かどやが!その4


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間が空いてしまってもう前に何を書いたのやら、自分でもうろ覚えで読みなおしました(苦笑)

 

かどやのアイスキャンデー、のブログを書いてたら、いろいろ感想が聞こえてきました。その中で、これは上手にかわして来たつもりだった点にツッコミがはいりました。「なぜかどやではなくまんしゅうやご贔屓だったか」問題(問題なのね・笑)

え~、なんともうしましょうか、当時の子供のことですのでご容赦頂きたいし、あくまでも好みだからねぇ…つまり、かどやは私ら子供にとって、セカンドチョイスのお店だったってことなんですね(あ~、言っちまったよ、ついに)。まんしゅう屋のアイスは美味しかったし、キャンデーも色が濃かった(色が濃いと美味しいって感じでしょう?実際味が良かった記憶なんです)!その点を当時を知ってる◯◯から突っ込まれました(笑)そうです、簡単にいうとまんしゅうやのアイスが美味しかった。

で、前回の続きに戻ります。

かどやの店内、例のカレンダーよりも表がわに墨跡豊かに「アイスキャンデー 50円也」「あずき 60円」「アイスクリーム 100円」「ソフトクリーム200円」と縦書きのお品書きに書いて貼りだしてありました。

大人になって、アイスの大人買いができるようになると、いつもキャンデー20本アイス10個などとまとめ買いしてましたね。

 

「キャンデー20本とアイスクリーム10個ください。あとソフトクリームね」
「はいはい、小豆も入れますか?」
「入れてください」
「お父さん、アイス10個」
とおばさんから声がかかると白い前掛けをした(渡る世間~のTVのおじさんみたいな白いエプロン)おじさんが手早くアイスを作ります。おばさんはキャンデーを数えて、白い紙袋にいれ、更に新聞紙で(ここ大事)くるくる包んで、キャンデーの入っていた冷凍庫に一旦保管。

その間、おじさんはソフトクリームを作ってくれて、それを舐めながらおじさんのアイスを作る手さばきを見ている。

おじさんは、アルマイトのお盆(ここも大事・冒頭の写真参照よ)にモナカの皮を10数個並べます。モナカの皮は昔の駄菓子屋さんみたいなアルミの蓋のかぶさった大きな瓶に入ってた。で、冷凍庫からディッシャーでアイスを掬い、木のヘラで平らに均してはモナカの皮にカシャンと乗せていきます。思えば、アイスディッシャーなんてものを最初に目にしたのもここだな。まんしゅうやではアイスを作る場面は見た記憶がない。

10個ディッシャーでアイスを皮に乗せると、モナカの皮で蓋をして、こちらもやっぱり紙袋に入れた後、新聞紙でくるくるし、アイスキャンデーと一緒にレジ袋に入れて渡してくれます。「新聞紙ってえらい、ちょっとの時間なら、溶けずに持ち帰れるのは新聞紙だから」っておばさんが言ってた。

かどやに通い始めて、しばらくはなんだか罪悪感があったんだよね。もともとおなじみではないのにこっちに買いに来てって思われないだろうかとか、変なこと考えてたんだねぇ。おとなになってからは一番若いおばさんとは仲良しになって随分通ったなぁ。

 

で、ある日、驚きの事実を告げられる。アイスキャンデーをやめてアイスクリームとソフトクリームだけになっちゃうって。そのおばさんにどうしてやめちゃうんですかって、思わず聞いちゃったですよ。おばさん「キャンデーの液をいれて冷やす道具が壊れちゃって。新しいの欲しくてももうつくってないんだって」。真鍮製の試験官状の筒が6個か8個入り口あたりでつながってる感じ?の型が穴が空いてしまったとか。穴が空くほど使ったんだね。

 

日本の文化とか、かろうじて残っている工芸品とかは、それを作る人はまだまだ残るんだけど、周辺の道具を作る人が先にいなくなっちゃって道具がなくなっていくという順番でなくなっていくんですよね、なんでも。アイスキャンデーもそうだったんだ!

