「木の里農園」の布施美木さんに、「百姓母ちゃんの農天気」というコラムを連載していただいていた。こちらのBNの7ページ目にキュウリについて書いてくださっている。↓

46号 農天気⑭「ありがとう!キュウリ君」

「夏といえばキュウリ。これがもううんざりするくらい採れるので(中略)キュウリやトマト・ナスといった果菜類は、根・茎・葉を伸ばす栄養生長と実をつける生殖成長を同時にする植物だそうだ。人間でいえば、体がどんど大きくなりながら、子どももどんどん産んでしまう!?」

そうそう!キュウリが食べきれない程もらえるのだ(田舎暮らしあるある)。うっかりすると10本なんてすぐに冷蔵庫にたまってします。ぬか漬けなんかでは食べきれない…お上品に千切りにしてそうめんのトッピングに、なんて言ってたら1本しか消化しきれないの(苦笑)

話変わってある年の夏、越後妻有のトリエンナーレに友人と1泊2日で鑑賞旅行に出かけた。アート作品については横において、その時のお土産のベストが「キュウリのクローブ漬け」。名前は私が勝手につけたもの。名のない田舎の漬け物に敬意を表してなづけました、クローブ漬け。

クローブ座についてはこちら
地域アートについては、いろいろ?なものもあるけど、越後妻有トリエンナーレはさすがに先頭を切っているだけあって、コンセプト・作品・地域との連携など素晴らしいものが多い。そのクローブ座を見学に行って、地域の歴史寸劇をおばちゃんたちの地域の料理とともに見て食べた。その中にあったのがきゅりの漬け物。キュウリのキューちゃんとはまた違った味でピリ辛で美味しかった。

おばちゃんのひとりに、どうやって作るかを聞いたら、田舎料理あるあるダイナミックな漬け物だった。

***キュウリのクローブ漬けレシピ*****

キュウリ 2㎏(約20本!取り忘れてぶっとくなったのでもOK)

青じそ  好きなだけ(多いほど美味しい)積み上げて高さ8センチくらい
唐辛子  お好み
しょうゆ 3カップ

みりん  1カップ

酢    1カップ

砂糖   100g~400g(お好み)

・キュウリは大きめの乱切り、シソは5㎜くらいに細く切って大きな鍋に入れて混ぜておく。
・他の材料を別の鍋に入れてぐらぐらに沸騰させて、キュウリの上からざっとかける。
・冷めるまでそのまま置く。
・冷めたら、キュウリとシソを取り出し、漬け汁を再度沸騰させて、キュウリの上からかけて、冷めるまで置いておく。
・この作業をもう一回繰り返すと出来上がり。1週間くらいは冷蔵庫で保存できる。
・夕ご飯のあと、作り始め、翌朝もう一回、その夕方もう一回とやると手順がいい。
*******

シソの量が半端じゃないよ。

私「シソの量はどれくらい使うんですか?」

おばちゃん「これくらい」といって手の親指と人差し指で高さ(!)を示してくれた。グラムとか枚数じゃない、高さ!

農家の庭には必ず、赤しそと青シソが植えてある(っていうかいつの間にか生えてくるんだろうけど)、スーパーで10枚きれいにパック詰めになった温室育ちのシソじゃない、陽にかんかんにあたって、虫食いにも負けず育ったごわごわのしそっぱが目に浮かびました。

トリエンナーレ鑑賞旅行から帰宅してしばし、「こいこい、キュウリ」と思っているとおばあちゃんちからでっかいキュウリや曲がったキュウリなど来ましたねぇ。早速つくりました。

 

アートの思い出がこんなのって、昨日聞いたばっかりの「限界藝術」か?

キュウリとアートとフォンズの三題噺でした。

市内回遊パンフ配りの巻

以下の事業所他(敬称略)を、山新と100均で買い物したものを梅津に届けながら、一筆書きルートで回れるか?

教育委員会
市役所
山新
100均
養徳園
梅津会館
観光物産協会
道の駅
図書館
パルティホール
生涯学習センター
金茶猫
ひたちの中央クリニック
久保田クリニック
菜の花クリニック
渡辺医院
ひたち太田家庭医療診療所
ガトーデイジー

 

いけましたね(^^♪ あんまり難しくはないね、常陸太田在住30数年!