 

夫は金属部品を作る工場をやっているので、夫に「真鍮かステンレスで作れない?」って聞いちゃいましたよ。ショックだったから。夫曰く「ものすごく高くなっちゃうよ」う~ん(泣)

 

アイスだけになっても通いましたが、やはり花はキャンデーでしたねぇ。そしてある夏、かどやにアイスを買いに行ったら、雨戸がしまったまま!が~ん!全部やめちゃったんだ(大泣)おばちゃんが亡くなっちゃったんだろうか、そういえばおじちゃんは数年前から姿見なかったしなぁ、いろいろ想いがめぐりました。50年以上親しんだアイスキャンデーのお店かどや、今でも実家によって旧国道経由で帰るとき、そこを通ると、雨戸が閉まったままの佇まいが目に入り、胸がキュンとなっていたのでしたが、このたび何やらリニューアル。恐ろしくてリニューアル後は傍を通ってません。

かどやが!その3


話がどんどんずれるけど…ご容赦ね。

 

映画女優のカレンダーは当時貴重品だったと思う。

なかなか手に入らない、きっと買わなくちゃならないタイプの豪華なカレンダー。

それがいつも毎年はってあったのは、そうだ、バス停!

かどやは一方通行の細い道に面して建っていますが、

かどやたるゆえん、店に向かって右は旧国道と地元の人が呼ぶ

旧国道6号線に面していました。千石町というバス停が

かどやの横壁面にあって、そこには近くにあった映画館の看板がかかっていたんですね。

多賀会館!知ってる方も多いと思うんですが。私の初映画はここでゴジラ対モスラ。

おもいっきりかどやから離れます!

多賀会館は、2階建ての映画館で、2階は桟敷席でした。

映画の合間には普通に「おせんにきゃらめる」ってばんじゅうを下げた人が売りにきてた。

昔の映画館は、建物の外に映画の音声をスピーカーで流していました。

なので、外にいると映像は見れないけど、怪獣映画のドキドキするような

音楽なんか聴き放題(笑)弟は、その音だけ聞きに行ってて

親に怒られていた…すまぬ弟よ、昔のことを述べてしまった(苦笑)

多賀会館の一番古い記憶は、ゴジラの銅像(?)が建ってたこと。

映画をやってたんだと思うけど、ミニチュアのゴジラが映画館の前にしばらく建ってた。

子供心に、なんで?と思ったんだろうな。

モスラやキングギドラやラドンや、いろいろこの映画館で楽しみました。

最後はポルノ専門館になってしまってなくなっちゃった。

 

で、その映画館の看板がかどやの脇のバス停にあって、壁を貸してたんだな。

だから、あんな高級カレンダーを毎年あそこでは貼ってたんだ、と当時の記憶が

余計な方に飛びました。

 

道が交差するところで、タバコの販売。そこには年配のおばあちゃんがいつも座っていた。

昔のタバコ屋さんのつくりに共通しているタイル張りのカウンター、

あれ、今回のリノベーションで保存されてるんだろうねぇ。

まさかの取り外しなんかしてないだろうね、心配になってきた。

あのタイル張りのカウンター、移設できるものなら欲しいもの(何に使うんだ!)

常陸太田のカフェの近くにも文房具&タバコ販売のお店があって

そこにもそのタイル張りカウンターがある。

あれ、壊さないでほしいなぁ。

今回はまったくアイスキャンデーにはふれないで終わってしまった、

でもこれもかどやの一面よね。(まだ続く、みたい)

かどやが!その2


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思い出のまんしゅうや、イメージはこんな感じ。グーグルマップを検索すると今も100均ショップとか

まんしゅうやがヒットする。ストリートビューで見ると、そのふるさが絶対昔のまま!

入り口がサッシに変わっただけと思える佇まいで現存してた!

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このまんしゅうやの絵の左側は小道で小さな商店が連なっている。子供の頃はあまり通らなかった・・・。

自宅へはイラストからみると右に進む道を行くので、単に行き先がその道沿いにはなかった

ということかもしれない。でも印象的な通りで(車は北から南への一方通行だった、いまもかな?)

なぜか今でも時々この通りの夢を見る。

白いのれんがかかっていた小さな食堂は、現在チェーンの居酒屋になってる。

その先に花屋さん、鈴廣だったかな…検索、ピンポン!

花屋さんというか、仏具と仏花のお店。今の花屋のような明るい華やかさはなくて

花も菊とか榊とか地味~なものしかなかった。反対側あたりにバッグのお店があったし

だいぶあとだけどかどやの反対側あたりにラーメン屋さんがオープンして

何度か行ったなぁ。今は何になってるんだろう。

 

やっとたどり着きました、「かどや」

まんしゅうやさんのほうが年配だったので先に店じまいしてしまって

それからはアイスキャンデーはかどやの独占!

ここは、道路に面してフルオープンの店構え。向かって右が袋菓子やタバコの販売

左側にずらっとアイスキャンデーを保管する冷凍庫がありました。

今もアンティークを扱う店で見かける、木製の冷蔵庫とか、ありますよね

あれを横に寝せたような冷凍庫の大きいのがでーんと店頭にありました。

扉をうえに観音開きにあけると、色とりどりのアイスキャンデーが並んでる。

この冷凍庫の中に鎮座するアイスキャンデーを見るのは、まんしゅうやでは

できなかった楽しみでした。

かどやは多分ご夫婦と思われる年配のおじいちゃん、おばあちゃんの他に

その親御さんらしいおばあちゃんと若いおばちゃんの4人で回していたらしい。

一番年配のおばあちゃんはあまり会話した記憶がなく、もっぱらタバコ売り場に

いらしたような。

メーンはご夫婦らしいおじいちゃんおばあちゃん。

冷凍庫の奥にはアイスキャンデー製造の作業場。

いつ行ってもタンタンタンタンとVベルトが回ってる軽い音がしていました。

まんしゅうやのも、かどやのもアイスキャンデーの形は試験管型

真鍮製の試験管を8個位くっつけた容器に

凍らせる前のアイスキャンデーの素を、これも真鍮のジョウゴで注ぎ入れるのは

おばあちゃんの仕事でした。

もなかアイスとソフトクリームはおじいちゃんの担当です。

テイクアウト(そんな!笑。違和感ある表現)がメーンですけど

中で食べることもできたんです。

ジュースの冷蔵庫などの奥にテーブルと椅子があって、

そこでアイスやソフトクリームを食べていくこともできました。

アイスは小さな皿にスプーンを添えて、ディッシャーでころんとまあるくでてきます。

ソフトクリームは、ソフトクリームスタンドに乗って!

これが高級感あったんですよねぇ。

アイスをなめなめしながら、部屋の中をながめてるのがいつもでした。

薄暗い土間にあるテーブル、周りにはお菓子の入ったダンボールとかが山積みになっていて

天井から長押の間には、カレンダーがズラッと貼ってありました。

昔の「映画女優」のカレンダー、ね。吉永小百合とか大御所風の女優さんが

綺麗な和服をきて花を持ってにこって笑ってる大判のカレンダー。

東宝だか東映だか、映画全盛期によく配っていたであろう懐かしの

映画女優のカレンダーが所狭しと貼ってありました。

(続く)

かどやが!


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フェイスブックのTLでも散見していたけど、常陸多賀駅前の「かどや」さんが

今どきのリノベーションを経てシェアオフィスになるらしい。

常陸太田でタンス屋さんだった場所をお借りして、リニューアル後コミュニティカフェを

運営しているけど、実際に自分の思い出が重なる場所が変わっていくという

実感はこの場所では覚えなかった。それが、かどやが変わるという記事を読んで

若干の…というより、かなりの動揺を覚えた。身勝手なことこの上ないかも。

(カフェは大事に活かして使っていますよ、でもそれとは別の感覚ですね)

「かどや」というキーワードから無限に引っ張り出されてくる自分の幼いころの記憶。

つれづれなるままに、記載してとどめておこうか、その記憶。

文字にしてしまうと、ぼんやりとした夢のような記憶が、固定化されて別物になってしまう危惧が

ないわけでもないんだけど、でも、自分の記憶もいったいいつまで保てるかという

年齢にもなってきたことだし。

常陸多賀駅前の昭和30年代の思い出、長くなりそうな予感あり。

父は常陸多賀駅前の製材所に勤めていて、その後独立。桜川町に製材所を構える。

自宅は今の常陽銀行多賀支店の裏あたり、当時は字名を「いわがみね」って言ってたような。

子供としての行動半径は、父の勤めていた製材所のある駅前が南限、東は下孫の公園付近まで。

駅のロータリーは当時は真ん中が池のようになっていた。4つ下の弟はよくこのロータリーの池で

水遊びをしていたようだ。

 