 

鴨肉のローストを作ってみた

地元に名の知れたフレンチが開店したのは10年近く前。ちょっと変わりの者のシェフさんと、ワインに詳しい八嶋智人似のギャルソンがいた。

東京で名が出たというフレンチが何で常陸太田にお店を出したのかは???だけど、出されるメニューは最高に美味しかった。ランチで2000円台、ディナーで最低5000円台という価格で苦戦していたが、それとは別の理由からか残念なことに閉店してしまった。

スープが最高に美味しかったのがとても印象深かったけど、鴨肉のメニューを地元で食べられるってのも何ともうれしかったなぁ。

そのお店がなくなってからは、鴨肉のローストなんて、東京にでも行ったついででもないと食べられないものになってた。コロナ禍で豊洲市場も苦戦しているというニュースはもう何か月も前の話題だけど、その際通販サイトを除いていたら、鴨肉売ってるじゃん!(当たり前)

 

ソッコーかっては見たものの、さて料理するのは…で、やっと作ってみました。

さすがに上記の名店の味にはならないけど、そこそこ美味しい鴨肉が夕飯のメニューに並びました。作ってみたレシピはこちら。

そんなに難しくはない。ちゃんとジューシーに仕上がるけど、時間がかかる。8分焼いてひっくり返して2分焼いて又ひっくり返して2分焼いて…という手順。焼きあがってからもアルミホイルにつつんで20分落ち着かせないとドリップがでるという。

 

最後の20分を惜しんでというか、計算違いで夕飯の時間に間に合わず10分に短縮したせいか、多少ドリップが出てしまったけど、でも美味しい♪

さて、鴨肉をいちいち通販で買うのはなぁ、面倒だなぁと思っていたら、地元のチキンデリカさんの冷凍庫に鴨肉を発見!これから食べたいときに作れる♪

****
最初にレシピサイトを探して保存しておいたメモと、ブログのためリンクを貼ってみたら、レシピが違っていた。

 

作ってみたソースのレシピは以下の通り。

水 75㏄
醤油 大匙2
赤ワイン大匙2
バルサミコ酢 大匙2
はちみつ 大匙2
マーマレード(ブルーベリージャムでもOK) 大匙1

はちみつは好きじゃないのでメープルシロップで代用、マーマレードもブルーベリージャムのなかったので頂き物のブラックベリージャムで代用。

ソースがちょい甘いんじゃない?っておもったら案の定甘い。次回は砂糖をひかえる(メモ)

*****

今度はこっちのレシピで作ってみる

鴨ロースのわさびソース

気になるTV③

気になるTV③ TV笑っていいとも~彼氏が彼女に着替えたら

お昼の情報番組、笑っていいともの中で面白いコーナーをやっている。付き合っている二人、カップルの男の子に女の子の服を着せて登場させ、どれだけかわいいかで賞金が出るというもの。その曜日のレギュラーメンバーが1~5の札を上げてかわいらしさを評価し、得点×1000円をゲットできる。

 

彼女の服を着た彼氏が額縁状のセット(始めはカーテンが下がっている)の中のいすに座って登場する。しっかりとメイクされ、鬘もかぶり、ポーズを指定されている男の子。その男の子をタモリが毎回、スカートの中をのぞくようなしぐさでからかう。決まったようにスカートのすそを押さえて「恥らう」男の子。これを見て、う~ん、思った。男の子はどうして恥らうのか?

 

スカートと言うものをはいてみるとわかるのだけど、あんなに安心できない洋服はない!風が吹けばパンツ丸見えになるし、危なっかしいことこの上ない。タイトスカートなんぞは、何かをまたごうとしても、足が開かない。どぶをまたごうとして、足がどぶの巾まで開ききらず、危うく踏み外しそうになった経験がある。たまにスカートをはくと、動作が服装についていかないのだ。下から覗かれる危険だってある。(誰も見ない、って突っ込みは無し)電車に乗ったときにひざを緩めないように気を使うけど、Gパンはいたときは、そんなことまったくそぶりもしない。

 

スカートを(多分、だろうなぁ)生まれて初めてはいた男の子は、覗かれる危険から身を守る、スカートのすそを押さえることなんか、動作として身につけてるはずないじゃないか?どうして、そんなにスムーズにスカートを押さえるの、君たち?