そのロータリーの近くに2軒のアイスキャンデー(キャンディーではないよ)があった。

一軒は「まんしゅうや」、もう一軒が「かどや」だった。

私と私の兄弟がおなじみだったのは「まんしゅうや」のほう。夏はアイス、冬はラーメンを出す

店だったので「まんしゅうや」といったのだと思う。店先は、いわゆる昭和の食堂の風景そのまま

のれんが下がっていて、そこには「支那そば」と書いてあった。

今は差別用語なのかもしれないが、ラーメンというより「支那そば」のほうがイメージにぴったり。

あっさり醤油のつゆに縮れ麺、ほうれん草となるととノリが乗ってるだけの

正真正銘の中華そばでした。おいしかった。1杯50円。

この店は、自分が中学生のころまで営業していて、そのころは100円で2杯という

贅沢なこともでき、おじちゃんは1杯目が食べ終わるころ2杯目を出してくれる優しいおじちゃんでした。

で、アイスキャンデーね。

1本5円だったと思う。ラーメン屋さんの入口は引き戸に暖簾だけど、それは冬場のみ。

夏のアイスの時期はそっちはあかなくて、そのわきに腰高の窓が2間分ぐらいあって

真ん中の窓を2枚あけてあり、その前に子供用の踏み台がおいてある。

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その踏み台に上って、「1本ちょうだい!」というとおじちゃんはアイスが入った

冷凍庫(木製の扉に真鍮の取っ手がついてて、片開きを上に持ち上げるタイプ)を

開けて「何色?」と聞いてくれます。

黄色、ピンク、水色、白、緑とあずきの6種類あった。

小豆は高くて、10円だったかな~?他のは1本5円。

色は違っても、味は同じ。でも、色が違うとおいしさが違う気がしてさんざん悩む。

あずきはおいしいけど、口に小豆の皮が残るのであんまり好きではなかったなぁ、

子供のころは。

このころ「かどや」でアイスを買った記憶はない、なぜまんしゅうやばかりだったのか

その理由はよくわからない。かどやが面している通りの細いほう、駅から北上する小道は

食堂や花屋さん、バッグ屋さんなどがならぶ小さな商店街、通りが狭くて大人が行き交う通りという

イメージでもあったのか?ロータリーに面したまんしゅうやの隣には「大判焼き」屋さんもあり

ひらけた明るい感じがしたんでしょうかね。

 

まったくかどやが出てこないうちに、ブログが長くなったので、次回に続く。(続くのかい、笑)

本当に大事なことはネットではみつけられないよぉ


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なんと一年ぶりのブログ更新。(更新する前後で、WEBが違ってるのはご愛嬌)
ブロガーと自称する人がちょくちょく来店する。中には、とても印象が強く顔を覚えさせていただき、気づくと、あちこちのイベントでお見かけする方もいる。向こうは私のことを覚えてないらしく、それはラッキー(それでいいのか、は置いておく)。イベントやお店の紹介をブログに綴っているのを読ませてもらって、ため息。

SNSがこんなに発達するなんて、数年前には思ってもみなかった。2011の大震災の時に、ツイッターで情報を拾ったことがものすごく遠い時代のことのように感じる、今の情報氾濫ぐあい。情報発信ツールを手に入れて、それを「自己表現」ならまだしも自分自身の承認欲求のために使っているのでは?と思える書き込みをまま目にするよね、ブロガーさんのように。気分がわるくなることこの上ないですよ~、ほんと。

メンバーが大きなエネルギーをかけて取り組んでできあがったイベントを、ちょろっとみて、「より多くより広くつたえます」といった位置で紹介していようなブログを読むと、何様!?って突っ込みたくなる。汗をかいたわけでもなく、人をつなぐ苦労をしたわけでもなく。実体験の伴わないわりに、やたら美しい文章、きらびやかな形容詞。

地域で暮らしているなら、自分が「やったこと」を発信することに、軸足を置こうよ。批評や情報発信なんていう絶対安全地帯から、人様がやってることをあれこれ言ってるひとって、私は信用しない!そういう人が取材に来たって、「本当に大事なことはネットではみつからない」ですから。

以下Wikipediaより引用―――
「承認欲求とは、自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求である。尊重のレベルには二つある。低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。マズローは、この低い尊重のレベルにとどまり続けることは危険だとしている。高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。」

コンテンポラリーアートなのさ♪の巻


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文化財曝涼あり、美術協会展あり、Art+1あり、準備てんてこまいの中、常陸太田アーティストインレジデンスの1年間の集大成となる常陸太田芸術会議にやっとこさこぎつけました。ラストスパートだったアーティストさんたち、お疲れさまだったね。

芸術会議最終土曜日の10月18日、水府支所での交流会にばたばたと参加。見知った顔が勢揃いで、まずは芸術会議についてのあれこれをコーディネータさんやアーティストさんの言葉で語っていただく。まだ作品は全くみれてないうちに、話を先に聞いちゃっていいものか、ってか聞いて分かるか?と思いつつ・・・。いやぁ、聞いて良かったです。ききながら、心に残った語り手の言葉をメモ(太字がそれです)。そして交流会翌朝、作品に会いに行った。

「アートを意識しないで生み出されている作品、クラフトなどを、現代アートの立場から、考察しつなげる、こと。」

予算がばりばりあるわけではない地方で、レジデンスの事業を行うコンセプトについてはディレクターのMさんの口からも何度も聞いている。それが実際に作品という形で私たちの目の前に出現した、その過程をかみ砕いて丁寧に語ってもらった、その端的な例が「高台の菊池さんち」という作品。

あるおばあちゃんのお宅、おばあちゃんが亡くなって、建物も取り壊しが決まっていた。おばあちゃんが趣味で作ったいろいろなクラフトが家の中に所狭しと飾ってある。田舎のおばあちゃんがよくやっていること、私なら「しょーもないものをつくって」と流してしまうような、失礼な言い方をして申しわけないえど、「手慰み」の数々。それをアーティストさんは作品として昇華して見せてくれた。

菊池さんちの玄関を入ると、板の間の板がくだけて宙づりになったシーンと出会う。とりこわされようとしている家そのもののよう。隣の和室の真ん中には、おばあちゃんとおじいちゃんが二人寄り添う写真が飾られている。その周りをかざるおばあちゃんのクラフトの数々。おばあちゃんがこの家で、暮らした年月、楽しく手を動かして「なにか」を作り、それはひとときの喜びの時間を中に閉じ込めて、誇らしげに家の天井からつるされ飾られ愛でられていた。そのいとおしき営みが行われて来た家とその主。

奥の間には、おばあちゃんの娘さんが、その精神を受け継ぎ、仲間達と作り続けいている陶製のじゅうづるさんがいっぱい。心の赴くまま、手を動かし、生み出されてきたじょうづるさんたちに、おばあちゃんのDNAは引き継がれていくのか。

奥の間をみて、帰ろうとしたら、会場の担当者がもう一つ作品があると案内してくれたのは、おばあちゃんの写真が飾ってある和室の奥の一間。暗幕で暗闇になった押し入れほどの広さの空間の中に、陶芸仲間の作品が展示され、そのひとつひとつを小さなLEDライトで照らし出している。

いわゆるアーティストがアート作品を作ろうとするとき、その生まれ出る作品は最初から「見られる」ことを内包してこの世に生み出される。そのことへの違和感。何かに感銘を受け、あるいは心が動かされて何かの表現として生まれ出るもの、原初のアートは見られることなど、、意識されずに生まれ出てきたはず。その原初のアート、そして原初のアートを生み出す「いわゆるアーティスト」ではない「普通の人々」に、アートを取り戻す、そういうことを目指して、常陸太田芸術会議って開かれたんだね。この暗闇の中、小さな光ではあるけれども、照らされている作品は、むかしむかしアートが生まれた瞬間を象徴しているように、見えてきた。

もう一度あの文章を。

「アートを意識しないで生み出されている作品、クラフトなどを、現代アートの立場から、考察しつなげる、こと。」

そうだったんだ、と深く納得。昨日交流会で耳にした言葉が作品と一緒に身体の中をかけ巡るような時間だった。

「わからないものを、わからないまま付き合って来て、『わからない』を持ちつつ一緒に作業をしているうちに、「お!」と挨拶するような関係性になること、それがコンテンポラリーアートなのよ」

芸術会議開催に至るまで、ほぼ一年間。交流会の冒頭ディレクターのMさんが言った言葉「長かった」ほんとに長かったよね。やっとやっとたどりつけた、ばたんきゅーってかんじの週末でした。

何をするの?誰がやるの、なんで?いろんな???を頭のうえにいっぱい貼り付けながら過ごして来た日々が、そうか、そうだったんだ、って納得した高台の菊池さんち。この台詞は助っ人アーティストというか、助っ人コーディネーターというか、本人もどういう肩書きなのかよく分からないと、苦笑しながら自己紹介していたSさんの言葉。言い得て妙とは、このことか!