 

男らしいしぐさ、女らしいしぐさというものは、そのしぐさに該当する性別のみが刷り込まれるのではない。女の子が「キャー」とか言ってスカートを押さえるという場面を(恥らうようなしぐさをしながら、そのしぐさの影響力を計算している女の子もいるんだなぁ。ジェンダーって使いようかも)目にしたこと、誰にでもあるだろう。そのしぐさが「女」の付属品ということは、それを目にした男の子、女の子両方に焼き付けられるのである。すべての「らしさ」は男女ともに共通の概念として埋め込まれるのである。

 

女の子に扮装した彼氏は、女の子という概念も服装とともに身につける。そして、女の子らしく振舞うことを、会場で見ているお客・出演者に無言のうちに要求されていることを感じ、「恥らう」のだろう。タモリが恥らう男の子をみて、「何で恥ずかしがるんだろう?」と笑う。彼が言いたいのは「中身は男のままなんだから」というものだろうが、彼氏は役割に忠実に「女の子らしさを演じて」いるんだよ。

 

それとも、服装にはそういう中身を変える力があるのだろうか?確かに、服装は行動を制限する。着物を着れば、それなりにおしとやかになる。(書きながら、今は違ってきてるなぁって、思うけど)タイトスカートをはけば、ドブに限らず何かをまたぐなんていう「はしたない」ことはしなくなるだろう。でもそれって習慣になると、であって、瞬間的に行動が変わるというほど大きな力を持つものではない。大きな力を持たないからこそ、気づかないうちにじわりじわりと行動及び思考を制限する力として今まで使われてきたのではなかったか?

 

 

cafe+1をふりかえってみた

物置、家庭内と断捨離がすすみ、最近はデジタル断捨離に時間を少しずつとっている。

 

たまりにたまったデジタルファイル、その時々で保存しているからあっちこっちにばらばらだったり。探しあぐねて同じようなものをいくつも作ったり…。

 

cafeの画像もあっちこっちにいろいろあったのをやっと整理できた。写真を見ていると、10年以上たつからいろいろ変わってきたんだなぁと改めて思う。で、スライドショーを作ってみた。

 

あんまりあちこち整理すると…自分まもなく死ぬ予感でもあるのかと(苦笑)。一応世にはばかるくらいは寿命あるといいな。

気になるTV②

気になるTV② CM三菱モータース

穏やかそうなおじいさん…というにはちょっと早い、退職して10年くらいのおじいさんが小脇にセカンドバックを抱え道を歩いている。しっかりとした足並み、行進のような歩き方。あの年代だと、戦時中を過ごしていることを歩き方から想像させるような歩き方。後ろから、いかにも今風のフリーターっぽい若者に追い越される。ヘッドフォンで何かを聞きながら歩いているその若者のいでたちは、ピアスをして、本人だけがそう思っていない無精ひげ、あごを突き出し腰を落とした歩き方がおじいさんと対照的。

 

追い越されたおじいさんがむっとして、早足になり、その若者を追い越し返す。にんまり笑うおじいさんと、追い越されてはっと&むっとする若者。歩道橋で2段3段飛ばしに登る若者に再度追い越されたおじいさんは、曲がり角で道なりに行く若者を、コーナーをショートカットして再度追い越す…。そこで音楽と「負けず嫌いな人たちへ」とキャッチコピーが入る。

 

三菱モータースのCMで、ある特定の車種のCMではない。負けず嫌いな人たち、ではなく、負けることが許されない人たち、今も男性に「負けるな」という言葉は魔法のようにすりこまれているんだ、と改めて気づかされる。このCMのラストは…。競争のように競って歩いている二人、はっと気づくと颯爽と歩くスーツ姿の美しい女性に追い越されている。靴音から多分ヒールの高めの靴を履いてるだろうこと、ジャラジャラと音がすることから、アクセサリーなどをたくさん身につけているだろうということが匂わされる。追い越され一瞬唖然とする二人の男性、我に帰ってその女性を追い越そうとし、一方女性はそんな二人にまったく気づかない、というころでCMは終わる。この場面は何を伝えているのだろうか?この後に続くシーンを想像してみよう。追い越された女性も、むっとしてその競争に加わるのか、そんな価値観は無縁よと嫣然と微笑みながら歩いているのか?

 

これまでの男女共同参画の道のりは、このCMの続きのシーンのようだ。男性と平等を求め、男性社会の価値観の中へ新規参入を狙っていた今までのフェミニズムは前者のタイプ。どうやら、それは違っていたようだと思い始めているのが今のフェミニズムの先端なのではないか?つよい、はやい、おおきいことに価値を見出す社会に加わるのではなく、よわい、SLOW(!)、ちいさい、ことの価値を認める社会へ、と。「勝つ」という未来の実現のために、「現在」を手段化するのをやめて、「今を生きる」ことを大切にしようと。あの女性は「歩くこと」を楽しんでいるのであってほしい、と思う。そして、男性たちも歩く楽しみに気づいてほしい、そういうゆとりのある環境を男性たちに、と思う。

 

「負けるが勝ち」って!?

 

 

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