最近続けて訪問した中之条と市原アートミックスで、なんとなく腑に落ちない感が残っていた。作品について、どう感じればいいのかな、という戸惑いというか。その腑に落ちない感じは、自分の中にある、作品への思いの投げかけ方の足りなさによるんではないかと、反省した。今日この日から、現代アートへの理解が、ほんの少しではあるけれど、深まったような感謝の気持ちも持ちつつ、超超いそがしかった10月は終わりました。たのしかった、ぜ!

15日…サッカーの話じゃないよ(^_^;)


15日、日本戦の前半終了までみてから、友人の車に乗って上京。目的地についた時には敗戦、な一日の始まり。

森美術館で「ゴー・ビトゥイーンズ展」へ。様々な境界の橋渡し役としての子どもからみた世界。なかなかヘビーな内容でした。「子ども」という言葉から連想するハッピーなイメージとは違って、社会的な課題をその境界で順応する(順応するしかない)子どもの視点から露わにする、ってな感じ。重かった。

その後アートトライアングルの別の一点、国立新美術館へ徒歩移動。大きな展示会がないので、ゆったりした館内でライブラリーなどぶらぶらして時間つぶし。こんな優雅な時間つぶしは久しぶりだな!ライブラリーでふと目に止まった書籍を立ち読みしていて、がーーーーーん!手にした書籍は以下の3冊。

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アートプロジェクト運営ガイドライン

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組織から考える継続する仕組み

パラパラと読んだだけで、ソッコーでアマゾンさんにぽちっと。上の2冊は書籍として販売はされてなく、助成事業の成果物としてDLして全部読める、しかもとてもわかりやすい。こんな整理が既にされていたなんて、今までの半年のあれこれを思うと、私の時間を返して!っていいたいくらいの内容です。NPOに関わる皆さんに全員読んでいただかなくちゃ!!!時間つぶしのつもりが、思いがけない書籍発見の貴重な時間になっちゃって、ラッキー♪

その後下北沢のB&Bに移動、本日のメーンは「椿昇さんのトークショー」です。

瀬戸内国際芸術祭に参加したアーティスト椿昇さんたちによる書籍発売に合わせたトークショー。気になる言葉がずらずら、ひたすらメモを取る。

・テーマは「観光」から「関係」へ
・本当に大事なものはフェイスブックやネットには出さない
・システムを変えることなしに、アートだけやっていても何も残らない
・街中に、高速無線LAN環境を整えてもらった。こういう環境がないとクリエイターは所詮居付かない。
・地域の法整備があってこそ、地域が変わっていく
・ホストとゲストの関係を乗り越えないとならない

先週の北川フラムさんのトークショーといい、今回といい、得るところ多い上京だったなぁ。でも、もうトークとか聞くのはいいや、実践だ!実践あるのみ!
(さらに…)

新怪獣というなの哀しさ(笑)


思えば遠い昔、うまれて最初に見た映画は「ゴジラ対キングコング」だったような・・・。映画の迫力にはまった弟は、終日映画館の外にすわって映画の音を聞いていて親に怒られた、なんていう記憶もあります。昔映画館は、上映中の映画の音声だけを建物の外にスピーカーで流していたんですよ。ある種の客寄せだったんでしょうか。映画館の外にゴジラのミニチュア銅像が建てられていたのも記憶にあります。伊福部昭さんのことを知ったのはずっと後ですが、あのゴジラの背景に流れていた音楽にはしびれました。弟は伊福部さんのLP買ったんじゃなかったっけ?(LPに括弧書きで説明を入れるのを迷った私)

私の子どもたちがうまれて初めて見た映画は「ドラえもん」のシリーズだったと思いますので、時代は変わったというのか、時代は変わっても同じものは同じとでもいうのか。(こう言うときに閑話休題って使うのかね)

今日ブログを書こうと思ったのは、ゴジラの新作見に行きたいと思ってるんですよね。
ゴジラの新作がハリウッドで(なんて薄っぺらな表現),7月公開。ノスタルジー?それもあるでしょう。子どもの頃感じたどきどきを、最先端の映像技術でもう一度、なんて気分もあります。疲れているのかもしれません、超わかりやすい娯楽作で息抜きしたいってのもあるでしょう。

でも、一番引き寄せられたのは「MUTO」という新怪獣の名前です(苦笑)。友達の名前かぁ「むとう?」、発音はローマ字じゃないから、「むぅ~(日本人には聞き取りにくい炸裂音付き?)かな?

怪獣のシリーズものに出てくる新怪獣って、なんかすごくがっかりさせられるのが多かったなぁ。なんか嘘っぽさがあるっていうか(怪獣ものに嘘っぽさっていうことの理不尽は置いておいてください)。メカゴジラとかさ(泣)。ラドンの幼虫が水がでた炭坑に潜んでいたシーンなんかのリアルな恐怖とかを見て来ちゃってた当時の怪獣映画ファンには納得できないクオリティを感じる、とでもいいましょうか。

この映画の予告篇だけ見てると、おっ!いいね!って思うんですが、その新怪獣の映像らしきものがでてきて、線がカクカクしてるあたりから、あらだめだ感がちょっと発生。でも、お世話になっている名前だから、やっぱ見に行こう!(そこかい!)

阿弥陀堂視察


毎年一度、冬の寒い時期になってしまう市民協働・提案型まちづくり助成事業の視察。今年の視察先はがんばっているところが多くて、とても幸せな気分で視察を終えた。

おもしろかったのは旧金砂郷の阿弥陀堂がある地区の活動。古くて暗くてなんとなく近寄りにくいところだった阿弥陀堂が、震災で被災~修復を受けたのを期に、盛り上げようと地区の方達が活動を始めた。

提案はよくある「花いっぱい運動」的で山門付近に花壇をというものだったが、ヒアリングしていくといろいろ昔話が出てきて、それに特化したらと逆提案をしてみた。

・昔この地区は「ショウガ」の産地だったらしく「ショウガ市」が立った場所である
・イボ取り石が有名で遠方からその石をもらいにくる。イボが取れたら石を返納にくる


(石に梵字が書いてある)

常陸太田市で行っている集中曝涼(文化財の虫干しをかねていつもは見られない収蔵品を展示)のコースにもなっているので、ショウガの佃煮だとかおこわだとかを参詣者に販売したのだとういう。また、植えた花も「和風の花を選んだ」というとおり秋の七草をはじめ、ワレモコウ、ホトトギスなど和趣あふれる選択で、秋には綺麗になるだろうと思える。またショウガにちなんで「ジンジャー」を空いているスペースにたくさん植えたらしく、季節には白い花と香りが見事だろうな(今は冬なのでそれは見られなかった)と思えた。

こちらは山門が有名で、しかも門にお立ちの両仁王像がユニーク。こんな仁王像は私は初めて拝見した(笑)

 

公のお金を使うにはどうなんだろうと思える団体や活動も例年はいくつかあるんだけど、こちらのような気持ちのいい活動ばかりだといいんですけどね。
(さらに…)

図書館では貸し出し中



今借りているカフェは元々タンス屋さんだったところ。開店までの大わらわは以前ちょっとだけブログに書いたことがある。この本の記事を見ていて、あの頃の記憶がよみがえってきた。

タンス屋さんの片付けに関して言えば自分たちは当事者じゃないので、とにかくドライに「捨てた」けど、実際の親子だったら、なかなかそうは行かないだろうと、改めて思う。「親に対して怒りがわいてくることも」あのゴミとしか言いようのないものを延々と片付けていたら、そう思ってもしょうがない、な。まっさらな、納品された店の包装紙をまとったままの布団を捨てる時の罪悪感。地元信金が月掛けで配ったらしき小鉢が数十枚、箱入りで厳重に縛ってあるのを、ほどいて分別して、捨てる。

こういう作業は、精神上よくない!実際手伝ってくれた友人が、夢に見てうなされたとか金縛りになったとか・・・。町内のお悔やみではきっと帳場係を何度もなさった人なんだろうけど、その香典袋をなんで保存しておく?「捨てる」なんて概念自体が無かったであろう昭和初期生まれの親御さんの住まいの片付けは、本当に大変でした。

この経験から、ものを持たない、60過ぎたら身辺整理に入る、年老いた親に一人暮らしはさせない、などなど色んなことを肝に銘じた、片付けの日々でした。いったんはゴミ処理業者にお願いしようと、とった見積もりが「40~50万円」それを、処理場のおっちゃんと仲良くなりながら片付け、それでも処理代数万円。

おしゃれな雑貨屋さんとかで見つけたものも、しばらくしたらゴミかもね、とある一定の期間を過ぎたら「捨てる」習慣が、強化されたような気がする。(いや、それなら買うなよ、って自分突っ込み)
(さらに…)

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